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五、普通とは人と同じでいられること

 久しぶりの良純宅の風呂は手足が伸ばせて気持ちがいいと、僕は湯船の中で背中が反り返るぐらいの大きな伸びをした。


「はぁ、帰ってきたぁ。」


 帰ってきたという言い方もおかしいが、僕には殆んど自宅である。

 本当の自宅が自宅と思えないのだから仕方が無い。

 僕が家にいると書斎から出て来なくなる父と、大事なものを悟られないようにして会話をしなければならない母。

 彼らは失った本当の息子を嘆いているのだから仕方が無い。


 僕は小学生の頃に殺されかけて生還した。

 その時に記憶を失い、…………違うか。

 僕は肉体が玄人のものであった頃の玄人の記憶を少しだけ読めるのだ。

 思い出すのではなく、記憶を盗み読むのである。

 これこそが、僕が死んだ肉体を乗っ取った死霊であるという証拠に違いない。

 本当に大事なはずの記憶の位置もわかっているが、そこにどうしても僕の意識が立ち入れないのは、死んだ本当の武本玄人が自分自身を守っているからかもしれない。

 あるいは死んで使い物にならなくなった脳みそにある記憶だからか。


 ちゃぷりと湯船の中で動くと波紋が出来て、透明な湯に透けて見えた僕の下半身をぼんやりとさせた。

 僕が直視したくもない無毛の幼い体。

 僕の染色体はXXYだ。

 余分なモノがXなのかYなのか知らないが、とにかく僕の性器は少年どころか幼児のまま成長しない。


「ホルモンを入れたら普通になるかな?」


 一度同じ質問を楊に投げたことがある。


「俺のちびじゃ無くなる!お前は俺みたいに脛毛ボーボーになりたいの?」


 彼は笑いながら自分のズボンを捲り上げ、確かに男らしい毛の生えた足をさらけ出したのである。僕がその足になる自分を想像できなかったのは言うまでもない。そんな僕を知っている彼は大声で僕を笑い飛ばすと、今度は彼が僕に質問を投げてきたのだ。


「普通になりたいの?お前が思う普通って何?」


「え、ええと。普通って言われることです。自分が恥ずかしいって思わないでいられる事、ですね。きっと。」


「お前の姿に憧れる奴は多いけどね。まぁ、若いんだし悩むのもいいんじゃないの。自分はどんな奴か考えているのは。考え過ぎて落ち込むだけなのは無意味だけどね。」


「無意味ですか?」


「うん。無意味。おじさんが君の憂いを消すお薬をあげよう。銀色の円盤だよ。」


「いらないです。僕はメタルは五月蝿くて嫌いです。」


「俺の贈り物にケチをつけるなんて、お前は普通に男らしいじゃないか。」


 僕は結局彼に笑わされて悩みを有耶無耶にされたが、気持ちが軽くなったことは確かであり、僕がそこまで彼に吐露できるのには、彼に事情聴取をされた過去があるからだ。

 その時も僕は彼に聞かれるまま、なぜか自分の体に精通が無いことまで答えていたのだ。

 あぁ違う。

 自分から言ってしまったのだった。

 精子は提出しなくていいからねと、楊が冗談めかして言った事に、僕は無理ですと反射的に答えてしまっていたのだ。


「僕には精通がないから無理です。」


 僕は口にしてしまったと思ったが、僕のズボンに透明な粘着シートをペタペタと貼り付けて証拠採取をしていた楊は、何事も無い顔で僕を見上げたのである。

 その何事も無さ過ぎる顔に、僕の方こそ驚いたのかもしれない。

 気がつけば僕は、誰にも、良純和尚にさえ言ったことが無い秘密さえも楊に暴露してしまっていた。


「あの。僕の体は子供のままなんです。……だから、あの、力も弱いし。」


「ふうん。それで君はエッチなものには興味はある?」


「あの、いえ、すいません。裸の画像は時々目にしますが、立つこともないし、気持ち悪いだけで。どんどんむなしくなってくるだけなので好きじゃないです。」


 楊は僕をジっと見つめ始め、僕が彼に哀れまれてしまったのだといたたまれなくなったところで、彼は僕の考えもしなかった事を言い放った。


「下着を脱いで性器と肛門を見せてくれるかな?」


「ど、どうしてですか?」


「うん?肛門を見れば性行為があったかわかるし、性器は君の言うとおりか確かめておきたい。」


 僕は彼に見せなかった。

 気がつけばぎゅうっと我が身を抱きしめて、しゃがみ込んで泣いてしまっていたのだ。

 僕は風呂場で着替えている所を父に見られ、僕の体を見た父は僕を慰めるどころか、汚いものを見せられたか、あるいは、侮辱を受けたかのように顔を歪めて、僕を罵倒しただけであったのだ。


「この、出来損ないが!」


 自分自身を抱きしめて泣くしかない僕はあの日の僕であり、けれど、楊は父のように怒るどころか、ごめん、と僕に謝った。

 謝って自分のハンカチで僕の涙を拭き取るまでしてくれたのだ。


「すまないね。こんな仕事をしていると誰もが嘘つきにみえるんだ。だから自分の目で確かめたがるようになって、こうしてデリカシーの無い親父になってしまった。君は百目鬼と同じで嘘がつけないんだね。」


 ごぶ。


 僕は思い出した楊の言葉に驚いて湯船に沈んでしまっていた。

 嘘つきの楊だからこそ僕達を知っている。

 僕達は嘘がつけない。

 嘘がつけないからこそ大事な事を内緒にするのだ。


 何度楊は僕を訪問した?


 僕は楊にすぐに起こされていたと思ったが、彼が僕の寝ている間にモニターやら僕や良純和尚の書付を読んでいたら?彼が来るのは毎回僕が眠っている時間だった。あのケーキだって、いつ冷蔵庫に楊が入れたのか僕は知らなかったじゃないか。あぁ、島津ファイルは僕の所にあったっけ?

 混乱するまま僕はぶくぶくぶくと湯船に沈んでいき、突然ざばっと水面に引き戻された。


「何をやっちょるんだ!」


 僕は鬼に湯船からざぶんと引き上げられると、赤ん坊のように全身を拭かれて服を着せられ、そして、布団に放り込まれたのである。

 僕の体をしっかりと見た筈の彼は、顔を歪めることも、僕を見下すことも無く、ただ、具合が悪くなったのかと心配し、疲れているなら早く寝ろと、僕は子供のように寝かしつけられた状態だ。


 その夜、僕は布団の中で泣きに泣いた。


 良純和尚は僕の理想の父となって僕を気にかけてくれるが、本当の父が僕に対して書斎のドアを開くことは決してないのだと、ようやく僕は受け入れて認めたからである。

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