この世界は乙女ゲームだと彼女だけが思っている
残酷な描写ありは保険。
「リリア、昨日の放課後にね――」
この世界は乙女ゲームだ。それを私は知っている。
タイトルは……何だったか忘れてしまったけれど、舞台はここ、魔法学園。
主人公は頑張り屋でいつも笑顔な一人の少女。貴族のみしか持たないという魔力を、庶民である彼女が持っているとかいう理由で、この学園に入学したのだ。
けれど名家の子女たちが集まるこの学園で、彼女はいい顔をされなかった。
それでも彼女は、色んないじめに遭いつつも一生懸命頑張っていた。すると、そんな姿を見ていた攻略キャラたちが、徐々に彼女に惹かれていって――とまあ、このゲームはそんな筋書き。
私はそんな彼女に嫌がらせをする性格の悪い令嬢筆頭、リリア。
リリアは公爵令嬢という権力と、第一王子と婚約しているため次期王妃の肩書きを持っていて、それを利用して嫌がらせをしまくるのだ。
家柄絶対主義のリリアには、庶民がどうしても許せなかったのだろう。
様々な罪を主人公になすりつけようとしては失敗して、暗殺者を何度も仕向けては失敗して、ついには全ての悪事がバレて婚約破棄をされ、公爵家から見捨てられ、庶民に転落させられてしまう。
「それでね、僕――」
そのことに気付いたのは、七歳の時。
思い出すのが一年でも遅れなくてよかった。なぜなら、七歳の誕生日にリリアは第一王子と婚約してしまうのだ。
諸悪の根源(だと私が勝手に認識している)第一王子と。
思い出した時には慌てた。何とか婚約を避けなくては、と。
だって貴族やめたくない。働くのは嫌。ずっと美味しいものを食べていたい。そんなクズ思考が働いたのだ。貴族の誇り? なにそれおいしいの? だ。
それで焦って焦ってトチ狂った私が取った選択は、思い出した次の日に招かれたお茶会で、一人でふらふらと歩いていて道に迷った先で偶然出会った辺境伯の子息に結婚を申し込むことだった。
おかしいでしょう? 私もとてもおかしいと思う。どうして彼を選んだのか。まだ何も知らない、彼を。
多分、それだけパニクっていたんだと思う。乙女ゲーム? 悪役令嬢? 何それ一体どうなってるの? と。
しかしなぜか乗り気になった相手の少年に引っ張られるまま、私は彼とともにお母様たちが談笑しているところに乗り込んでいってこう宣言したのだ。
『お母様、私、この方と結婚したいですわ!』
いやどうして? そんな顔をお母様はしていた。彼の母もそんな顔をしていた。私もそんな顔をしたかった。
けれど、なぜか乗り気だった少年の笑顔を裏切れなかった。乗り気すぎて怖いくらいだった。
……とまあ、そんな感じで私は、辺境伯子息であり次期当主の彼、クラークと婚約したのだった。
「……ねえ、リリア聞いてる?」
不機嫌そうな声が隣からする。色々と思い出していて、すっかり意識が違うところへ飛んでしまっていた。
今現在私は放課後、学園併設のカフェテリアのテラス席にいた。一人で? いや違う、慌てすぎた私と婚約する羽目になってしまった哀れな、けれどとても愛しい婚約者様と。
「ごめんなさい、考え事をしていたの。それでええと……」
口ごもると、彼、クラークは少し不機嫌そうな、けれど、仕方ないなぁと慈愛に満ちた表情を浮かべた。
クラークは、夜半の空のような、青みがかった綺麗な黒い髪を持っている。私はこんな神秘的な色じゃなくてただの茶髪だから、羨ましい。
でも何よりも神秘的で美しいのは、その瞳。
クラークは、左目にサファイア、右目にダイアモンドを持っている。どういうことかっていうと、青と銀のオッドアイなのだ。
澄んだ深い青の瞳に、ダイアモンドのように光を反射してキラキラと輝く不思議な色味の瞳。見惚れずにはいられない綺麗さだ。
初めて出会った時は、綺麗だなぁと顔をガン見してしまった。今でも時々してしまう。だって綺麗なんですもの。
その後クラークと話していると、「呪われた瞳」なんてネガティブな言葉が聞こえたが、関係なかった。
だって、呪われた瞳とか超かっこいいと思う。くっ、俺の右目が疼く……! っていうやつをやってもクラークは許されるのだ。なぜならオッドアイだから。ソースは私。
私はアホだからそれをそのまま口に出した。するとびっくりされた後に泣かれた。
そして何だかんだで婚約が進み、正式に決まった後に私は重大なことを思い出したのだ。
……あっ、クラークも攻略キャラだった、と。
「リリアがすぐ自分の世界に入るのはいつものことだからね、仕方ないか。まあ、そういうところも僕は好きだけど」
「そっ……そう、そ、それで……何の、話だったかしら?」
ゲーム内では毒舌王でツンデレのツン多めだった彼は、いつの間にか紳士的なデレデレになっていた。ツンは微塵も存在しない。
息を吐くように好きと言ってくるし、今日はいい天気だね、くらいのノリで甘ーい言葉を吐く。
愛してくれているのは伝わるけれど……恥ずかしい。とても恥ずかしい。
シナリオ曲げて婚約させちゃってごめんね、でも私の令嬢生命がかかっているから、と哀れみの気持ちしか持っていなかったのに、いつの間にか完璧にほだされていた。
だってそうでしょう? こんなイケメンに愛を囁かれ続けたら、落ちてしまう。
元々、庶民になりたくない! という動機だけで動いていた私は、最近では庶民に転落せずに彼と結婚したい、という動機で、日々乙女ゲームの死亡フラグ折りに勤しんでいた。
クラークは慌てる私を見てくすりと笑った。
「な、何よ」
「ううん、君はやっぱり可愛いなぁって思って」
「そ、……そういうところが、ずるいのよ……」
「僕からしたら君の方がずるいよ。だって君は、ただそこに存在しているだけでこの世の何よりも可愛いから」
「も、もう! やめてちょうだい!」
「やだ。やめない。君は僕の女神だからね」
「だ、だからっ――」
「愛してるよ、リリア」
「〜〜っ! もう!」
歯の浮くようなセリフを素面で言ってのけるクラークはすごい。何が一番すごいって、これで通常運転なのだ。口説いている自覚ゼロ。
年々パワーアップしていくものだから、私はいつまで経っても慣れない。これ、結婚する頃にはどうなっているんだろう。
「そ、それで、なんの話してたのよ!」
「……あ、そうだったね。僕、昨日の放課後に街に行っていたんだ。それでね、君に贈り物」
「贈り物? どうして今日?」
「今日である理由は特にないけど、強いて言うなら君への贈り物が昨日出来上がったから。オーダーメイドなんだよ、これ」
そう言いながら彼が私の目の前に取り出したのは、バレッタだった。
小さな白い花と蔦の葉っぱを象った、素朴で可愛らしいバレッタ。幼子が頑張って編んだ花かんむりのような飾らない可愛いそれは、私の好みど真ん中だった。
「わぁ……! とても綺麗……これは、かすみ草?」
「そうだよ。花言葉は『清らかな心』とか『無邪気』とか。君にぴったりだと思わない?」
「ぴ、ぴったりって……私そんなに純粋な少女じゃないわ……それじゃ、こっちの蔦はなに?」
「これは、アイビーって呼ばれる蔦の一種だね」
「花言葉は?」
すると、クラークはにっこり笑った。
「『永遠の愛』」
本当に彼はずるい。そんな意味が込められたバレッタなんて、恥ずかしくてつけられないじゃない。
固まった私を見て、クラークはまた楽しそうにくすくすと笑った。それからそのバレッタを手にとって「つけてあげるよ」と立ち上がった。
私は恥ずかしくて思わず俯いた。きっと、今私の顔はかなり赤くなっている。
「ついた。ふふ、すごく似合ってるよ。これから毎日つけてきてね?」
「……か、考えておくわ」
そう言いつつも私はきっと、毎日つけてくる。これじゃ私がツンデレみたいだ。嘘でしょ。
「――それで、今日は」
クラークの雰囲気が変わった。私は頷いて、鞄から紙を何枚か取り出した。
「昨日も話した通り、前回のイベントから考えて恐らく今日、告白イベントが来るわ」
「屋上庭園で、だよね?」
「そう。上手くいくかしら……」
「大丈夫。今日のために色々ふらぐを立ててきたんだろう?」
「そう……そうよね、大丈夫よね」
主人公が私を断罪するのも怖かったけれど、クラークは腐っても攻略キャラ、主人公にクラークを攻略されるのが怖かった私は、こちらから動いて他の攻略キャラとくっつけようと思ったのだ。
色々候補はあったけれど、その中で選んだのは先生キャラだ。
まず一つには、先生は主人公と同じく庶民なのだ。それで、先生ルートはリリアがあまり主人公をいじめない。つまり没落しないで済む。安全安心。
庶民同士お似合いよ、ってことだろう。それに、先生と生徒って時点で障害は十分だ。
次に、クラークが先生ルートを推してきたから。前世では先生が推しだった、と言うと、クラークは凄い勢いで先生ルートを勧め始めたのだ。嫉妬だろうか。可愛い。
……ちなみに、クラークには乙女ゲームのことを話してある。ゲームとかキャラとか、何も分からないだろうに全面的に私に協力してくれるのだ。
適応能力が高すぎる。
クラークは、私が思い出せる限りの先生ルートのイベントや会話を全て暗記してくれている。その上で、この通りに進めるにはどうすればいいのか、真剣に私と話し合ってくれる。
たとえば出会いイベントがあっちであると言えば、あっちに先生と主人公を呼び出したり、そっちで親密度上げのためのイベントがあるといえば、そっちに二人きりになるように手配する。
そこまでやらなくてもゲームの力で、と思わなくもないが、念には念を入れて、だ。
「そんなに心配なら、少し覗きに行こうか」
「そんな、二人に悪いわ……」
「……本音は?」
「行きたい」
「そう来なくっちゃ」
楽しげにクラークは言う。それから私の手をとって、踊るように屋上庭園へ向かった。
色々と不安要素は多い。だけど、いつの間にか死亡フラグを折ることが生きがいになっているのも事実。
パズルを解いているみたいで楽しいのだ。少しずつ出来上がっていく絵柄を眺めるみたいに、日に日に親密になっていく主人公と先生を見るのは楽しい。
クラークもきっとそうなんだろう。何だか上機嫌だから。
それに、変にナーバスにならなくても大丈夫なのだ。ちゃんと、ゲームの強制力のようなものは働いているから。
たとえば、
「……っ、あら、ごめんなさ――」
「……ひっ! あ、す、すみません許してくださいッ――!」
「……大丈夫よ、気にしていないから」
「あ、あぁ、よかった……」
こんな感じに。
今私はクラークと話しながら廊下を歩いていたら不意に男子生徒にぶつかったのだが、こちらが謝るよりも先にものすごい勢いで謝られた。
そう、私は別に何もしていないのに、ゲームのように怖がられているのだ。おかげで友達が欲しかったのにできる気配がない。
そんな私にもクラークは優しい。『友達なんていなくても、僕がいるから大丈夫だよ』と微笑んでくれる。
クラークほどの容姿とコミュ力があれば誰とでも仲良くできるだろうに、クラークはいつも私と一緒にいてくれるのだ。こんなぼっちにつき合わせちゃってごめんね。
クラークはびっくりするくらいに私を甘やかすものだから、クラークの家に嫁いだが最後、私は堕落してしまうんじゃないだろうか。
社交界が面倒だ、夜会だとかお茶会なんかに参加したくない、と私がこぼすと、クラークは優しく笑ってこう言ったのだ。
『それならずっと出なくていいさ。大丈夫、僕の領地は国防の要だからね、夫人が社交界を好まないくらいで揺らぐような権力じゃない』
じゃあお言葉に甘えて、といきたいところだが、それは甘えすぎだろう。さすがに最低限は出ると思う……多分。
貴族同士の腹の探り合いだなんて面倒すぎる。クラークも構わないと言ってくれていることだし、将来は最低限のものだけ参加しようと思っている。
今もそうだけど。だって、茶会や夜会に参加すると言うと、クラークは拗ねるのだ。どうしたの、と聞くと彼の返答はこう。
『リリアはとても美人だから、きっと皆の視線を釘付けにしてしまうんだろうね。やだなぁ、僕以外の人間が君に見惚れるのは』
その後、私がしばらく悶えたのは言うまでもない。
……そうじゃなくて。
隙あらばクラークのことを考えてしまう自分が恥ずかしい。
とにかく、私が皆に嫌われる、といった例のように、ゲームの力は働いているのだ。
私にぶつかった男子生徒は、ほっとしたように顔を上げるのもつかの間、一転して顔を真っ青にして逃げるように走っていった。
……これはさすがに少し傷つく。
「私、そんなに怖い顔かしら……」
「そんなこと、ある訳ないよ。……実を言うとね、君にぶつかった彼を、僕が少し睨んでしまったんだ。それで彼は怖がったのかも」
フォローまでしてくれるクラークは優秀すぎる。私はクラークに、ありがとうね、と笑った。
「――私は教師で、生徒にこんな感情なんて持ってはいけないのは分かっています。ですが私は……あなたを愛しています。どうか私と共に、生きてくれませんか?」
屋上に着いて、そうっと屋上庭園に繋がるドアを開くと、先生のセリフが聞こえた。
先生が主人公を抱きしめている姿が見える。ああ……スチル通りの光景だ。
私の推しは先生で、そしてこの告白イベントは大好きだった。だから、ああ! なんて素敵な光景なんだろう!
あまりに興奮して、隣のクラークの服の裾を引きながら「すごいわね!」と口だけで言った。
隣のクラークが私を見て微かに笑う。
「先生……私も、先生のことが好きです。だから――」
私は思わず身を乗り出した。すると――ぎい、と音を立ててドアがさらに空いてしまう。
こちらを二人が勢いよく振り向く。顔が引きつっている。
「……に、」
「に?」
「逃げるわよ!」
私はクラークの手を握って、慌てて階段を駆け下りていった。
肩で呼吸をする私。運動に慣れていないから、屋上庭園から元のテラスに戻ってくるだけの全力疾走ですぐ息が切れてしまう。対するクラークは涼しい顔をしている。
「大丈夫? ほら、落ち着いて」
「だ……大丈夫よ。それよりどうしよう、絶対顔を見られたわ……」
焦りで頭がいっぱいになる私だったが、クラークは何でもないような顔をして言った。
「大丈夫だよ。僕たちが誰にもこのことを言わなければいいだけ」
「そう……かしら?」
「うん。それより……いべんと、ちゃんと成功したね」
そうだ。ちゃんと告白イベントが成功した。
じわじわと嬉しさが込み上げてくる。良かった、本当に良かった。これで――。
「これで、本当にクラークは私のものね……」
思わずこぼれた呟きに、はっとした。そうっとクラークの顔を伺うと、案の定、とても不機嫌そうな顔をしていた。
クラークが主人公のことを好きになるかも、と私が言うたびに、彼はものすごく不機嫌になるのだ。
「心外だな。僕が好きなのは君だけなのに」
「わ、分かってるわよ。でも……ゲームの力が働くかもしれなかったでしょう?」
「げーむの力、ねぇ……」
その声の響きがどこか含みのあるものに思えた。え? と聞き返すが、クラークはかぶりを振るのみ。いつも通りの優しい表情だった。
「何でもないよ。……とにかく、これでげーむ通り上手くいったんだから、君の望みは叶った?」
「ええ。あとは、私が庶民に転落しなければ――」
「そんなこと、僕が絶対させないよ。だから大丈夫。げーむの力なんてものに負けるはずがないさ」
安心させるように、力強く頷くクラーク。ほっとして「ええそうね」と頷き返した。
これで私は、晴れて彼と結婚ができる。主人公やゲームに負けずに、悪役令嬢なんてものに生まれてしまったけれど、それでもちゃんと幸せになるんだ、私は。
「ねえリリア、約束したよね? 無事先生と彼女がくっついたら、僕と結婚してくれるって」
今更どうしてそんなことを聞くんだろう。私と彼は婚約していて、私はもう、すっかり彼に心が奪われてしまっているのに。
当たり前じゃない、とか、もちろんよ、とか、力強く肯定するつもりだった。けれど、いざ口にしようとすると、何だか変に恥ずかしくなる。
「……リリア?」
「そ、そんなこと、今更聞かないでよ……」
結局、消え入るようにそう言ってしまった。顔が熱い。心臓がうるさく鳴っている。
クラークと結婚するのは当たり前だと思っていたが、いざ本当にするのだと意識すると、恥ずかしい。
「嫌だ。僕は君の口からちゃんと聞きたい」
「わっ! く、クラーク……?」
くっと顎に手をかけて上を向かされる。顎クイだ。
クラークの顔は痛いくらいに真剣だった。クラークの瞳が真っ直ぐと私を見据える。
「僕のこと、愛してる? 結婚してくれる?」
「……あ、いしてるわ。結婚も、したい……」
するとそのサファイアとダイアモンドがきらりと輝いて、綺麗な雫を流した。次の瞬間、クラークは私を抱きしめていた。
「よかった。本当に、よかった……」
「クラーク……?」
「……僕、本当は不安だったんだ。君は最初、げーむ通りの結末を迎えないために王子以外の人と婚約をしたかった、って言っていただろう? だから、本当は誰でも良かったんじゃないか、僕じゃなくても良かったんじゃないかって……はは、僕も人のことが言えないね。世界で一番愛おしい君のことを疑ってしまっていたんだから」
「クラーク……」
私と同じように、クラークのことも不安がらせてしまっていたことに罪悪感を覚えた。確かに、私は今までゲームに囚われすぎていたかもしれない。
もう大丈夫、これで主人公は他のキャラと結ばれたんだから。私が退学させられることはない。
優しくて、恥ずかしいくらいに甘くて、時々ちょっと大げさで、とっても愛おしいクラークとの仲を引き裂かれることもない。
「大丈夫、もう一生君のことは疑わないから。愛してるよリリア。この世で一番、何よりも。この先一生、僕の隣で笑っていてくれないかな」
クラークが私を離して、顔を見て、笑顔で言った。その瞳からは涙が溢れていて、ああ、やっぱりいつものように彼は大げさだな、と思った。
私も少し泣きそうになってしまって、でもちゃんと笑い返して、言った。
「――もちろんよ、クラーク」
◆
――呪われた瞳。
そう初めて蔑まれたのは、一体いつだっただろう。もしかしたら、生まれたその瞬間かもしれない。
僕の左目は父や母と同じ青色をしているのに、右目はなぜか、銀色をしているのだ。
左右の目の色が違う子供は災いをもたらす――それは古くから伝わる言い伝えだ。
王都のような大都市ならともかく、僕の生まれた辺境の地では、そんな昔の言い伝えがまことしやかに残っていた。
おかげで僕は、物心ついた時から両親に忌み嫌われてきた。多分、男児が僕以外にいれば、とっくに僕は殺されていたに違いない。
何もしていないのに、ただ生まれてきただけなのに――そう反論しても無駄だった。なぜなら、僕が生まれてきたこと自体が許されないことだったから。
この瞳は、言い伝えを知らない子供でも怖がらせてしまう。母に言われるがままにお茶会についていっても、大抵皆に怖がられ、嫌われた。
気持ち悪い、怖い、化け物だ、自分も呪われる。そんな心ない言葉を親からも、知らない子供からも向けられ、冷たい目で見られていた僕は、ある日の茶会でその場から逃げ出してしまった。
何で、どうして、生まれてきただけなのに、僕もちゃんと頑張っているのに。化け物なんかじゃない、呪われてなんかいない。ただ、左右で瞳の色が違うだけだ。
誰も分かってくれない。僕はひとりぼっちだ。このまま一生皆に怖がられて一人きりで望まれぬ人生を終えるんだ。
そうして逃げ出した先で迷い込んだ庭園で、この世の全てから身を隠すようにひっそりと泣いていた僕に――突然、奇跡が起こった。
『どうしたの? 何で泣いているの?』
鈴を転がすような声がした。僕は顔を上げて、すぐに後悔した。せっかく声をかけてくれたのに、この瞳を見たら、気味悪がって逃げてしまうに違いない、と。
けれど、そんなことはなかった。
『綺麗ね、あなたの瞳』
『……え?』
目の前の女の子は、顔を輝かせてそう言った。
びっくりした。この瞳を見て怖がらなかった人は今までいなかったから。
『……そんなこと、ないよ。ぼくの瞳は呪われた瞳なんだ。災いをもたらすんだって』
『そうなの? ううん、でも……私は綺麗だと思うわ。右目がダイアモンドで、左目がサファイアね!』
時間が止まったように思えた。
気付けば目の前の女の子がおろおろしていた。どうしたの、と聞こうとしたが、嗚咽で言葉が発せなくて初めて気付いた。ああ、僕、泣いてるんだ。
『だ、大丈夫? どこが痛いの?』
『ち、違うんだ、ぼく……ぼくの目を見て怖がらなかったの、きみだけだったから……うれしくて……』
『そんな、大げさね。私はあなたの瞳が好きよ。綺麗でとってもかっこいいじゃない。こう……くっ、俺の右目が疼く……! ってやっても許されそうな感じ』
『なに、それ』
そう言って笑おうとしたけど、さらに涙が溢れた。
その女の子はおろおろしながらもハンカチを手渡してくれて、それが嬉しくてさらに、僕は声を上げて泣いてしまった。
それが、生まれて初めて受けた優しさだったから。
彼女の榛色のゆるく巻かれた髪が太陽の光を受けて輝いているのも、アメジスト色の透明な瞳もとても綺麗で――僕は、すぐに恋に落ちた。
地上に舞い降りた天使だと思った。
だけど、奇跡はまだ終わらなかった。
『こん……やく?』
『そう、私ね、王子様とさせられそうで、でも絶対嫌なの。それより私、あなたみたいな人と婚約したいなぁって』
『ぼく……と……?』
『……変なこと言っちゃってごめんなさいね、いきなり出会ったばかりの私に言われても困るわよね』
彼女は苦笑したが、僕はその瞬間、直感のように思った。――この機会を逃したら、一生後悔する。
『ううん、ぼく、きみと結婚したい! きみに、およめさんになってほしい!』
『……え? あなたそれ本気?』
『うん! 本気! ほら、きみのお母さまとぼくのお母さまに言いにいかなきゃ!』
『え、ええぇっ?』
そのまま僕は彼女の手を引いて、彼女に僕との婚約を宣言してもらった。今までの不幸がその日一気に清算されて、それどころかたんまりお釣りが返ってきたようだった。
こうして僕は、世界一美人で優しい最高の婚約者を手に入れたのだった。
◆
「……ねぇ、ふざけてんの? 僕さ、今日までに覚えてこいって言ったよね?」
「ひ、ひぃッ、ごめんなさいっ!」
目の前の女の子は真っ青な顔でガタガタと震える。本当にうざったい。リリアのためじゃなきゃこんなこと、絶対にしないのに。
「はぁ……本当に能無し。お前さ、家族が大事じゃない訳?」
「ご、ごめんなさい、今すぐちゃんと覚えますからっ、家族だけは!」
「うるっさいなぁ。ぎゃあぎゃあ言ってないでさっさと覚えろ」
「はっはいッ!」
女の子は半泣きになりながら、慌てて手元の紙に目を落とした。
「あんたは……まあ、まだマシかな。でもさ、もっと感情込められないの? そんな棒読みじゃ興醒めなんだけど」
「……こんなことをして、何の意味があるんですか」
「はぁ? そんなのあんたに関係ある? 黙って僕の言うこと聞いてりゃいいんだよこの屑が」
もう一人の男は同じく真っ青な顔で、それでもささやかな異議を唱える。
本当にうざったい。リリアのためじゃなきゃこんな屑、もうとっくに消しているのに。
リリア以外の女は全員まとめて屑だ。僕以外の男もいらない。みんな消えて、僕とリリアだけの世界になってしまえばいいのに。
リリアが言う乙女げーむもきゃらもいべんともふらぐも、僕にはよく分からない。
だけどリリアが喜ぶから、リリアが教えてくれた通りに目の前の主人公とやらと先生を動かさなきゃいけない。その通りに動く二人を見るだけで、リリアは嬉しそうに笑ってくれるから。
この二人を動かすなんて簡単だ。だって二人とも、庶民だから。
貴族子女が消えたとなれば大騒ぎになるだろうが、庶民の一人や二人消えたところで何の問題にもならない。少なくとも、上手くやれば僕が咎められることはないのだから。
だから、二人の家族の安全をチラつかせてお願いすれば、見事に言うことを聞いてくれる。
――全てはリリアの笑顔のため。
リリアはどうしてか自分が庶民になってしまうことを恐れているけれど、そんなこと、心配しなくていいんだよ。
もし君が不幸になろうものなら、僕が関わった人間を全て消す。それで、リリアと共に知っている人が誰もいないところへ逃げよう。
いべんとの実行は明日だ。きっと、リリアはとても喜んでくれる。
それから、僕は約束したから。どうしてか僕が目の前の屑を好きになるかもしれないと思っているリリアに、「もしこの二人が本当に付き合い始めたら、僕と結婚してね」と。
僕はリリアのために、色々なことを頑張ってきた。
しばらくして、リリアは甘い言葉をたくさんくれる、物腰柔らかで笑顔の似合う、優しい男が好きなんだと気づいた。
リリアの話してくれた「先生」というきゃらも、そんな感じだったから。
だからその先生なんかに負けないように、僕はリリアの好みに近づこうと頑張った。
苦手だった笑顔は必死に特訓して、きつい言葉を吐かないように日々気を遣って、リリアの好む言葉を探って、リリアの好む行動を研究して。
今の僕はきっと、この先生に負けないくらい、リリアにとって魅力的な男になっている。そうじゃないと困る。
世界で一番愛おしいリリアが他の男になびくのを想像しただけで、発狂しそうになるのだから。
この最悪な世界でただ一人、僕自身ですらも認められなかった呪われた瞳を綺麗だと笑ってくれたリリア。
この呪われた瞳を「サファイアとダイアモンド」だとたとえてくれたリリア。
どれだけ成長しても変わらず美しくて慈愛に満ち溢れていて、時々無邪気で、この世の誰よりも優しい女神。
その榛色の艶のある髪もアメジストのように輝く瞳も上向きの長い睫毛も涼やかに通った鼻筋も桜色の唇も形のいい顎も小さくふっくらとした手も陶器のように滑らかで白い肌もすらりと細く長い足も均整の取れた身体つきも全て全て愛しているもちろん好きなのは容姿だけではなくて困っている人がいればすぐに手を差し伸べてしまうところだとか差別を好まないところだとかそういう心優しいところも大好きだ僕は君のそういうところに最初惹かれたんだからそれからたとえば福音のように響く心地の良い声も控えめで可愛らしい雑貨の好みも案外甘いものが苦手なのも好きだ君の声を聞くだけで僕の胸は幸福に満ち溢れるそうそう君は青い空や空にかかる虹が好きだって言っていたっけそういうロマンチストなところもそう言うと恥ずかしがる君もとても可愛い君は些細なことですぐ恥ずかしがるよねそういうところはとても愛らしいけれどそこを他の悪い男に付け込まれたらと思うとぞっとする君は何があっても他の男に渡さない本当は他の人間の目に晒すことそのものが嫌なんだよ君が穢らわしい屑どもの視線に晒されて穢されてしまわないか心配なんだ君のことを一番幸せにできるのは僕だだって僕は君のことを世界中で一番愛しているんだから君のためなら世界を敵に回しても構わないって言うと君は苦笑するけれど僕は本気なんだよそもそもこの世に僕と君以外はいらないと思っているのだからだけどねその代わり君は僕だけのものだだって僕は君がいないと生きていけないのだから君だってすぐに僕なしじゃ生きられないようにしてあげるからね手始めに学園に色々噂を流して君に近付く屑どもを全員追い払っておいたよ君は心優しいからそんな屑どもを思って嘆くけど心配いらないよ僕さえいればいいよね僕さえいれば幸せだよね僕さえいれば生きていけるよね僕が君の望みを全て叶えてあげるからそうして学園を卒業して正式に結婚したら君が屋敷から出なくても済むように色々整えてあげるよ君は僕のことだけ見ていればいいからね社交界だなんてところへ行く必要はないんだだってそんなところへ行ったらどこぞの屑が君に惚れてしまうかもしれない貴族っていうのは始末が面倒だからねできればそんな苦労はしたくないんだもちろん君のためならどんな苦労も厭わないけれどそうして二人だけで一生幸せに暮らそう夢みたいだねもうすぐその日々は近いよああリリア世界で一番愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる――。
ポケットに入れた、リリアに渡す予定のバレッタを僕は一撫でした。
これは僕がオーダーメイドでリリアのために作ったものだ。それはかすみ草とアイビーを象ったもの。
かすみ草の花言葉は『清らかな心』や『無邪気』『親切』『幸福』。女神のように美しくて清らかな君にぴったりだ。
それからアイビーの花言葉は『永遠の愛』や『不滅』『誠実』『結婚』。だけどね、それだけじゃないんだ。
アイビーにはもう一つ、大事な花言葉がある。それは――
――『死んでも離れない』。