記憶の片隅で嘆く
「ねえ、聞いてる?」
その声を聞いて一番に思ったのは『懐かしい』だった。実際にはそんなに間は開いていない筈なのに。もう聞く事がないと思っていたからだろうか。
声のした方には大学のクラスメイトの一人が立っていた。お気に入りらしい見慣れたカラフルな帽子を被った彼女は、しゃがむようにして私を覗き込んでくる。
「えっと、」
「もう!やっぱりまた聞いてなかったでしょ!さっきの映画怖かったねって言ったの。夜ってば、ぼうっとし過ぎ!」
ねえ、そう思うよね!と彼女は他にもいるクラスメイト達に声を掛けた。他のクラスメイト達も、「ほんと」「なに、気分でも悪いの?」「映画のせい?」と会話をしていく。
映画、怖い、このメンバー…思い出した。
去年の夏、テレビで頻繁にやっていたホラー映画の予告編。それを見たクラスメイトに誘われて、映画観へ数人で行く事になった日だ。交じり合う会話から帰り道だと分かる。
「…ごめんって。あんなにグロいとは思わなかったから、」
断片的に残る記憶を頼りに話を合わせた。
確かあの時も、こんな返事を返した気がするが。
周りが「確かにグロかった」「音がリアルで」と盛り上がる中、『これ』は、なに?と脳を働かせる。どうして私は『過去』をもう一度体験しているのか。
「ていうか、香織でしょ。上映中に悲鳴上げたの」
「うそやだ、香織だったの?恥ずかしい人だなーって思っちゃったよ」
「だってあんなとこから急に出てくるなんて思わないじゃん!!めっちゃ怖かったじゃん!!」
「えー、フラグ立ってたって」
あはは、と香織を除いた数人が笑い声を上げた。
香織は「笑わないでよお」と怒る。繕うようにいつの間にか、いつも通りに私も笑っていた。
違う
「あーもう酷い!そんなに笑わなくたっていーじゃんかあ!」
「香織のせいだって!もうやめてよ、腹筋が…!」
ばしばしと笑う私達を叩く香織に、沙耶や里奈が仕返しだと叩き返す。私達のじゃれあいを通りすがりの人達が、微笑ましそうに見たり、邪魔そうに追い越したりとそれぞれの反応をして。
「夜も!私だけじゃなくて皆怖かったって言うくせに、酷いよ!もう!」
「痛いよっ。悲鳴を上げたのは香織だけでしょ!」
皆と同じように私も軽く叩き返した。
あの時と同じだ。私も輪の中で笑っている。
違う
笑いながら逃げる為に走り出した私。沙耶や里奈、他の皆も走り出して、その後から香織が追ってくる。まるで、青春漫画みたいな事を素で行う私達。皆が皆、それは楽しそうに笑っていた。
──少なくとも、周りからはそう見えた筈だ。
若い私達の、なんて事のない日々の一部だと。
(………やめて、)
あはははは!と女子特有の高い声が響く。
中にはもちろん私の声だって交じっている。望月夜という名の何処にでもいそうな女が、何処にでもいそうな集団の中で笑っている。
(……やめて…っ)
違う
違う違う
違う違う違う
違う違う違う違う
違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う────!!!!
『私』は笑ってなどいなかった。
だって楽しいと感じられなかった。
彼女達が笑うから。
笑う事が当たり前だと『常識』が言っているから。
体と心が別物のよう。
勝手に笑う私の顔と、それを客観的に見る私。
いや実際に見れた訳じゃないけれど、でも確かに何処か冷めた私が笑う私を冷たく見ている。
胸の内が、──で支配されていく。
もう二度と、感じる事もないだろうと、そう思った感情。感じたくないと幾度として繰り返した願い。
『これ』から逃れる為に、私は全てをあの日に棄てた。
(──やめてっ!!!)
思い出したくない。感じたくない。
なんで笑う?どうして笑える?
なんでどうして
どうして?どうして?どうして?どうして!どうして!?
私が可笑しいの?私だけが変なの?
棄てた筈の『これ』が私を絡めとる。逃がさないと私を覆う。逃げられると思ったのかと私に問う。
それなのに私は大声を上げて笑っている。
感情を置き去りにして『私』は────
──ブツリ、と線が切れたように景色が一変した。
見えるのは建物の隙間から見える真っ暗の空だ。
はあはあと荒々しく息を乱して、胸元の服を鷲掴む。今更震える息が、身体が、滑稽で、馬鹿げていて、憐れで、お似合いで。
止まらない息切れ。消えた筈のさっきまでの光景が、残像となって繰り返されるせいなのか。
虚像に躍らされる私に視えるのはやっぱり笑顔に囲まれて笑う私だった。
「─────ッ!!」
上半身だけ起こして頭を抱える。
声でも出せれば、悲鳴でも上がれば、本音を言えれば、涙でも流せれば、消費されてくれたかもしれない感情の淀みが、形に成る前にただ胸の奥へ押し込められる。
貯まって積もり積もって、私を狂わせていく。
「───────────ッ!!!!」
苦しい
くるしい
クルシイ
息ができない
息苦しさを誤魔化す為、頭を抱えていた両の手で頭皮に爪を立てた。ガリッと傷つけた音が聞こえるが、構っている余裕は無い。それくらい精神が蝕まれていた。
「──ぅ…っぁ────…ッ!」
音にならなかった声が、空気を震わせた。
.