第20話 「誰かが誰かを」6
▼ 高原莉香子
金曜日の夜。なんかつまんない。耳に残る心を削る声。家に帰りたくない。一人で街を歩く。この前の土曜日、しらゆきと歩いた街。灰色の雲が濁らせた夜空の底。道路を行き交う車の振動。かすかににおう排気ガスの立ち込めた街。その中を、あの時の痕跡を探して歩くロマンチストな私。いまごろ、しらゆきはテスト勉強。いつもこの時期は大真面目に勉強して、それでいつも赤点スレスレ。そんなしらゆきが、本当にカワイイ。
でも定期試験って。そんなもの、どうでもいい。テキトーでよくない? ただ一つのことだけ考えて、どこまでも深く潜っていきたいのに、そうさせてくれない。いつも雑多で断片的な知識を詰め込まれて、余計なことばかり考えさせられてる。学校は天才を殺すところ。しらゆきがいなかったら、ただの廃屋と変わらない。
ぬるぬる光るアスファルトの上。さっきまで雨が降っていたのに、こうなると傘が邪魔になる。そこらへんのゴミ箱に捨ててしまいたい。通り過ぎていく顔の見えない人たち。いくつもの偶然が重なって、今この瞬間、しらゆきに会えるなら、私は何を捧げる?
でも、一人になりたくて街に出たのに、なんだか落ち着かない。胸がちりちりする。なんで? こすったマッチの先に灯る小さな火に、私の心があぶられてる。鋭くて、痛い。なんで? 痛い。胸が痛い。会いたい。今、しらゆきに会いたい。
「おっねえさぁん! 俺と食事いきません?」
突然かけられた声の方に、私はどんな顔で振り返ったのか。きっと不愉快そのものの顔をしていたはず。
「おい、なんつー目で人を見るんだ。殺す気か?」
でも、その男は臆することなくニヤニヤしていた。それは私のよく知っている顔で。
「……大地じゃん」
「よ、美人!」
バカが来た。どうでもいいバカ。でも気晴らしにはなるかも。こいつには何を言ってもいい。せいぜいおどけてくれる。そして、私にとって何の価値もない。それがこいつの長所。
「アンタ何してんの?」
「バイトの帰りだよ。お前は?」
「さァ~? ぶらぶらしてるだけ?」
「テスト勉強はいいのかよ?」
「知らなァ~い」
会話の流れから、なんとなく並んで歩くことになる。
「そういえば莉香子、お前、めっちゃモテてるんだってな?」
「はぁ? どーでもいい」
「どーでもいいって……」
そういえば、視線で構ってちゃんしてくるヤツらならいるかも。でも、どうでもいい。傷つきたくないだけの負け犬とか。見てもらいたいなら、見てもらえる位置まで行く。当たり前のこと。そんなこともできないクズが、私とどうなりたい訳?
「そんなことより、しらゆきは? しらゆきはどーなのよ? ちゃんとモテてるの?」
「どーかな。ウチのクラスにはとーこちゃんがいるからなぁ。ゲスな話だが、新百合ヶ丘一年は、高原莉香子か文村冬湖かって言われてる」
高原莉香子か文村冬湖か。見る目のない私の恋人は、今は文村冬湖に夢中になってるけど。でも……私は報われる。私はしらゆきに愛される。その価値がある。
「いや~、でも、しらゆきは絶対いい嫁になると思うんだがなぁ。まだそこらへんの魅力が野郎どもに伝わってないんだよな」
「でも、しらゆきってすっごく一途なところあるからね。ハンパな男じゃ受け止められないよ?」
「それは分かってる」
「私たちはしらゆきの健全な高校生活に責任を負ってるんだからね。ヘンなのが近づいてきたら、ぜんぶ弾かないと」
「なに言ってんだ。俺にはわかる。しらゆきを好きになるヤツ、ぜったいイイヤツだよ」
「はぁ?」
笑える。でも、そう。たぶん、というか、絶対にそう。
「ところで、あんたはどーすんの?」
「俺はいいんだよ、恋愛とか。外野から眺めてるのが面白いからな」
「じゃあさ、私たち、付き合ってみる?」
「は? 何狙いだよ?」
「原付買うより、私に貢ぎたいでしょ? バイト代、貢ぎたくなってくるでしょ?」
「なんねーわ」
淡々と連なる軽口の応酬。分際をわきまえてる男は好き。謙虚で好感が持てる。
「なぁ、莉香子」
「ん~?」
「お前はさ、ちゃんとしあわせになろうとしろよ?」
「は? どゆこと?」
「お前はさぁ、なんか、自分から不幸に飛び込んでくような気がして心配なんだよなあ。ちゃんと自分で自分をしあわせにしようとしろよ?」
「そんなの、当たり前でしょ?」
突然、何を言いだしたの? なにこいつ? バカに見える。ただのバカに見える。私は自分のしあわせに嘘を吐かない、ぜったいに裏切らない。
「あ、そだ。カラオケでも行こっか」
「ほんとヨユーだなオイ! テストどーすんだよ?」
「いいから、ちょっと付き合ってよ。一人カラオケとか私のガラじゃないでしょ? あんたの行きつけのところでいいから」
「まあ、いいけどな」
カウンターの向こうでカラオケ屋の店員が目を丸くする。こんな男が、こんな子と? そう思ってるなら大正解。付き合ってないですよ、と。ただカラオケ代を浮かせたいだけ。
個室に入って、バカにマイクを投げる。
「あっぶねえ! モノは大切に扱えよ!?」
「大地、あんた歌っててよ。私、ちょっと考え事したいから」
「なんだよ、それ? ほんと自由だなオイ!」
ツッコミを入れながらも、自分の持ち歌を入れていくバカ。そして軽く舌を巻いた歌声で、精いっぱいイケメン風を出そうとするバカ。その歌声も、すぐに遠のく。
私がしらゆきの、その壁を越えようとするとき、私はどうするだろう? 私は……泣く。私はきっと、泣くと思う。子どものように。しらゆきの優しさに付け入るつもりなら、もうそれしかないから。もう、そうするしかないから。
そうそう、小学校のころ。お互いにまだ幼かったころ。鬼ごっこをしていて、後ろから追いかけてきたしらゆきの手が私の背中を強く押して、転んでひざを擦りむいたことがあった。
「いたい、いたいぃ……」
「ご、ごめんね……だいじょうぶ?」
「うぇ~、しりゃゆきぃ~」
私は泣いてみせた。ひざを抱えてうずくまる。
みじめに泣けば泣くほど、しらゆきはやさしくしてくれるだろう。そんな予感がした。しらゆきにやさしくされたい。だから泣く。しらゆきの手が、今度はやさしく、私の背中に触れる。そしてゆっくり、上下に撫でる。すぐそばに感じるしらゆきの存在。そのぬくもり。
そのとき、私は気付いた。私、しらゆきの前で泣いてみせるのが好き。しらゆきを困らせてる。そう思うと、演技にも熱が入る。しらゆきの前で泣いていると、演技なのか、それともこれが本当の私なのか、分からなくなってくる。脚本から逸れた即興の領域で、私は思うままに自分をもてあそぶ。霊感が閃いて、私はもっと自由に自分を表現する。しらゆきに恋してるから。しらゆきが困ってる。私はしらゆきが好き。
半泣きのまま立ち上がって歩き出す。少し足をひきずりながら。しらゆきが後ろからついてくる、その気配がする。きっと途方に暮れたような顔をしてる。しらゆきの気を引くのは楽しい。私の大切な思い出。
――演技も愛情表現のうち?
そうよ? 大切な人に心配かけたくないとき、つらくても笑うこと、あるでしょ? それと同じこと。恋人に心配してほしいから、泣いたふりをすることだってある。しらゆきが心配してくれなかったら、私の心が壊れてしまうから。だからこれは大切なこと。演技も愛情表現のうち。
――しらゆきを惑わせてる。
そんなことない。しらゆきを大切に思うからこそ、私には霊感が閃き、自分が何をすればいいのか分かる。しらゆきは私と結ばれる。それがしらゆきのしあわせだから。しらゆきのしあわせは、私といっしょにいることの中にある。しらゆきにとってのしあわせは、いつだってそこに。
――あはははははは……。
あはは、笑えばいい。でも、そう。それは本当のこと。いまに、わかる。
もし、しらゆきの心が手に入らなくても、私はせめて、しらゆきのカラダだけでも手に入れなきゃ。だって、私はしらゆきが好きだから。カラダさえ手に入れれば、心もいつか同じ場所にやってくるから。
ねえ、しらゆき。私、さみしいよう。しらゆき、私、さみしいんだよう! しらゆきぃ……。ねえ、隣に来てぇ。私のとなりに来てぇ。頭を抱えてうずくまる可哀そうな私が、私の心の中に住んでいて、それが私の気分を盛り上げてくれる。楽しい。
私、しらゆきに恋してる。楽しい、うれしい。私、しらゆきに恋してるの。我を忘れるほどに大好きなしらゆきが、手を伸ばしても届かないしらゆきが、好きで好きで好きで、だから、私はしらゆきをこの胸に抱きしめたくて、私の愛撫でめちゃくちゃにしてしまいたいの!
ふと我に返ったとき、バカはまだ歌ってた。一人前に、イケメンぽく、巻き舌で、片想いの歌を。思考の空白に流れ込んできたそれ。私のカラダがウェットな演技を求める。
――私は、しらゆきが、好き。
歌声が途切れた。
「ど、どーしたんだよ莉香子?」
異変に気付いた大地が私に駆け寄ってくる。
「なぁ、おい……」
私の目から涙がこぼれて、大地が私の肩を抱いた。ムカつく。さわんな。でも、いい。今回だけ、許してあげる。だから、この瞬間を忘れずにしらゆきに伝えてほしい。大地がどんなふうにしらゆきに伝えるのか、楽しみ。一つ一つ、私は手を打つ。いつか、しらゆきが私のものになってくれると信じているから。
しらゆき、私、みじめだよ。観客がこんなんだよ。でも、次につながると思うから、私、がんばってるよ。ねえ、しらゆき、好きだよ。気が違ってしまうくらい、あなたのことが、好き――。




