二、発端までの裏事情
命題の一つである、山のとある物件を手に入れろ、とは、古参で上納の多い大寺を破産の憂き目から救えということだ。
よって俺は山の意向を免罪符に、少々強引に任意売却を債権者に持ちかけた。
十二月十四日になんとかその物件の所有権移転が無事に終わったが、その時にはこの俺が胸を撫で下ろしたものである。
山が金を出すと言っても、売るまでにかかる費用等を考えるとやはりギリギリの金額提示となる。
まぁ、そこは新興宗教の巣という点で債権者の渋りも抑えられたが、俺は本当に必死に交渉したのである。ここで債権者側を納得させて手に入れられなければ競売となり、全てご破算なのだ。
競売になれば調査が入り物件の情報が公示され、手広く商売をしている古寺が破産するのは確実だ。山は醜聞を広めたくないからこそ俺にこの取引を委ねたのであり、それに答えられなければ無名の俺は山から叩き出され、俺の僧侶の道は完全に閉ざされるだろう。
師である俊明和尚の本意をせっかく悟ったこれからの時に、それでは意味が無いのだ。
それに俺が仏門に下ったのは、親友を自分の独りよがりで一人で死なせた事への手向けであり、手向けである以上俺が僧衣を脱ぐわけには絶対にいかないのである。
そして商談が成立してホッとしたのもつかの間、元々の所有者で失敗した馬鹿坊主の親である芳然和尚から聞きたくもなかったくだらない話を聞かせられたのだ。
年老いた僧が辛そうに語る息子の久芳、坊主名は菖芳和尚が土地転がしに失敗して首を括った大馬鹿野郎である。彼は照陽和尚の弟子の一人であり、山の修業時代にはテルテルの金魚の糞をしていたなと思い出し、そういえば俺と同期で首座だったということも金魚の糞のようにずるずると記憶から引き出された。
あいつは裏表のある糞野郎だったな、とも。
話は戻るが、土地転がしに失敗した程度であれば山が出てくる必要は無い。
跡継ぎの兄よりも見目麗しい彼は、兄ではなく自分が住職となりたいという野望を抱いていたらしく、そんなことはよくあることで問題にもならないが、彼が野望を歪んだ形で達成してしまった事が山では問題となっているのである。
早い話、菖芳は自らを教祖として新興宗教を立ち上げてしまったのだ。
ただし、そうなるまでの間に、諫めるべき親が息子の新寺申請の後押しをして、それだけでなく、幾つかの裕福な檀家も息子に別けたというからお笑いだ。
新寺の若き住職として精力的に布教活動に勤しんでいると思ったら、自らを教祖とする新興宗教の旗揚げを計画していただけであり、真っ当な俺を煩く監視していた山が、菖芳の上納金で彼の動きを見逃すどころか奨励していたのだから呆れかえる。
結果として菖芳は宗教法人招来を申請し、そこで山と父親が慌てふためいて菖芳を諫めているところに菖芳は首を括り、あとには箱モノの借金だけが残ったという話だ。
残った箱の借金の名義人が妻ではなく父親であるのかは、建物も土地の名義も抵当権設定者も父親だからだ。結局は実績の無い菖芳がパパにぶら下がって踊っていただけの話なのであり、そんな無能な菖芳を諫められなかった親と山にこそ俺は信じられない思いである。
そして、俺の信じられない気持ちにさらに追い打ちをかけるがごとく、実業家と聞いていた芳然が息子を失って半年もたった今でも冷静になって息子の無能さを認めない姿勢に、俺はこれが親の無償の愛の姿なのかと頭が下がるどころか脱力している。
だが、芳然の子煩悩は彼らの話だから勝手にしろと思うが、「こんなにも賢い男であったのに。」と菖芳の経営プランを俺に差し出して、尚且つ「息子の意思を継いでほしい。」とまで願われれば話は違う。
なにせ、俺はそれを読んで頭を抱えてしまった程なのだ。
損益を一切考慮しない経営プランなんて、なんと夢想家であったことか。
あの武本が、「こんな馬鹿なプランにお金が出る方がおかしい。」と、言い切った程だ。
けれども俺にはそんなことは大した問題でもない。
問題はテルテルなのだ。
「あの方には愚息の事でご迷惑をおかけしただけでなく……。」
だらだら話し始めた芳然の話を要約すると、弟子の失態によってテルテルは四賢人の座から追い払われ、山から下野せざる得なくなったそうだ。
それだけでなく、菖芳が死んだ後も活動を続ける新興宗教を潰すための軍資金として、彼は身銭までも切ったのだという。
テルテルは俊明和尚の親友でもあったが、俺を山に干すように最近まで推奨していた山の高僧だ。
そんな冷酷無比でご立派な彼が、今や山での権威を失ったどころか、持てる財を全て山に上納しての無一文でホームレスだというのである。
俺はそれで奴が嫌っている筈の俺を自分の保証人に仕立てて、みすぼらしく病院にいる訳を理解したのだ。
理解をすると、高齢者の入院三ヶ月ルールが俺に重くのしかかった。
後一ヵ月半で彼が病院からも追い出されるのだという現実。
俺はなんとかしないといけない。
そこでまず、手に入れた物件に居座る団体様に出て行って頂こうと考え、効果的に追い払うためには相手を知らねばならないと、観察人として武本を監視小屋に仕立てた俺の物件の一つに配置した。
武本とは九月から俺の元にいる鬱病の青年だ。
彼は身長一六〇センチ程の痩せて華奢な体に童顔のためか、青年というよりは幼い少年にしか見えない。
否、それでは全く正確ではない。
細身の骨ばったモデルの女性のような体に、物凄い美少女顔が乗っているがために、彼は十代の物凄い美少女にしか見えない、が正しいだろう。
彼は自分の姿をあまり理解していないようで、何かあるとその物凄い睫毛で覆われた大きな黒目がちの瞳で俺をじっと見つめるのである。
思わず彼の頭をがしがしと撫でてしまうほどに、だ。
すると、俺の手の中で「きゃあ。」と喜んでいるらしき彼をダイレクトに感じ、その彼の反応に喜んでいる自分にハッとし、三十代の男が二十歳の男を撫でて喜んでいてどうすると、自分を責める事態になる事がしばしばだ。
よって、俺は最近自分の常識を探すために彼を俺から引き離す必要性を考えるようになっていたのであり、彼を監禁する事は双方にとっていい機会であったはずだ。
だが、武本家と懇意にしている住職の弟であり精神科医でもある三厩隆志が紹介という手で彼を俺に押し付けた理由も分りそうな程、彼は一筋縄ではいかない生き物だった。
俺が手弁当を監禁部屋に差し入れる度に、あの大きくてつぶらな瞳をウルウルとさせ、俺に抱きつく勢いで弁当に向かってくるのである。
その彼の姿を見るにつけて、捨て犬か捨て猫に公園でこっそり餌付けしているような罪悪感が湧いてくるのはどうにかしたい。
俺の親友もそれで彼を「ちび」と呼んで可愛がるのだろうか。
俺が彼を閉じ込めたと聞くや、自分の合同捜査の現場近くだからと合鍵を欲しがり、日参どころか日に何度も彼のいる部屋を強襲しているのである。
楊が訪れる度に、武本から「かわちゃんに布団を取られた。」と泣きの電話が俺に入るのは煩くて仕方がない。武本を台所の床に寝かすのは可哀相だとそれなりの値段の低反発マットを買い与えたのだが、もしかして楊は武本の安全警護よりもそれ狙いなのだろうか。
先程も俺のスマートフォンに、彼が武本の部屋へ上がりこんで行く映像が流れてきた。
監視対象であるグランドオリエント渡辺、武本が長いとGOWと呼び出しているが、そのGOWの監視カメラ映像だけでなく、武本が住まう部屋入口前に仕掛けた監視カメラ映像も俺のスマートフォンで確認できるように設定してある。
何よりも非力な武本の安全の為にである。
武本のいる部屋の前に立った者がいればアラームが鳴り、玄関前映像に俺のスマートフォンの画像が切り替わるのだ。
けれども、今日はそれで終わらなかった。
いつものように「楊が来たコール」に出れば武本の様子がおかしく、慌ててノートパソコンの方でこの時間には全員が集まっているであろう道場のカメラの映像を呼び出してみれば、突然乱入したドブネズミの大群が信者達を襲い噛み付き、信者達は逃げ惑い、鼠を払いのけ蹴り潰しながら、ある筈のない扉を開けて逃げ込んでいったというものである。
俺は思わず口笛を吹いていて、それを見咎められなかったか周囲を伺ったほどだ。
本日はクリスマス。
「サンキュウ、ハッピーディプレゼント。」