第2話 「部活見学」2
部室に入ると、そこにはチラシをもらったときに会った三人の先輩がいて、六人はゆうに座れそうな木製のテーブルを囲んでいた。
私たちの姿を見て、茶髪の先輩の顔がパッと輝いた。
「ほら~」
そう言いながら、となりの黒髪の先輩の肩をかるく押したあと、私たちのほうへパタパタかけよってくる。
「わ~、いらっしゃ~い! 見学の人だよね~?」
「はいっ」
神山さんが元気よく答える。
その間に黒髪二つ結びの先輩も席を立って私の横に来た。
「キミ、かわいいね……こーゆーとこ、はじめて?」
「えっ、あ……あの、はい」
「やさしく、してあげるね……ふふ」
イジワルそうに笑って、ぐぐっと顔を近づけてくる。
目のやり場に困って視線を逸らすと黒髪の先輩と目が合った。黒髪の先輩はハッとして目を逸らす。どこでもない自分の目の前の何もないところを見つめて、そしてふいにその黒い瞳がにじんで涙がほおを伝った。私はただぼんやりその姿を見ていたような気がする。どうして泣いているのかわからなかったし、どうすればいいのかもわからなかったから。
「……?」
黒髪二つ結び先輩が不思議そうに私の顔をのぞきこむ気配がした。
「どうしたの~?」
茶髪先輩のそんな声も聞こえてくる。それは神山さんに言ったのかもしれない。一瞬シンとした部室の中で黒髪先輩はうつむき、一度せきをして、そして嗚咽をこらえきれなくなって……
「うっ……うう……ひっく……」
肩を震わせて泣き始めてしまった。
「わ、わ~」
茶髪先輩があわてたふうに黒髪先輩に駆け寄る。
「そっかそっか~、うれしかったんだよね~そうだよね~うんうん」
茶髪先輩はそう言いながら黒髪先輩の頭を抱いて自分の胸の辺りに押し当てた。
「ごめんね~、ちょっとまっててね~」
茶髪先輩がそう言ってる間に、黒髪二つ結び先輩が後ろにまわりこんできて私と神山さんの肩を抱く。
「ふふ……逃がさないよ、っと」
「い、いや、あの、先輩?」
「ほら、かまわないから座って座って」
なにか言いたそうな神山さんにはおかまいなく、黒髪二つ結び先輩が私たちに椅子をすすめてきて、私たちは顔を見合わせる。
「え……な、なに?」
神山さんがやっとそれだけを言った。きっと「え?なにが起きてるの?」って言いたかったんだと思う。
「おひとつどーぞ……」
席に着いた私たちに黒髪二つ結び先輩は紙コップを持たせて、水筒に入ったジュースをついでくれた。ほのかに林檎の香りがする。
「ほら、たべなよ、ね?」
クッキーやチョコレートの乗った大皿を私たちに勧めながら、にんまりする。そして「ほら、こんなふうに」って言うみたいに大皿からイチゴのチョコレートが塗られた棒をひょいとつまんでポキポキ音をさせて食べた。その間も茶髪先輩は黒髪先輩の頭をやさしくあやすようになでていた。
ほんの形だけクッキーをかじりながら、周りを見回してみる。
文芸部の部室になっている図書室の隣の空き教室は、広さが普通の教室の半分しかなかった。教室の後ろの壁沿いには背の低い本棚が並べられ、びっしり本が詰まっている。教室のすみには授業で使う机と椅子がいくつか積み上げてあった。そして教室の真ん中には今私たちの座っている木製のテーブルがあった。
「ごめんなさい。とりみだして、しまって」
黒髪先輩が、最後に目元に残る涙をぐいとぬぐって私たちのほうを向く。
「文芸部へようこそ。私が部長の宮守美夜子です。よろしくね」
この人があのチラシの文章を書いた人なのかぁって思った。流れるような黒髪を人差し指で耳にかけながら、私たちの顔を順番に見る。気の強そうな整った顔立ちと色のうすいくちびるは普段なら彼女に大人びた子という印象を与えるものだと思う。けれど、いまは赤く泣きはらした目が彼女を歳相応の女の子に見せていた。
「副部長の牧野ひなたです。よろしくね~」
茶髪先輩も自己紹介をする。祈るように両手を合わせて、なにかうれしいことがあったかのように、にこにこしている。
「それでこっちが、3年生の立花茜。前に部長だったひと」
宮守先輩が黒髪二つ結び先輩を私たちに紹介する。
「やほー……」
黒髪二つ結び先輩は、くちもとにニヤニヤ笑いを浮かべながら私たちに手を振ってみせた。
「えっと……名前、聞いてもいいかしら?」
私と神山さんの顔をかわるがわる見ながら、宮守先輩は少し遠慮したような口ぶりで言った。私と神山さんはほんの一瞬顔を見合わせる。
「あ、ども、神山しらゆきです……」
神山さんはまださっきの動揺を引きずっているように見えた。人差し指の先でほおをかきながら、あいまいな笑顔を浮かべている。
「わあ~可愛い名前だね~」
牧野先輩が明るく言う。そしてみんなの視線が自然と私に向いた。私はやっと声をしぼりだす。
「ふ、文村……冬湖、です」
「とーこ、さん? どんな字を書くの?」
宮守先輩が聞いてくる。
「あっと……冬に湖で、とうこ、です」
「なんだか、綺麗な名前ね」
「え、あ、はい」
気の強そうな顔立ちに、おずおずした、こちらをうかがうような表情。そんな表情でじっと見つめられると、なんだかどぎまぎしてしまう。
「普段とキャラが違う……どうなってんだ?」
立花先輩がぼそっとつぶやくと、宮守先輩が一瞬ぐっと言葉に詰まったように見えた。立花先輩は宮守先輩をからかえたのがうれしいのかニヤニヤしている。
「そ、それじゃ、これから文芸部について、説明していくわね」
姿勢を正す宮守先輩。
「……といっても難しいことは、なにもないんだけど。ここが文芸部の部室ね。放課後はここに集まって、お話を書いたり、読書をしたり、誰かの作品の感想をみんなで話し合ったりしてるの。それで……」
宮守先輩はそこでちょっと言葉を切ると、牧野先輩から冊子を2冊受け取って、私と神山さんの前に1冊ずつ置いた。
「年に3回くらい、こういう部誌をつくって、図書室に置いたり文化祭のときに文芸部のコーナーで配布したりしてるわ」
その冊子は、私の広げた手のひらより一回り大きいくらい、ちょうど国語の教科書くらいの大きさだった。厚さは私がいつも使ってるノートの半分くらい。白地の表紙に「詩と物語」と大文字で書かれ、そのすぐ下に小さく「新百合ヶ丘高校文芸部・平成2X年冬号」と書いてある。手に取ってみると、真新しい本のにおいがした。
「よかったら、持って帰って読んでみてね」
宮守先輩が、はずかしそうにぎこちなく笑った。
「ねえねえ、二人はいままでお話とか書いたことあるのかなっ?」
いままで宮守先輩の横顔と私たちとを交互に見ていた牧野先輩が、私たちに話しかけてくる。繊細そうな顔立ちにおっとりとしたほほえみを浮かべていて、その表情に上品に染められたこげ茶色の髪がよく似合っていた。
「や、ぜんぜんないです」
神山さんが答えて、わたしもうなずく。
「そっかそっかぁ。でも大丈夫だよ。すぐに書けるようになると思うんだぁ。はじめはね、自分のあたまの中のイメージと実際に書けた文章のギャップにとまどうかもしれないけど……でも、だんだん言葉に慣れてきたら、自分のイメージをちゃんと文章にしていけるようになるんだよ。そうなったら、とってもたのしーから、ね?」
細い指先を胸の前で絡めて、牧野先輩はにっこり笑う。
「な、なるほど……」
神山さんはなぜか、少し引いてるみたいだった。
「で、でも、それってあたしにもできるようになるのかなーとか……」
神山さんの問いに、牧野先輩はうなずいて言う。
「できるよっ。物語はね、祈りのようなものなんだよ。誰かに届いてほしいって、そう思いながら書けば……きっとできるよ」
かすれたような甘い声。優しげなひとみで、じっと神山さんをみつめる牧野先輩。神山さんはと見ると、そのほおがぽおっと赤く染まっていった。
「ん?」
牧野先輩が顔を傾げる。神山さんはほおを赤く染めたまま、引きつった笑顔を浮かべた。
「あっ、と……その、わかりました」
「よかった」
ふんわりと笑う。神山さんは引きつった笑顔のまま固まっていた。
「それじゃあ……」
牧野先輩が、ふっと私のほうへ視線を移す。なぜかドキッとした。
「文村さんはどうかな? 例えば、好きな本、とかある?」
「えっと、あんまり……マ、マンガとかなら……」
「そっかぁ。じゃあ、どんなマンガが好き?」
「いや、とくに、その……」
私は姉さんの部屋にある本やマンガをよく読んでいた。ページをめくるだけで楽しかった。気に入ったものもたくさんある。でも、こんなふうに改まって聞かれると、なんて答えたらいいのか分からなかった。
「えっと、いろいろ……いろいろです……」
「そっか」
やっぱり牧野先輩はふんわり笑った。
「あのね、マンガでも小説でもね、その後ろにはそれを作った人がいるんだ。だから、お話にはかならず、その作った人の心に関係のある秘密が隠されているんだよ」
「えっ?」
「だからね、それを見つけようとしながら読むと、きっと楽しいよ」
本当に楽しいよと念を押すような笑顔の牧野先輩。と、ここで神山さんが急に大きな声を出した。
「す、すいません! ちょっとお手洗いに行ってきます! 文村さん! 一緒に行こ!?」
神山さんは私の返事を待つことなく、私の腕をぐいぐいひっぱって文芸部の部室を出る。そのままお手洗いの前を通り過ぎ、廊下の端まで行って曲がり、階段の踊り場までやってきた。
「神山さん? どうしたの?」
「やばい、もうやばい」
「……?」
振り向いた神山さんの顔は、のぼせたように真っ赤だった。
「吐く。これもう砂糖吐く」
苦しそうに言う。宮守先輩のまなざしと牧野先輩の声、それに先輩たちの髪の毛のにおいとクッキーとチョコレート……私も神山さんの言いたいことがなんとなく分かった。
「だいじょうぶ? つらいなら、あんまり無理しないほうが……」
「いや!」
神山さんは私の言葉をさえぎって、ふうっと大きく深呼吸する。
「ここで退くのは、あたしのプライドがゆるさない」
私の両肩をがっとつかんで、そう言う神山さん。
「のまれてたまるか、よし!」
先にたって歩き出す。そのうしろ姿は、いつかテレビで見た、ハーフタイムが終わってフィールドに戻るときのサッカー選手のそれによく似ていた。
戻る途中、洗面台で顔を洗って、ハンカチで顔をぐいぐいぬぐう神山さん。私には、そんな神山さんがどこか楽しそうに見えた。