“完璧”な姉が大嫌いだった。
ずっとずっと、姉は私の敵だった。
私が生まれたのは小さな田舎町で、わりと美人な姉が自慢だった事もある。
今でこそ憎んでいるが、これでも小さい頃は姉の事が大好きだったのだ。
本当に小さな小さな田舎町だったので、小学校も中学校も高校も、山の中にぽつんと1つだけ。
小学校は、小学生の体力では少しだけ遠かった。中学校と高校はバスもそんなに無かったから、親の車で通ってた。
当然コンビニなんて無い。スーパーも車で行くような距離にしか無い。本当に何も無い、小さな小さな田舎町。
そんな小さな田舎町では、皆が姉の事を知っていた。
「もっと、お姉ちゃんみたいに――…‥」
「お姉さんなら――…‥」
「あれっ?お姉ちゃんは――…‥」
「お姉ちゃんが――…‥」
親から。
近所の人から。
先生から。
友達から。
バイト先から。
小さい頃からずっと比べられていた。言った本人に“比べていた”という自覚は無いだろうとは思う。
でも3割くらいの人は嫌みだった事を、私は知っていた。だって相手が私の事嫌いだったのを知ってたから。
いつからか、姉の事が大嫌いになった。
いつからか、姉が私の敵になった。
美人で、勉強が出来て、大人っぽくて、仲良くなるのが上手くて、誰からも褒められていた。
自分に出来ない事を自覚する度に、“完璧”の象徴だった姉が大嫌いになっていった。
初めて姉が嫌いになってから、初めて姉と比べられてから、十数年目のある日、姉が結婚する事が決まった。
結婚報告の食事会で会った旦那さんはイケメンではないけれど、とてもとても優しい人だった。
父も母も喜んでいたけど、私はもっと嬉しかった。
だって、もう我慢しなくていいの。
小さな小さな田舎町では、友達に話した事が色々な人間を経由して半日で親に伝わってしまう。
だから、ずっと誰にも言えなかった。ずっと辛かった事、ずっと誰にも話せなかった、ずっと誰にも相談出来なかった。
でも、もう我慢しなくていい。
旦那さんは他県の出身で、遠い遠い所に住んでいて、姉は旦那さんについていく。
もう我慢しなくていいの。
「お待たせっ」
「まだ時間はあるから急がなくていいのに」
学校が終わってすぐ、迎えに来ていた母の車に駆け込む。
明日姉が引っ越すから、最後に家族で食事に行く事が決まった。姉と父は先に店に向かい、後から私と母が合流する事になっていた。
途中の車内では学校の話、友達の話、来週の校外学習の話等、会話が途切れる事は無かった。
よく覚えていないけど、何かの会話の延長だったように思う。
母の一言で、盛り上がっていた会話が終わりを告げた。
「アンタもお姉ちゃんみたいに素敵な旦那さん見つけなさいね」
もう……我慢しなくていい、って…………思ってたの…
母の声の直後、プツッと、軽くて重い、何かが弾ける音が聞こえた気がした。
「お姉ちゃんお姉ちゃん言わないで!!」
言っちゃった。
ずっとずっと思ってた事、言っちゃった。
一度口から出てしまった言葉は簡単には止まらなくて、涙もボロボロ溢れてきた。
両親から言われた事も、友達や近所の人達から言われた事も全部話して少しスッキリした私も、隣りで黙って聞いていた母も、何も喋らなくなった。
暫く黙っていると赤信号で車が止まって、母は何処かに電話を掛けた。“何処か”だなんて分かってたんだけど、泣いて喚いて疲れていた私は「運転中に電話はダメだから…」とだけ言葉を絞り出して、母は「そうだったね」とだけ返事をして電話を切った。
少し遠回りをして、車は目的地じゃなかった家に到着した。
ノロノロとシートベルトを外して中に入ると、先に店に行っていた筈の姉と父が居間で待っていた。
「お姉ちゃんね、中学の時ずっと保健室登校だったの」
初めて聞いた、“完璧”じゃない姉の話だった。
姉は中学生の頃イジメにあっていたらしい。
学校に戻れなくなってしまう事態だけは避けようと、両親と先生と話し合い、保健室までなら…という事で様子を見ていた時期があったと聞かされた。
姉は“完璧”じゃなかった。
美人で、勉強が出来て、大人っぽくて、仲良くなるのが上手くて、誰からも褒められていた。
“完璧”の象徴で、何でも出来て皆が褒めていた姉は、“完璧”じゃなかった。
「ごめんね、今まで苦しかったね」
そう言って、姉は哀しそうに笑った。
今更そんな事を言われても困る。
ずっとずっと姉と比べられて、ずっとずっと姉は敵で、ずっとずっと姉が憎かった。
今更そんな事を言われても困る。
明日、姉は遠くに行ってしまう。
今更、そんな事を言われても……困る…。