十五、お見舞い
僕は今度こそ髙のお見舞いに来ていた。
見舞いって事で、久々に良純さんも僕も灰色の作業着を着ていない。彼はいつもの殺し屋風黒スーツを着こんでおり、腕には黒貂が襟と袖を飾るカシミヤの黒コートを掛けて持っている。僕は紺のカジュアルシャツにブルージーンズ、そこに愛用のミリタリーコートという代わり映えしないいつもの姿だ。代わり映えしないが、従兄の和君がデザインして作っている服なのだから、自由になるお金も少なくおしゃれを知らない僕は毎日でも喜んで着る。勿論お金があればもっと和君の服を買ってもっと着る。
そんな僕の両手には、自分のお金で買った小さなアレンジメントの花束だ。
花屋が言うには花瓶がいらないから見舞いの品には最適だということだ。短く切ったラナンキュラスやバラの花に季節の小花がこんもりと丸く飾られて、周りを緑の葉が飾っているのだ。まるで淡いピンクの桜餅のようだと一目で気に入り、値段が三千円なところも気に入り、僕は衝動買いというものを初めてしたのである。
「ふふ。髙さんには可愛らしすぎますかね。」
「惜しくなったのか。山口にしたみたいに、見せるだけで持ち帰ったらどうだ?髙はお前にそれくらいされても怒れない奴だからな、いいんじゃないの。」
「髙さんって、大人ですものね。」
「お前は。」
なんだか呆れた顔を僕に見せた良純和尚に、僕が何か見逃しているのかと髙と出会った様々を思い出してみた。しかし彼は楊の相棒として僕は紹介されただけで、そうだ、僕は彼に尋問まで受けたのである。
あぁ、ちょっと違う。
本部の怖い刑事に尋問を受けるにあたって、彼は脅える僕にお守りを与えたのだ。
「どうしても耐えられなくなったらこれを使いなさい。皆が助けに駆け付けるからね。」
小さな押しボタン式の銀色の防犯ベル。
僕は相模原東署の皆が僕の味方なのだと、その防犯ベルを髙から手渡された事で知り、勇気が出る様にと、僕はそれをぎゅうっと自分の胸に押し当てて、あの怖い刑事に挑んだのである。
「髙さんのおかげで、僕は怖い刑事に立ち向かう勇気が出ました。」
「――完全に洗脳されてやがる。お前は髙の個室に一人で二時間も大丈夫か?これ以上の馬鹿に改造されないよな。」
「あれ、お花を置いてそれでお終いじゃないんですか?」
「俺の出先にお前は行きたくないって、昨夜散々ごねただろうが。」
「だって、あの土地は黒い靄が渦巻いていますもの。どうしてそんな土地ばかり良純さんは手に入れるのですか?」
「俺が買ったわけじゃないよ。」
「そうなのですか?」
「競売部門を丸ごと貰った時に入っていた目玉商品だよ。売れない癖に税金と負債の利息ばかり年々増える腐った目玉。そいつがあるから楊の祖父は競売部門を切り捨てたくなったのかもしれないね。」
「うわぁ。」
僕は稼いでいる割には金に汚い良純和尚の苦労を知った気がした。
我が武本物産も「倉庫品」にかなりの損益を割いているのだ。
赤字が税金対策になって法人税を抑えられるという益が出ていようと、赤字は赤字だ。
「でも、倉庫品は簡単に売りたくないですよね。だから、倉庫品になるわけで。」
良純和尚はハハハといい声で笑うと、僕を髙の病室へと押し込んだ。
ドアを開ければすぐベッドという狭い病室で、髙はギャッジアップしたベッドによりかかって小さなテレビを見ていたところだった。
彼は僕達の到来に気付くと笑みを浮かべて振り返り、僕からのアレンジメントを嬉しそうに受け取った。
「あぁ、かわいい。玄人君みたいだね。」
「えぇ、僕は二十歳の成人男性ですよ。」
僕が髙の誉め言葉?に抗議をすると、良純和尚と髙は同時に吹き出し、良純和尚はポンと僕の頭に手を乗せた。上目づかいで彼を見上げれば、なんというたらしな表情を浮かべていることか。
「はぅ。」
「それじゃあな。勝手に病院を出るなよ。それでは、髙さん、こいつを頼みますよ。俺は二時間は戻って来ませんからね。」
「はい。いってらっしゃい。玄人君、暇で飽き飽きしている僕と尋問ごっこでもしようか。」
僕が髙に返事をする前に、頭上のいい声が答えていた。
「それはやめましょうよ。縁起が悪い。」
「ハハハ、そうですね。」
僕はいつのまにか仲良くなっているらしい二人に驚きながら、良純和尚が出て行くや、部屋の隅に置いてある円座のパイプ椅子を引っ張って来て髙の目の前に座った。
「え、ええと。具合はいかがですか?足は辛いですか?」
「半身の痺れで足の怪我どころじゃないねぇ。ただね、この痺れで全身を隈なく調べたでしょう。おかげで左脹脛が再手術だった事を知っている?ワイヤーの一部が残っていてね、そのままだったら足を切断する可能性があったみたいで良かったよ。誤診は怖いねぇ。」
彼は布団をまくり上げて軽く左膝を立て、ガーゼが貼られた左脹脛をチラリと見せた。
「痛いですか?」
「痛いねぇ。体がびりびりするのは。君も痛かったでしょう、あの日は。」
僕が尋問された日に死にかけてAEDを受けた事を髙が言っているのだと、僕はようやく気が付いた。彼はずっとあの日のことを気にしていたのだろうか?
「ふふ。気を失っていたから僕は覚えていないですよ。それよりも、髙さんの体の痺れは、そうですね、話ができるかな。」
「病気と君は会話ができるの?」
「いいえ。その痺れを起こしている人がいるから。かわちゃんが見てみろと言った時に覗いて見れば良かったです。すいません。あ、できた。……うん、痺れは止まったでしょう。」
髙は僕を見る目を労りから驚愕に変化させ、僕はそこで「しまった。」と後悔した。
良純和尚は当たり前だが、楊も、楊に紹介された五百旗頭も普通に僕の言うことを受け入れて、受け入れるどころか喜んでいたから忘れていたのだ。
僕が見えないものを見えると言ってはいけない、という事を。
特に両親には知られてはいけない。
死霊が見えるのは、僕が死霊そのものだからに違いないのだから。
「えと、あの。」
僕はとりあえず立ち上がり、とりあえずも何も、逃げた。
「ちょっと、玄人君!」
髙が僕の背に呼びかけた声も振り切り、僕はまだ車を出していないかもしれないと期待を込めて良純和尚を追いかけたのだ。
「あぁ。エレベーターは遅いから、階段。ええと、階段はどこだっけ。」
「こちらよ。あなたが玄人君だったかしら。」
ジャケットにパンツ姿の女性は僕の探す階段があるらしい扉を指さした。扉の上には非常口のプレートがかかっている。
「ありがとう。あなたは?」
その三十代くらいの女性は僕に気さくに近づいて来たくせに名乗らず、作ったような笑顔を僕に向けているだけだ。彼女の丸顔だが少々ごつごつした輪郭と、少々離れた目元が、僕にハコフグを連想させた。
「あの、何でしょう。」
彼女の作り笑いに我慢できなくなった僕が恐る恐る尋ねると、彼女はきゅっと眉根を潜めて「ごめんなさい。」とわざとらしく口ごもり、なんと、告白らしきものまでもし始めたのである。
「私が見逃したせいであなたの信頼する髙さんが大変なことになってしまって。足を切断する手術をなさったのでしょう。本当にごめんなさいね。」
「僕に謝られても……。」
「…………謝りに行きたいのだけれど、足が竦んでしまって。病室の前まででもいいから、一緒について来てくれないかしら。」
「あの。あなたはお医者さんじゃないですよね。どうして主治医の振りをするの。」
彼女はかっと目を見開き、しかし、すぐさま何かを思いついたように「あぁ。」と声に出した後僕を小馬鹿にしたような目つきと一緒に口角を斜めに引き上げた。
すると同時に彼女の足元から黒い靄が噴出して、彼女を足元から天辺まで、完全に真っ黒になるまで覆いつくそうと纏わり出し始めたのだ。もくもく、もくもく、と。
「あなたが考えるよりも、女医って沢山いるのよ。」
そんなことは言われるまでもなく知っている。
僕が言っているのは、完全に靄に包まれた彼女が医者じゃないって事だ。
「ねぇ、私は髙さんに誤診した事を謝りたいの。病室まで案内してくれるでしょう。」
僕は最初に彼女が教えてくれた階段への扉を開き中に飛び込み、しかし逃げ出せたどころか背中に大きく衝撃を浴び、僕はそこから真っ逆さまに下へと落ちた。




