九、ドミノ倒しについて
一人でする壁紙貼りは何ヶ月ぶりだろうかと、一度で綺麗に貼れた壁を見ながら俺は溜息をついた。一度で綺麗に貼れたのだが、なぜか達成感が薄いのだ。
武本と一緒の時は、何度かに一度は失敗する。
最初の頃は一度で出来た事などない。
成人男性とは思えない非力の彼は、大きな壁紙を押さえつける事に疲労困憊し、ここぞという時に手を緩めてしまうのだ。だが、最近では力の配分がわかってきたのか最後まで押さえられ、それどころか生来の几帳面さできっちりと空気を抜いて丁寧に美しく貼り付ける。そして出来上がりに俺に振り向くのだ。
「綺麗にできました!さすが良純さんです!」
俺はその度に彼の頭に手を載せて「お前がやったんだよ。」と褒め称える。
手の中で「きゃあ。」と喜ぶ彼に喜んでいる自分もいるのだが、同じ繰り返しに面倒になっている自分もいる。相談役とは親同然なのだろうか。
俺に武本を押し付けた三厩隆志が言うには、武本には「育てなおし」が必要なのだということだ。彼は長い間自分を否定して生きてきたので、親族以外の人間に褒められ持て囃される事が求められているということらしい。
「あぁ、面倒臭いな。面倒臭かったでしょうね。俊明さん。」
癌に蝕まれた自分の世話役をと俺を山から引き抜いておきながら、俊明和尚は俺に彼の世話をさせるどころか俺の世話を焼き、終には俺を養子にまでしたのである。
俺の話を聞き、できるだけ俺が他人と関わるように心を砕き、そして、何かある度に俺を褒め称えて愛情を示す。
「楽しいですよ。俊明さん。俺はあの面倒臭い生き物の世話が物凄く面倒臭いからこそ楽しいですね。あれは俺が貴方を慕っていた時と同じように、無条件で俺を慕って縋っているのですよ。あなたも俺を育てていてそうだったのですか?」
自問しながら自分を鼻で笑うと、俺は一人で綺麗に誂えた部屋を出て廊下に出て、本来ならば先に壁紙貼りをしていたであろう隠し通路があった部屋に足を運んだ。そこで壁紙が剥がされて出現しているドアを開け放すと、現れたその細長い部屋ではワイワイと多数の人間が作業している様が目に入った。
ここは一階の隠し通路であり、間抜けな事に警察連中が気がつかなかったもう一つの現場である。俺が先程の部屋の壁紙を剥がした時に見つけたドアであり、そのドアを開けて広がる空間であった。発見してすぐに楊を呼び寄せると、彼はオフだからと武本を誘拐して消え、代わりに楊に連れられて来た鑑識と部下が作業に残されたのである。
彼らは俺の仕事着である灰色のツナギ姿に一様に驚きの顔を見せ、お揃いのツナギを着た武本をなぜか可哀相にと可愛いがってから隠し通路に姿を消したのだった。
武本のツナギのポケットには、彼等から与えられたお菓子がぎゅうぎゅうに詰まっていることだろう。
そんな奴らの一人、俺の姿を認めた長身の男は俺が入って来た事に気付くと、あからさまな仕事の仮面を貼り付けた顔で俺に手を上げ、反対に武本が武士と呼んで懐いている男の方は、朗らかな笑顔を顔に貼り付けて俺に近づいて来た。
「お疲れ様です。こちらはもう少しかかりますのでお待ち願いますか?ここを警察が発見した報は今のところ抑えておきたいですからね。被疑者が戻って来るかもしれませんから。色々と研究した日誌や道具を残していますからね。」
そこでは最近まで人が生活していた痕跡が残っており、それだけでなく監視カメラに見咎められずに外へと出れるルートとも繋がっていたのである。
「君は被疑者が戻って来ると?」
葉山は好青年の笑顔を俺に見せた。
「五分五分ですね。こんなあからさまな研究道具などただの目くらましでしょうが、こんなにも示威的行動をするのは目立ちたい精神が強いでしょう。俺達に見つからなかったと知れば、見つけさせるためだけに戻ってくる間抜け行動も想定できますからね。」
「君の言葉を街中で流せば、怒り心頭の馬鹿な犯人が釣れそうだね。」
「犯人は馬鹿だと思いますか?」
「馬鹿だね。賢くて幼い馬鹿だ。ドミノ倒しを作れる賢さがあるが、精神と見通し力が未熟だからドミノが完全に完成しないんだよ。だからドミノが詰まるんだ。それで無理矢理ドミノが倒れるようにと、時々こうやって大きな騒ぎを起こしているんだろう。」
「時々って、他にも思い当たりが?」
話に割り込んできたのは山口だ。
俺達の邂逅を内緒にするべきと俺と武本にあからさまな距離を保っていた男が、武本がいない今、あからさまに公安の顔で俺に迫ってきたとは面白い話だ。
「人を殺したらいつだって大騒ぎだろ。」
「そうですが、今のところは殺人など。」
情報のない葉山が物憂げに答えたが、相棒の山口は自分で調べた事実を思い出したか細く保っていた目を大きく見開いた。一瞬だけだが。彼は再び作り顔に戻り、あからさまな間抜け顔で右肩ひょいと動かして俺に説明をするように促した。
「この建物の持ち主の菖芳和尚。そして、菖芳和尚が主宰していた団体に紛れ込んでいた島津昭夫という幸せの花の幹部が死んでいるだろう。彼らの死で流れが変わっているんだ。これはそのための殺人だと考えた方がいいだろ。」
「どうして百目鬼さんが島津昭夫の事を知っているのですか?」
葉山も知っていたらしく、俺は彼も警察官だから情報が回っているのだと思ったが、山口が素っ頓狂な声をあげた。
「え!友君こそどうして島津の事を知っているの!」
「君こそ知っていてどうして俺に黙っているかな。」
「いや、あの、ちらっと元同僚に聞いただけで。ただの事故死でしょう。友君はどうして知っているの?」
葉山は相棒の作った顔に「覚えておけ」の視線を飛ばしたあと、彼が知っていた種明かしを話し出した。
「事件があれば普通は周辺事情は全て洗うでしょう。情報だって今は電子化されているから所轄でも読めるでしょうよ。」
「読むって、友君はどのくらい読んだの?」
「招来が発足した頃ぐらいからかな。刑事だったら普通でしょう。」
独自の情報網がある元公安の刑事が、地道で真っ当な刑事にぐうの音も出ない様子を観賞するのは楽しいものでもあるが、俺は話を先に進めたいので若い二人に別の爆弾を投げる事にした。
「武本がね、監視カメラ映像に真っ黒の人間が写るって言い張るんだよ。そこで俺はその真っ黒な人間が写った日時をメモさせて確認してきたんだがね、鼠事件の真っ黒な男を含めると、生きているのが二人で死んでいるのが一人って勘定だ。」
「なんですか?それは?」
武本は葉山には伝えたと言っていたのだが、この情報は山口には初めてだったらしい。
「武本が言っている黒い人間は、俺には見えない奴と俺に見える奴がいたって話だ。」
「あぁ。俺も武本君が言った黒い人間は見えましたね。それ以外にもいたと?」
「生きているのが二人、だ。若い奴と年寄り。年寄りの方が鼠を仕掛けたに違いないと俺は思うがね、残念ながら顔が映っていないんだよ。」
俺が胸ポケットからその黒い男と武本が言い張った男の映像の写真を日時を書いたメモと一緒に二人の若い刑事に差し出すと、受け取った一人は眉根を顰め、一人は眉山を大きく上げて、両者はそれにしばし見入っていたが、葉山が上目遣いで俺を見上げた。
「仲良さそうにメンバーに混じっていますね。それならばメンバーの人には誰だかわかるのでは?」
「そう俺も思ったのだけどね、彼らにはそれが誰だかわからないそうだよ。毎日の礼拝時には在家信者も入り乱れていたそうだからね。」
「嘘くさいですね。こんなにも特徴のある後姿だというのに。」
小柄な角ばった背に頭頂部が禿げた白髪頭の老人の後姿は、写真を見せた武本が「サンタみたい。」と喜んだほど愛嬌のあるものである。若い刑事二人は俺こそ知っているだろうと言う疑いの視線を投げてきたが、俺は二人に肩を竦めて見せるだけだ。
「仕方ないだろう。なにせ高齢者専用住宅の住人だ。何もわからない覚えていないって事がよくあるからこそ、高齢者専用住宅に住む事を決めたんだろう。」
「宗教関係なしに、ですね。毎日の礼拝もアビリティだと信じきっていたを通す気ですね。全て彼らをだました是定家の仕業であると。」
「そうなのか?一般人の俺にはわかりかねるからね、真相の究明は君達に頼むよ。」
二人は俺が全てを話していないという顔をむけたが、どちらも何も言わずに俺に了解したと余所行きの顔で答えた。
当たり前だ。
犯人を捕まえたいのであれば、証拠と動機をあげねばならない。
俺の考える真実など、証拠が無い以上無意味であるのだ。




