罰とは何か
レンガ造りの家に入ってみると、そこには本当に何もなかった。
一階には暖炉付きの大きな部屋、キッチンスペースらしきもの、洗面所付きの風呂場がそれぞれ一つずつ。
二階には一階より小さな個室が二つと、収納スペースが一つ。
トイレはどちらにも見当たらなかった。
思った通り一人で使うには充分過ぎる広さだが、備え付け以外はカーテン一つない空間。あまりにも殺風景で、流石に『此処に慣れてから集めよう』という後回しの気分にはならなかった。
彼──ティーセが言うには、時間帯もなければお金も必要ないようだし、今から街を彷徨いてみようか。
せめてカーテンと着替え、可能なら寝具や机など最低限は欲しい所だ。
もとより何も持たない身、とやはり何も手に持たずに。ふらりと家から出て、足の赴く通りに歩き出した。
***
ぼんやりとあちこちに灯る光。蝋燭の火のような暖かさを持つそれは、見ているだけで落ち着きと安らぎをもたらす。目を奪われるまま足を動かし、雑踏の中を進んだ。
カラフルな髪や屋根が視界を彩る。
人ではない生き物も少なくはないようで、猫のように丸くなる影や、宙に浮く羽に不思議な気分になった。
それだけではない。人の服装も個性豊かなのだ。私のような洋服から和服、民族衣装のようなものや時代錯誤なものまである。
条件さえ満たしていれば、と彼は言ったが、それは世界や時代も関係ないらしい。隣を通り過ぎていく人達を、何とも言えない気持ちで眺めていく。
「何かお探し?」
唐突に掛けられた声は、心地よい鈴の音を思わせた。声元を探してみると、私より小柄の女性が笑い掛けてくる。光に反射する編み込まれた白髪と宝石のような薄氷色の猫目が、とても美しいと思った。
「えっと…、」
「来たばかりなのでしょう。ちょっとした物なら用意できますわ。いかがかしら?」
少し眉を下げながら聞く彼女は、どこか申し訳なさそうに見える。その表情がどうしても気になって「…それでは、お言葉に甘えて」と肯定を伝えた。何か、理由があるのかもしれない。
案内された白い屋根の小さなお店は、ショーウィンドウ越しに店内が少し覗けるようになっていた。外から見えるのはマネキンに着せられた、彼女の瞳のようなワンピース。キラキラと上品に反射する光は、生地の上質さを物語るよう。掲げられた看板の文字は読めないが、裁縫道具の絵が描かれている事から手作りだろうと思わせた。
「、」
店内に入ると、予想を裏切って素材屋さんだった。ショーウィンドウを見て服屋さんだと思っていたから驚く。
布やレースがそのまま置かれたブースを主に、服や小物、…カーテンやシーツなんかも取り扱っているようだった。
「此処の物は、全て手作りですか?」
置かれた小物を一つ手に取り問う。細かい刺繍が施されたポーチは元の世界で幾らの値がつくだろう。所謂、アンティークに分類されるそれに、そっと感嘆の溜め息が溢れた。
「ええ、そう。趣味の産物なのだけれど。気にいった物があれば、好きなのを持っていってくださいな。時間を貰えるのでしたら、希望の物を作る事もできますわ」
掛けられた生地を撫でる仕草に、本当に作るのが好きなんだろうな、と思う。それでも時折見せる表情がやっぱり申し訳なさげで、どうしてだろうと不思議だった。
新しく作ってもらうのはまたの機会にしてもらって、店内にある商品を見て回る。ワンピースを二着、ブラウスを三着、ネグリジェを一着。それからカーテンやシーツ、タオルやブランケットなんかも纏めて包んでもらった。下着類は置いてなかったが、裏手に専門の店があるらしく紹介をしてくれて。思ったより早く集まった、最低限の必要品に安堵を覚えた。
荷物を置く為に一旦家に帰ってくる頃には、素材屋の彼女──シア=アクマンリアとはそれなりに親しくなった。「荷物、此所で良かったかしら」と壁際の床に置いてくれた彼女に「助かりました」と笑い掛ける。「気にしないでくださいな」と目を細めた笑みが、とても彼女に似合っていた。
「本当に何にもないのですね」
来たばかりの頃を思い出しますわ、と見渡す様子は幼い。そして、だんだんと光を失っていく瞳が、きっとシアの心の闇なんだろうと感じとった。
…当たり前の事だが、彼女もこの街に居るという事は『条件を満たした者』という事なのだ。何度も見た申し訳なさげな顔も、それと関係があるのだろう。
「…この街のこと、どこまで話を聞きましたの?」
ああ、また、彼女は申し訳なさそうな顔をした。
何が彼女を苦しめているのだろうか。
この表情を見る度に疑問に駆られるが、それを聞くと私の事も話さなければならない気がする。
………つまらない、話だ。
とても人に話せる内容ではない。
それこそ、この街に来てしまうような過去を持つ相手には。
理解してもらえないだろうし、不快な思いをさせてしまう。
「どこまで、ですか」
彼女自身、自分の表情には気づいてないようだし、…知らないフリをする事した。
全てを一旦置いておき、聞かれた内容について考えてみる。簡単に彼女は言うが、『どこまで』と聞かれると難しい。だってこの街の『始まり』から『終わり』を私は知らないのだから。
何が『始まり』か、何が『終わり』か。
それを判断する手段を持たない私には、教えられた情報がどの程度なのかわからない。
それならばティーセから言われた事を、そのまま一つずつ話してみようか。私に彼女が聞きたい事が何なのかはわからないが、とりあえず言っていけばどれかが当て嵌まるかもしれない。
そんな考え込む私に、シアは「ごめんなさい。わかりづらい言い方でしたわね」と近付きながら謝った。
「聞き方を、変えますわ。罪の償い方は聞きまして…?」
「償い方、?」
記憶を遡り、ティーセが言っていた事を一つ一つしっかりと思い出す。
この街は、自ら命を絶った者が集まる街。
そして私達住人は輪廻転生の輪から外され、この街に落とされた者達だった筈だ。私達はこの不可思議な街で罪を償わなければならない。
その『償い方』。
ティーセはその方法を、説明していただろうか。
遡る、駆け巡る、あの時のこと。
皮肉にも似た笑みを浮かべるティーセが、唇を、ゆっくりと、うごかして、
───死を望んだ者よ、命に触れ、生で償え。
いたい、痛い、…頭が割れそうだ。
あのこびりつくような言葉が脳を揺さぶる。
髪を掻き毟ってでもして忘れてしまいたい程の痛みが、私を襲ってくる。
「──…せい、で、つぐなう、」
…ああ、それは、なによりもつらい、わたしへの──ばつだ。
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