第18話 「文芸部の日常・6月中旬」2
☆ 牧野ひなた
ねえ、詩ってなんだろう?って考えてみるの。
例えば……例えば、だよ? それは手をつないだふたりが夜空のダンスホールで踊る事かもしれないよ? 星空の天井の下でステップを踏んでくるりとまわれば、ひるがえるドレスがきらめいて、そのきらめきがこぼれて、それは言葉になって、そしてそんな言葉で詩は紡がれていくのかな?
でもでも、もしかして。詩ってもっと静かなものだったり? 例えば、それは手をつないだふたりが、東の空からお日様が昇るのを待っているような。静かな朝。地平線に明かりが灯った瞬間に、そよ風に誘われるようにしてぽつんとこぼれる言葉があれば、それが詩になっちゃったりして?
んぅ~っ? よくわかんないよね! やっぱり詩ってむつかしい! でも、なんだか楽しいかも。ふふふ……。
「ひなた……」
つんつん。
「ちょっと……ひなた!」
「え?」
みよっちに背中をつんつんされて、見上げるとカウンターの向こうにお客さん!! わぁ~、またやっちゃったぁ~! 私ってば、いつのまにか空想の世界に行っちゃって、それでいっつも失敗しちゃう!!
「ご、ごめんなぁ~い! 貸出ですね~!?」
貸出の手続きをすませてから、ふうと一息。図書室を見まわして、おとなりを見ると、みよっちはご本を読んでる。カバーをかけてるから、どんなご本か分からないけど。ジャマしちゃ悪いかな? でも、みよっちとお話したいな? スケッチブックを取り出して、今日もこれでみよっちとお話しちゃうの。図書室ではお静かに、なんだもんね! えーとね……うん! カキカキ……。
『今日はひさしぶりに晴れたから、お客さんが少ないね~』
『そうね』
私の丸っこい字の下にみよっちの綺麗な字がくると、どうしてこんなにくすぐったくなるんだろう? 描き慣れたみよっちの似顔絵をささっと描いて『そうね』を吹き出しで囲んじゃう。
描きおえたら、またみよっちにスススって引っぱられて。
『ねえ、ひなた、私たち、詩を読むだけでいいのかしら?』
似顔絵のみよっちが、私に語りかけてくる。
私たちもね、しらゆきちゃんととーこちゃんのために、何かしたいな! そう思って、私たちが二人にできることってなんだろうって考えてみたの。街の美術館に一緒にお出かけしてみる? それとも演奏会に? 自分が今まで読んだ中でいちばんステキだな~って思った本を紹介することかな?
でもでも、やっぱり。私たちも詩を朗読してみようってことになったの! それでいま、詩をたくさんお勉強中! しらゆきちゃんととーこちゃん。ふたりに魔法をかけちゃうような、ステキな詩を探してるんだぁ……!
でも、読むだけじゃだめ……なのかな? どうゆうことだろう?
『どうゆうこと????』
はてなマーク、よっつも付けちゃう。みよっちはちょっと考え込んで……。
『考えてみたんだけど、詩を朗読して、私たちが自分の思い入れを語るだけじゃ足りない気がするの』
それから少しためらってから……。
『詩を教えることって、出来ない気がするの。私たちが自分の気に入った詩を読んで、こんなことを感じたって言うだけじゃ駄目な気がするの。それだとふたりに何も残らない気がするの。いつかふたりの糧になるようなことを、してあげたい』
うーん、そっかぁ……みよっちは自分の感想を押し付けることになるのが嫌なのかな……? じゃあ、どうしよっか? そんなことを考えてると、ススス……。カウンターのところに、本が差し出されて、顔を上げると、しらゆきちゃん。にま~って笑ってる。
「貸し出しですね~!?」
図書委員スマイルで、にっこり。ご本は八木重吉?さんの詩集? ははぁ、きっと茜先輩のオススメだね! しおりにささっと、にっこり笑う太陽さんの落書きをしちゃう。本にはさんで、トン。カウンターの上に、はい、どうぞ!
「6月24日までです!」
そのまま行っちゃうかとおもったら、ぐぅ~っとカウンターの中まで身をのりだして、スケッチブックを見ようとするから。
(わ~っ、だめだよぅ~)
あわてて両手で隠しちゃう。まだまだ秘密の計画なんだから! にんまりする、しらゆきちゃん。うぅ~ん、こういうとこ、ちょっと茜先輩に似てきたよね? ぺこりとお辞儀して図書室を出てく。そのとき、ぴーんとひらめいたんだぁ! そうだよ! そうそう! うん、われながらクッドアイデア!! スケッチブックにカキカキ……。
『ねえ、みよっち! 思い付いたんだけど、みんなで発表会しようよ!!』
『発表会?』
『そうだよ! みんなでね、それぞれ自分がいちばんステキだな~って思う詩を持ちよって朗読しあうの! これなら、みんな参加できて楽しいし!! どうかな!?』
すぐに賛成してくれると思ってたみよっちは、ちょっとむつかしい顔。それから鉛筆を取り上げて、ゆっくりとこう書いたの。
『もう少し、考えてみてもいいかしら?』
『いいよっ!』
賛成してもらえなかったのは、ちょっとさみしいな。でもね、みよっちの真剣な顔を見るのは、とっても好きなんだぁ。ピアノを弾いてたころのみよっち。みよっちの繊細な指が鍵盤おさえて、その横顔に私はずっと見とれてたんだよ! まだ私の知らないみよっちが、みよっちの中にいる。うん、そうだよ。そうなんだよ……。
緑の鉛筆で半円を描いて、両端を赤鉛筆でつないで、塗って、えんぴつで種をてん、てん、てん……スイカさん!
『ねえ、みよっち。今日、スイカさん食べようよ!!』
『スイカ? どうして急に?』
『いいからいいから! スイカさん食べよう!!』
□ 文村冬湖
ノートを開いて、しらゆきは何か考えごとをしている。そのとなりで、私は本を読んでいた。夕暮れ時、部室の中はほんの少し薄暗くなるけれど、まだ文字を追うことはできた。茜先輩は、私たちに背を向けて、開け放した窓から外を見ている。
「久しぶりに晴れたね~」
誰に言うでもなく、茜先輩がそうつぶやいた。
「ん? あ、そうですよ! 久しぶりに晴れたから、ウチ、朝から洗濯機まわしまくったんですから!」
しらゆきが茜先輩の言葉を拾って言った。
「雨、好き?」
茜先輩が私たちに背を向けたまま聞いてくる。
「え……好きか、って聞かれたら、ん~、ちょっと苦手かもしれないですけど……。でも、ほら、雨が降らないと田んぼの稲とか、畑の作物が育たないですし。ていうか、それ用にウチのお狐様が動員されるわけですし……」
しらゆきがちょっと生真面目に答えると、茜先輩の後ろ姿がちょっと笑ったような気がした。そして私たちの方を向いて、窓際に寄りかかる。
雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう
「……な、なんですか?」
「八木重吉って人の『雨の日』って詩。雨の日もわるくないよね、って気持ちをのせてみた……」
「へぇ! ぜんぶ読むとどんな感じなんですか?」
「ん? これでぜんぶだよ……?」
「え?」
「そ。この三言だけ。でも、舌先で何度もころがしてると、なんだか楽しくなってくる。八木っちはね、そんな感じのポエマーだから……」
「八木っち? え? もしかして茜先輩の知ってる人なんですか?」
「ん、まあね……」
「ほんとですか!? え、ちょっと探してきます!!」
そう言ってしらゆきは図書室の方に走って行った。私は茜先輩とふたりきりになる。
「……お知り合いの方なんですね?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える……」
「え?」
「それより、詩の方はどう……?」
にんまりしながら、茜先輩は話をそらした。
「えと、なんとか、その……」
「フフ……そう。ゆっくり、ゆっくり、ステキワード、見つけていってね。それが……ちゃんと詩になるからね……」
そう言って茜先輩は私のことをじっと見た。私はなんだか恥ずかしくなって視線をそらしてしまう。
「あっちで一つ、こっちで一つって拾い集めてね。そうそう……いつかとーこが恋の詩なんて書いてくれたら、茜おばあちゃんとしては、とってもうれしいよ……?」
「恋の、詩?」
「そ。こうね……心の庭にチューリップを植えて、8万輪くらいババーンって咲かせる感じ……わかる?」
「……いつか花束になる言葉たちを、ですか?」
それは茜先輩にもらったメモ帳のいちばん最初のページに、茜先輩の字で書いてあった言葉。少し間が空く。部室の中を流れる空気が変わったような気がする。
「え? あの……茜先輩にもらったメモ帳の……いちばん最初のページに……」
茜先輩の口もとに柔らかい笑みが浮かんだ。
「あ、そっか……私も間抜けだね。あれはね、おまじないなの……」
「おまじない?」
「そ。おまじない……」
同じ言葉を繰り返して、茜先輩は寄りかかった窓際から離れた。重さを感じない操り人形みたいに、上から吊り上げられるように。背後のカーテンがふわりと揺れた。
「とーこ……」
茜先輩が近づいてくる。たそがれの逆光。茜先輩の目もとは見えない。口もとにはいつもの……いつもの? 笑みが……笑み? 抱きしめられて、耳もとで……。
「『誰にも言わない』……そうね?」
「は、い……」
茜色の世界がにじんでぼやける。呼吸が、鼓動が、一定でなくなる。体が冷たい。視界がいびつにゆがんで、茜先輩の腕の中でなんとか頷こうとする。自分の体が自分のものじゃないみたい。茜先輩が茜先輩じゃないみたい。でも、どうしてだろう。怖くなかった。私にとってなじみの深い感情が私を包んでいた。よく知ってるはずのその感情は、言葉にしようとしてもできなくて、私はただ茜先輩の腕の中で、自分のからだがここに在ることを感じていた。
ふっと茜先輩の体が私から離れた。しらゆきが戻ってくる。
「茜先輩! みよっち先輩とひなた先輩が何かたくらんでるみたいですよっ!?」
しらゆきが勢い込んで言う。
「間違いないです! あたしのカンがそう言ってますもん!!」
「フフ……そう。楽しみにしてようね……」
ぴっと指さし確認するしらゆきに、茜先輩が楽しげにこたえる。いつもの時間が流れはじめて、私はその中に立っていた。ほんの一瞬の、痕跡も余韻も残さないほどの短い時間。私の中にだけ、眩暈に似た感覚が残っていた。
【引用】
青空文庫・八木重吉「貧しき信徒」より「雨の日」