第21話 「梅雨の晴れ間に(文村春菜の視点から)」
冬湖に見送られて、私は玄関の扉を開けた。久しぶりの晴れの日。まぶしい日差し。私の胸は高鳴って、気持ちがふわふわしてる。会えるんだって、そう思うと。
私は今、遠距離恋愛をしている。
彼とは小学校、中学校、高校とずっと同級生だった。そして私たちが高校二年生のとき、彼は私に告白してくれた。学校の屋上でのことだった。そのとき、「中学一年のころから、ずっと好きだった」と聞かされた。私は、彼のことを明るくて面白いひとだなぁって思っていた。そんな彼が、私をそんなふうに見ていたことにとても驚いた。一度「遠山君が私のことを…」といううわさを聞かされたことがあったけれど、どこか他の人の話のように聞いていた。
生まれてはじめての告白に、私は戸惑った。彼氏と彼女とか、恋人同士とか、好きという感情とか、私にはまだよく分からなかった。誰かと、家族でもない友達でもない関係になる、そのことをとても不安に感じた。
でも、私の友達はそんなふうには考えなかった。気負わなくていい、気楽に付き合ってみればいい、遠山君はそんな悪い奴じゃない、そんなことを言って私を説得しようとした。付き合うっていうのは、放課後二人で帰ったり、休日に二人でお出かけしたり、ほんの少しだけ特別なことをして相手のことをよく知ろうとすることだから、と。
長い付き合いだから、彼女たちが私の色恋沙汰を楽しもうとしているのは、すぐに分かった。それでも、彼の「中学一年のころから、ずっと好きだった」という言葉に背中を押されるようにして、私は彼とお付き合いをしてみようと思った。
次の日、放課後の教室で、私は彼に自分の返事を伝えた。彼はとてもびっくりしていた。
「えっ……ほ、ほんとに?」
その声が少し震えていた。私が頷くと彼はそわそわして挙動不審になった。しばらくしてようやく立ち直って、つぶやくように言った。
「そ、それじゃ、一緒に帰ろっか」
そのときの彼のはにかんだ笑顔を私は忘れないと思う。なんて優しく笑うんだろう? 私の顔もきっと真っ赤だったと思う。
その日は自転車で少し遠回りをして帰った。途中、公園に寄ってベンチに座って二人でお話をした。私は彼のことをそのときまで同級生の一人としてしか知らなかった。けれど彼は、彼の目から見た私のことをたくさん教えてくれた……。
こうして私たちは付き合うようになった。日常という時間の流れの中に、彼と二人で過ごす時間が出来るようになった。
彼はとてもやさしい人だった。いつも私のことを気遣ってくれた。彼には子どもっぽいところもあった。彼はいつでも一生懸命だった。そして彼は少しずつ、私の中で特別な存在になっていった。
でも、彼のことを家族になんて説明すればいいのか分からなかった。お父さんはたぶん、分かってくれると思う。でも、妹は分かってくれないかもしれない。私の家には、お母さんがいなかった。私が小学校六年生、妹が小学校二年生のときに、事故に遭って帰らぬ人になってしまった。それ以来、妹は私をお母さん代わりにして育った。妹は私のことが好きだと思う。でも、妹のその感情は家族に対するものと少し違っているような気がした。
妹は私のことなら何でも知りたがった。私の日記やメールを見ることもたびたびあった。友達との会話を立ち聞きすることも。私はそんな妹を叱ったことがない。妹にとって私に拒絶されることはとても重い意味を持っていて、だから私は妹の全てを受け入れていた。
隠し事は長く続かなかった。妹はすぐに私と遠山君とのことに気付いた。
でも、私が予想していたような、泣いたり私に執着するような様子は見せなかった。
「あの人、お姉ちゃんの彼氏なの?」
そう聞いて、私がそれを肯定すると、「そうなんだ」と言ってそれっきり。
少し拍子抜けしたけれど、それ以上に妹が大人になったことがうれしかったのを覚えている。
三年生になって、進路の話が出たとき、彼は私に「一緒の大学に行こう」と言ってくれた。彼の第一志望は隣の県の大きな街にある大学だった。彼の思い描く大学生活の話を聞いているうちに、私も彼と同じ大学に行きたいと思うようになった。
お父さんにその話をしたとき、お父さんは喜んでくれた。そこがお父さんの母校だということもあるかもしれない。
妹は、私に彼氏がいると聞いたときと同じ調子で「うん、わかった」と言って、それっきり何も言わなかったし、何も聞いてこなかった。
そのころには、彼と二人でいて「ただ楽しい」という感じではなくなっていた。二人でいると、なんとなく落ち着いて、何も話さなくてもぜんぜん気詰まりじゃなくて、ただ穏やかに時間が流れていくのを感じた。二人でいるということが、私たちにとって自然なものになっていた。彼の語る大学生活、私もそうなったらいいと思っていた。
妹に私の進路の話をしてから一月後の中間考査、妹の成績は目に見えて落ちていた。家でもぼんやりすることが多くなって、夜は私の部屋で過ごすようになった。なにかあったのか聞いてみても、「なんにもないよ」というだけ。そうして、私の部屋のベッドに寝転がってマンガを読んだりしている。
妹のことは何でも知っていたから、妹がわざとやってるわけじゃないって分かってた。くちでうまく言えないから、熱を出したりぼんやりしたり。妹はいつも体で自分を伝えようとした。妹はまだ子どもだった。
お父さんは仕事が忙しくて、平日はほとんど家にいなかった。たまの休みには、リビングのテレビの前に座って缶ビールを傾けている。私がいなくなったら、誰がお父さんの体調を気にかけるんだろう? 誰がお父さんのスーツをクリーニングに出すんだろう?
私のいなくなったこの家はどうなるんだろう?
静まり返った家の中、私の部屋のベッドで眠る妹の姿がまぶたに浮かんで、その痛々しさに胸が締め付けられるようだった。そこでは、私という接点を失ったお父さんと妹がバラバラに生きていた。
私はまだ、この家でしないといけないことを全てしていない。そう思って私は……。
彼は私の話を最後まで黙って聞いてくれた。聞き終わると私の涙をぬぐって、鼻をかませてくれた。そしてにっこり笑って「気にすんな」って言ってくれた。そうして私の肩を抱いて、私に寄り添っていてくれた。
その後、彼は無事、志望校に合格した。私は地元の大学に進学することになった。遠距離恋愛になってしまうのは心配だったけれど、彼は、
「だいじょうぶ! 俺たちなら、だいじょうぶ!!」
自信満々にそう言い切って、私の手をきつく握った。
今日は彼が帰省する日。
前に彼が春休みに帰省した日から四ヶ月が経っていた。
いつものようにおしゃれをして、駅へ向かう。駅の構内、ゆきかう人たちの中に彼を見つけて、胸がドキッとする。
小さなスーツケースを引っ張りながら、きょろきょろと辺りを見回している彼。私のことを見つけて、ぱっと笑って片手を挙げる。
「春菜!!」
その笑顔と私を呼ぶ声が、私の胸を軽く弾ませる。再会したとき、いつも少しだけまぶしそうに私を見る彼。その笑顔はいつも私に、告白の返事をした日のことを思い出させてくれる。他愛のないことを話しながら、彼のシャツを意味もなくつまんでみる。よく見ると髪の毛が少しぱさぱさしてる気がするし、お肌もなんとなくざらざらしてる気がした。着ている服もだいぶ水をくぐっていて、襟元が少しよれている。
(そばにいてあげたいなぁ……)
そんなことを思う。
「それじゃ、行こうぜ!」
能天気な彼は、私がそんなことを考えてるのにもお構いなく、私の手をとって歩き出す。久しぶりの感触がくすぐったい。好きだなぁ、って思う。私、この人のこと好きだなぁ、って思う。駅の構内から出ると日の光がまぶしくて、空の色は今の私の気持ちにぴったりだった。
次回から『小さな夏の迷路』編です。
三年以内には、なんとかします……(希望的観測)
〇令和8年1月30日追記
なんともなりませんでしたね~(無責任)
令和8年8月8日にまとめて更新します~(今度こそ感)




