第20話 「誰かが誰かを」4
■ 古屋雄太
月曜日は憂鬱だ。いつも夢から覚めたような気分でいる。ネトゲの世界は本当の世界ではない。そうだとして、だったらここが、本当の世界なんだろうか? 僕には分からない。
今にも雨の降りだしそうな圧を感じる。そんな重い雲の下をよたよたと歩いて通学し、教室へと入る。朝の教室は人いきれで蒸し暑くなってて息苦しい。
いつものように机に突っ伏して、朝のホームルームが始まるのを待っている。耳から入る音はふせぎようがないので、クラスの喧騒がどうしても聞こえてくる。それでも、僕を放っておいてくれるなら、別に何の問題もない。そのはずだけど……。
指が……誰かの指が、僕の背中を這っている。
「ちょっとミッキ、なにやってんの?」
藤沢ゆかりの声も聞こえてくる。
「やはは……採寸?」
「アンタ、ちょっと大胆すぎ」
「えっへへ~」
なんだろう。よく分からないけど、急に死にたくなってきた。
僕の机の周りにはいつもの連中が――藤沢、井上、狭間、文村、長峰が勢ぞろいしているのを感じる。六月になってクラスの人間関係の結晶化がさらに加速したようだ。教室の空気がどことなく浮つき始めて、仲良くなったことで次に進もうとしている気配がある。みんな何かを期待している。おそらく、うまく言葉にできないだろう何かを。僕にはそれが何なのか分からないし、分かりたくもない。
そういえば……教室に入ったとき、今枝が自分の席で読書をしているのが目に入った。あの今枝が読書をしている。それはもう嫌な予感どころじゃない。明確に不吉の予兆でしかない。
「おっはよぉ~!」
近づいてくる足音とともに、神山の声が聞こえた。これでいつもの連中がそろったわけだ。
「おはよぉ、しらゆきぃ!」
「おっはよぉ! あっ、ねえねえ、大地ぃ! 面白い話、聞かせてあげよっか!?」
「え? なんだよ?」
「今日の朝さぁ、いっしょうけんめい自転車こいでたのね? そしたら通学中の小学生がみんなあたしに向かって『おはよぉございまぁす』って挨拶すんの。『あ、おはよぉ~』って返してくんだけどさ。でも、なんかいつもよりマシマシで挨拶されてんなぁ~、って思うわけ。で、学校まで来て、自転車置き場のところで気付いたのね。あ、もしかして立ちこぎしてるあたしが、みんなにお辞儀しながら脇を通り抜けようとしてるみたいに見えたんじゃないかなぁって! あ、だからかぁ! それでみんなあたしに挨拶してたんだぁ! そう思ってさ! どう? つまり、そういうことなんだよね!」
いろとりどりのランドセルのわきを、へこへこしながら自転車をこいでいる神山しらゆきの姿が頭をよぎる。なんで僕の脳裏にこんな光景がよぎるんだ?
「は? だから何だよ? その話、いる? 俺の人生にどんな関係があると思って話したわけ?」
「うわキモ! 自意識過剰すぎ! あーあ! せっかく大地が爆笑すると思って話してあげたんだけどなぁ!」
「お前の中で、俺ってどんだけ笑いの沸点低いの!?」
今日もウダウダと意味のない会話が繰り広げられている。よくも毎日、飽きもせずに。話題だってよく続くもんだ。
「そういえば、そろそろ期末テストじゃない?」
藤沢が話題を振った。でも声のトーンが今までの会話のものとちょっと違う気がする。
「そ、そうだよねえ! あ、そーだ! 放課後、みんなでお勉強会しなぁい?」
井上のこの棒読みは何なんだ?
――下手なの?
――あーもぉ! いいからぁ!
そしてなぜ小声?
「あ、おーい、いいんちょ~」
井上がなぜか僕のからだを揺する。僕は……からだを起こすしかなくなる。
「……な、なに?」
「いいんちょ~も来るよね? お勉強会! いっしょにやろうよ!」
「な、なんで……」
「ほ、ほらぁ! 真面目な人が集中してお勉強してたらさ、私たちも頑張れる気がするんだぁ! ね? そういうこと! 作業用BGMみたいなものなの!」
いや……いったいどうしてそうなるんだ?
――強行突破なの?
――しょうがないじゃん、もぉ!
そしてその小声の相談はなんなの?
「よ、よぉし、決まりぃ! 放課後はみんなでお勉強会だからね!」
井上が強引にまとめてしまった。え? 社交辞令だよな? そうだよな? 藤沢、狭間、長峰、神山はなぜか井上を優しい……というよりはむしろ生温かい目で見ていた。いや、なんだよこれ? 文村だけは、さりげなく周りの様子をうかがっている。そして僕と目が合った。読めない。全く読めない瞳の色。
先生が来て、クラスの中が少しずつ秩序を取り戻していく。僕はまた机に突っ伏した。このまま地獄の底までめりこんでしまいたい。どうして僕はここにいるんだ? どうして僕はクラスメイトに囲まれているんだ? どうして僕はここから逃げられないんだ? クラスに満ちる期待感、見交わす視線の気配。僕もその中に投げこまれて、僕のための場所が作られて、もうどうすることもできなくなっている。こんなときは……そう、こんなときは、思考を停止させるに限る……。
月曜日は憂鬱だ。いつも夢から覚めたような気分でいる。そんな気分のまま過ごして、やっと一日が終わりそうだ。
授業が終わって、帰りのホームルームまでの時間は、無駄な時間だと思ってる。重要な連絡事項がないなら、帰りのホームルームを省略したっていいはずだ。しかし、現実はそうはなってない。その理由はおそらく惰性のようなものであって、いったん決められて定着したスケジュールを臨機応変に変更するのがめんどくさいからだろうと思っている。
なにはともかく、帰りの支度を整えて、机に突っ伏す。クラスのいつもの喧騒が僕を包んで、そんな中でじっと担任が来るのを待っている。
『死にたい』
最近、心の中でそうつぶやくことが増えた。別に、本当に死にたいと思ってるわけでもないはずだけど、なぜか、急にこう、死にたい感じが胸に迫ってくることがある。その原因はおそらく……なしくずし的に出来上がりつつある人間関係を基軸に回り始めたロクでもないことが、これから僕の身に降りかかってくる、そんな予感のせいだ。
担任がやって来て、いつものようにホームルームが始まり、そして終わった。帰りの挨拶の号令をかけた僕のところに、今枝と末松がやってくる。
「よっ、イインチョ!」
今枝の手が僕の肩に置かれる。
「ついにオレたちと本格的に絡んでくれる気になったみてえだな!?」
「……なにが?」
「話は聞かせてもらった!! オレたちも一枚、噛ませてもらう!!なぜなら成績が『ヤバい』からだ……!!」
……え?
「おい、長峰! けっきょく、お前どーすんだ?」
「すまねえっ! バイトがっ……シフトやっぱ動かせねえッッ!!」
「そうかっ……バイト、頑張れよッッ!!」
「まかせろ……ッッ!!」
友情が暑苦しい系のインド映画でよく見かける腕の組み方をしている今枝と長峰。それをぼーっと眺めている僕。笑みを含んだ末松の視線を、視界の端に感じる。
「さ、いいんちょ、行こ?」
やってきた井上が僕に笑いかけた。例の勉強会、どうやら本当にやるらしい。どうしてこんなことに? 放課後っていうのは、とことん自由な時間のはずなのに?
ただ机に突っ伏していた。そしたらいつのまにか周りの人間関係に巻き込まれて、絡めとられていた。人間関係の外側にいたいという希望は、そんなにも悪か? いや、そんなことはない。そんなことはない、はず。どうしてこの世界は、こんなにも理不尽なんだ?
窓の外では、昼過ぎから降り出した雨が、今も降り続いていた。雲間から光が差し込む気配もない。空は泣いてくれてるんだ。泣こうにも泣けない、僕の代わりに……。




