エリート死神は今日も嗤う
——さあ、お前を刈る
そうして今日も、人を嘲笑う。
✴︎
祭儀場の待合室。身内が炎に焼かれ、灰になるまでの時間。
「ほら、あの時のお金よ」
「はあ? 母さんが金を貸したなんて知らない」
田中太一とその姉、辰子はヒソヒソと言葉を交わす。二人の子供達は部屋の隅に集まって、亡き祖母の死を嘆いているというのに。モルスはクスクス、クスクスと嗤った。実に愉快だというように。
《ねえ、モルス。貴方、何が楽しいの?》
《親が死んで、金の心配。それも端金。それなら、葬式なんてせずに、そこらで死体を焼けば良いのになと思った》
モルスの遣い魔、メッソルは錆びた銀色の尾をゆらゆらと動かし、モルスの胴回りを旋回した。メッソルのブブブブブと鳴る羽音は、本人とモルスにしか聞こえない。モルスは、黒い枯れ木のような腕を、ヒラヒラ、ヒラヒラと揺らした。
《止めて。私はハエじゃないの。あと、貴方の皮肉屋なところ、好きではないわ》
《ふんっ。鬱陶しさはハエ以上だ。それに君の好意なんて興味零》
モルスはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべた。炭のような顔に、白い歯が浮かび上がる。メッソルは肩を揺らした。
《見栄を金で買ったのに、結局子に醜態を晒している。ほれ、見ろ》
辰子の長女恵奈の、古井戸の底のように暗くて冷ややかな瞳。まるで、無機質なビー玉。
《あの子……火が小さいわね》
《ああ。刈るのはあの子だ》
《煌く星のような魂よ。そんなの許されないわ》
《いや。それだから効率が良い》
《最低》
《ふん。なんとでも言え》
モルスとメッソルが言い合いをしていると、部屋の隅から一人の少年が近寄ってきた。空中を指で示し、叫ぶ。
「人魚だ!」
《あら、私が見えるなんて……》
「人魚? あっ君、急にどうしたの?」
少年——敦史——を、母親の美奈子は後ろから抱きしめたら、敦史はきょろきょろと目を動かす。メッソルは偶然か確かめるために、部屋内をせわしなく移動している。尾を動かし、海の中を泳ぐように。鈍色の毛羽立ったような鱗が、濡れているかのように光を放つ。敦史はその輝きを、目で追っている。
《やっぱり見えてるのね》
「ママー! 人魚! 喋った!」
《声は聞こえないようね。行きましょうモルス》
《いいや、メッソル。刈る相手を変更だ》
糸のように薄い唇を三日月型にすると、モルスは舌舐めずりをした。美奈子を見据え、チッチッチッと小さな舌打ちをする。メッソルは宙を漂うのを止めて、モルスに向かって深いため息を吐いた。
《そう。貴方のそういうところ、見習いたくないわ》
《それだと、君は本物の死神にはなれないな》
その返答に、メッソルは何も返事をしない。骸骨に似た、落ち窪んだ目の奥で、赤い瞳を光らせ、俯く。モルスが移動を始めた。メッソルはその後ろを力無く、ふよふよとついていく。
《息子の命と引き換えなら、寿命を差し出すだろう》
《向こうの子供よりは、まあマシな判断ね》
《天秤にかけて、良い方を選択するのは世の常だろう?》
その問いかけに、メッソルは何も返事をしない。骸骨に似た、落ち窪んだ目の奥で、赤い瞳を光らせ、頭部を上げる。モルスが部屋を出たところで、メッソルはモルスの前へと躍り出た。
《ねえモルス。死神の仕事って何? 見て覚えろ、理解しろって言うけれど、貴方を見ていてもちっとも分からないの》
《基本的な事は教えた。魂の浄化だ。黒い炎を多く刈り、パエニテンティアに捧げること》
《パエニテンティアは死者の神だったわよね? 黒い炎なら、刈る対象は向こうの二人ではないの?》
メッソルは腕を伸ばし、ヒソヒソと話し込む太一と辰子を示した。モルスは首を横に振り、呆れたような声を出す。
《そうだ。パエニテンティアは我等の神。残りの炎が少ない。非効率的だ。白や虹から漆黒へ転化する時に、炎は燃え上がり巨大になる。刈るのは黒い炎。何一つ問題無いし、ルールに従っている》
はあ、と息を吐くとメッソルはモルスに背を向けた。
《炎を刈ると星になる。集めたら願いが叶う。ねえ、違反行為スレスレの事までして、貴方が叶えたい願いと祈りは何なの?》
《尋ねないのがしきたりだ》
《はーい》
《語尾を伸ばすな》
《はーい》
モルスは枯れ木のような、黒くて細い腕を振り下ろした。メッソルはひらりと避けて、遠ざかっていく。
《やっぱり死神になんて、なりたくないわ》
《なりたくなくても、なるんだ。おまけに目上に説教。しょうもない奴だな》
ぽちゃん、と言う音を立てて、メッソルは死者の世界へと去っていった。
《勤務時間に逃亡とは、ロクデナシめ。これだから教育係なんて引き受けたく無かった》
小さく呟くと、モルスはバサリと法衣を揺らした。床に足をつけ、体を伸ばす。どこからどう見ても、冴えない中年男性である。
「さあて。釣り針につける餌は何かな?」
モルスの心中はこう。木を植えるなら森の中。よって、太一と辰子は刈る。仕事熱心と見せないと信用を失う。
辰子が死ぬ過程で、恵奈を追い詰める。シングルマザーである辰子が死ぬと、あの恵奈という少女は弟二人を抱えて生きていかないとならない。既に精神的に堪えているようなので、泥沼に導くのは簡単。支援者を断ち、少々悪い男と引き合わせれば良い。
あくまで、止めようとしたという言動を繕う必要と死なせないギリギリを狙わないとならないけれど、逆にスリリング。見抜かれなかった時の快感は絶頂に近い。恵奈のような若くて美しい女が、絶望する青白い顔で自ら命を捨てる。それこそ、達するかもしれない。
そして敦史とその両親。幼い我が子の為に、命を惜しむ親は少ない。二人のような、白に近い炎を全て刈るのは規約違反。しかし、中抜きは禁止されていない。そういう決まりはない。
これだから、死神はやめられない。不幸の連鎖。雪だるま式に増えていく、悲劇や憎悪。泣き叫び、怒鳴り散らし、醜く歪む人間の顔は楽しくてならない。そんなことを、モルスはギトギトする黒髪を撫でつけながら、考えていた。
やがて、半年もしない間に、モルスに目を付けられた田中家には次々と不幸が訪れた。借金まみれで夜逃げ後失踪。突然死。飛び降り自殺後に半身不随。夫婦が揃って事故死をして、残された子供も病で死亡。
モルスは集めた星を手に、こう願った。
《——……》
《申し開きはあるか? 詐欺師》
願おうとしたモルスの声は出なかった。そして、巨大になったメッソルが彼を見下している。メッソルの問いかけに、返事はない。
《罪を減らすどころか増やしたお前を、相応しい地獄へ送ろう》
何のことだ? とモルスは首を捻った。そのモルス、こと森下昴の目の前で、巨大な鎌が振り上げられる。彼の体は動かない。昴の体は泥沼のような黒い液体に包まれている。
《改心の機会を自ら放り投げた。よって、救いようのない屑という烙印を押す。浄化への祈りを込めて、道を示したのに、お前は自ら背を向けた》
あははははははは! とメッソルは鎌を振り下ろし、昴の首を鎌で刈った。
《あーあ、メッソル。相変わらず容赦無い奴だな。怖い怖い。得意の幻覚で、とんだ裁判をするものだな。今の奴、混乱したままだぞ》
フッと現れたサリエルの呆れ声に、メッソルはニコリと微笑んだ。
《そう? 落胆しているわよ。私の改心プログラムって、基本的に地獄行きの魂には何の効果も無いの。変よね。ああ、更に堕ちるという効果はあるわ》
《悪趣味な凝った幻覚を改心プログラム、ねえ。本音はこうだろう? 地獄行きが決まっている魂に、減刑なんていらない》
《選んだのはこの魂自身よ》
嘲り笑いを浮かべると、メッソルはサリエルにウインクをした。
《あくまで改心プログラムだというのか》
《そうよ。毎回毎回、本来の目的を果たさないから、落ち込んでいるわ》
《その表情で言うか? まあ、この新制度で君はまた出世だろうな》
サリエルは呆れたような笑みを残し、背を向け、去っていった。メッソルは黒い炎で燃える昴の頭を拾い上げた。昴の頭は悲鳴を上げ続けている。
メッソルはポンッと、燃える昴の頭を投げた。更に尾で弾く。
《さて、二つも下の地獄行きに変更だけど、自業自得。まずは二千年の旅へ、行ってらっしゃい♡》
昴の燃える頭は、灼熱地獄という看板がある方角へ、勢い良く飛んで行った。その頭にくっつこうと、体も追いかけていく。メッソルは、これでまたよく魂を見定めたと褒められる、と胸を弾ませた。
メッソルは両腕を上げ、伸びをして、今日も良く働いているなと自画自賛し、次の被告魂を部屋に招くように、従者に告げた。
次の魂を見た瞬間、メッソルは小さく嗤い、申し開きは聞かず、改心プログラムこと自分の幻覚の海に引きずり込んだ。