表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/38

十一、武本の行方

 俺は楊からの電話に、怒りどころか脱力を感じていた。


「ちびが消えた!」


 財布とスマートフォンを持っている二十歳の男が楊の車から逃げ出しただけなのであるが、彼は完全に五歳児を見失ったかのように慌てているのである。


「電話をかけて見ろ。」


「あいつスマートフォンも財布も俺の車じゃん。」


「それを早く言えよ!そこは横浜市の山手だな。」


 俺は舌打ちをすると、待ってと叫ぶ楊の鑑識と葉山達を振り切ってトラックに乗り込んだ。そして、横浜市目指して十六号線をできる限りのスピードで走る羽目になったのである。


 その数十分後、俺が楊に再会した時にも状況は変わっておらず、楊は不安そうにオロオロとしており、楊の隣には初めて会った俺達と同世代の精悍そうな男が大きく溜息を付いていた。


「おい。武本が消えてもう一時間はたっているだろう?まだあいつから何の連絡が無いのか?それでこの人は?」


 青い顔の楊は隣の男を紹介しようとしたが、俺よりは低いが一八〇は身長がある姿勢の正しい男が、自分で自分を紹介してきたのである。


「本部の警備課の坂下さかした克己かつみ警部です。ここいらは警備課の庭ですからね、楊の連絡を受けて武本君の捜索を私の班が受け持ちました。」


「あぁ、すいません。うちの馬鹿な子の振る舞いで皆様にご迷惑を。それで楊、状況を教えてくれるか?あいつはどんな状況で一体どこを目がけて飛び出したんだ?」


「あ、あぁ。いや、状況って言っても、急に車を止めてくれって言い出して、止めた途端に走り去ってしまったから、俺も何がなんだか。大体あいつがあんなに素早くいなくなるって不可能だろ。あいつはとても足が遅い奴だろ。どんくさい奴だろ。」


 心配なのはわかるが、本人が聞いたら落ち込んでしまいそうな酷い物言いを楊は散々すると、俺に対して指を掲げた。

 楊は俺ではなく武本が降りて走り去った方角だと指を指すが、そこは高級住宅どころか豪邸が目の前に聳えたっていた。目の前の豪邸は一区画ほどあり、その脇の道路にもそれよりも小型だが似たような門構えの厳重そうな家々が立ち並び、作業着のツナギを着た俺や武本では通報されそうな風景なのである。


「あっち、あっち方向にあいつが走ったと思ったら消えたの。どうしよう。そんで坂ちゃんの部下が近辺を散々探し回っても、ちびらしき生き物がぜんぜん見つかんないの。どうしよう。あいつ、だれかに誘拐されちゃったのかもしれない。あんなに可愛いんだし。誘拐されてなければ凍死しちゃうじゃん。一月じゃん。寒いじゃん。」


 楊の混乱振りに俺の不安が掻き立てられたその時、楊の隣の坂下警部が楊を呆れる顔ではなく俺の後方の斜め上方を訝しげに見上げている事に気がついた。俺も彼の視線を辿って上方を見上げれば、そこに馬鹿はいた。それも、目の前の豪邸のルーフバルコニーでそこの住人らしき女性と歓談しているのである。


「おい。」


「何?百目鬼。悪かった。悪かったよ。いくらでも俺を殴ってくれ。」


 俺は哀れな友人に真実を教えてやった。

 即ち、馬鹿を指さしただけであるが。

 楊は訝しそうな顔を俺に見せた後、眉根どころか顔中に皺を寄せたパグみたいな顔で俺の指し示す方向へと顔ごと視線を動かして、それから暫し固まった。


 そして数秒間異次元を旅していた俺の親友は自分を取り戻すと、口元に両手をあてるや、なんと高級住宅地のど真ん中でやにわに叫びだしたのである。


「おーい!チクショウ!ちび!お前はそこで一体何をしているの!」


 壊れた楊の叫びにベランダの武本は俺達に気付き、彼は「きゃあ」という顔になったそのままバルコニーから家の中に引っ込んでしまった。


「あ、畜生!逃がすか!」


 楊は一瞬で豪邸の通用口に辿り着くと、凄まじい勢いでインターフォンを押し始め、その楊に俺ではなく坂下警部が慌てて楊の元へと大声を出しながらすっ飛んでいった。


「ちょっとまて、楊。この家はって、おい!お前も知っているだろう!長柄ながえ運送の社長宅じゃないか!面倒を起こすな!落ち着け!次男坊がやっている長柄警備は自衛隊OBも多いからさ、揉めると面倒なんだよ!」


 俺は坂下の叫びで武本の親族の事を思い出していた。

 出会った頃の武本は母親が彼の持ち物を捨ててしまうからと、どこに行くにも自分の持ち物を大型のメッセンジャーバックに詰め込んだ姿でフラフラしていたのである。

 俺はそんな彼に見かねて我が家に重い鞄を置いておけと伝えたら、なんと俺の家に次々と武本の親族を名乗る者達から武本宛に贈り物が届くようになったのだ。そしてその贈り物には全て、武本さえにも贈り主の名を内緒にしていてくれとの不可解な手紙付きであり、俺はその内一人に「長柄由紀子」がいたと思い出し、彼らの内緒にしていて欲しいの言外の意味をようやく理解したのである。


 俺は楊達の側まで歩くと、金持ちに詳しそうな坂下の耳元にこそりと尋ねてみた。


「島田正太郎って誰だ?」


 武本が最近愛用しているグレーのジャケットの贈り主の名前である。

 長柄運送ぐらいの会社だろうと坂下に尋ねたのだが、坂下は答えるどころか大きく目を見開いて俺の顔を穴が開くぐらい見つめ返しているだけなのである。


「どうした?そいつも武本の親族らしいからな。どこの会社の社長なのかなってさ。」


「…………え?」


 ようやく坂下の発した言葉がそれ、だ。

 島田正太郎は普通の一般人かと、余計な事を口にしたと俺が反省したところで、坂下がひたすらインターフォンを鳴らしている楊を放って俺の腕を引くではないか。


「どうした?その名前は何か問題か?もしかしてテロリストの大将か?」


「何を言っているんです。島田ホテルってご存じないですか?」


「あぁ、かなりの老舗の高級ホテルだな。そこの経営者か。」


「はい。正しくは、そこは道楽で経営している、ですね。島田正太郎は西の回船問屋から成った大嶌おおしま屋グループの前会長ですよ。金持ち過ぎて会長職を辞してから悠々自適に世界を廻っているので、なかなか居場所がつかめない財界の大物です。急に島田を出したのはなぜですか?」


 俺は自分の悪戯心を少しだけ諌めると、坂下に内緒だとだけ伝えた。


「内緒って?」


 坂下が怪訝そうな顔で俺を見返して来たが、いつの間にやらスマートフォンを懐から取り出していた彼の姿に、俺は彼が警察本部に武本の親族情報を流させないようにと内緒の真実を告げる事をせざるえないと判断した。


「内緒だよ。島田さんから武本の親族だって事を外には内緒にしていてくれって手紙を貰っているからさ。ここだけの話にしてくれるか?確かに普通のお子様の親族が長柄運送だったり大嶌屋グループだったりしたら問題だよな。」


「あの。長柄も島田も彼の親族なのですか?」


「彼らの手紙はそうだと書いてあったな。」


 坂下はハハハっと力なく笑うと、電話させて下さいと、弱々しく俺に懇願してきた。


「どうした?」


「いえ。不味いです。先日の武本君への尋問中の暴行事件でさえ大問題で上が何人か移動したっていうのに、このままじゃあ不味いです。」


「なにが不味いんだ。」


「俺とのドライブは、髙への見舞いよりも、ちびへの尋問コーナーがメインだったって話だよ。鼠事件はテロ行為と看做されてね、それでテロ対策部署でもある警備課の坂ちゃんが逃げた参考人としてちびを捜索してくれていたってだけなんだよ。」


 振り向けば楊は疲れきった顔で俺を見つめていた。


「お前が必死に武本を心配していたのは、俺から今の情報を坂下へ流させるためか?」


「ちげーよ、馬鹿。お前がテロを計画してなければ、本当にテロをしていた奴にちびが誘拐されたのかもと思うじゃん、普通はさ。お前がテロをするような奴等を焚き付けて今回の事件ならばね、弱い奴に報復は行くだろ。お前はそこは考えなかったか?」


「俺は誰も焚き付けていないよ。」


「じゃあどうして鼠事件が起きたんだよ。」


「ただの流れだよ。俺は何もしていない。俺が計画を立てる前に事件が起きた。それだけだよ。俺への贈り物かと思うほどのタイミングだったけれどね。」


「ハハ。お前へのハッピー、でぃ、プレゼントか。」


「ははは。」


 俺達が乾いた笑い声をあげながら睨みあっていると、そこに冷静な声が割って入った。


「では、事件が起きなければあなたが立てただろう計画をお聞きしても?」


「良いよ。普通に違法占拠の居住者に対して退去の強制執行をするだけの話だ。俺の持ち物になったあの建物は元々分譲住宅だろ?区画を買ってもいないどころか賃貸契約もしていない奴らには権利は無いね。そうだろ?平和的に追い出していたさ。」


 俺の説明に斜に構えた物言いで質問を重ねたのは楊だ。


「じゃあ、何のための監視カメラなのさ。」


「上手に平和的に話し合う為には、相手をよく知らないとね。この法治国家ではね、力づくでなんて、たとえ違法占拠している奴らでも追い出せないだろ。自主的に平和的に建物から出てもらう必要があるんだよ。そのタイミングを計るためのものさ。」


「脅しにも使えるもんな。自分の知らない人に知られたくない映像が残っていると考えたら、そんな動画を持っている奴には逆らいたくないって言いなりだろう。」


「そうなのか?」


 楊はハっと吐き捨てる様に笑うと、俺と坂下からふいっと身を翻し、大きな門構えのある表へとスタスタと行ってしまった。


「どこに行く?」


「もちろんちびを迎えに、でしょう。長柄夫人が俺達にもお茶をどうぞってさ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ