第2話 「部活見学」3
「ただいま戻りましたっ」
神山さんがふたたび元気よく文芸部の部室へと足を踏み入れ、私もそのあとに続く。そのとき、宮守先輩と牧野先輩の不安そうな顔が、安心したように緩んだのが見えた。
「おかえり……だいじょうぶ?」
立花先輩がにやにや笑いながら言う。
「はい、大丈夫です!」
神山さんもいたずらっぽい笑顔を浮かべながら、さっきまで自分が座ってた椅子に腰掛けた。
「えっ、と……」
私たち二人が椅子に座ってしまうと、宮守先輩は話の接ぎ穂を探すように、ちょっと目を伏せた。そこへ、椅子の背によりかかって笑いを含んだ目で私たちを眺めていた立花先輩が、
「ねえ、二人はさ、どうして文芸部を見学してみようって思ったの……?」
そう聞いてくる。
「これですよ、これ」
神山さんがポケットを探って、折りたたんだ文芸部のチラシを取り出し、テーブルの上に広げた。その広げられたチラシを見て立花先輩は「まってました」みたいな顔をしたあと、袖口をくちもとに持っていく。
「それ、どうだった……?」
「なんてゆーか、こう……心にくるものがあったんですよねえっ! それで、これどんな人が書いたんだろーって、そんな話をしてて……ね? 文村さん!」
「え、うん……」
「それで、会いに行ってみない?みたいな話になって、それでちょっとお邪魔してみました! ね? 文村さん!」
「あっ、はい。そんな感じです」
「へええ、そうなんだあ……」
立花先輩がチラと宮守先輩の方を見る。
「で、どう? 実際に会ってみて」
「その……イメージどおりっていうか、こう……純粋そうだなぁって思いましたね」
「ふむふむ、なるほど」
楽しげに、こくこく頷く立花先輩。どうしたんだろう、急に神山さんと立花先輩が意気投合したように見えた。お互いに意味ありげな視線を交わして、楽しそうに笑いあっている。
「と、いうことらしいんだけど、どう?」
立花先輩が宮守先輩の方を向く。
「えっ? あ……」
宮守先輩の顔は、もう真っ赤だった。
「わ、私は別にそんな、純粋とか、そういうんじゃないと思うけど……」
そう言って、ひたいにかかる髪を人差し指でそっと横の方に流して、気弱そうな照れ笑いを浮かべる。
「でも……そうね。もしかしたら、ちょっと背伸びしようとした部分はあるかもしれない……。書いてるときはこれしかないって思ってたけど、後で見直してみると、なんだか普段の自分と違うなぁ……って」
「ええ? そうかなぁ?」
牧野先輩が、宮守先輩の肩に触れながら言う。
「私は読んでて『あ~、みよっちの文章だな~』って思ったけどなぁ……」
「そ、そうかしら……?」
「うんっ!」
笑顔で頷く牧野先輩。ふと神山さんの方を見ると、なんとも言えない笑いを浮かべて二人の方を見ていた。立花先輩の方も見てみる。二人の方を見ていた立花先輩は私の視線に気が付くと、にっと笑ってみせた。「この二人、どう?」って言うみたいに。私は目を伏せた。どういうふうに見ればいいのか、分からなかったから。姉さんに聞いてみないと……そう思った。でも嫌いじゃないような気がしていた。
「えと……宮守先輩! この文章って、どんなときに思い付いたんですかっ!?」
また神山さんが元気な声で聞く。
「ど、どんなとき……? そ、そうね……」
宮守先輩は、ふっと生真面目な表情になる。
「私はね、去年の夏休み明けに文芸部に入部したから、まだ入って半年ちょっとしか経ってないんだけど……はじめのうちは本当に何も書けなかったの。どうしてもうまく書けないっていうか……それはいろんな本を読んでみても変わらなくて……。そんなときにね、3年生の先輩……もう卒業しちゃったけど……先輩に『心にも無いことは書けないよ』ってアドバイスされて……」
言葉を選ぶようにして、ゆっくりと話す宮守先輩。
「それでいろいろあって、そのときの自分とちゃんと向き合って書いてみたの。本当に恥ずかしいけど、はじめてちゃんと書けた気がして……そのチラシの文章は、そのときのことを思い出しながら書いてみたものなの」
「なるほどぉ!」
「……ねえ、みよっち。そのとき書いたの、私、読んだことある?」
不思議そうな顔をして、牧野先輩が口を挟む。
「あ、そ、それは、まだ未完成だから……。完成したらいちばん最初に読んでもらうから、ね?」
「そっかぁ……楽しみにしてるね」
牧野先輩は、少し残念そうにそう言って、宮守先輩の腕にそっと両手で触れた。本当に仲のいい二人だなってなんとなく思った。
「ねえ、二人はさ、これから別のところをまわる予定はあるの……?」
立花先輩が私たちに聞く。
「いえっ、とくにないです!」
「じゃあさ……」
またニヤニヤ笑いを浮かべて、立花先輩がなにか言おうとしたとき、廊下の方から数人の足音が聞こえてきた。
「あの~……」
扉の方を見ると、そこには3人の女子生徒が立っていて、部屋の中を覗き込むようにしている。
「あっ、見学の人かな? どうぞ~」
牧野先輩がパタパタ駆け寄っていく。
「あ、すいません……」
そう言いながら部室の中へ入ってきた先頭の人に見覚えがあった。
「おっ! リカコぉ!!」
「おお! しらゆきじゃん! 来てたんだ!」
その人は、入学式の放課後に、教室で神山さんや長峰くんとおしゃべりをしていた人だった。
「は? てか、文芸部?」
リカコさんは顔をしかめて、口元に笑みを浮かべる。「しらゆき、あんた文芸部ってキャラじゃないでしょ?」そんな感じの笑み。対するしらゆきは、自分の席の背もたれをばんばん叩きながら言う。
「あー、ごめんねー、ちょっとリカコの席ないみたいだわー」
「あんたが、そこどけばいいじゃん!」
笑いあいながら、椅子をめぐって押し合いへし合いする神山さんとリカコさん。
「あっ、だいじょうぶだよ~、椅子ならまだあるから……」
牧野先輩が二人をとりなそうとする。二人の後ろでは、リカコさんと一緒に来た二人が成り行きを見守っていた。神山さんもその二人の様子に気付いたのか、椅子を立ってリカコさんに指差し確認しながら言う。
「しょうがない、貸しだからね?」
「はぁ? 知らないしぃ」
神山さんがちょっと私のほうを見た。テーブルの上の部誌を手にとって、私も席を立つ。
「それじゃあ、私たちはこれで」
あいさつする神山さんの後ろで私もお辞儀をする。
「あ、えっと、おかまいもしませんで~」
そう言う牧野先輩のとなりで、宮守先輩はなんて言ったらいいのか分からないみたいに、ただ私たちのほうを見ていた。
「じゃあなっ」
「おうっ」
神山さんとリカコさんが言葉を交わして、私たちは廊下へと出た。西日が当たって夕焼け色に染まる廊下。遠くからは運動部の掛け声が聞こえてくる。少し歩いて、なんとなく後ろを振り返ってみると、立花先輩が扉から上半身をひょこっと出してこっちを見ていた。私が振り返ったのを見て、にやーっと笑って手を振る。そしてひょいっと引っ込んでしまった。
「文村さん?」
「えっ?」
「文村さんは、これからどうするの? 他の部活もまわる?」
「あ、私は……」
少し言いよどむ。姉さんのこと抜きで、文芸部に入る理由を説明するのは、とても難しかった。神山さんは特に気にするふうもなく、私が言葉を続けるのを待っている。
「私はもともと、文芸部に入るつもりだったし……だから……」
「そっかー、じゃ、あたしも帰ろっと!」
そうして、そのまま二人で自転車置き場の方へと歩いた。校庭に出ると、夕暮れの冷たい風がほおをなでていく。風は少し湿っぽくて、木と花の匂いが混じっていた。
「あの、よかったの……?」
「んっ? なにが?」
私のことなら気にしないで、他にも回りたいところがあったら行くべきだと思うよ。そう言おうとしたけれど、なんだかこの場に合わないような気がして、くちでは別なことを聞いた。
「まだ……先輩たちと話したいことがあったんじゃないかなって」
「あー、いいのいいの。お楽しみはさ、後にとっといたほうがいいじゃん」
「お楽しみ?」
「そ! あたしもね、文芸部入ろうかなって。だってなんか……楽しそうだし!」
他のところを回ってみなくてもいいの? もう一度そう聞こうとして、やっぱり言えなかった。言うべきじゃない気がした。これより他にもっといい何かがあるんじゃないか、なんて考えたりせずに、自分の気持ちを信じて心を決めてしまうことができる。私にとってそんな人は、いつでもいちばんまぶしい存在で、神山さんもまたその一人なのかもしれなかった。
「それじゃ、また明日ねぇ!」
学校へと続く坂を下り終えて、神山さんは私とは反対の方へと行く。私はほんの少しの間、その背中が遠ざかるのを見送っていた。
その夜、夕飯のオムレツにかかったケチャップを、お箸で左右にならしているとき、姉さんが私のことをじっと見てきて、そして言った。
「ねえ、とーこ。今日、なにかいいこと、あった?」
「えっ? どうして?」
「んー、なんとなく。なんとなくとーこの顔見てたら、そう思ったの」
そう言ってほほえむ姉さん。私は、どんな顔をしてたんだろう? 姉さんにそう見えたということは、きっと私は今日のことが楽しかったんじゃないかなって思った。
「……今日の放課後ね、文芸部の見学に行ってみたの」
「そう。どうだった?」
「うん。楽しかった、かもしれない」
「そっか」
「入る、かも……」
「うん」
あたまをやさしく撫でられる。
「たのしみだなぁ。とーこがどんなお話をつくるのか」
私がつくるお話……私は姉さんにどんなお話を聞かせるんだろう? 私はそんなことを考えた。
次の日の放課後、神山さんと私は、文芸部の部室へ入部届けを出しに行った。
「わぁ~かんげいするよぉ~」
両手を胸の前で重ねて、ふんわり笑う牧野先輩。宮守先輩はそのとなりで内気そうにほほえみ、立花先輩はその二人の後ろで、まんまと罠にかかった獲物を見るときの猟師さんのような顔をしていた。