最終章
俺の人生は順調すぎるほど順調である。
菖芳の経歴を奇麗にしたのちに不良債権まで引き受け、更には監禁されていた彼を助け出したのだ。山での評価が目覚ましく上がった照陽和尚は、高僧達に取り囲まれて持てはやされて病院を退院した。俺はそんな素晴らしい方の末端の弟子らしく、その素晴らしい高僧を演歌歌手のような別嬪が待つ彼の別邸迄送り届ける役目を承ったのである。
「お前は宿無しだったんじゃないのかよ。」
テルテルはその大柄な体に似合った高笑いをあげ、俺にウィンクまでしたのだ。
「私だって君と一緒に住みたくはないよ。実際に戦々恐々としていたからね、君が失敗したらこの家も取られるって。」
「え、財産全部を売ったんじゃあ。」
「そう。だからここも担保にしてあるからね、これからも頑張って山にお金を返してね、君が。私と一緒に住みたくはないでしょう。」
俺に茶を勧めるどころか、この新しい師は俺の鼻先で玄関ドアを閉めて俺を追い払った。
「お前はろくな死に方をしんぞ!」
俺が奴に聞こえないだろう場所で、大昔に捨てた言葉で奴を罵ったのは言うまでもない。
その後はGOWの住民関係の法事に俺は駆り出されることとなり、坊主として経を読むばかりの忙しい日が続いている。
不動産業はしばらくは休業だ。
武本と楊が燃やされかけた広大な犯罪現場は被害者への慰謝料として差し押さえられたらしいが、ドーナツ状のあのままでは売ることもできないと俺の土地の売買話が持ち上がった。俺の今まで提示していた金額よりも高く売れたのは純粋にありがたいが、そのことで再び警察に嫌味を言われに出頭しなければならなかったのには純粋にむかつくだけだ。
そうだ。
GOWも売れたのだ。
グランドオリエント渡辺は俺が高齢者専用住宅と言い張れるほどの施設でもあったため、監禁生活で廃人同様となった息子の終の住処となるべく父親が俺から買い戻しただけである。驚いたことに詐欺と考えられた是定家の裕子は菖芳の帰還を知るや舞い戻ってきたそうで、菖芳が病院を退院したらGOWに一緒に住むのだと、彼女は甲斐甲斐しく彼の看病をしているのだそうだ。
「彼女がお金を隠していたそうです。お金があるはずなのに息子が自殺したのは殺されたからだと思い込んでいたそうで。お金を自分が隠せば自分を犯人が殺しにくるだろうって。素晴らしい嫁です。」
俺は夢想家の息子を育てた親はやはり騙されやすい世間知らずなのだと実感し、奴の支払金を俺が奴から買った金に十パーセント足した値段にしてやった。
俺に課せられた強制的上納金ぐらい彼に払ってもらっても何の問題も無いだろう。
このように不動産業でも問題どころか税金対策にしばらく仕事を控えるべきという状況でありながら、俺はなぜか気が晴れないでいた。
「今どきの子供ってさぁ、お世話になりましたって、挨拶も出来ないのかよ。」
武本が戻って来ないだけでなく、メール一つ寄こさないのである。
俺は武本が我が家のように寛ぎ汚していた居間を見回して、彼がいなければこんなにもすっきりと整理整頓された空間だったのだと気付き、なぜだか息が詰まると手元にあった契約書の束を天井向けて放り上げた。
束だった紙は俺の頭上でほどけ、ぱらぱらひらひらと部屋のそこかしこに散ったが、整頓された居間は契約書が散っただけの整頓された居間でしかなかった。
「何をやってんだろうね、俺は。」
スマートフォンの振動に俺は袂からそれを取り出したのだが、画面にあったのはメールの到着ではなく外の監視カメラ映像であった。我が家は監視カメラをそこかしこに仕掛けてあり、スマートフォンからでもカメラ映像を確認できるように設定してある。
カメラは門の真ん前に武本がみすぼらしく立っている姿を映しており、彼は片手に変に膨らんだビニール袋を下げ、片手には小学生の持つようなスケッチブックを持って途方に暮れているようである。
「何をやっているんだ。呼び鈴ぐらい鳴らせないのか?」
再びスマートフォンが振動し、新たな映像を画面に呼び出せば、浪貝が愛猫のポン子を俺の家の塀付近で放つ場面であった。
「あ、畜生。俺に猫洗いをさせる気だな。」
ポン子は我が家が若者に襲撃された時に巻き添えを喰らってペンキをかけられるという被害に遭っており、恐ろしい浪貝の怒りを避けれるようにと、俺がポン子のペンキのついた毛をトリミングをして整え、体を洗ってきれいにしてやったという過去がある。それ以来浪貝は何を勘違いしたのか、猫が汚れると我が家に放つようになったのである。俺もあの猫を洗って思ったが、あれは重労働だ。老人があんな性悪な巨大ネコを飼う事を禁止する法を一刻でも早く作るべきだと、猫洗い要員とされた被害者の俺は切に願う。
物思いの中、庭にどさりといつもの落下音が聞こえ、俺はため息をつきながら外に出た。
まずは庭の隅に落ちている大型生物を回収し、ついでという風に門を開け、その真ん前で阿呆のように座り込んでいる馬鹿の首根っこを掴んで自宅に入れた。
「さっさと入ればいいだろうが。」
俺に叱られ引きずられながら、武本はふふふとそれは嬉しそうに笑い声をあげた。だがそれはガラガラのだみ声で、彼が喉を熱傷で痛めていたことを思い出させた。
「あぁ、喋れないんだったな。それならメールすればいいだろ。今まで音沙汰なかったからな、てっきりウチを辞めるんだと思っていたよ。」
すると俺の手をぱっと振りほどき、彼はスケッチブックに何かを慌てる様に書き、それを俺に掲げたのである。
「あぁ、俺との接触を警察に禁止されていたのか。まぁいいや、さっさと家に入れ。飯でも食うか?肉うどんなら直ぐに作れるぞ。」
数日ぶりの彼は、数日ぶりどころか、俺が初めて見た大輪の笑顔を俺に見せつけた。
清純な、赤ん坊のような、だ。
だがその笑顔をもってさえも、毛羽だった安物ジャージ姿の哀れさや、俺達が出会ったばかりの頃同様に痩せこけた頬を隠せるものではない。俺が彼のその姿にたとえようもない怒りを内側で押し殺しているのも知らないで、彼はただニコニコニコニコと、俺を讃える様に見上げているのである。それとも俺に縋っているのであろうか。
「お前がいないからな、仕事がはかどらないんだ。山の法事依頼に不動産の方のリフォーム仕事。明日から大忙しだからな、お前は今日から家に帰さないよ。」
絶対に。




