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十九、あとで

「お坊様、こちらに何か御用でしょうか?」


 俺の存在が耐えられなくなったのか、作業を見守っている警備員が俺の元へとやって来て尋ねてきたのである。確かに僧衣を着た男に作業工程をじっと見つめられるのは居心地が悪いものであろう。集団自殺のあった倒壊しかかった家屋を背に立っていれば猶更だ。


 武本を連れてこなくて正解であった。


 俺自身俺の土地の周囲で行われている作業の意味が読み取れないのである。

 否。

 読み取ったが、意味が分からないだけか。


「あの、お坊様?」


 おどおどと俺におもねる様に尋ねる男は、尋ねたすぐ後に右耳のイヤホンに集中しだし、「はい、はい。」と何度かインカムマイクに応答すると、俺に自分から声をかけた事を忘れたかのようにすっと先ほどまでの定位置へと戻って行ってしまったのである。

 彼が俺からすっかりと離れるや、俺の袂でスマートフォンが震えた。


「はい。」


「波丘建設の波丘なみおか久之ひさしです。お世話様です。ご見学でしたら私が案内しましょうか?」


「こちらこそお世話様です。なかなか売れなかった土地ですからね。ようやく買ってもらえると、感慨深く別れに浸っていただけです。」


「さすがお坊様は情緒豊かでいらっしゃる。せっかくですから私がおりますホテルでお夕飯でもご一緒にいかがでしょうか。そこで売買契約も結んでしまいませんか。ホテルへの車を用意いたしますから。」


 そうなのだ。

 俺はさっさとこの淀んだ土地を売り払うべきなのだが、ここ数日俺は契約話を相手とすることから逃げているのである。理由はあるようで、ない。サンタクロースのような好々爺が本気で怒る姿が見たいだけなのかもしれない。


 実は、サンタクロースは二人いた。


 俺に土地を売る様に働きかけている波丘建設の経営者は、波丘なみおか久一ひさいちと久之という双子である。二卵性だが双子ということで、姿形や顔つきが似ているのは当り前だろうが、気味の悪いぐらい振る舞いまでもそっくり似ているのだ。


 一卵性双生児のくせに身長から顔付まで違う楊兄弟と正反対だ。


 ちなみに楊の弟は楊よりも背が高く、彼は自称ではなく本当に一七六センチある。

 あいつが一七五センチ無い癖にあると自称するのは、弟への鬱憤からなのだろうか。


「百目鬼さん?」


「すいません。お言葉に甘えましょうか。最近すれ違いばかりで、なかなか話が先に進みませんからね。」


「あぁ、ありがたい。今すぐに車をそちらに回します。」


「いえいえ。私も車で来ておりますから、それでそちらに向かいますよ。」


「そうですか。絶対にいらしてくださいね。」


 含み笑いの声とともに電話は切れ、俺は自分の車が駐車している場所へと歩き出だした。

 俺の物件は完全に波丘建設の私有地に囲まれる形となってしまい、さらに、俺の土地を中心にして円を描くようにして整地工事が行われているのだ。よって俺の車は俺の物件から数百メートルは先にあるコインパーキングに停めざるを得ない。

 久之が何度も車を俺に勧めたのはそれが理由であり、俺が逃げないように捕え、そして一日でも早く俺から土地を買い取りたいという意思の表れでしかない。


「自分の利益しか考えていない、見え見えの行動しかしない人間って楽だよな。」


 俺も武本も察するという能力が他の人間よりも、否、全くと言っていいほど無い。

 そのために自分本位とならざるのだが、俺は常識人のために一般人を傷つけてはいないかと時々不安になるのである。

 俺の理解できないところで妬み嫉みを抱かれて攻撃されてはかなわない。


 つい最近までは平気だった。

 けれども俺は相談役として、弱々しい生き物を預かっているのだ。

 高校時代、俺の親友が俺へのうっ憤を晴らす身代わりとして痛めつけられた過去がある。

 俺はそれで武本を同じ目に遭わせないようにと気を使っているのである。


「あいつも気を付けて欲しいものだ。」



「絨毯売りました!」


 楊に連れられて松野葉子宅の客人となった翌朝、彼からの電話での第一声である。


「やりました。さすがの松野さんです。もう即金で武本物産への入金もありましてね、ひろし伯父さんが大喜びで発送の準備をしてます。絨毯を気に入ってもらえたら、松野さん家の納入業者の一つに武本が潜り込めるって、褒めてもらいましたよ。」


 こんなに明るい声が出せるのかというほどのキンキン声を上げる電話の向こうの馬鹿は、俺が言葉を挟む間もないほど、クリーム色の地色に黄色を基調とした模様に水色のラインが縦横に円を描いている絨毯の絵柄のことを喋り続けているのである。


「遠目では水面が金色に輝くような絵柄なのです。メダリオンを中心にして金色の輝きを現しているかに見える模様は、全て葡萄の蔦と小鳥でできた連続模様だからかわちゃんも気に入るはずです。」


「そうか。ところで洋おじって誰だ?」


 途端に電話の向こうは押し黙り、俺はそこで武本が昔の自分と違うと親族に嫌われると、あの長柄邸で脅えて泣き叫んだ時の事を思い出していた。

 そこでしまったと、大事な絨毯を売ることが出来た自信で親族に自分から近づけた子供にコンプレックスを思い出させてどうする、と、俺は激しく自分を攻め立てていた。

 ところが無言の後に返ってきた声は、言外に「お前馬鹿?」が含まれているような淡々としたものだった。


「加奈子伯母さんの旦那さんで、武本物産の現CEOでしょう。」


「……そうか。加奈子おばさんって誰だ。」


「僕の父の姉です。父の姉の加奈子伯母さん。相談役なのに知らなかったのですか?」


 俺は武本は弱い生き物の筈だからと、あいつを俺に預けただけであいつの親族情報を渡さない三厩をぶちのめすから落ち着けと、俺を宥めていた。


「ところで、僕はいつまでここにいればいいですか?ここが一番安全だから良純さんがここに僕にいて欲しいって思っているってかわちゃんが言うのですけど。」


「そこは嫌なのか?楊は松野とお前が実の親子みたいに仲良くしていると言っていたぞ。」


「でも、僕は百目鬼組だし。それに、良純さんの所が一番安全だと思います。」


 俺は三厩をぶちのめす計画はしばし中止にすることにして、相談役として武本に言葉をかけていた。口元が勝手にほほ笑みを作ったせいで、何やらきゅっと両の頬がしびれている感覚を楽しみながら。


「俺は少々やることがあるからな。お前はそこで俺の帰りを待っていろ。」


「気を付けてください。待っています。」



「待っています、か。」


 思い出した武本の台詞を繰り返すと、なんだか気が緩んでいくようで、俺は坊主のくせに口笛まで吹いていた。コインパーキングに向かう足取りは軽く、だが、そこに着いて見れば、俺の知らない男が俺の到着を待っていた。長い前髪を片方に流して、一見おかっぱにも見える髪形をした優男、……ではないな。武道を嗜んでいる人間独特の足運びに、ぽっちゃりとしているが体には筋肉がついているのが見て取れた。だが、筋肉は俺が契約している長柄警備の主任の若尾のようにあからさまではない。彼は元自衛官だ。目の前の男の体つきは、例えば細身でも貧相に見えない楊やその部下達に近い。

 そこまで考えて、目の前の男が警察関係だと当りを付けて笑顔を顔に張り付けた。


「何か?」


「署にご同行願いますか?」


 やっぱりと思いながら、俺は一応相手に尋ねていた。


「どういった名目で?」


「武本君を襲った金村が山中組の一人だとご存知ですよね。彼が稲生組の組長の孫であることも。僕達が山中を挙げようと頑張っている事をご友人から聞いておいて見逃されましたね。被害届も出さないとは残念です。」


 この男は本庁の組織犯罪班の田神の者かと諒解した。


「あぁ、田神さんの所の新人さんですか?俺は余計なやくざの恨みを買って武本がまた襲われる危険を冒したくないだけなんですよ。なにしろ俺は一般人ですからね。」


「一般人ですか?山中組に事務所を売って、マネーロンダリングの方法も伝授したというあなたが?」


「事務所を売ったのは俺の失敗だったと認めるね。大体ね、輸入雑貨の販売をするんですと現れた二十七歳の女性を見て、これが組長の孫娘だと誰が考える?」


「では、マネーロンダリングの伝授については?」


「あぁ、購入した仮想通貨をドルに戻して儲けたってやり方か?そんなのは昔から外貨でやっているじゃないか。その時に金になりそうな仮想通貨があれば誰だって買うだろ?銘柄と方法が重なってしまうのもよくあるだろう。逮捕状も無いのでしたら話はいいですかね。俺は待ち合わせがありますからね。名乗りもせず、警察バッジも見せない警察の路上での一般人への圧迫聴取について、苦情は監査にすればいいでしょうか?」


 俺は言うだけ言うと、その男の前を敢えて大仰に通り、俺の車の運転席へと移動した。

 ボロボロの白いトラックの運転席側のドアの前で、この車を見ても俺が組織犯罪の構成員の一員と思いたがるのはなぜだろうと考えながら、俺は自称警察官に背を向けたまま動かずにドアのガラスを眺めていた。


「マニュアル免許を取る俺のためにと、マニュアル車のこいつを俊明さんは知人から借り続けたんだよね。俺は教習所の車がフロアシフトなのにコラムシフトで泣いたけどね。あの人はそれも楽しんでいたのかな。」


 俺の眺めていた窓はナイフの打撃を受けて鈍い音を立て、俺の物思いはそれで終いだ。

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