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八、そっちから降りろよ

 楊の愛車の白いスポーツカーの助手席からの風景は、良純和尚のトラックの助手席の視界と比べれば車体が低いどころか地を這う様な感覚だ。また、楊の運転は乱暴ではないのだが、法定速度ギリギリにスピードをかなり出す走り方なこともあり、僕は考えたくも無い過去の自動車事故のイメージに思考がぶれて、ドライブは楽しいものだというよりは空恐ろしいものであった。


 楊が運転する車を空に飛ばす過去の映像が、何度も僕の頭の中を刺激するのである。


 ちかちかとフラッシュが頭の中で点滅し、フラッシュの残像には血まみれの楊だったり、ひしゃげた赤い車体の残骸だったりと、とにかく繰り返し繰り返し瞼の裏で見えるのだ。


「どうした?何度も瞬きをして。眠くなったか?」


「いいえ。大丈夫です。かわちゃんこそ運転に疲れませんか?」


「平気。これこそ俺のストレス解消って奴。」


 普段ならば僕の頭を軽く触れる手は、今は決してハンドルとチェンジレバーから離れることは無い。

 彼の車はマニュアル車であり、楊はマニュアル車に拘るのだと言う。


「俺は走り屋さんだったからね。」


「暴走族だったのですか?人様に迷惑をかける人だったなんてがっかりです。」


「馬鹿。お前は本当に世間知らず。俺はそんな人様に迷惑をかける方じゃなくてね、普通に車が好きで走らせるだけの愛好家さんなの。峠族って知っているか?ドリフトターンを追求する人達。俺はそっちだったの。」


「峠近くに住んでいる人達の迷惑ですよね。」


 ぱし。


 楊はギアから手を離して僕の頭を軽く叩いた。


「酷いです。無理矢理誘拐しておいて、頭を叩くなんて酷いです!」


「誘拐って人聞きの悪いこと言うなよ。せっかく仕事から抜け出させてやった恩人によ。お前は壁紙貼りが嫌いなんだろ。大嫌いな壁紙貼りよか、俺の実家で美味い物食って、お前の大好きな髙さんの見舞いに行く方が何ぼかマシだろうが。」


 そうなのだ。

 髙は大怪我をしたといってもこのご時勢だ。

 何日も入院する必要が無かったはずなのだが、彼は原因不明の左半身のしびれを起こして病院のベッドに縛り付けられてしまったそうなのだ。

 彼は相模原第一病院から横浜市の大学病院に転院し、検査漬けの毎日だという。


「でも、お食事会や病院のお見舞いに、こんな作業着姿で不適切じゃないですか。」


「いいじゃん。その姿だから笑いがとれるかなって。それよかお前はさ、髙の病気の原因とかは見えないのか?」


「…………僕は医者じゃないですよ。」


「だからさ、霊能力って奴で。」


「かわちゃんて、非科学的ですよね。」


 ぱし。


「痛いです。」


「うるせぇよ。」


 僕がそろそろ良純和尚のところに戻りたくなったその時、楊はぐいんと乱暴なUターンをして隣の反対車線に乗り込んだ。


「うぁ。いいんですか?いいんですか?こんな乱暴な侵入していいのですか?」


「いいの。走っている車なんざ俺のシルビアちゃんしかいないじゃん。いいの。ここはもう俺の庭みたいなもんだから大丈夫なの。」


 彼の庭は高級住宅が立ち並ぶ山手だったらしい。

 僕は楊の実家が親族の家の近くでないといいなと考えながら車窓から風景を眺めたら、視界に入ったサイドミラーに恐ろしい勢いで白バイが近付いて来ていた事に気がついた。


「かわちゃん。」


「うん?」


「白バイ。」


「うん。大丈夫。」


 再び車は乱暴なターンをすると、大通りから小道へと入り込んでいった。


「かわちゃん。」


「うん?」


「ここ関係者以外進入禁止って。」


「うん。大丈夫。ここはうちの私道だから。」


「え?」


 小道はそのまま砂利道となり、タイヤにはじけた小石が車の底面をガチガチとぶつかる音をさせながら車は走り、ついには広々とした青空月極駐車場へと辿り着いたのである。

 青空月極駐車場のコンクリ塀の向こう側には白い洋館風の豪邸が聳え立っており、駐車場の管理会社は「楊不動産」であった。良純和尚は楊不動産で修行していた時代があり、楊の祖父が経営から離れたいと会社を売る際に、競売部門をそのまま良純和尚に暖簾わけしたのだと聞いている。


「この道はこの駐車場の利用者専用道路なんだけどね、抜け道になるって馬鹿野郎が入り込むからさ、進入禁止の看板を立てているの。そしたら猛スピードで走り抜けるからさぁ、砂利まで敷いて。自分勝手な運転する奴って、本当に迷惑だよね。」


 ダン!


 車体が突然大きく揺れた。


「何事?」


 驚いて運転席の楊に大きく振り向いたら、運転席側の窓にはレイバンが良くお似合いの大柄の白バイ警官が車の外に聳え立っており、今の揺れは彼が楊の運転席ドアを蹴り上げた事によるようだ。


「かわちゃん。」


「うん?」


「白バイが。」


「うん。大丈夫。お前はいいから早く降りて。俺もそっちから降りるから。」


「全然大丈夫じゃないじゃないですか。」


 ダン!ダン!と再び蹴られて車が揺れた。


「かわちゃん。」


 楊はふぅっと大きく溜息をつくと運転席側の窓を下げ、殺気立っている大柄の白バイ警官に向き直った。


「何?いっちゃん。大事なシルビアちゃんがへこんだらどうしてくれんのよ。」


 知り合いだったのか?と驚いたが、楊はそういえば警察官だった。


「てめぇ。何がナニ?だよ。何だあの無謀なUターンは。警察官が自分勝手なふざけた運転しやがって。免許証出せこら。今すぐに免停にしてやる。」


「いいじゃん。俺の車しかない無人道路だったじゃん。」


「俺が居ただろうがよ。」


「なんで交通課の大隊長さんがこんな所を流しているの。あんたの副官の根本さんがまた大困りでしょうが。根本さんの愚痴愚痴電話を聞く羽目になる俺の身のことも考えてよ。」


「あぁ、考えてやるぜ。また馬鹿な事故を起こさないように、今日こそ免停にしてやんよ。」


「うーわ。最低。この糞親父。いつまで十年以上前の事を持ち出すんだよ。畜生!」


 子供のようにハンドルを両手で叩いて抗議する楊に対して、レイバンは鼻で笑った。


「楊、それが嫌なら警備課の頼みを聞いてやってくれるか?」


「何?交通課のいっちゃんに警備課関係ないじゃん。」


「警備課の坂下、あいつむかつくだろ。貸し作ってやろうと思ってさ。」


「何、何?」


 実は仲良しだったらしき悪徳警官達は、悪辣な顔で額を寄せ合った。


「松野の婆さん、また標的に名指しされてね。坂下が持っていく警備案を一切聞かずに拒否してるそうだ。」


 松野の婆さんとは五年前に検事長だった凄い人らしい。現在は弁護士資格により警察官の人権のために「たまに」「少しは」戦ってくれる人でもあるが、財閥の令嬢でもあった彼女は引き継いだ財閥の総裁をしている忙しい女王様でもあるので、戦う資金を出すぐらいのものらしい。

 それでも無意味な告発を受けた警察官には最後の砦であり助けなのだろう。

 そして、ついでに言えば、彼女は楊の婚約者の祖母で、楊のストーカーだ。


「それで受け入れるように俺が彼女に言い含めろと。それも五百旗頭いおきべ隊長の進言でって?」


「さすればお前の馬鹿なUターンには目を瞑ってやる。二度と免停なんて言わねぇよ。お前だってそこの美女に二度と心配をかけたくないだろう。」


 僕は助手席の窓から外を眺めた。

 楊を心配する美女とやらを見てみたかったからかもしれない。


「ねえ。かわちゃん。あの紺色のプジョーのボンネットに寝転んでいる人と付き合っているの?」


「何それ?」


「ほら、あれ。真っ赤なワンピースを着ている。」


「ちび?」


 僕は楊にもわかるように、ボンネットにうつ伏せにしがみ付いている女性を指差した。


「ちび?どこだって?」


 楊には見えないと気付き、僕はもう一度彼女を見直すと、彼女の姿の向こうに同じようなプジョーが彼女を轢ねる場面が透けて見えた。ハンドル操作を誤って車が歩道に乗り上げたという、歩道を歩いていた彼女には一切過失のない事故。

 車に跳ね上げられてコンクリート塀に叩きつけられる形で彼女は殺された。ぐらりと倒れこんんだ彼女の黄色いサンドレスは、彼女の血でみるみると真っ赤に染め上がる。


「あ。ごめんなさい。死んでいる人でした。サンドレスも赤じゃなくて黄色でした。夏の日に歩道で車に激突された不幸な人。」


 すると彼女は僕に気がついたか、突っ伏していた顔を上げてゆらりと立ち上がり、そのままひゅうっと楊の車の助手席の窓に張り付いてしまった。彼女はべったりと両手と顔を窓に貼り付けて、僕をただ見ている。


「あの車が轢いたのか?」


 尋ねた声は楊のものでなく、五百旗頭という警察官のものだった。


「違いますね。あの車が交換したばかりの部品が彼女を殺した車の物ってだけです。全部処分しておけば足がつかなかっただろうに。小銭に拘ったばっかりに。」


 ぱしっと楊に叩かれた。


「痛いです。叩くなんて酷いです。」


「うるせぇよ。警察官の前で犯罪者側の言い方をするんじゃねぇ。」


「僕は非難しているじゃないですか。小銭に拘る小物だって。わざと別の場所で自損事故まで起こしてひき逃げの時の車の凹みをごまかして廃車にしたのに、小銭欲しさに彼女の証拠がついた部品をそのまま売り払ってしまうなんてって。」


 ぱし。


「痛いです。」


 楊はパグみたいに皺を寄せた顔を僕にむけており、楊の後ろ、運転席の向こうの男は物凄く興味深そうに顔を綻ばせて僕を見つめていた。


「おもしれぇじゃねぇか。これが楊のラブか。おもしれぇ。お前が拘るだけあるよ。」


「えっと、あの?」


 五百旗頭は悪辣そうに顔を歪めると、僕に聞きたい事がある、と言った気がした。


「何でしょう?」


 彼はじっと僕を見つめた後、天気を聞くように天気じゃない質問を投げかけたのだ。


「君だったら、薬漬けの凶暴な鼠が自宅に放たれる可能性の高い女性をどうやって自宅から出す?君も現場にいただろう?あの鼠事件。あの再現が松野葉子に起きると予告されているんだよ。」


「それならば尚の事家から出しませんよ。自宅の方が安全です。」


「転々と居所を変えていく方が安全じゃないか?」


「どうしてですか?」


「仕掛ける時間がないだろう?」


「転々と居所を変えている間に松野さんを誘拐できませんか?あるいは目的の仕掛け終わった場所に誘導して殺すことも。今まで自宅で安全だったのならば、敵が仕掛けられなかったからだとは考えられませんか?」


「ハハハハ。そういえばそうだ。」


 大柄な警官は大きく笑うと、今度はサングラスを取って僕を射抜くように見つめた。

 楊よりもはるかに年上であるその男の隠されていた目元は、瞼は一重でも目は大きく彫も深く眼光鋭く、浅黒い肌によく似合っているという、とにかく野性味のある精悍な顔を演出していた。


「コレは内緒だがな。二日前に国土交通省のお偉いさんの家が同様の方法で襲われた。女房子供を含めて阿鼻叫喚の酷い有様だったそうだよ。」


 僕は目を瞑った。

 いつもよりも豪勢な食卓は誰かの誕生日?おそらく家族の祝いの席だからだ。

 そんな彼らに知人の名前で宅配便が届く。

 彼らは疑いもせずに箱を祝いの席に運び、そこで箱を開けてアイスクリームケーキを取り出した。……底に仮死状態だった鼠のクッションが入っているとも知らないで。


「酷い有様って確かにそうですが、僕を悪い方へと誘導しようとしましたね。」


「どうした。」


 楊は僕に尋ね返したが、おそらくどころか楊もこの白バイの知っている事実を知っているはずだ。

 楊は嘘つきなのだ。

 それならば僕の知った真実を彼らに話してもかまわないだろう。

 五百旗頭などは期待顔でニヤニヤしているではないか。


「誰も怪我も何もしていないじゃないですか。凄く怯えてはいるけれど。でも、鼠を送りつけられたって、子供が学校や近所で大騒ぎしたでしょうね。奥さんも。だったら尚更その大事な女性は動かさない方がいいです。動かしたら失敗です。」


「ちび。それはどうしてだ?」


「だって、今ここで鼠の死骸を見つけたら、かわちゃんはどうします?」


「普通に警戒するだろ。鑑識を呼ぶよ。」


「普段だったらかわちゃんがお墓を作ってお終いなのに?」


「だって、お前。…………そうか、そういうことか。」


 僕の言葉を理解した楊は、運転席の背もたれにばふっと背中を沈めた。


「どういうことだ?楊?」


「敵は葉子に手出しができないからこそ、あの要塞から動かそうとやっきになっているとちびが言っているんです。おまけに、鼠に浮き足立っている俺達では彼女を守るどころか、パニックに陥って彼女を巻き込む可能性まであるってね。」


「ハハっ、守りに穴ができた時に殺すと、なるほど。わかったよ。俺はこれから本部に戻る。ハハハ。おもしれぇ生き物だなこれは。俺のラブにもしたいよ。」


 五百旗頭は運転席の窓からぐいっと手を伸ばすと、僕の頭を力強い腕でがしがしと撫でた。そして撫でて気が済むや颯爽とバイクの方に戻っていき、僕達を一顧だにせずにそのまま跨って走り去ってしまったのである。


 なんて嵐のような御仁なのだろう。


「それじゃあ、ちび、車から降りて。さっさと俺の家にメシを食いに行こう。」


「かわちゃんが先に下りて。」


「どうして。」


「僕がそっちから降りるから。」


「どうして。」


「助手席のドアに死んだ女の人が貼り付いちゃった。僕はこっちのドアを開けたくない。」


「嘘ん。」

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