十、同一人物
隣に座る武本が酒に酔ったかと楊が思うほど、彼は上機嫌でくすくす笑いが治まらない様子である。楊は彼のその様を見るにつけ、彼に対して鬱々と申し訳なさだけを感じていた。
「かわちゃんのママさんの料理はおいしいし素敵な人だし、おばあ様もおじい様も楽しい人だし、かわちゃんの弟さん夫婦も優しくて凄く楽しかったです。お友達の家でお食事会って、僕は初めてだから本当に楽しかったです!」
楊は武本に笑い返したが、午後に辛いだろう体験をさせる前の楊自身の罪滅ぼしでしかない。武本はこのまま髙が転院した病院に連れて行くが、そこで彼に求められるのは髙への見舞いだけではなく、百目鬼から離しての個人的な尋問であるのだ。髙の病室には本部の熟練の尋問官達が楊達の到着を待ち構えている。
警察は鼠事件を百目鬼によるものと看做しており、彼自身が手を汚していなくとも、武本が葉山に口を滑らした、別の敵に攻撃させる、を実行したのであればその方法を引き出す目的だ。葉山は武本に尋ねる前に髙の事故で有耶無耶となってしまったことを気に病んでいる。彼が尋ねておけば、武本が本部の人間に尋問されることなど起きなかったのだ。
楊はポケットで振動しているスマートフォンにウンザリしている事を認めた。
葉山が武本を心配して掛けて来たに違いない、と。
「車を止めるよ。」
助手席を見れば武本はいつの間にか眠り込んでおり、数分前ははしゃいでいたのに一瞬で寝入ってしまうとは子供かと楊は苦笑いしつつ路肩に車を停車させ、ポケットからスマートフォンを取り出した。
やはり、送信者は葉山。
「はい。どうしたの?」
「あぁ、かわさん。先程百目鬼さんから、島津昭夫の事故死と菖芳和尚こと渡辺久芳の自殺を洗いなおせと言われましたよ。」
「君が今洗いなおしているものだよね?なんだっけ、羽賀の過去ファイルを探って出てきた事件だったでしょう。」
「そうです。あの事故とは言えない事故報告です。」
楊の頭には武本が語った車と、コンクリ塀で潰された哀れな女性のイメージが浮かんだ。
助手席のドアに貼り付いているらしき亡霊のイメージから意識を離そうと楊は頭を振ると、部下の電話に集中することにした。
「あれか。渡辺久芳の自殺も島津昭夫の事故死も、君は殺人だと言い切ったものね。」
「当たり前です。島津昭夫の事故報告の鑑識結果では、通報した人物に轢かれた時には既に死んでいたとありますね。頭部に陥没骨折がありますから、恐らくは殺されてから人目の無い道路に深夜投げ込まれたと考えられます。渡辺久芳に関しては練炭自殺を失敗しての車内炎上で片付けられていますが、これはお粗末過ぎて笑うだけですね。」
「あれ。首を括ったんじゃなかったの?」
「いいえ。報告では練炭自殺を失敗しての焼死とありますね。遺体は炭化するほどに焼け焦げています。」
「そうか。」
楊は部下の報告を聞きながら、百目鬼は聞いたとおりに受け入れる男だったと思い出していた。彼は久芳の自殺を「首を括った」と聞かされたそのまま信じていたのだろう。
「困ったな。」
「どうしたのですか?」
「百目鬼がせっかく新興宗教にも犯罪にも同門の菖芳和尚が関わっていないを通したのにね、その糞坊主がのうのうと生きている可能性が出てきたでしょう。菖芳と同世代の行方不明なんて腐るほどあるじゃない。」
「あぁ。その可能性がありますね。ですがそれよりも、俺はどうして島津を百目鬼さんが知っていたのかの方が不思議で。まぁ、招来の幹部でもあったのだから、招来のメンバーから情報を得たのかもしれませんが。」
楊はぎゅっと目を瞑った。
最近山口が武本に会わせろと騒がなくなったという事実に思い当たったからだ。
「葉山。前言撤回。百目鬼は菖芳の自殺の内容を知っているで正しいはずだ。あいつはお前達に他に何を言った?島津の大学時代の恋人の真壁やよいには言及していたか?」
「いえ。それは。その女性は髙さんの相模原第一病院での担当医と同じ名前ですね。」
「凄いだろう?同一人物だよ。少し山口に代わってもらえるかな。」
「俺には内緒話、ですか?」
「違う。叱責したいだけだから代わって。」
電話で葉山があぁと、合点がいったという笑いを含んだ声を上げた後、山口のはすっぱな声が応答した。
「はい。代わりました。なんでしょう。」
「どこまで正確にあいつに伝えた?」
ふふっと電話口の山口は笑うが、楊はその笑い声にがっかりするだけだ。
「七割の真実に嘘を混ぜたね。君が百目鬼に伝えなかった事を教えてくれるかな?」
「たいして隠していませんよ。真壁やよいを渡辺裕子に変えたぐらいですね。是定家は財産家に娘を嫁がせておいて、娘に婚家の金を実家に流させて吸いつくしてから離婚という行為を繰り返していますからね。ここは百目鬼のターゲットにあげてあげるべきかと。」
「その奪われた金は是定家で止まっているのかな?」
「羽賀君のパトロンの曽我章彦県議にも流れていますね。」
「警察の公安も自衛隊も悪の組織だと言い張るあの御仁ね。そう、頑張って。」
「ありがとうございます。」
山口は電話から退いたらしく、電話口からは葉山の声が再び戻っていた。
「何ですか?全然叱責じゃないじゃないですか。」
「だって山口の動きも髙が噛んでいるみたいなんだもん。邪魔したら俺が怒られるじゃん。髙にさぁ。」
「かわさんが上司でしょうが。」
「本当にそう思う?」
「いえ。それで普通の刑事の俺達は何をしましょうか。」
「普通の刑事だもん。真壁やよいを洗ってくれるかな。」
「わかりました。ご存知ですか?彼女が二ヶ月前まで働いていた病院は、足を骨折して入院すると棺おけで出てくるって有名な所ですよ。」
「うわ。その先が面倒そうで洗うのをストップさせたくなるね。」
「かわさんたら。」
楊はスマートフォンを切ると再びエンジンをふかし、さっと武本の寝顔を見つめてから車を車道に戻した。強くアクセルを踏みながら、彼が百目鬼の親友を死に追いやった罪悪感で車ごと崖から飛び出したあの時のように、武本が楊の責任で死ぬことがあったら自分は再び死を選ぶのだろうかと考えながら。
「死なないな。多分死なない。あの時だって空を飛んでいる最中に俺は後悔していたものな。俺は向かい合わずに逃げたかっただけの屑なんだよね。」
高校時代に話すことも無かった百目鬼は、楊の知る限り男達の憧れでもあったのだ。
外見はもとより学力も運動センスも何もかも完璧な男は、誰もが友人になりたいと渇望し、しかし彼が選んだ親友は鈴木真琴という頭が良いだけの気弱な普通の男だった。
気弱だからこそ鈴木はからかいの対象になり、鈴木を庇い暴れる百目鬼に男達は馬鹿にされ、百目鬼を慕う女達には排他され、男達の鬱憤は全て鈴木へと移行した。
楊にはその流れが理解できなく、面倒臭いと自分の取り巻きには命令した。
「あいつらを放っておけよ。」
すると、楊の言葉通り鈴木は男達に「完全にいないもの」として学年の全男子から完全に無視されて放っておかれることとなったのだ。
楊こそ知らなかったが、楊の言葉は男連中には絶対だったらしい。
それでは楊がいじめの主犯と思われても仕方が無く、だからこそ楊と鈴木が再会したその時、鈴木が楊の姿に怯えてホームから足を滑らせたのであろうと楊は苦々しく考えた。
「かわちゃん。」
武本の声に楊は物思いから冷めたが、これから行う裏切り行為にぎゅっとハンドルを強く握った。
「かわちゃん。」
「どうした?ちび?」
「車を止めて。今すぐに。早く!」
武本の妙な強い口調に楊は言い返すことも無く車を止めると、武本はあんなにも嫌がっていた助手席のドアを大きく開け放って、そのまま車から飛び出して駆けて行ってしまったのである。
「え?うそ。ちょっと、え?ちびが逃げた?」
慌てて車のエンジンを完全に止めた楊が車から飛び降りたが、武本の姿は見えず、楊は見慣れていながら見慣れていない風景にただ動揺しつつ取り残されていた。




