七、見舞い
楊は料理の入ったタッパを持って相棒の病室前に立っていた。
彼が動かないのはドアに鍵がかかっている訳ではなく、開け放されたドアから見える相棒の寂しい姿に足が止まってしまっただけである。
四人部屋ながら髙しかいない為に広い個室になった病室は寒々と感じ、ギャッチアップしたベッドに寄りかかるようにして殆んど何も見えない窓の外を眺めている相棒の背中が、そのまま自分自身のような気がしたのである。
楊が躊躇している事に気付いたように、髙が身を捩って楊の方に顔を向けた。
「入らないの?」
「どうして気付いたの?」
ベッドに近付くにつれて髙が見つめていた窓に廊下の風景が写っていたのだと楊は知った。自分を観察されていたのかもしれないと楊は髙に対して少々むっとしたので、髙のベッドテーブルに彼の手に持っていたタッパを乱暴に置いてしまっていた。
「あら、これはかわさんの手作り?」
髙は手を伸ばしてタッパを取り上げて蓋を開けると、中には角煮と添え物の青梗菜が彩り良く詰まっていた。
「そう。君がおいしいものが食べたいと言ったでしょう。」
包帯塗れの男はうふふふと笑い声を上げると、タッパの蓋を閉めて楊に軽く掲げ、楊はそれに対して軽く手を振った。
「情けないねぇ。お互い色も何もあったもんじゃない。でも、ありがとうございます。」
「いいって。それで雁字搦めの俺は仕方が無いけれど、君はその気になれば、でしょう。その気になれれば、なのかもしれないけどさ。それでどうなの?人を愛すると、そこまでずっと想い続けられるものなの?」
「かわさん。あなたこそその気になれば、でしょう。そんなに嫌なら婚約破棄をすればいいじゃない。僕はね、これはただの感傷と慣習。この仕事じゃあ同じことを繰り返すだけですしね。僕はこのやもめっていう環境が割合と好きなんだと思いますよ。」
「そうなのか?それともそうなるものなのか?俺は恋をしてもそこまでなんだよ。抱きたいって気持ちが湧かない。ちびと違って立つけれど、俺は男としてはインポだね。」
「だからあの子を可愛がるのですね。可愛がっても性的に抱かなくていい。抱かなくて良い相手ならば、あなたは相手を愛し続けられる。」
髙のセリフを楊はハハっと軽く受け流し、手直にあった丸い座面のパイプ椅子を引き寄せて腰を下ろした。楊が署で受け取った情報を相棒に伝えるには重いと感じていたからかもしれないと、楊は相棒に顔をむけた。
「人間ってさ、一人でも生きていけるけれど、誰かを愛していないと生きていけないものだよね。それが偽物でも。愛しているという感情と実感を求めるのかな。君が由理さんのひき逃げ事件を自殺のままにしておくのも、俺が考える理由かい?自殺であれば彼女が君に絶望したと思っていられる。絶望するほど愛されているってね。」
「かわさんは、時々残酷になりますよね。……それでどうしたの?今更由理を持ち出すなんて。あいつの死がこの山に関わってくるのですか?それとも、七回忌だからあいつが叫ぶのかな。私はこんな男のために自殺なんかしませんって。」
「今年で七回忌か。」
「こんな体の状態では七回忌どころじゃないですけどね。」
グランドオリエント渡辺の隠し通路には隠し扉がもう一つあったのだ。
エレベーターシャフトに繋がっており、三階に辿り着くエレベータの天井に降り立てる。
そこから天井を歩けばエレベーターシャフト内の向かいのドアに辿り着き、そのドアは外への非常階段に繋がっていた。百目鬼が道場だと言い張っていたが、髙に言わせればテロリストの要塞だという事だ。
その経路を見つけた髙と宮辺は下の警察官達に三階でエレベーターを止めておくように指示を出していたのだが、経路が最終的に非常階段に出る隠し通路であることを確認して戻る最中にエレベーターが二階へと動き出したのである。
エレベーター天井で大きく転んだ宮辺を支えた髙は、転んだ時に全身を強く打った上に左脹脛をワイヤーで抉られ、全治に三週間はかかるほどの重傷を負っているのである。
「百目鬼に経でもあげさせるか?あいつは上手くマンションをまとめやがった。いつの間にか招来なんて宗教団体など跡形も無くなって、俺達の手には横領を働いた是定一族を追求するだけの簡単なお仕事が乗っていたよ。それで葉山の報告によるとね、ちびがさぁ、君の怪我した現場に黒い人がいると言って、とある人物を指差したのだそうだ。君は誰だかわかる?」
ベッドの中の髙はハハハと疲れたように笑うと、擦れ声で呟いた。
「それで由理か。これもあいつの復讐なのかな?黒い奴って、もしかして羽賀か?あのろくでもない事故処理の書類には笑ったからね。」
「髙?」
「かわさん。僕がいつも言っているでしょう。使えるものは何だって使えってね。警備部の羽賀ならばね、とある有名人と繋がっているのです。僕の妻殺しのひき逃げ犯を逃がしたくらいじゃその蔦を追うどころか羽賀が切られるだけだが、同じ警察官を直接に手をかけたのであればあいつを引っ張れる。あいつの泥蔦の根ごとひっぱれるのですよ。この僕がどうして彼を告発しないのか、彼は怖かっただろうね。奴が行動を起こすのに、ここまで何年もかかるとは思わなかったが。」
楊は目を眇めて髙の大腿部の傷を睨みつけた。
「でも、それは意図した怪我じゃないでしょう。」
「意図はしていません。姿をあの現場で見かけて、僕に何かするかもと期待していましたが、ここまであからさまな手を使うとも思っていませんでしたから純粋に驚いていますよ。羽賀を追い詰めるには怪我の一つくらいと思ってはいましたが、こんな大怪我を負うとは、僕もまだまだ間抜けだ。はは。さぁて、奴の料理はどうしましょうかね。」
「君に任すよ。俺は身を削ってまで警察官をしたくない怠け者だからね。」