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一 発端

 僕は夢を見る。

 それはいつもの夢であり、いつも、でもない夢でもある。

 ザワザワとした蜘蛛のような者達が僕の足元でざわついているだけの、テレビモニターの砂嵐を纏ったような、ざらついて、視界がぼやけるが、現実とそっくりで違う世界に僕は何時も独りきりで立ち竦んでいるのだ。


 だけど、今回の夢の中での僕は、久しぶりに一人ぼっちではなかった。

 高校生時代に僕を守ってくれた青年と、この現実と同じ町並みで、でも、現実と違って生きている者がどこにもいない世界で一緒に佇んでいるのである。


 僕は小学生時代に級友達に殺されて、そして、別人の今の僕になった。

 彼は小学生時代にレイプされ、だから自分を殺して別の人間に成り代わって生きてきた。

 それから僕は二十歳の誕生日に心臓が一度止まった。

 彼の方は生きる気力も無かったから、復讐を終えた時にそのまま肉体が朽ちるに任せた。

 僕は生きているようで生きていない感覚のまま日常を生きている。

 彼は完全に死んでいる。

 この暗く死者しか蠢かない世界には、僕達は相応しい人間であるだろう。


 そしてそんな寂しい風景であろうが、隣の青年は僕に何も語り掛けず、僕が隣にいたことも忘れて自分の本来の居場所へ、この世界でない光のある場所へと一歩踏み出した。


 置いて行かないで。


 そんな事を旅立つ者にかけるものではない。

 僕はじっと黙ってそれを見守り、彼が苦しみのない世界に行けるだろう事に祝福をしながらも、取り残される自分を哀れんで空っぽの世界に立ち尽くすのである。

 死んだ者は皆一度はここに来るのに、誰も僕を見ることも見出すこともない。

 僕の体が完全に停止した時、僕だけは一人でここに取り残されるのだろうか。

 足元がざわざわざわざわと、音はなくとも煩くなっている。

 僕の足元の蠢く蜘蛛達だけは、僕を見出して、いつまでも僕に寄り添うというのか。


「起きろ!」


 びくりとして目を開けると、僕を見下している男の影があった。

 締め切った窓の無い暗い部屋で彼の姿が影を帯びているが、僕を見下ろす彼が悪戯っぽい表情を浮かべているだろう事は簡単に想像がつく。

 その彫の深い見事な二重の目尻に笑い皺を寄せて、その目元を印象付ける形のいい眉をくいっと上げているはずだ。


「かわちゃん。」


「よし、起きたな。」


「きゃあ。」


 この男、来年の三月十四日に三十一歳になるらしい、楊と書いて「かわやなぎ」と読むかわやなぎ勝利まさとしは、僕が目覚めたと知るや、寝ている僕の毛布を剥いだばかりか中にまで潜り込んできたのだ。外気で冷えた彼の体が僕に触れて冷やりとする。


「冷たい!なんでわざわざ下着にまでなって僕の布団に潜り込むのですか!これはただでさえゴロ寝布団で小さいというのに!」


「汚れた外着のまま僕の布団で寝るなって、お前が言ったからだろう。」


 僕は彼から毛布を奪われまいとぎゅうっと掴んで無理矢理に包まった。しかし、唯でさえ非力な僕が、平均身長に細身な体といえども「刑事」をしている男に適う訳が無く、簡単に毛布は奪い取られ、僕はそのままくるくると転がって布団からも落ちてしまった。


「酷い!」


「じゃあ一緒に寝ようか?」


「かわちゃんとぎゅっとなって寝られるわけ無いでしょう。」


 僕という一人称からお分かりだろうが、僕は一応六月に二十歳になった成人男性である。


「それならば、どけ。今度は俺の番だ!」


「僕はまだ仮眠していていい時間です!良純さんの作ってくれたスケジュールでは、あと、あと、僕は一時間は眠れます!」


 僕の仮眠布団を占領していた楊は、首を振りながら身を起こすと、僕に哀れみの視線を向けた。僕は彼がわかってくれたのだと希望を抱いたが、彼は楊でしかなかったようだ。


「お前な。スケジュールも約束も破るためにあるって知っているか?」


「あなたは良純さんの作ったスケジュールを破る勇気はおありですか?」


 楊は言葉に詰まったのか唇を尖らせ、そしてあろうことかコテっと布団に横になって頭まで毛布を被ってしまったのだ。


「ちょっとかわちゃん酷いよ!僕は良純さんにこの部屋に監禁されてから、ずっと、変な宗教団体を監視させられているというのに!酷いよ!」


 僕の名前は武本たけもと玄人くろと

 二十歳の誕生日の日に駅のホームで倒れて以来、原因不明の胸の痛みと体が動かなくなる発作を抱えるようになり、電車に乗れなくなり、大学を休学せざるえなくなっても自宅警備もしない所属不明の生き物である。


 体が動かなくなるという原因不明の症状に精神が鬱化するに当たって、僕を心配した父方の祖母が武本家の菩提寺の住職に相談したのである。そこで住職から紹介されたのが同じ宗派の良純和尚である。


 スキンヘッドの長身モデルにしか見えない完璧な外見を持つその男の名は、百目鬼良純。僧侶でありながらも、不動産業で成功している実業家だ。そして彼という完璧な庇護者のお陰か、彼が相談役となって以来僕の欝の症状は軽減されたのだが、最近彼が手に入れた物件に居座る宗教団体を排除するからと、武本家から預かりもののはずの僕を彼の物件の一室に閉じ込めてしまったのである。


 僕が首を傾げる間さえも無く、完璧にしつらえた監視部屋にゴロ寝布団と毛布だけを手渡し、壁に張られたスケジュール表どおりに生活しろと命令されて、僕は相談役のはずの男に監禁されたのだ。


 既に三日。


 監視している平和的な新興宗教団体よりも、これは危険で極悪な所業ではないだろうか。


 しかし、そんなに嫌ならば逃げれば良いと思うだろうが、僕がこの監禁部屋から逃げないのには理由がある。

 僕には逃げ帰る場所なんてものが無く、帰ったとしても実家ではまともなご飯を食べることができない。

 それは僕が小学校時代に殺されかけて記憶喪失となってしまったからであり、以前の僕と現在の僕の差異があるからか僕と両親が馴染むことがどうしても出来ないのである。

 馴染むどころか、母の作る料理を僕はどうしても口に出来ないのだ。

 では、実母の手料理が食べれない僕がどうしていたか、というと、良純和尚と出会う前の僕は、仕出し弁当や学校給食、あるいは法事、または時々偶然に会う親族との外食で空腹を凌いでいたのである。


 よって、一日三食どころかまともな食事が三日に一回あればいいという僕が、毎日三食持ち込まれる良純和尚のおいしい手料理を食べれる生活があるのならば、不自由を享受するのは当たり前のことなのだ。

 だからこそ、良純和尚がいかに鬼の様でも、彼に役立たずだと思われて彼との関係までも悪化してしまうという結果を招く事こそ、僕には恐ろしい死活問題なのである。


 命の命題と言っても良い程だ。


 僕は大きく息を吐くと、目の前の毛布でできたサナギにもう一度挑む事にした。

 つまり、毛布に包まれた楊をゆさゆさと揺さぶったのである。

 サナギは「ううん」とくぐもった声を出したかと思うと、毛布の中から叫び声を上げた。


「お前!クリスマスなのに仕事をしている社会人に文句言うのかよ!俺なんてな!本庁さんとの合同捜査なのに県警の所轄は黙れで発言権無いしな、部下にまで危ないからって突入って花道まで奪われたんだよ!その上な、実は突入は終わっていたの。俺は報連相もしてもらえないお飾り以下だったの。この俺の哀れさに少しは同情しろよ!」


 十も年下に情けない自分の実情を放言できる楊は、所轄だが部下が三人もいる警部補である。報告も連絡も相談さえもしてもらえないという、完全に部下に造反されている可哀想な身の上の様だが。


「かわちゃん。かわちゃんの鋼鉄の魂はどうしたの?」


「俺はメタラーなだけだよ。ぴゅあで傷つきやすい魂持ちなんだから寝かせてくれよ。」


 僕は図々しいぴゅあな人を放ると、のそのそと監視用モニターに戻る事にした。

 良純和尚が作ったこの完璧な監視部屋は、監視すべきマンションの対面に建っているハイツの一室にある。1DKの室内は縦長で、ベランダに監視カメラをカモフラージュして這わせ、居室が空室であると見せかけるためにベランダ側の部屋とダイニングの境の扉は締め切られている。僕がいるのはその締め切られて窓の無いダイニングであり、ここに監視カメラ映像を確認できる三台のモニターが設置されているのだ。僕はこのモニターを監視して、向かいのマンションの外来者のチェックをしつつ、室内で違法行為が無いかを期待しながら待っているのだ。彼らが違法行為を行えばすぐさま警察に通報し、違法行為の角で退去させることができる。


 僕はモニターの前に座ると、後ろの楊が眠っている膨らみを眺めた。モニターなどの機材で狭くなっているダイニングの端にゴロ寝布団は敷かれている。布団の脇には楊のスーツとシャツが適当に脱ぎ散らかされているかと思えば、きちんと楊が持ち込んだハンガーに掛けられてコート掛けに吊るされているのが目に入った。


「かわちゃんも良純さんに違わずマメだよね。類友?」


 僕は仕方がないと溜息をつき、見飽きて飽き飽きの画面に五時間ぶりに目を向けた。

 この時間の彼らは仲良くパーティルームにいるはずで、良純和尚が言うには道場に集まって、歌を歌った後に詩の朗読か何かをしているはずだ。

 初めて聞いた時、仏教でも聖歌のようなメロディの歌があるのが不思議だと思ったのだが、なぜか良純和尚に尋ねられず初めて来襲してきた楊に尋ねたのだと思い出した。

 あの時の僕はどうかしていた。

 一人きりで寂しいからと、良純和尚がいないからと帰ろうとする楊に話しかけたのだ。


「あの、あの、この歌の部分があるから、あの、本来の仏教ではないのですか?」


 巻き戻した録画映像を急に再生して尋ねだした僕に、楊は驚く顔も見せずに簡潔に答えたのである。


「違う。」


「違うのですか。」


「うん。仏教賛歌って言うんだ。大学の入学式ではこの歌で新入生が迎えられたからね。そんで演壇の幕が開いて理事長登場でね。そこで理事長が全部坊主でご本尊様まで現れた時には、俺は大学に入ったのか、どこぞの宗教団体に入団したのか混乱しちゃったよ。」


「僕はキリスト教の大学ですから、神父様が聖書を読みました。復唱もしましたよ。」


「はは。そんな奴がお坊様の手下か?」


「はは。僕はキリスト教徒じゃないからいいのです。」


「はは。」


「はは。」


 一緒に乾いた笑いをあげた事を思い出したら、何度も布団を奪う楊をなんだか許せた。

 彼が何度も僕の様子を伺いに来るから、僕は意外と楽しく一人暮らしが出来るのだろうと僕は気持ちを切り替えて、画面が四分割されている三台のモニターの一つ、パーティルームを監視しているモニターをクリックして、パーティルームの映像を大きくした。


「うわぁ!かわちゃん!起きて!かわちゃん!かわちゃん!早く!」


「うるせぇって。ちび、一体どうしたって。」


 僕はとにかく良純和尚を呼び出さねばと、モニター横にある緊急連絡用の子供用携帯電話を手探りで掴んだ。なぜ、和尚との連絡手段が子供用携帯であるのかは、僕の逃亡防止という理由で僕のスマートフォンが鬼の和尚に取り上げられているからに過ぎない。


「楊がまたどうしたって?」


「ちび、これがどうしたって?」


 彼らが僕に答えたのは同時だった。

 そして僕は彼らにどう答えて良いのか混乱してしまっていた。

 大量の鼠の出現に怯えた信者達が一斉に室内から逃げ出そうとするが、鍵が閉まっているらしく、開かない扉に殺到した彼らは無意味なほど扉を叩いて揺らしているのだ。

 扉前にいない者達はただ無意味に右往左往して、違う、鼠に噛まれて振り払いながら逃げまどっているだけだ。


 しかし、彼らの阿鼻叫喚は突然終焉する。

 一人が何かに気が付き叫ぶと、一斉にその方角へと殺到し、ほとんど全員がどこかに消えたのである。

 今のパーティルームはがらんどうだ。


 それでは御幣がある。

 車椅子の者や失神してしまった数名はだらりと脱力しており、床に血の染みをどくどくと広げている。

 彼らの体には鼠はもういない。

 それは、鼠達がそのうちにばたりばたりと横に倒れ、動くものは互いを食い合っているか、無駄にぐるぐると走り回っているだけとなったからである。


「うぇ、ドブネズミ。おい、何があったって?」


 楊は答えない僕をぐいとモニターから離すと勝手に映像の巻き戻し等の操作をし始め、僕の電話の向こうの良純和尚は、応答の無い僕に、警察に連絡しろ、とだけ言って無情にもぷつりと電話を切ったのである。

 僕はツーツーとなるだけの電話に、ぼんやりと答えていた。


「大丈夫。かわちゃんがいるから。多分。」

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