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十二、違う子

 玄関で自ら俺達を出迎えた長柄由紀子は、博多人形を思わせるつるっとした肌に可愛らしい雰囲気の小柄の女性であり、そして武本の親族とも思えない気さくさを持っていた。

 彼女はスーツ姿の楊達と違い汚れた仕事着でくたびれている俺にでさえ「どうぞどうぞ。」と気安く招き入れたのである


 上がり込んだ豪邸は、運送では日本で一、二と言われる長柄運送の本宅だけあり、重厚で安っぽさのかけらもない造りである。ただし、和と洋が調和した男性らしい建物に対してアンティークな西洋の調度品に陶器の人形や陶磁器が並ぶという女性的ともいえる内装でもあるが、なぜかそこもしっくりとなじんでいるのである。


 この俺が気後れしそうになりながら案内された長柄家の居間は、座り心地の素晴らしくよさそうなソファセットが広々とした空間に悠々と配置され、ここまでに目にしたものの集大成のように高価なアンティークの家具にやはり厳選されたであろうアンティークな置物で囲まれているという居心地の良い所であった。


 そしていつも控えめでオドオドしていた武本は、俺達が居間に入った時には既に一番高価そうな豪奢な貝殻や羽の彫刻の装飾のある椅子に体を丸めて座っており、入室した俺達を一顧だにもせずに一心不乱に何かの書類を読んでいるのである。


 俺は武本のすぐ右横になるように向かって左側のソファの隅に腰を下ろし、楊達は俺の動作に合わせて俺の向かいに次々と座った。そして座って落ち着いた俺は、長柄夫人が茶の支度をしている隙に武本が読んでいる書類を奪い取った。すると、俺の持つ書類に楊達までも首を伸ばして覗き込み、それがフランス語だとわかると彼らは潔く首をひっこめた。


「なんだ、ただの商品説明と契約書類じゃないか。」


「そうです。返してください。」


「お前がそんなに必死に読むほど面白いのか?」


 差し出すと彼は奪うように手に取り、再び必死の目つきとなって書類に戻るではないか。


「由紀子小母さんが発注した品の確認をしないと帰してもらえないんです。すいません。これで最後ですから、もう少し待ってください。」


 馬鹿な子供は親戚の家にトイレを借りに突撃し、そのまま家主の言うがままに商品と説明書と契約書に反故や瑕疵が無いか確認させられていたのだという。そして息抜きだとベランダに出たところを楊に見つけられ、そこで今日の予定を思い出し、今は必死で頼まれた品の確認をしているのだそうだ。


「あたくしは陶磁器に目が無いものでしてね。どうかしら?あたくしがこの新作を全て手に入れたのよ。そして、一番重要な、今玄人が確認しているのがこれ、よ。」


 ティーテーブルの武本側には陶磁器でできた菓子台やスプーン、そして人形などの様々な小物が並んでおり、彼女がそっと持ち上げた高さが十五センチくらいの陶器は、茶道の茄子と言われる茶入れに似た形をしているが、鼻と目と耳をも持っていた。

 白地に葉のある蔦が巻きついた模様も描かれている卵型の象である。


 申し訳ないが俺の趣味ではなく、戦利品だと喜ぶ彼女に「きれいな小物入れですね。」としか褒めることができなかった。

 落ちている生き物は全て拾う性癖のある楊は、当たり前だが「ぞうさんだ!」と頭部の帽子型の蓋を開けて覗き込んだりして喜んでいる。

 楊のように振舞えない俺は恐らく俺と同じように考えているかもしれないと楊の隣に座る坂下を希望をもって見れば、彼は由紀子に淹れてもらった紅茶にうっとりしているだけであった。


「あぁ、最高級のキームンです。深いスモーキーな香りにはただただ溜息ですよ。」


「そうか。」


 楊の同僚ならばこんなものかと俺が武本に振り返ると、俺の聞こうとした質問を楊がなんとも無いという軽い口調で先に武本にぶつけたのであった。


「でもさぁ、ちびがどうして由紀子さんの持ち物を確認しているの?」


「あたくしの持ち物ではなくて、結婚式の引き出物として販売する商品ですからね。かなり重要なお客様との取引になりますから、当主が商品を確認するのは当たり前でしょう。」


 俺が茶を噴く代わりに、楊と坂下がむせてくれた。


「な、げほ。な、何ですか?当主って?え?ちびが?」


「げ、げほ。そうですよ。武本君の事ですよね。当主って。」


「武本物産の経営者一族である武本の現当主でしょう、この子は。あたくしは武本物産で趣味の高級食器と高級ギフトを担当しているの。あたくしが気に入った商品を仕入れて売り切るというだけなのですけどね。今回のこの象を納める相手は難しい方ですから、この子の突然の来訪は願ったりだったの。それで引き止めてしまってごめんなさいね。」


「いえ。それはかまいませんが、彼が当主?ですか?」


 再び緊張の青白い面差しに戻った本部の警部が目を丸くしながら由紀子の言葉をオウム返しすると、当の由紀子は我が子を自慢するような顔つきでにっこりと微笑んだ。


「この子は武本物産の商品の事は全部知っているわよ。ねぇ、玄人。あなたが売れると言ったものは必ず売れるのよね。」


 しかし褒められて喜ぶどころか、暗い顔つきになった武本は軽く首を振る。


「それは小母さんの選んだ物が最初から素晴らしいだけです。それに僕にはお洋服はわかりませんよ。あれはかず君の担当です。僕は家具と小母さんが教えてくれた陶磁器だけです。」


「あら、着物だって。」


「売れるか売れないか、だけしか判りません。第一僕は自分で着物が着れません。」


「え?ちびって本当に当主だったの?お前は家業を父親が継いでいないから貧乏ですって言い張っていたじゃんか。うそ?お前は嘘をつける子だったの。」


「あら、いやだ。はやとが継いでいないのは事実でしょう。それに、武本家の当主ってアドバイザーであって武本物産の社長って訳じゃないの。確かに玄人を社長にって我々は考えていますけれどね。」


「お前が、武本一族の当主でアドバイザー?」


 楊どころか俺と坂下にも注視されてしまった武本はみるみる萎み、再びいつもの見慣れた土偶のような塊に戻ってしまった。そんな土偶の返答を俺達がじっと見守っていると、土偶はぼそぼそと小声で語りだした。


「今は違います。僕は十二歳の時まで当主だったってだけです。今の僕は記憶喪失ですから、当主の座もアドバイザーだって無理です。由紀子小母さんは優しいからこんな風に僕を盛り立ててくれるだけです。」


「あら。それじゃあ、あたくしが手に入れたこの小物入れは?これは橘さん家の引き出物にはふさわしくないというのかしら。確かに橘の奥様が提示したランクよりも下のものですけどね。」


「たちばな?!最近結婚式がある橘って言えっっぶ。」


 おもむろに叫んだ坂下は楊に口を押さえつけられた。そして脇での騒々しさに由紀子も武本も我関せずという風に俺達の目の前で会話を続けるようなので、武本の真実をもうすこし知ることができると俺と楊は目線を合わせた。


「これは何度も言いますが、橘家の逸子様が喜ぶ品だから最高だと言っているじゃないですか。窯は無名のようですが、職人がこれからの人のようですし、これから価値が上がりますからその楽しみもあります。何より、逸子様は象がお好きだからいいのです。」


 言い切った武本に対して、由紀子してやったりの顔だ。


「ほら、ごらんなさい。あなたはやっぱり最高のアドバイザーじゃないの。」


 すると武本は喜ぶどころか頭をがくりと下げた。


「玄人?」


「……最高のアドバイザーなら、僕が違う子でもいいの?」


「玄人?何を言いだすの?」


 ゆっくりと顔を上げた武本の顔は青白く、俺が出会った頃の鬱の症状が一番酷い時の顔つきをしていた。すべての罪業を背負って、それが当たり前だと受け入れていた殉教者の顔つきである。


「僕が十二歳の頃の玄人でなくてもいいの?」


「あなたは以前のままよ。」


「以前のままの振りをしているのだったら?僕はあの頃の玄人じゃないのです。僕は別人なのです。僕は、皆さんを騙している偽者なのです。そうじゃないですか?僕は僕であった頃を思い出せないのに、どうして僕が僕であると言いきれるのでしょうか。」


 由紀子は武本にかける言葉が無くなったのか、暫く口を開けた状態のまま武本を見つめていたが、愛嬌のある目元をキラリと輝かせてぎゅうっと口を閉じ、何かを決意したような表情を見せた。

 彼女の表情に不穏なものを感じたか、坂下がこの場を仲裁しようとし始めた。


「そうだ!武本君には我々の仲間のお見舞いをお願いしていたのですよ。原因不明の左半身の痺れでしてね、武本君の顔を見れば彼の不安を減らせるかもとね。」


「あぁ、そうだよ!俺の相棒の髙が武本君に会いたいって病院で叫んでいますからね。さぁ、行こうか?行こう!」


 楊は立ち上がって武本の手を引き立たせようと手を差し伸べて試み、そして武本が全く動かないと知るや、武本の椅子の左隣に移動してそこでしゃがみ込んだ。

 それからいつもの誰かを慰める時のように囁き始めたが、彼が出す声はいつもと違った低く擦れた声音であった。


「いいか、ちび。髙が心配なお前はお前自身だろ?人間は年を取るごとに以前の自分が変わるものなんだ。だからな、自分が以前と違うと考えてもいいけどな、今の自分を完全否定するもんじゃない。自分を敢えて辛くする必要はないんだよ。」


 ところが、慰められたはずの武本はフフフとやるせなそうな笑い声を立てるだけである。豪奢な赤黒いベルベット生地に体をだらっと投げ出して、慰める楊の左肩に頭を乗せ上げている姿は、死んだ息子を抱き上げるマリアというピエタを彷彿とさせた。


「ちび?」


「かわちゃん。僕は自分を否定していませんよ。僕は僕。以前の玄人と別人だって言っているだけです。僕は本当に別人なの。」


「いい加減にしなさい!」


 叫んで立ち上がった由紀子は応接間を飛び出して行ってしまい、再び頭を下げてしまった武本以外の俺達三人は暇乞いの頃合だと目線を交し合った。


「行くぞ。武本。」


 俺の声かけに坂下も完全に立ち上がり、楊が武本を無理矢理に抱き上げかけたその時、バタンと応接間の扉が大きく開き、勝ち誇った顔をした由紀子が姿を現したのである。


「すいませんが、こいつがこんな状態ですので、本日はこれで。」


「まだ帰しませんよ。いいこと玄人。幼いあなたの事を一番知っている橋場の孝継を呼びました。彼があなたを昔と同じだと断じれば、あなたは自分が昔のままの自分だと安心できるでしょう。」


 由紀子の言葉を聞くや否や、頭をがっくりと下げていた武本は首が折れるかと思うほどグインと顔を上げ、そして楊を払いのけて椅子から飛び出すと、大きく叫んで応接間を飛び出して行ったのである。


「僕が違うって、違うからって、パパに嫌われたらどうするの!」


 俺と楊は「パパとはなんだ。」と顔を見合わせていたが、坂下は青白いどころか真っ白い顔で逃げ去った武本の軌跡を見つめていた。

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