表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死人の償い  作者:
2/6

名の無い街




「おはよう。目は覚めたかい?」



茶色の髪が揺れる。此方を見つめてくる瞳にぼんやりとした私の顔が映っていた。


意識がはっきりしないのか、現状の把握ができずに右手で頭を押さえる。頭が痛いような胃が気持ち悪いような、よくわからない不快感に眉を潜めて。とりあえずこの目の前にいる男の人は誰だろうかと記憶を辿った。…しかし、わからない、という結論しか出てこない。



「ああ、一応言っておくけど初対面だよ。俺が君を起こしたのは、今回の案内役が俺だったからさ」



とりあえず起きられる?と手を差し出してくる彼に、疑問符が飛び交う。初対面なのは、まあいいとして、どうしてこんな場所で私は眠っていたのだろうか。

手を借りながら上半身を起こすと、此処が野外である事がわかる。知らない人間が居る所で寝るほど平和ボケてなんかいないし、ましてや外だなんて考えられない。

そして、彼の言う『案内役』とはどういう事だろう。



「まあ、混乱するよね。でも騒ぎ出さないだけ君はマシかな。どうやら俺は運が良いみたいだ」



よいしょ、と強く引かれて強引に立たされる。

物腰柔らかい雰囲気を出しているのに、行動が伴っていない人だなと思った。「、わ」とおぼつかない足元に、腰に腕をまわして支えられる。「ちゃんと立って」と言われるが、急な展開に驚かない方がおかしい。少し恨めしげな視線を相手に送る。


そんな私をものともせず、彼は私の左手首を取って歩き出した。「此所はあんまり長居したくないんだ」なんて、意味のわからない言葉を吐きながら。





***





細いみちを抜け、大通りに出た所で手を離された。

歩いた路は夜のせいで薄暗く不気味だったが、大通りでは至る所に明かりが灯り穏やかささえ感じる。ほっとするような優しい明かりに、自然と視線が奪われた。此処が何処かはわからないけど、とても落ち着いた気分になる。



「やっぱり俺、運が良いみたいだな」


「え?」



声に我に返って男性の顔を見ると、彼も私へ視線を向けていた。ただ、向けられる表情は笑っているのか真顔なのかよくわからないものだ。「こっちだ。着いておいで」という声は優しいのに、マニュアルを読んでいるような作り物めいた内容だと思ってしまう。

歩き出した相手に続くように、私は足を動かした。


先程から男性の言う『運が良い』の意味は結局教えてもらえなかったが、街並みを見ながら気づいた疑問を投げれば丁寧に返してくれる。

例えば『髪色があからさまに地毛っぽくない人が多い…』と呟けば、『あれは地毛だよ』と返してくれて。『人とも動物とも言えない容姿の生き物は…?』と聞けば、『君が今見てるのは鬼。そこから離れた右側の赤い屋根の下に居るのが妖精。更に奥に居るのが魔物』と聞いた以上に答えてくれた。



「此所はある条件さえ満たした者なら、どんなものでも集まる場所だから」



淡々とした、それでもはっきり告げられた言葉に彼を見た。「もちろん君も」と続けられる声に私は聞き返す。「条件って…?」その疑問はきっと誰しもが持つものだろう。彼も聞かれるのが当たり前だという態度で口にする。




「 “ 自ら命を断ったこと ” 」




瞬間、忘れていた記憶が脳裏を過っていく。

謝罪をつづった手紙。片付けられた部屋。真新しい薬瓶。飲み慣れない味。散らかったアルミ缶。砕かれた、大量の──


そうだ、私、眠ったんじゃない。…私、



「まあ、俺もなんだけど」



思考に全てが持っていかれそうになった時、ただ、告げられた一言に意識が戻った。

やはり彼は笑っているのか、真顔なのかよくわからない顔をしている。曲がり角に差し掛かり「こっちね」という言葉を掛けられると、つい先程までの会話が全くの嘘であるかのように感じた。それほど何でもなさげに言ってしまうから。


つまり此所は『自ら命を断った者が集まる街』ということだ。 彼曰く、街といっても国ほどの広さがあり、名前は特にないらしい。

『名の無い街』『忘却の涯』『死者の国』と、それぞれが好きなように呼ぶ事はあるようだが。


歩きながら意味もなく自身の掌を見つめ、閉じたり開いたりを繰り返す。しっかりと動くし感覚もはっきりしているのに、この身が死んでいるという事が実感できなかった。



「はい、着いた。此処が君の住む場所ね」



足の止まった先にある家は、レンガで出来た小さめの一軒家。小さめと言っても二階建てであるようだし、一人で住むには充分すぎる程立派なものだ。


当たり前だが私は何も持っていなかった。来たばかりである為、職もなく、家賃など払える訳がない。

そんな不安を口にする前に「そうだ、この街にお金って概念ないから」と、今まさに悩んでいた内容を言われた。


街中にある店も全て無料で使用でき、欲しい物も全て無料で手に入る。出来すぎた内容に、これは夢なのかと疑った。しかし、どうやら店を出しているのは趣味や娯楽でしかないようで。開いている時間の長さとか、中身とかコロコロと変化するようだった。



「その内わかると思うけど、俺達に睡魔とか空腹とか、そういった感覚はない。寝たければ寝れるし、食事もできるけど、しなくても支障が出る事はないんだ」



だからお金を払うって概念がないんだよ、とわかるようなわからないような説明をされて。「はあ、」と気のない返事しか返せなかった。「家の中は何にもないから、必要な物は好きなように集めればいい」と言われても、有り難いがどうすればいいのか直ぐにはわからない。


言葉の切れ目に暗い空を見上げ、明るくなったら寝具とか着替えくらいは探しに行かなければ、と考える。運んでくれるかどうかはわからないが、趣味で店を出しているのだ。サービス精神は高いと見てもいいのではないだろうか。

視線を戻し「朝にでも街を彷徨うろついてみます」と伝えれば「そっか、それも言ってなかったね」と返される。今度は何だというのだろう。



「此処には時間という概念もないよ」



どうやらこの街に慣れるまで、かなりの時間が掛かりそうだと溜め息を吐いた。うながされるままもう一度空を仰ぎ、見渡す。真っ暗で何にもない空は物寂しい。雲すらないのはどうしてかと疑問に思うけど、それを問う前に彼の口が開く。



「空を見てもらえばわかるように、月や星がないだろう?言ってしまえば太陽もないんだ。空はずっとこの暗さで、時計もないこの街には目に見える変化が訪れない」



朝、昼、夕、夜。時間帯自体が存在しない街。

だとしたら大通りが人で溢れていたのも頷けた。個々の気分で動いているのだから、人によっては今が朝に相当するのかもしれないのだ。


そして、もしかしたら、天気という概念もないのではないだろうかと思い至った。雨や雪が降らないのなら、雲が一つもないのだっておかしくない。



なんてデタラメな街だろう。



そんな所の住人に、私もなってしまったのだ。

それ自体が嫌だとは思わない。だが、いとうものはある。唯一にして最大の嫌悪。それは命を断った理由であり、現状の事でもあった。



「………ね、な…の?」


「なに?聞こえなかった」



呆然、と。予想すらしなかった事態に全感覚が鈍くなる。

私は今、きちんと真っ直ぐ立てているのだろうか。



「…………、ここ、からは、でられないのですか…?」


「街の外に出たいのかい?」



ふるふると左右に首を降る。

『外』に出たい訳ではない。それとは少し意味が変わってくる。

ただ、私は、もう、



「生きたく、ない、」



それだけ、だったのに。


その為に全てを棄てたのに。…『生』から逃げ出した先で、どうしてまだこんな所で、生きなくてはならないのか。


初対面の相手へ言うつもりがなかった答えに、彼は初めてきょとん、とした。

それは今までで一番素の表情。そして皮肉にも似た笑みを浮かべると言うのだ。脳にこびりついて離れなくなる程の、言葉を。




「──死を望んだ者よ、命に触れ、生で償え。




…これは案内役を任された者が、必ず新参者に伝えなければならない一節だ」



『死を望んだ者』、それは、私達、この街にいる者の真実だ。

理由はそれぞれ何千通り、何万通りもあるだろう。それでも、それだけは変わらない。



「自殺者は輪廻転生の輪から外され、この街に落とされる。

そして元の流れへ戻るには、この街で罪を償わなければならない。

……君が望む、魂の消滅の仕方までは分からないけれど。俺には関係のない事だ」



どろり、と言いようのない感情が胸の内で漂う。

けれどそれは明確な形に成れず、早々に胸の奥へと追いやられて。言葉にすらできないまま、一抹の燻りを残し消えていく。


彼の言った事が本当ならば、此処はデタラメで何でも有りな所だけど、優しい場所ではないらしい。…自らの命を断った罪を、償う為に存在する街。


何故、と問いたかった。心底、理不尽だと思う。けれど、理不尽(それ)はこの街に限った事ではないのだ。いつだって、世界は思う通りに動いてくれなかった。そういうものなのだと、燻った感情を諦めという感情で押し潰す。

──自分を誤魔化すのは、慣れたものだ。



「君がこの街に慣れるまでは、俺が君の案内役でありパートナーだ。隣に住んでいるから何かあれば来るといい」



言いたかった事は全て言ったのだろう。体の向きを変え、去っていく背中。

役割であろうと色々な説明をしてくれたのだ。形だけでも、と離れていく彼にお礼を掛ける。すると急に立ち止まり、彼は振り返った。



「ティーセだ。好きなように呼んでくれて構わない。

──君は…面倒そうじゃなくていいな、望月夜モチヅキヨル



名を知られていた事実に驚いて目を見張る。そんな私を楽しそうに見つめ、今度こそ彼は去っていった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ