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十八、お馬鹿な子

「もーう、やんなっちゃうよ。あの子のお馬鹿さん加減は。」


「いいじゃないですか。それで気に入られて松野さん家に匿って貰える事になったのでしょう。あなたの目論見そのものじゃないですか。」


 髙は楊のデスクにコーヒーの紙カップを置いた。


「さんきゅう。」


「どういたしまして。それで、あの子の様子はどうですか?あなたのぼやきでは、あの子に変化がないようで安心ですが。」


 楊は髙の差し入れたコーヒを一口飲んで、顔を少し歪めた。自販機のコーヒーが不味いからではなく、彼が猫舌であるだけだ。楊の表情に一々気がかかるのは、髙は武本が襲われた日のことが忘れられず、自分の肩で泣く子供が哀れで仕方が無いと、ついぞ考えてしまう自分が嫌なだけである。彼は自分を見舞いに来た武本が病室を飛び出した後を追いかけ、真壁やよいと邂逅したところから身を潜めて事の成り行きを見守っていたのである。


 玄人はまず、髙の目の前で真壁に非常階段に突き落とされて気を失った。


「あんた、何をやっているの?」


 声をかけたのは髙ではなく、武本か百目鬼の後を始終付き纏っていたらしき人物だ。

 百目鬼が髙の病室に武本を置き去りにしたのはそれが理由であり、その男の存在に気が付いた百目鬼が自分が的なのかどうかを武本から離れることで確認しようとしていたのだ。

 真壁は声をかけてきた青年に「復讐」だと簡潔に説明した。


「あなたはこの子を抱きたくない?警察沙汰にはならないって保証してあげる。」


 彼らは病院地下の解剖室に意識のない武本を運んで行き、髙は真壁が殺意を実行に移した事でようやく確保に至ったのである。



「ちびは大丈夫だよ。何が心配なの?」


「金村をわざと逃がしましたからね。」


「まだ気にしているの?百目鬼も許してくれたじゃん。山中組を引っ張るには仕方が無いって。それどころか、自分の所だと武本が危険だからと俺達に預けるまでしたでしょう。大体さぁ、金村修平は山中組系の稲瀬組の孫じゃん。そんなのに目をつけられてたんじゃ、組ごと潰さなきゃ危険じゃないの。今回パクっても大した罪を問えないどころかすぐに開放でしょう。逆恨みされてちびの体のことを喋られまくったらと考えると、あの子が可哀想だしねぇ。髙はそこまで考えて、でしょう。」


「そこまで判っているからこそ、あなたは松野葉子に玄人君を投げてきたのですね。」


「葉子はさ、愛情が向いた相手には優しいからね。大事な子供に変な中傷が湧いたらどうするかな。きっとさ、湧いた場所を完膚無きまで叩き潰すだろうね。ちびの親戚は積極的にちびを守れないんでしょう。でもさあ、財界のお友達のやることに追従するなんて機会には、喜び勇んで参加するんじゃないかな。」


「あなたは、なんて悪たれだ。」


 髙は楊に笑いながら、鉛のような後悔を人知れず飲み込んでいた。

 武本が襲われたのは、全て髙の不徳に至る。

 襲われた武本の語る真壁の外見は真壁とは程遠く、武本がハコフグを連想させる丸いがごつごつした顔かたちだと説明した時、髙は昔に見逃した青池典子をすぐさま連想した。

 青池は集団自殺から逃れて身を隠していた教祖の娘だった。


 新興宗教のテロを警戒して調べ上げてみれば、教祖が狂言自殺を計画して信者を自殺に導き、死んだ信者の財産を奪って娘とともに逃げていただけだったのだ。

 当時の彼は教祖を詐欺と殺人で逮捕し、父親に押さえつけられ痛めつけられていただけの被害者と青池を不問にし、シェルターと信頼のおけるカウンセラーを紹介したのである。


 武本の証言から青池を思い出して調べ直してみれば、真壁が髙の妻を轢き殺した同時期に青池の焼身自殺があり、数か月しないで真壁は無能の殺人医師と噂されるほどに成り下がっていた。

 髙が妻の死の鬱屈を無能の警官とその蔦にばかり押し付けて向かい合う事を避けていたために、青池という魔物を育てて見逃してしまっていたのに違いないのだ。



「髙もわかったでしょう。」


 楊の言葉に物思いから覚めた髙は相棒を見返したが、髙は自分の見ている人物に少々違和感を感じた。同僚であり教え子のような時もある相棒が、髙よりも冷めた目で彼を見つめていたのである。


「かわさん?」


 楊は髙と目が合うやいつもの顔に戻り、さも嬉しそうににやりと顔を歪め、これで同位置だと呟いた。


「かわさん?」


「見逃しては落ち込む凡夫な警察官の輪にようこそ。」


 今度こそ髙は本気で笑い声をあげた。

 笑って忘れたいことがもう一つあるからだ。



――何かあったらこれを使うんだよ。


 心細さで拠り所を必要としている子供だと知っていて、髙は小型のスタンガンを、それもそれだとわからないものを手渡した。彼は目の前の人物が、その外見で人を惑わし、行ってきた数々の違法行為を親族の力で葬っていた唾棄すべき存在だと、彼が与えた飴に幼子のように喜ぶ姿こそ作り物だとその時は信じていたのである。


 信じようとしたが正しい。


 彼はその時、武本玄人の名で行われてはもみ消される犯罪ごと、武本玄人を消し去ろうとしていたのである。

 そして小型のスタンガンを与えられた彼は、髙の思惑通りそれを髙が望むように胸に強く押し当てた。尋問途中に髙が「彼は殺してはならない」と確信したその時、確信どころか「これは虐殺でしかない」と体が動き出したその時、彼は髙の目の前で髙が企んだとおりに自分で自分の心臓を止めたのだ。



「髙、あいつは絨毯を一枚売りとばしたよ。」


「何ですか、それは?」


「ねぇ、絨毯が一枚六百万だって信じられる?あの馬鹿は、そんな値段でも破格だって言い張るんだよ。なんでも、大きさが足りないけれど普通の住宅には大きすぎるオーバル型で、絨毯の模様が個人宅には自己主張しすぎるからと売らなかった倉庫品だったそうだ。倉庫品を天下の松野に売りつけるって、すごい商才だよね。悪辣っていうか。」


「あなたの話の逸らし方は玄人君に似ていますね。いや、あなたは意図してのそれですがね、玄人君は意識しているのかな。あの子は意外と賢いですからね。」


「意外と賢いって酷いね。でもどうだろう。百目鬼のように敢えて呆けている時もあるけどね。素でおバカな気もするよ。今回はさぁ、葉子の家に行って黒い奴がいるかどうかの確認と、安全であれば匿ってもらうように頼むだけの話だったんだけどねぇ。黒い奴どころかストーカーのお化けがいるって言いだしてさ。」


「何ですか?それは。」


「何かがいるかって俺が尋ねたら、執事みたいな格好をしたストーカーのお化けが葉子の家にいるって答えてさ。何それって奴。詳しく聞いても個人情報ですって答えてくれないから知らない。でも、大丈夫ですからって。わけわかんない。」


「大丈夫なんですか?」


「うん。葉子さんの花婿さんだと思ってくっついているだけだから大丈夫ですってさ。葉子が泣き出す姿を見たのは初めてだよ。そして絨毯を売りつけちゃったの。吃驚。」

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