第20話 「誰かが誰かを」5A
■ お疲れ気味の古屋雄太
空は泣いていた。僕のために、ずっと。
月曜日から金曜日にかけて、学生食堂は放課後に自習する学生のために開放される。そしてこの月曜日から金曜日にかけて、僕はずっと、よく分からない勉強会に参加していた。僕はただいつも通り勉強しているだけ。そんな僕を囲んで、周りもただ勉強しているだけ。ただ大人数で勉強しているだけ。これだけのことにどんな意味が? 僕には何にも分からない。
テーブルを囲むメンバーを見回す。この六人掛けのテーブルで僕の側に男子が、向こう側には女子がいる。勉強道具さえなければ合コンと間違われそうな配置だ。
僕の真正面にいるのは、この勉強会を仕切っている藤沢。日本史の教科書を読んでいるようだが、それはただのポーズで、何か別のことを考えているような気がしてならない。そしてそのとなりにいるのは、いつも藤沢とつるんでいる井上。なぜか芝居がかって見えるほど、一生懸命に勉強している。さらにそのとなりには狭間がいる。狭間はただ黙々と試験範囲の演習をしているようだ。その狭間の真正面にいるのは今枝。腕を組み、柄にもなく難しい顔をして天井をにらんでいる。そのとなり、そしてそれは僕の真横でもあるが、そこにいるのは大きな体をテーブルに突っ伏すようにして現代文の教科書とにらめっこしている末松。ただしそのページは数分前から微動だにしていない。とっくの昔に集中力が途切れて、同じページを眺め続けているようだ。
壁にかかる時計に目をやる。だいぶ早いけど、今日はこのくらいで切り上げよう。今日は金曜日。あとは土日にやればいい。もちろん、各自で。
「今日はこのくらいにしない?」
僕の一声。それはすごく遠慮がちに言ったもののはずだ。
「おっしゃああ!! 終了ッ! おつかれしたぁ!」
それなのに、過剰とも思える反応が返ってきた。この期間、自習室として開放されている学食。もとが学食なだけあって、みんなおしゃべりしたりして、まじめに勉強している人の方が少ない。現に、今の今枝の声も、すぐにざわめきの中に埋没する。とはいえ。とはいえ……そういうのはちょっと止めてほしい。心臓に悪い。
「やっぱ委員長と一緒だとはかどるよね」
本当に? 狭間、誰かに言わされてないか?
「ほんと! インチョ! おつかれした!って感じ! やっぱり真面目に勉強してくれる人がいると、いい感じだよね~」
「試験前になったら、またやろうね! 私、これ、クセになっちゃうかも!」
その藤沢のセリフが、どこか空々しいのは気のせいか。まるでそれ自体ではなく、別の目的をもった言動に見えてしまう。その藤沢のとなりにいる井上と目が合った。
「あっ」
声に出される。そしてなぜかにっこりと笑いかけられる。え? いや、なに? どういうこと?
「なぁ、聞いてくれ!!」
今枝がずいっと前に出てくる。嫌な予感しかしない。
「来週よぉ、オレたちは巨大な敵と対峙するわけだ。で、オレたちは今となっちゃぁ戦友、そうだろ!? だったらここらで、壮行会しとかねえ!? 試験に向けて、気分、高めんだよ! な!?」
「そうだね! みんなガンバロォって感じでね! さすがシュウちゃん!」
「イイコト言うじゃん! しょせん数合わせだったけど、最後の最後でいい仕事するじゃん!」
「ふ、藤沢ぁ!? マジ言ってんのかぁ!? そんな事実、知りたくなかったんだが!?」
「じゃ、買い出しお願いね!」
「オーケー、任しとけ!!」
「あ、私も行くよぉ~! ね、イインチョ、何がい~い?」
井上が立ち上がりながら、僕に聞く。
「いや……別に、なんでも」
「ミッキちゃん、ボクにも聞いてよん!」
「ええ~?」
……いや、なに、このやりとり?
「いや、適当に見繕ってくれればいいから」
「さっすがイインチョ~! 注文の仕方がオトナなんだからっ!」
え?
「あ、わたしも行くよ。荷物持ち、いるでしょ?」
ひとしきり騒がしくして、今枝、井上、狭間が買い出しとやらに行った。なんだよ、これ?
「ねえねえ、イインチョ」
「え?」
「いい機会だから聞いときたいんだけど……」
笑顔の藤沢。裏表でいえば裏しかない笑顔。
「イインチョってさ、どんな子が好みなの?」
は? いや……え?
「あっ、それ、ボクも聞きたいなぁ!」
本当になんなんだよ、これ……。
◇ 今枝修一
「今日はこのくらいにしない?」
委員長の一言。いや、まさに鶴の一声。そうだよ、そういうことだよな! 達成感あるぅ! ふう、やれやれ! 思わず集中しちまってた! さっすが委員長だよ! このオレに、ここまでマジメに勉強さすとか! マジ、オーラ半端ない! イカレてる! もちろん、いい意味でな!!
さて、委員長の一声で、いい感じに空気がほぐれてる。たしかにいい時間だ。でもなぁ。もう少し何かあってもよさそうだな。明日から週末。みんな一人で勉強することになる。孤独な旅路に出る前に、ここで一つ、一体感感じるやつ、やっとくか!
「なぁ、聞いてくれ!!」
オレの提案が無事通って、オレと井上、それに狭間で購買部に突撃することになった。さりげなく女子に挟まれてるオレ。でも、オレはもう中坊のころのオレじゃねえ。なんとなく女子に挟まれてオタオタするオレじゃねえんだ。そんなのはもう卒業したんだ! 緊張とか! してねえからな!?
「本当にわたしたちがテキトーに見繕っちゃっていいのかな?」
「そりゃいいだろ。任されたんだからよぉ!」
くっそ、狭間! 背ぇ高いな! なんかオレ、見下ろされてるぞ! いいや、そんなことはどうでもいい! 男たるもの、そんなことは気にしないんだ。男はいつだって男気で勝負する。だからこそ、そんなこと、いちいち気にしたりしないんだ!
「でも、私たちのセンス、試されてるよねえっ!」
井上はいつもキャイキャイしてるな。というか、明らかに委員長に気があるんだよな。もろわかりだが……。
さて、購買部についたぞ。パンとか紙パックのジュースあたり漁ってみるか。
「あれ、景ちゃん?」
おお!? こ、この声は!?
「おっ、とーこちゃん!」
やっぱりじゃねえか!! おっと、まだ振り返るんじゃねえぞオレ。がっついてたらヤバイ! オレは紳士なんだッ!
「あっ、とーこちゃんのクラスのお友だちかなっ!?」
どこかで聞いたような、甘々でふわふわな声。誰だよ!? 振り返ったオレが目撃した人物、それは……ッッ!!
「あれえ? ねえ、キミ。この前、部誌を持ってってくれた子じゃないかなっ!?」
あのときの! あのときの栗色の髪の先輩じゃねえかッ!? 妖精さんじゃねえッ! 文芸部の先輩だったんだッ!!
「あ、その節は……」
なにが『その節は……』だよ!? くっ、文村がオレを見てる。そ、そうなんだよ、ほら。神山たちが朗読してただろ? それで興味を持っちまってよ。そういうことなんだ。それだけのことなんだよ……。
「あ、とーこちゃん!」
「美月ちゃん。学食のお勉強会?」
「そうそう! これから壮行会しようってなったんだ~」
井上と話し始める文村。ほっとしたような、なんというか……。なんだよ!? 話しかけてもらいたかったとか、そういうんじゃねえよ!?
「そーだ、とーこちゃんもおいでよ~! ちょっと寄ってかなぁい? 文芸部の先輩さんもいっしょに!」
「ええ~? お邪魔じゃないかなぁ~?」
「ぜんぜん、そんなことないですよぉ~」
気づいた。井上と栗色髪の先輩、しゃべり方が似てるんだ。
「そっかぁ! じゃ、お邪魔しちゃおっかなっ! とーこちゃんとしらゆきちゃんのお友だちとお近づきになりたいし!」
お近づき!? なんつーワードセンス! これが文芸部のノリなのか!? いや、そんなことはどうでもいい! とにかく先輩の方が来るとなれば、文村は必然的についてくるはずだろ!? どうだ!?
「じゃ、とーこちゃん、お邪魔しちゃおっか!」
「はい」
よしオッケー!!
「みよっちにメールしとかなきゃ!」
これはオレのカンだが……その『みよっち』っていうのは、あの黒髪の図書委員の先輩のことだな。
買い出しを終えて、いざ壮行会の会場へ! 買い物袋を両手に下げるオレ。
「今枝くん、いいの?」
「な、なんだよ狭間? いいに決まってんだろ!?」
いや、ぜんぜん重くないんだが? おい狭間、どうしてそんな心配そうな目で見るんだ。オレは!! 男だぞ!! そういえば狭間、荷物持ちするとか言って付いてきたんだよな? オイ、なんでだよ! オレがいるのに!? 男のオレがいるのに!? い、いや考えるな! 男は行動で示すものッ!
そしてなんとなく、みんなの後ろの歩くことになるオレ。でも、なんでだ、緊張してる。文村だ。文村がオレのとなりを歩いているんだ。いや、別に? 意識してるわけじゃないが? とりあえず、まあ、ちょっととなりを見てみるか……。
「あっ」
やべ。目が合った。いや、これは視線の高さがそんなに変わらないから起こった偶然の……。
「……どうしたの、今枝くん」
ひぐっ!? ふ、文村がオレの名前を呼んだっ!? 心臓が、鼓動が、跳ね上がりやがるっ!
「い、いや、べつに……」
……そっけないとか思われてないよな? いや、だいじょうぶだよな!? せっかく部誌の話が出たんだし、オレも読んだよ、とか言ってみてもいいのか!? いや、キモイよな、やめとこう。
「……」
文村がオレを見てる、気がする……。それだけで、なんでこんな緊張して、でも嫌な感じじゃないんだ。文村がオレを見てる。それだけで、なんでこんなにオレはうれしくなっちまってんだよ!?
流れ的には、何か話をしないとおかしいよな? でも、この世界には二種類の男がいる。流される男と、流されない男だ。オレは流されない男だ。どいつもこいつも色気づいてる中で、オレはどこまでもニヒルで硬派は男を貫くんだ。
「……」
いや、やっぱムリ!! やっぱり……やっぱりなにか話そう! 話したいっ!
「な、なあ、文村」
「ん? なあに?」
「あの先輩って、あの、つまり……」
ちらっと文村を見て、文村のまっすぐすぎる視線がオレに来て、言おうと思ってたことが飛んで、どうすんだこれ!?
「あ、いや、やっぱなんでもない!」
なんだよオレ!? これじゃ、完全にヘンな人じゃねーか!?
とか思ってると、狭間・井上といっしょに前を歩いてたパイセンが振り返った。そして『にこっ』ってして、また前を向く。オイ、なんだ今の!? 笑顔で『コンニチワ』だと!?
なんつーか、オレの勘が言ってる。あの先輩、危険だ。何がどうってうまく言えないけど、パッと見、よさげな先輩に見えるけど、オレのカンが言ってるんだ。このふわふわで甘々な感じ、オレたちの周りじゃ、絶対にお目にかかれない! オレの背中には、すでに冷や汗が伝い始めてる。これから何かが起こる。その予感に打ち震えてやがるんだ!!
そうこうしてるうちに、オレたちは学食に戻ってきた。委員長はなぜか虚ろな目をしてる。何があった? 藤沢たちとどんな話してたんだよ? い、いや、それどころじゃねえッ! 申し訳ねえが……オレはヤバいヤツを連れてきちまったかもしれねえッ!!
「はじめまして! 牧野ひなたですっ!」
予感がする。圧倒的予感。オレたちはこれから……砂糖を吐くッッ!!
■ あきらめ気味の古屋雄太
この世界にはたった一つの凡ミスが致命傷になることもあり得る。空気を読んでいつもより早めに切り上げたことで、僕は本来あるべき現在とはかけ離れた場所に飛ばされたわけだ。
そう、今枝たちが戻ってきたとき、ヤツらは災厄を連れて来た。そして、その女は僕の前に姿を現した。僕の記憶はそこで途切れている。
いや、本当はぜんぶ覚えている。六人掛けのテーブルに八人が座る、ぎっちぎちの状態。そこに落ちてくる、とろっとろの濃い甘味。いや、これ以上反芻してしまったら、心が壊れてしまいそうだ。だから何もなかった。そういうことにしておきたいんだ。
テラス席。ここは気持ちのいいところだ。吹く風も、吹き込んで顔に当たる雨粒も、すべてが僕を癒してくれる……。
「よう、大臣くん!!」
ギロリ。
「あーっと……よォ、イインチョ!」
なにしに来た今枝? それに末松も。
「いやあ、わかるよ。すごかったよな?」
テメーが連れてきたんだろ!?
「ああ、悪かったよ。オレだって『なんかヤバそうだな』とは思ったんだけどよぉ、でも、もう止められる感じじゃなかったんだ」
「……いや、まあ、別にいいけどね」
「でも、いい経験になったろ? だからこれでよかったんだよ」
はァ?
「お、落ち着け。でもまあ、なんだかんだで楽しかったろ? そうだろ?」
「シュウちゃんは、ほんとお気楽でいいねえ」
「誰がお気楽だ。黙ってろよ、デブ!」
「はいはい」
一歩、二歩。今枝が僕と距離を詰めてくる。おい、なんだよ?
「なぁ、イインチョ。この一週間、どうだった?」
「え?」
「楽しかった。そうだろ?」
「は?」
今枝……いったい何を言いだしたんだ?
「なぁ、イインチョ。オレたちってさぁ、馴染めると思うんだが、どうだよ?」
どうだよって何がだよ?
「イインチョってよぉ、二十代三十代を仕事で激走した後は、速攻でリタイヤして、後はただ静かに朽ちてくだけの生活を送るっつうタイプに見えるんだよなぁ。貯金が尽きるまで、ゆっくり自分を駄目にしながらさぁ」
どんなイメージだよ!?
「でもそれってよぉ、ちょっと切ないと思うんだぜ? もっといろんなことがあるはずなんだ。それを楽しもうぜ? 今からでもそのルート、外れねえか!?」
たしかに仕事は早めにリタイヤしたい気持ちはある。でも、そんなことはどうでもいい。僕のしあわせは僕が決める。
「イインチョ、テストで十番以内に入れなかったら、死なないといけないって言ってただろ? わりーけど、そこらへん調べさしてもらったよ」
え?
「イインチョ、昔、徹夜でネトゲしてたら、ある日、おっかさんにパソコン水槽に沈められたんだろ? で、ネトゲの中じゃ死んだことになってたんだろ? 十番以内に入るってのは、そのときのことを繰り返さないためなんだろ?」
こいつらのネットワーク舐めてた。そんなこと、別に秘密にしてたわけじゃないけど、そこまで調べてるのか。
「でもイインチョ、パソコン一台、水槽に沈んだくらいでなくなっちまう、そんな人間関係でいいのかよ? パソコン一台、水槽に沈んだだけで、消えてなくなる思い出でいいのかよ?」
余計なお世話だ。
「委員長は余計なお世話だって言うかもしれねえ。でもさ、これからもずっとソロプレイヤーなのと、いっときでもオレたちと絡んで、それからソロプレイヤーに戻るのとじゃ、同じようで全然違うんだ」
いや……同じだろ。
「なあ、イインチョ。もし、イインチョがオレたちのことを本当にウザいと思ってんなら、真顔で『僕に構わないでほしい』とか言って、オレたちから距離を置いたはずなんだ。でも、実際はどうだ? なんだかんだで、オレたちとつるんでる。オレに言わせりゃ、これはもうダチってヤツなんだよ」
ダ……ダチ?
「もしかしたらイインチョはよ、『ダチなんかいらねー。僕ァ一人で淡々と生きてやる』とか思ってるかもしれねえよ? でもイインチョ、淡々としてるように見えるものだって、裏に回ればこんがらがった絆でしかないんだ。イインチョ、ゴタゴタした中からしか生まれないものだってあるんだよ。だからどうだよ、イインチョ」
「シュウちゃん、口説いてんねえ……」
「マジにオレらとつるんでみねえか? ウザくなったら、いつでも離れてっていい。オレたちは後腐れのねえヤツらだからな。どうだよ、マジにオレらとつるんでみねえか!? どうよ!?」
な、なにを言い出したんだ、こいつは? 何を言ってるのか、まったく分からない。
「お、オッケーか!? さっすがイインチョ! そう言ってくれると思ってたぜ!」
ちょっとまて! 僕は何も言ってない!
「なぁ、イインチョ! オレたちがどうしてここまで言うかわかるか?」
いや、わからん!
「それはな、友情のためさ!!!!」
「キマったね、シュウちゃん!!!!」
いったいこいつらは何を言ってるんだ? だったら言ってやる。今この瞬間。それが、こいつらのいない高校生活を送れる最後のチャンスだと信じる……!
「いいや、ちがうね」
「えっ?」
「文村冬湖とお話しできたのがうれしくて、その幸福感からこういう突拍子もない行動に出てるんだよ。少なくとも、その理由が『友情だけではない』というのは明確すぎるほどに明白だね」
「ぐはあ!?」
律儀にも、左胸を抑えるというオーバーリアクションをしてみせる今枝。
「シュ、シュウちゃん!? 大丈夫!?」
「く、くくく……」
今枝が笑い出した。コントめいた笑いに、嫌な予感しかしない。
「よぉ、ふとし。聞いたか? 委員長が『目覚めた』。そうだろ?」
「そうだね。委員長の本領は『冷静すぎる分析と毒舌』だったみたいだね」
失敗した。終わったんだ、何もかも。
「よぅ、委員長」
今枝が僕の肩を叩いた。
「ツッコんじまったら、もう他人じゃねえ。そうだろ?」
僕は絡めとられた。これからどんなろくでもない日々が待ってるんだろう? それは分からない。霧雨のようだった雨がまた本降りに変わった。空は泣いてくれているんだ。僕のために。泣こうにも泣けない、僕の代わりに。




