第20話 「誰かが誰かを」3
□ 文村冬湖
木々の葉の上で、雨粒がはじける。そんな音が連なって聞こえている。今日も雨。ベッドの中で私は目覚めた。時刻は午前十時を過ぎていた。ずいぶん長く眠っていた気がする。昨日、何をしていたのか思い出せないくらいに頭がぼんやりしている。今日はみんなとお出かけをする日。しらゆきと、藤沢さんたちと。藤沢さんの見つけたおいしいお店で、ブルーベリーソースのかかったおいしいケーキを食べに行く。そんな約束をした日。
どんな服を着ていこう? 開け放したクローゼットの前で迷って、なかなか決められない。その中の一つを手に取る。それは、しらゆきと初めてお出かけをした日に着ていたもの。でもどうしてだろう? 今日はなぜか着ていく気になれない。
姉さんに借りようと思って、姉さんの部屋に行ってみる。姉さんは部屋にいない。姉さんの洋服ダンスを開けようとして、その下に立てかけて置かれた紙袋に気が付いた。開けてみると、それは姉さんの新しい服だった。姉さんが着たら、すごく似合いそうな服。私も着てみたい。そう思って着てみる。少し大きいけど……でもしっくりくる。私は階段をトントンと下りて、リビングに姉さんを見つけた。
「姉さん、これ、着てってもいい?」
姉さんの前でくるりと回ってみせる。スカートがふわっと風を孕んだ。
姉さんはちょっと驚いた顔をしたけど、
「うん、いいよ」
そう言ってくれた。
「とーこ、似合ってる」
そう言って、笑ってくれた。
「ほら、おいで」
姉さんの腕が私を包むようにして、私の襟元を直してくれる。ハサミを取り出した姉さんが、服に付いたタグをとっていく。姉さんの手が私のからだのあちこちに触れる。姉さんの手で、姉さんの服が私のからだにぴったり馴染んでいくような、そんな感触。
「はい! 完璧!」
姉さんの服を、姉さんより先に着た。私にはそれがうれしかった。
バスから降りて、傘を広げる。傘の上で雨粒のはじける音を聞きながら、駅前の広場を見回してみる。そして、駅舎のひさしの下に狭間さんを見つけた。
狭間さんは、体育の授業の徒競走のときに、しらゆきと仲良くなった人。それ以来、しらゆきと一緒にいることが多くなって、私とも少しずつ話すようになった。
すらっと背が高くって、私のあごのところに狭間さんの肩が来るくらい。今日はネイビーブルーのキャップをかぶってて、それが狭間さんの中性的な顔立ちによく似合っていた。
私は狭間さんの方へと歩いていく。しらゆきのいないところで狭間さんと話をするのは、初めてかもしれない。どうしよう? 言葉が丁寧になってしまいそう。でも、そうじゃない方がいいよね。砕けたしゃべり方でいいよね。しらゆきみたいに、きっと。
狭間さんの下の名前は景。みんなからは景ちゃんって呼ばれている。だから、今日は私もそう呼ぼう。狭間さんの方へと歩いていきながら、私はそんな決意を固める。
狭間さんの……景ちゃんの姿がどんどん近くなる。ドキドキする。キャップのひさしに軽く手を添えてた景ちゃんが、ふと顔を上げて、そして私が近づいてくるのに気付いた。そして、なぜか驚いたような顔をする景ちゃん。どうしたんだろう? 私、なにか変かな? わからなくて、でも私は気づまりな感じを振り払いたくて、耳にかかる髪の毛を美夜子先輩のように払ってみた。
「景ちゃん、早いね。もう来てたんだ」
そう言ってみる。
「そ、そう! そうね!? そうかもね!?」
突然あわてだす景ちゃん。どうしたんだろう? 私は傘を閉じて、ひさしの下に入る。
「あ、あのさ、とーこちゃん。気に障ったらごめんね?」
景ちゃんがそんなことを言い出す。
「え、なあに?」
「いや、あのさ……い、いや、やっぱりなんでもない」
「……?」
キャップのひさしをぐっと下げて、目のところを隠す景ちゃん。本当にどうしたんだろう? なんだか……照れてる?
そして私は、景ちゃんと二人でみんなが来るのを待つ。
駅前の広場が広く見渡せる場所。そして新しく着いたバスからしらゆきが降りてくるのが見えた。少し歩いて、それから傘を広げようとしたそのときに、しらゆきは私たちに気付いた。そして、なぜかびくっとして、傘をさすのも忘れたまま私たちのことを見ている。どうしたんだろう? まだ遠くにいるしらゆきのその表情は良く見えないけれど、でも、どこか怯えたような、そんな表情にも見えた。
「しらゆきぃ!」
キャップのひさしを上げて、景ちゃんがしらゆきに手を振った。しらゆきも手を挙げてそれに応える。しらゆきがいつものしらゆきになって、傘もささないまま、私たちの方に走ってくる。そういえば、しらゆきと初めてふたりでお出かけしたときも、こんなことがあった気がする。
「おまたせえ!」
そう言いながら、しらゆきはチラチラと私の方を見る。
「ねえ、しらゆき。とーこちゃんに何か言いたいこと、あるんじゃない?」
景ちゃんがそんなことを言う。
「え!? な、なにそれ……」
「何かないの? ほら、文芸部でしょ? 底力、見せてよ」
こんないたずらっぽい表情をした景ちゃん、初めて見たかもしれない。
「……」
しらゆきが私を見た。そしてその視線が頭のてっぺんからつま先まで、そしてつま先からまた頭のてっぺんまで往復する。
「えっと……雨雲の下に置いてかれた春風の妖精さん、かな……」
「へえ~! しらゆき目線じゃそんなカンジなんだ!?」
「ねえねえ、なに盛り上がってんの?」
藤沢さん――ゆかりちゃんと、井上さん――美月ちゃんもやってきた。
「しらゆきがね、とーこちゃんを春風の妖精さんみたい、って!」
ゆかりちゃんと美月ちゃんの視線が私に集まって、そしてなぜか一瞬、動揺する。
「あ~、そっか。なるほどねぇ~」
美月ちゃんがしげしげと私を見ながら、感心したように言う。
「あ~、ねえ、しらゆき。そのフレーズちょうだい? とーこちゃん口説きたいオトコに売るからさ!」
ゆかりちゃんも、そんなことを言い出す。
「なんでよ! だめだめ!」
「とーこさ、今日ここで待ち合わせてたのって、私たちで合ってるよね?」
「え、うん。そう、だよ?」
「そっか~、なるほどね~」
考え込むゆかりちゃん。なにが『なるほど』なんだろう?
「まぁまぁ、ゆかりん。それは後のお楽しみ! さっそくお店、いこーよ!」
「そうね……」
美月ちゃんの言葉に、なぜかゆかりちゃんは悪そうに微笑んだ。
「あのさ……やっぱり夏までにカレシ欲しいよね?」
ケーキがなくなって、みんなが紅茶を飲み始めたころ、ゆかりちゃんが最近お気に入りの話題を切り出した。
「やっぱりその話になるんだ」
景ちゃんがちょっと呆れたように笑う。
「そりゃそうでしょ。アンタたちがその気になるまで、何度でも蒸す返すから。てゆーか……」ゆかりちゃんが目で私を示した。「とーこ見なさいよ」
みんなの視線が私に集まる。
「出会いなんていつあるか分からない。だからこそ一瞬たりとも油断しない。このセンス、見習ったら?」
「完全にデート仕様だもんね~」
デート仕様? 男の人とのデートに着ていく服? そうなのかな? わからない。これは……姉さんの服だから。
「今日、待ち合わせ場所で待ってたらさ、とーこちゃんがバス停の方から『これが私の普段着です』みたいな感じで歩いてくるんだもん! すっごくびっくりしたよ」
「たしかにね! ほんとに待ち合わせたの私たちでよかったの!?って思ったし!」
「な、なに言ってんの! とーこはいつだってとーこだよ!?」
「景ととーこが並んでると、フツーにデート中のカレシ・カノジョに見えるけど」
「もぉ、ゆかりん、なに言ってるの~?」
「てゆーか、景はウチでよかったの? 女子高に行けば王子様キャラで行けたのに」
「いや、行けなくていいし……」
「とにかく! 最近、野郎どもだってギラギラしてきた気配、するでしょ? 夏に向けて気持ち作ってる感じ、するでしょ? 楽しみじゃん! ま、委員長はギラギラとは程遠いけどねー」
「もぉ、なぁんでそういうこと言うのぉ~!?」
美月ちゃんは、言葉とは裏腹にうれしそう。
「冬に向けてセーターを編み始めてるという情報も?」
「こら~!」
「手芸部で彼氏持ち。だからセーター。もうミッキには冬のイベントが見えちゃってるのね」
「あ~も~、そんなことないよぉ!」
でも美月ちゃんの反応は、そんなことあるような気がした。
「長峰くんが言ってたけど、委員長って中間考査、学年一位だったんでしょ? すごいじゃん」
「そうそう! そうなんだよ~!」
景ちゃんに言われて、美月ちゃんは自分のことのように喜んでいるように見えた。
「委員長ってね、十番以内から落ちたら大好きなネットゲームを封印する、っていう約束を自分に課してるの。かっこいいよね!」
「さいきんミッキが、どんどん委員長に詳しくなってくんだよねー」
「ええ!? そうかなぁ!? どうかなぁ!?」
「ま、ミッキはこれでいいとして、三人はどうするの?」
「あ、ひどいぃ~」
「ちょっとでも気になるヤツとか、いないの?」
「いない、かな」
「い、いない……と思うけど」
私は黙ったまま、ただうなずいた。
「……そういえば文芸部って、試験前にお勉強会みたいなこと、してるんだっけ?」
「え? あ、そうそう! 文芸部だから! 硬派だから!」
しらゆきが胸を張って答える。
「文芸部ってオトコいるの?」
「え? いないけど?」
「そっかー」
「なんでよ!? あからさまに興味失ってない!?」
「ソンナコトナイヨー」
「ある! あるよね!?」
「じゃあさ、私たちもお勉強会、する? 委員長も誘ってさ。真面目に勉強する人が一人いれば、私たちも頑張れるからとかなんとか言ってさ!」
「え~!? ゆかりん、そんなことしちゃうの!?」
「してほしくないの?」
「え、え~!? 言わせる気ぃ!?」
「委員長が引っ掛かれば、あとはテキトーに釣れるでしょ」
「それって、わたしも出るの?」
「当たり前でしょ? 景、見つけようとしないと、見つからないよ?」
「あっ、ねえねえ、それならさ! 大地とか、どうお? あいつバカだけどさ、まあまあイイヤツだし、付き合ってみたらたのしーと思うよ?」
「あ~、そうかな?」
「でも、しらゆきと長峰くんって似てない? 長峰くんもしらゆきのこと、いい嫁になるからってクラスの野郎どもに売り込んでたし」
「うえっ!? あ、あんにゃろぉっ!」
「あ、長峰くんが言ってたんだけどね、とーこちゃん、男の子たちの間ですっごくモテてるんだって~」
「えっ」
「そうそう。ウチのクラスの男って、とーこ狙いのヤツ、多いらしいよ?」
「うええっ!?」
しらゆきが私の代わりにおおげさにリアクションする。でも、私にはいまいちピンとこない。もてている。それで、どうなるんだろう?
――たっくんにはもててるかも?
姉さんは遠山さんにもてていた。でも、私には……。
「と、とーこには! とーこには、そういう話題はまだ早いんだって!」
「そうお? まあとにかく、夏にちょっとマシなイベント起こしたいなら、今から行かなきゃ!」
「イベントって何……」
「付き合った二人がすることと言えば! 決まってるでしょ? わかるよね!? ねっ、とーこ!」
藤沢さんが急に私に話を振る。私には何も分からない。でもお父さんとお母さんは出会って、付き合って、そして……。
「……結婚?」
私が答えると、みんなシンとした。どうしたんだろう? そしてお互いに視線を交わして、
「そ、そういえばゆかりは!? さっきからわたしたちばっかり話させてるじゃん!」
なぜか景ちゃんが話をそらした。
「わ、私? いや、私はアンタたちの恋路を応援する、まあ、プロデューサーのようなもんだから!」
「わっるぅ~い!」
美月ちゃんが笑う。
「アンタたちは私を楽しませるために、どんどん恋してくれればいいの!」
「え~!?」
「あとは恋愛小説家・神山しらゆき先生にネタを提供する、とかね」
「しなくていいよ、景っ!」
「そうそう! アンタたちにガソリンいれるのにちょうどいい映画やってんのよ! 見に行くわよ!!」
ゆかりちゃんの一言で、私たちは映画を見に行くことになった。席を立つ瞬間、しらゆきと目が合う。何かを問いかけるような、そんなまっすぐなまなざしが私を捉えている。でも、それはすぐに、しらゆきのいつもの笑顔に紛れてしまった。
お店の出入り口に向かうとき、さりげなく景ちゃんが私のとなりに並んだ。
「とーこちゃんって、思った以上にすごいね……」
そんなことをささやくように言う。どういう意味だろう? そう思って、景ちゃんの顔をよく見ようとしたけれど、景ちゃんは帽子を深くかぶって、つばを下に引っ張ってしまった。
映画館のスクリーンの中には、男の人がいて、女の人がいて、でもそれ以上、ストーリーが頭の中に入ってこない。なんとなく落ち着かなくて、お手洗いに立った。
大きな一枚の鏡の前に洗面台が並んでいる。その中の一つで手を洗っていると、となりに誰かが来た。
「あれ? もしかして、とーこちゃん?」
そんな声がして、鏡の中でとなりを見る。そこにいたのは千佳さんだった。髪の毛が明るい茶色になっている。でもそれ以外はぜんぶ、あのころの千佳さんのまま。そんなふうに感じた。
「とーこちゃんだよね!? 私のこと、覚えてる?」
「はい。千佳、さん」
「なっつかしいねえ! 元気してたあ!?」
「元気、してます」
「そっかそっかあ! 三人でよく春菜の家で遊んでたもんねえ」
三人。姉さんと千佳さんと、それから智子さん。千佳さんは地元の短大に、そして智子さんは県外の大学に行ったって、姉さんから聞いたことがあった。
「ねえ、うまくいってるみたいだね、春奈と遠山くん」
鏡の中の千佳さんが笑っている。
「私と智子がナコウドしたんだよ? 結婚式、ぜったいに呼んでもらうんだから!」
仲人、結婚式、夫婦……。
「あれ? とーこちゃん、すっごくおしゃれしてんね? もしかして、今日、デート?」
「え、いえ、そんなんじゃないです」
「そっかそっか……もう高校生だもんねえ! がんばれぇ!」
これは姉さんの服。それなのに友だちや千佳さんにデートだって言われるのは、どうしてだろう?
「じゃね、とーこちゃんっ! またっ!」
しゅたっと手を挙げて、鏡の中の千佳さんは行ってしまった。視線をまっすぐに戻すと、そこには私がいた。姉さんの服を着た私が、私を見ている。
ハンカチで手を拭く。またスクリーンの前に戻って、誰かの恋の物語を追いかけようとしている。でも、私が知りたいのは、姉さんのこと。姉さんの未来のことが知りたい。姉さんの恋の結末が知りたい。それは結婚? そして二人で生きていくこと? 私はそれが知りたい。私が知りたいのは、いつだって姉さんのこと。姉さんの恋の、その行方……。
お手洗いから出ると、映画館のロビーにしらゆきがいた。まっすぐに立つしらゆき。しらゆきによく似合う、厚手の白いTシャツを着たその姿、そのシルエット。いつもと同じような、でも少し違うような。
「しらゆき、どうしたの?」
「う、ううん。なんでもない。なんとなく」
それだけ言って、しらゆきはあいまいに笑った。
「戻ろ?」
「うん」
うなずいて私は、歩き出したしらゆきのとなりに並んだ。




