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二十二、テロの定義

「君達にとって、テロと普通の犯罪の振り分けは何が違うんだい?どっちも同じただの犯罪じゃないか。」


 低い声は背骨まで響くほどで、その声を耳にする度にその響きが心地良さまでも自分に引き起こしていると気付いた途端に怖気が走り、葉山は自分の本性について終に認めるべきなのかと途方に暮れた。

 彼は十一月に玄人を目にして以来その姿が忘れられず、百目鬼の物件は相模原に多いと上司に聞いて以来、外回りに出ては偶然にも彼のリフォーム現場に立ち会うことが無いかと心待ちにしている自分がいるのを認めて苦しんでいるのだ。


 自分自身は異性愛者だったはずで、少年どころか美少女にしか見えないが、性別が男であると知っている今でさえ玄人が気になってしょうがないのはどういうことなのか、と。

 そして今や、目の前の絶対に男にしか見えない、百目鬼の声に聞き惚れている自分がいるのである。


 不安どころでない状況だ。


 物思いを破る様に、とんっと葉山の左肩に固いものが当たった。

 見れば山口が自分の右肩を葉山にぶつけてニヤついているではないか。


「ほんっと、いい声だよね、百目鬼さんは。背骨どころか尾てい骨にまで響いて、僕は時々きゅうってなるよ。」


 猫のような笑顔を見せる葉山の相棒の言葉に、葉山はそうだねと答えて、気を楽にしてくれた礼がてら山口の右肩に左肩をぶつけた。


「お前ら、仲がいいのはいいけどよ、俺に協力したいのか相棒同士でいちゃつきたいのか選んでくれないか。」


 嘲笑する言葉に葉山の頬はかぁっと熱くなったが、そんな葉山に対して百目鬼は僧侶らしからぬ笑顔を葉山に向けた。虫の死骸だらけの茶けて煤けたマンションの一室に山口と自分を呼び寄せた男は、僧衣を纏ってはいても、いるからか、黒く聳え立つ虫柱のごとく忌々しい存在で、まるで蠅の王とでもいえる佇まいだ。


「はい。僕は協力したいので、先ほどの質問に答えます!テロは犯罪者の政治的思想、あるいは自己顕示欲を元に、不特定多数という特定された個人ではない集合に対して暴力や破壊行動、そして暗殺などを行うというものです。」


 子供っぽく右手を挙げて、それも子供っぽい口調ではきはきと答える相棒に、葉山は自分の思考を戻してくれる彼に感謝するよりも、彼に対してうすら寒さを少し感じた。

 見事な外見を完全に間抜けなその他の大勢に隠している元公安。

 山口は葉山の感情の動きを察したかのように再び彼に作り物の笑顔を向けると、今度は低く抑えた囁き声で彼の本意らしき事を付け足した。


「検挙しにくい犯罪を愉快犯やら器物破損で片付けて、人目のある逮捕しやすい単純犯罪をテロ行為と位置付ける時もあるね。点数稼ぎという大人の事情で。」


「ちょっと、山さん。」


 慌てる葉山が驚くほど深くいい声の笑い声が響き、そんな素晴らしい音を奏でた美貌の僧侶はそれはもう素晴らしい笑顔を彼らに向けていた。


「わかったよ。大変だな。そんな大変な組織で働いているお前らに、俺はこのくだらない単純犯罪の真実を語っていいかい?」


「今回の事件はテロじゃないと?」


「違うね。ただし、そう見せかけて本当に起こしたい仕掛けを隠しているとしたら?それも大掛かりで、そうだな、きっと仕掛けが発動すれば尚更にテロ行為だと思わせられるだろう。」


「どういうことですか?」


「お前らが持っている情報からその一片ぐらいは読み取れないか?」


 葉山は楊に真壁を洗うように言われており、結局、真壁と島津の入門していた「幸せの花」という団体に行き当たった。


「幸せの花の島津が招来に潜入していた理由は招来潰しだとも思うのですけれど、信者が互いに入り込んでいますからね。けれど共生関係だったのならば違いますよね。」


「招来潰し、だよ。組織が欲しいのは金だ。俺の物件で起きた教祖の信者殺しの事件がいい例だろ。熱が冷めて金を返せと言われれば殺す。それだけの話だ。まず、幸せの花は髙殺しの青池を手に入れて、父親が信者を自殺に追いやった方法を聞き出そうとした。」


「え、信者は真壁でしょう。」


 葉山は真壁の入信届に記載されていた入信日が真壁の轢き逃げ事件よりも先日付である事を知っており、思わず百目鬼に驚きの声を上げたのだが、隣の山口は葉山の何かが吟線に触れたのか、ばふっと息を吐きだした。


「何?」


 一つ年下の青年よりも経験値も警官としての信頼も低いと常日頃感じているからか、葉山から出た声が恥ずかしいほど不穏なものであったのは仕方が無いであろう。しかし、山口は葉山の心情など我関せずという風に、必要以上に笑い出し、あろうことか親指まで彼に向って立てたのである。


「あ、すまない。」


 百目鬼には真壁の存在は伏せていたと、葉山は自分の失言に気が付き真っ赤になった。


「俺は本当に情けない。」


「そうだね。髙殺しという台詞に、まだ髙さん死んで無いよって突っ込もうよ。友君は意外と薄情だね。」


「あ、そっちか。」


「おい、お前ら。俺の話がどうでもいいなら俺は帰るぞ。」


「あ、待って帰らないで。」


「そうそう。すいません。それで、青池が信者ってところからですよね。真壁は?」


「幸せの花の法人申請の登記住所が真壁が当時住んでいたマンションに近いんだよ。宗教団体が法人申請のために近隣の住民の住所氏名を勝手に使って信者数を誤魔化すなんてよくある手だ。」


「そうですよね。新興宗教の信者数を全部足すと日本の人口を軽く上回るって笑える事実もありますからね。でも、真壁と青池の接点は何だったのでしょうね。女医である真壁への嫉妬でしょうか。」


「恨みは髙の女房に向けられたものだよ。」


「カウンセラーは時として患者のうっ憤を向けられるものですものね。」


「違うよ。青池は髙に惚れていたか、髙に遊ばれたかしたんだろ。俺が聞いた青池を色々助けた男ってのが髙だろうな。あいつは可哀想好きじゃないか。武本を可哀想な子だと言っては、まるで姪っ子のように可愛がっているぞ。」


 葉山は百目鬼が突き付けた真実に少し救われた気がした。


「いいじゃないですか、可哀想好き。俺達はそれがあるからこそ警察官でいられるんですからね。」


「お前も鬼畜か?」


「え?」


「あの、百目鬼さん。髙さんの奥さんがターゲットなのはわかりましたが、青池のターゲットが真壁に変わったのはどうしてでしょうか。」


「葬式か通夜で真壁を見たからだろ。ターゲットを撥ねた女がいけしゃあしゃあと焼香しているのを見たならば、青池の次のターゲットは決まったも同然じゃないか?」


「あ。」


「ですが、百目鬼さん。青池の供述は完全黙秘で取れていないんですよ。その情報は玄人君からでしょうか。」


「さあね。噂話だよ。俺の歓心を惹くためか、とある男が俺に囁いて煩かった時期があってね。どこそこで、こんな話がありまして、あれはこういう理由でねって。」


「…………田神さん、ですか?」


「違う。けれどお前らがそこで楊の名前を出さないところは俺的には合格だね。そうだ、あいつは俺に本当の事をばらさない。あいつは嘘つきなんだよ。ちびちびと武本のいる部屋を俺がいない時に入り込んでは、俺が招来に何かしないか探っていたりね。友達がいのない、大嘘つき野郎なんだよ。」


 親友が裏切り者だと暴露しながら、あまりにも嬉しそうにわははと笑う百目鬼に、葉山どころか山口さえも毒気を抜かれたぽかんとした顔つきになるしかなかった。百目鬼のせいで間抜けな人間に堕とされたと、葉山は気力を振り絞って彼が聞いて欲しいだろう肝心の人物の名前を尋ねていた。


「それでは、どなたが?」


「波丘兄弟。奴らは勘違いをわざと起こして、勘違いで相手を苦しめるんだよ。自分の勘違いを他人の責任にできないだろ。今回は俺に情報を吹き込むことで、俺をテロの首謀者か共犯に仕立てるつもりだったのかな。事情を知らない筈の人間が動く筈のない行動を取れば、それは犯人の証拠って、よくあるだろう。俺はあいつらが愛してやまないお母様を虜にした悪僧の遺志を継ぐものだからな。意趣返しだろう。」


「それであなたに土地の売買を持ち掛けたのですか?」


「そう。楽しいだろ。お遊びをしたいから土地が欲しい。お母様の歓心を自分達に取り戻したい。ねぇ、君の泥田を買ってあげるよ。君の言い値で。そうそう、面白い話があってね。君も気を付けた方がいいと思うんだ。」


 百目鬼は自分がされたことの再現なのだろうが、長身の彼が葉山の耳元に囁くように顔を寄せるにあたって、葉山は大蛇か悪魔に唆されているように錯覚し、なぜか百目鬼のいう事を何でも聞きたいという気にさえさせられたことに怖気が走った。


「詳しいですが、知り合いに被害者が?」


 葉山を助けたのは山口だ。葉山の両肩を後ろから掴んでひょいと葉山の上半身を逸らせて百目鬼から引き離し、代わりに自分が首を突っ込むようにっして葉山の後ろから身を乗り出したのである。

 葉山の狼狽にも山口の冷静さにも百目鬼には喜ばしい事なのか、彼は先ほどまで葉山に向けていた微笑をもっと深くさせると、彼らに意外な名前を告げた。


「三厩隆志。」


「え?」


「楊の母校で犯罪学を教えている精神科医のじじいだよ。あいつは昔女房に逃げられてね、本人は自分に愛想をつかされて逃げられたよりも、誰かに騙されて姿を消したと思いたかったらしい。それらしい噂話を波丘が広めていたせいもあるがね。そして女房を返せと怒鳴り込んで反対に波丘に丸め込まれて道場を取られかけ、変な宗教に旦那が嵌ったと聞きつけて戻ってきた女房に張り倒されての一件落着だ。」


「…………。」


「どうした?急に黙り込んで。」


「あの、いつから波丘が犯人だとご存じで?」


「ふつうにGOWのサンタの後ろ姿からだろ。」


「え、知ら無い奴だって。」


「そんなことは言っていないだろ。俺には誰だかわからないって正直に答えていただろう。あの波丘兄弟はそっくりで、後ろ姿じゃあどちらかわかんないよな。」


「では、あなたは見逃していたのですか?」


「まさか。何をするつもりなのかなって、見守っていただけだよ。俺も悩んでいたんだよ。あのくだらない土地を買ってくれる客を警察に売っていいものかどうかとね。けれど、あれはいけない。やりすぎだ。それにな、あれを見てごらん。見えるだろう?」


 百目鬼がベランダの窓を開けると、その窓の向こうは山のようなのどかな景色に整地中の茶色の絨毯が見えるばかりであった。


「何かの建設中なのはわかりますね。あれが?」


「一応はタワーマンション用地で整地中なんだがな、建設を途中で放棄しているんだ。」


「え?動いていますよ。色々と。」


「あぁ、動いているね。けれどあれでは建物は立たないよ。ビル建設はね、地下を掘って山留して基礎工事に基礎躯体工事とまず地下を完成させる。そして地上躯体工事と一階ずつフロアを積み重ねていくんだよ。あそこはまず基礎工事が中途半端で、一区画しか仕上げておらず、そこに張り子の地下を作り上げただけだ。偽物と思われない様にそこここにはそれなりのものを使っているけどね。」


「どうしてそんな無駄な事を。」


「保険金詐欺。あるいはテロを防げなかった国家賠償か?」


「え?」


「まだわからないか?テロ犯罪が起きているって所がすでにフェイクなんだよ。あそこは近いうちに破壊される。テロ行為を模倣した、恐らく放火かな。そして全損だ。建築資材という名の可燃物があんなにもドミノの駒のように並べられているじゃあないか。」


 百目鬼の説明によって遠目に見える大きな絨毯状のものの整地の全貌を認識した時、葉山はこのハイツがグランドオリエントと似たような目に遭って住人を全て失っていた事実に思考が行きついた。


「え、まさか。このハイツの虫事件は、あれ、あれですか?百目鬼さんのあの土地を見張れる者を排除するためですか?ですが、グランドオリエントは新興宗教同士の戦争。」


「戦争って物騒だな。さすが、武士。違うよ。こっから見えるなんて気にしていないよ。一般人が遠目で見ても気付くわけなどないだろう。それから、グランドオリエントの事件とここを一緒にするな。あっちは計画的犯罪。こっちは偶然的、いや、ただの天災だね。」


「天災、ですか?」


「そう答えるしかないだろう。下水管は十数年清掃していないからチョウバエやゴキブリなどの害虫のタワーマンションだ。おまけにハクビシンが穴を開けまくって棲み付いている上に、茶毒蛾つきの枯れ枝まで持ち込んでいたからね。茶毒蛾がそこかしこで繁殖してしまっている。茶毒蛾は絶対に触りたくないよ。俺に使ってくれって売り込んできて、勝手に一室をリフォームして見せた工務店も社員どころか一家全員病院送りだろ。あれは本当にやばいって。こんなの、もう、ほとんど自然災害だろ。こういう物件にこそ楊を連れ込めば、あいつの生き物を拾う癖は収まるだろうがによ。」


「ええと、それでもヤクザに売りつけたのですか?」


「売っていないよ。いくらヤクザだってこんなの買わないだろ。それに、田神に見張られて散々いじめられている俺なんだ。自分からヤクザに近づくかよ。」


「え、ですがヤクザが最近ここを事務所にしたらしいと通報が。」


「そうですよ。田神さんは百目鬼さんがヤクザに売ってって。……あぁ、すいません。地元住民の勘違いだったのかもしれませんね。」


 葉山は慌てて口をつぐんだ山口に、地元住民がヤクザが来たと思い込んだ理由を想像できたのである。だが、本人に伝えられないだろう。ハイツに何度も足を運ぶ百目鬼がヤクザだと地域住人に思い込まれていたという事実は。


「ハハハ。やくざのふりしてやった甲斐があったってもんだ。カツラ被ってわざわざ派手なスーツ着て、町中に最近ハイツを買ったものだと挨拶しまくったら、本気で田神が来るんだもんな。」


「あの目立つ作業着のツナギは、その派手なスーツ姿と同一視させないためのアイテムだったのですね。」


 葉山は百目鬼が田神へのうっ憤に、この地獄の場所に彼らを招いたのだと改めて知った。

 通報を受けて数週間前に田神班が潜入した時、この部屋がリフォームされたばかりの悪趣味なヤクザの事務所にしか見えなかったことこそ百目鬼の仕掛けであり、彼らが仕掛けた盗聴器を知っていながら百目鬼が葉山たちをここに呼び出した理由も見えたのである。


「あなたが犯罪を見逃していた事実をここで話したのは、僕達があなたを逮捕すればここに仕掛けられた盗聴器をもとに不法侵入で警察を訴えられるという仕返しもできるという算段ですね。よってあなたは今日も無罪放免だ。」


 ハハハと高らかに笑った美僧は、葉山の腰までも抜かすようなほほ笑みをじっくりと彼に向けてから、天井に向かって大声で気さくそうに声を上げた。


「何もなければここは明日の朝には取り壊しますからね、田神さん。あなたもこの風景を見納めに見て置いたらいいですよ。」

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