6-3 敗走して……
這う這うの体で、どうにか通用口付近へたどり着いたリンディとフィリスを、カラムゥは冷静に出迎える。
「お疲れ様です」
「追っ手は……」息を弾ませながら、後ろを振り返るリーダー。「ないよね……」
「あの……アマミエルさんは?」
いの一番に退避していたナユカが、まずい質問をしてきた。リンディはカラムゥを見る。
「ごめん……」
視線の先の弟ではなく、質問者のほうが痛いところを突く。
「置いてきた……?」
「だって……」
見捨ててしまった……。視線を背けるリーダー。しゃがみ込んでいるフィリスが、カラムゥを見上げる。
「仕方なかったんです……もう、どうにも……」次に、ナユカへと哀願の視線。「わかって……」
「……」
こんな状況は経験したことがないので、どう捉えたらいいのかわからない異世界人は、無言のままリンディとフィリスを交互に見つめる。非難をしているのではなくても、負い目のあるふたりには、その視線が刺さるよう。そこへ、カラムゥから救いが。
「心配ありませんよ。姉は、防御力はありますから。それより……」さらっと口にしてから、弟は改まる。「どうやら、姉がやらかしてしまったようで、申し訳ありません」
「と……とんでもありません」
恐縮して、妙な言い回しになってしまったリーダー。なんて、できた弟だ……。
「め……滅相もございません」
こちらは助手。一時的に助手だったティアからも、マスターはこんな表現を聞いたが、助手になるとこんな話し方になるのだろうか……?
「ま……まぁ、とにかく……アマミエルはよくやってくれたよ」
実際、リンディ自身が解除するよりもよかった。それに……自分が罠にかからずに済んだ。
「すみません」
「?」カラムゥの謝罪を不可解に感じるが、すぐに悟るリンディ。「……あ、皮肉じゃなくてね。それより、早く助けに行かないと」
警備員たちには事前に見回りについて知らされており、事の次第を理解しているはずなので、すでに対処を始めているとは思うが……。
「ええ……でも……」
姉の救出をなぜかためらう弟を、フィリスが促す。
「急ぎましょう」
「戻れないんで、内側からだね」
逃げてきたばかりのルートを戻るのは危険だ。間違いなく攻撃を受ける。リンディの提案は間違っていないが……。
「やっぱり、その格好はなんとかしたほうが‥‥」
カラムゥの指摘どおり、リンディはずぶ濡れ、フィリスはそれプラス泥だらけ。そのまま内側から助けに入っていくのは、怪しいことこの上ない。
「それじゃあ、わたしとカラムゥさんで行きましょう。ふたりはそこで待っていてください」
カラムゥの腕を左手でつかんだナユカは、通用口のドアノブに右手を伸ばす。
「あ、ちょっと、だめ! ユーカ!」
危険な場所へ異世界人を赴かせたくない医師の呼び止める声で、当人が反射的に静止した瞬間、扉が向こうから開いた。
「わ」
ナユカは一歩、後方へ。フィリスの意図はどうあれ、ドアとの激突を免れた。代わりに……。
「くっ」
カラムゥの足が犠牲に。
「あ」
後ろへ乗せた重心とともにカラムゥのつま先付近を踏みつけている後足を、ナユカがどけようとしたところ……。
「みなさん、すぐに中に入ってください」出てきたのは、ここの専属警備員の制服を着た女性。扉を全開にして、まずは、先頭のナユカから入るように促す。「さ、早く」
急かされたナユカは、重心の乗った軸足ではない足を前に出す。
「あ、はい」
「くぅ」
つま先を踏みにじられても、この程度の声で済ませているカラムゥは、やはり紳士だろう。
「あ、ごめんなさい」
こういうときには、踏んでいる側はさっさと動くべきだが、そのまま立ち止まるのが常だ。そして、それは踏まれる側には責苦と化す。
「ぐっ」
両者の静止中にその脇をすり抜けた警備員は、ナユカを急がせる。
「早く、早く」
「あ、はい」
再稼動したナユカが急いで中へ入ったころ、警備員はすでにアマミエルの倒れている「現場」へと向かっていた。結果的に警備員に救われたカラムゥは、足を引きずりつつ、その加害者の後から屋内へ。ぐしょぐしょのリンディと、どろどろのフィリスもそれに続く。
中へ入った四人を迎えたのは、すでに顔を合わせている男性従業員。女将の指示を受け、このオペレーション実行時の担当となっている一人だ。
「お疲れ様です」
「アマミエルを助けに……」
ぐしょぐしょのリンディが控え室内を走り出そうとするのを、その担当係員が静止する。
「あ、大丈夫です。こちらで保護いたしますので」視線は、ぐしょぐしょとどろどろへ。「お二人はシャワー室へご案内いたします」
別の女性従業員が、屋内を徘徊されたくない風体のコンビにすたすたと寄ってくる。
「さ、どうぞ……こちらへ」
「ちょっと……説明……」
動いてくれないリンディに、出迎えた係員からの目配せを受けた案内役が一言。
「ご案内がてら、ご説明いたします」
「そう? それじゃ……」
ぐしょぐしょは動き出す。本人も、早いところさっぱりしたい。一方、どろどろの健康管理責任者は、異世界人を置いていきたくない。
「あ、でも……ユーカは……」
「そちらのお二人には、わたしからご説明をいたしますので……」
ここに留まる係員の言葉と同時に、案内係はどろどろに対し、ぐしょぐしょに続くよう促す。それを見ているナユカは、フィリスに軽く手を振る──自分もシャワーを浴びたいが、今、ここを離れるわけにはいかない。
「いってらっしゃい」
「え……あ……」
本人は留まる気……なら、ここで粘るとまた嫌がられそうだし……。それに、どろどろ状態の自分が、係員たちから移動を急かされているのがわかる。どろどろは後ろ髪を引かれつつ、ぐしょぐしょと一緒に従業員用のシャワー室へと去っていった。
「それでは……」最初の係員がカラムゥとナユカのほうへ振り向く。そこで目に入ったのは、カラムゥの姿。「あ! お怪我を……」
ストゥールへと腰を下ろした負傷者は、靴を脱いで自分の足の状態を診ており、傍らの加害者が心配そうにそれを見つめている……。これが、ナユカがここを離れられない理由だ。自分が怪我をさせた相手を放って、シャワーなど浴びてはいられない。踏みつけられた足には血が滲んでいて、足指の一本、薬指がまずい方向に曲がっていることから、素人目にも骨折は明らか。単純骨折なので、内部がどの程度なのかはわからないが……。
「ごめんなさい……わたし……なんてことを……」
人に骨折を負わせるなんて……。思った以上のひどさに青ざめるナユカを、カラムゥが取り成す。
「大丈夫ですよ、この程度」微笑みは……引きつっている。「すぐ治ります」
「ただ今、ヒーラーを……」
負傷した足を目にした係員が、あわてて反転する。
「わたしです」
本人より背中から声を掛けられ、係員は再度反転。
「あ」
「少々手伝っていただけますか?」
「え? わたしが、ですか……」
乗り気でない……というよりも、眉をひそめて体を退き気味にしていることから、生理的に怪我は見るのも受け付けないというタイプらしい。
「わたしがやります」
代わってナユカが立候補。責任を感じているというのもあるが、彼女なら、責任がなくても、申し出ているだろう。
「では、お願いします」
承諾したカラムゥに、にわかナースがうなずく。
「はい」
「それでは……これを……」ヒーラーはまず、常備している清潔な布をナユカに渡す。次に、患部に向けて二種類の詠唱。そして、折れている足指を通常の方向へ戻す。「このまま、その布で軽く押さえていただけます?」
この程度の骨折なら、おおよそ正しい方向へ向けて骨が接触させてあれば、魔法によって活性化された生体の自然治癒力で、本来あるべき状態で接合される。したがって、それほどシビアになる必要はない。この点、さすが魔法である。しかし、そういったことに関する知識のない素人、それも異世界人は、恐る恐る手を伸ばす。
「はい……」
「多少ずれても大丈夫ですよ。魔法で正しく治りますから」そうでなければ、いくら善意であっても、素人には任せない。「……汚い足ですが」
冗談めかしたその足には、血が滲んでいる。魔法による浄化はすでに行っており、回復中にも浄化作用があるので、その状態で治療開始しても問題はない。それでも、根性が細ければ、医療の専門家以外はあまり触りたくないだろう。
「いえ、そんなことは……」根性が太いこの娘は、躊躇なく患部の足指を押さえる。ただ、今度は力加減がわからない。「痛みますか?」
「麻酔を掛けたから、痛みはないですよ」最初の詠唱が麻酔だ。「そのまま軽く押さえていてくださいね」
「はい」
これからかけるのが治癒魔法。カラムゥは手をかざして詠唱する……。魔法が発動。しかし……。
「あれ? おかしいな……」魔法が発動している感覚があるのに、魔法がそこにない。「魔法が……」
「どうしました?」
離れ気味に見ている係員が聞いてきた。
「いえ……もう一度」
ヒーラーは再度、治癒魔法を詠唱する……魔法イメージの生成と魔力の流れを感じ、魔法は発動したはず……それなのに……魔法が消えている。つまりは、傍目に見て、魔法が発動していない。
「やはり、ヒーラーを呼んできます」
係員は、早足で奥の出口へと向かった。
「あ!」
ここで、ナユカは事態を把握。自分が触れているから、魔法が無効化される……。あわてて患部から手を離し、ポケットから耐魔法手袋を取り出す。これは、魔力のシールドが不十分な魔法機器の場合、ナユカの手に掛かると動かないことがあるので、ふだんから所持しているものだ。彼女の場合、魔法からその装着者を守るのではなく、魔法を無効化してしまう装着者から、ある意味、魔法のほうを守って機能させるという、本末転倒ともいうべき使用目的となる。これまでの経験では、機械の場合なら、これを装備することで大概は稼動する。そんな手袋をはめているナユカを見て、カラムゥが冗談めかす。
「すみません、汚いですよね」
本来、回復魔法に対する魔法耐性を上げないために、介助者がこのような手袋を使うのが定石であり、よく持っていたと感心している。
「あ、いえ……そういうことではなく……」冗談を真に受けた異世界人。どう誤魔化そう……。「わたしの手が……手が滑るので……そのせいかも……もう一度やりましょう!」
「……そうですか? では……」手が滑るかは魔法の効力と関係ないと思うが……ナユカが強く主張したので、カラムゥは再度、治療を実行することにし、さきほど同様、患部の指を本来の位置に戻す。「これで……お願いします」
「はい」
ナユカはその指を、今度は手袋をした手で押さえる。カラムゥは患部に手をかざし、治癒魔法を詠唱……。今度は魔法が発動した。正確には、発動した魔法が消失することはなかった。
「うん」
魔法の存在を確認してうなずいたカラムゥ。その手から放出された治癒魔法は、その先の患部を癒し、怪我が次第に治っていく。そこを軽く押さえているナユカにも、骨折が治っていくのが指に伝わる感覚でわかる。
「治ってきています」
「つながった感覚はありますか?」
それはある。
「はい。だいたいは……」
専門家ではないから、完全に治ったかは介助者にはわからない。だが、ヒーラーにはそれで十分。
「それなら、OKです。手を離してください」
指示に従ってナユカは手を離し、カラムゥは魔法をしばらくかけ続ける。そこへ、先ほどの係員が、この施設専属のヒーラーを連れて戻ってきた。
「こちらです」
新たなヒーラーが患者のもとへ誘導されたとき、その本人による治療は終了。
「治療は終わりました」
「あ……そうですか……」治療しそびれたヒーラーは、治療した患者本人であるヒーラーに聞く。「ちょっと診てもよろしいですか?」
「どうぞ」
患者の足を施設のヒーラーが診察。
「きれいに治っていますね」
「ええ」
カラムゥはうなずいて、治療した足指を動かしてみせる。
「よかった……」ほっとしたナユカは耐魔法手袋を外し、カラムゥに再度謝罪する。「本当に申し訳ありませんでした」
このように丁寧なセレンディ語の謝罪表現も、大学では言語学研究志望だった異世界人はすでに習得している。
「いえ、気になさらないでください。このとおり、完全に元通りですし」
もう一度、足指を動かすカラムゥ。
「それでは、わたしは戻ります」
ほぼ来ただけで立ち去る専属のヒーラーを、係員が見送る。
「お疲れ様です」
まぁ、疲れてはいないだろう……。すると、早々に、負傷者だった人が本題に入る。
「では、状況を説明していただけますか?」
「状況……? あ、はい」切り替えの速さに、一瞬、なんのことかわからなかった係員だが、気づいて先に進める。「まず、アマミエルさんは無事です。ほとんど怪我もなく、治療もすぐ終わったそうです」
専属ヒーラーを呼びに行った際に聞かされた。その点では、その行動も無意味ではなかった。
「よかった……」
またもほっとするナユカ。傍らでカラムゥがうなずいている。
「頑丈ですから」
「それで……」
報告を始めた係員によれば、フィリス以上にどろどろだったアマミエルは、現在リンディたちのいるシャワー室におり、身支度が整ったら別の係員がここへ連れてくるとのこと。また、大騒ぎとなった浴室の収拾はあの女将自らがつけたという。その詳細などに関して、後ほど本人から直々に話があるらしい。
以上、手短に状況の報告を終えた係員が、用があったら手近の従業員に告げるように申し置き、その場を去ろうと立ち上がったところ、ナユカに呼び止められる。
「あの……わたしもシャワー室に行ってもいいでしょうか?」
「あ、はい。ご案内いたします」
係員の承諾を得たナユカは、カラムゥに会釈。
「では、すみませんが……」
「どうぞ、ごゆっくり」
会釈を返したカラムゥのみを控え室に残し、ナユカは係員とシャワー室へ向かった。




