第12話 「雨の降る日/部誌のゆく先」2
■ 古屋雄太
「早起きは三文の得」ということわざがあるが、そんなものは本当にただのことわざで、僕の人生とは何の関係もないものだ。僕の場合、たいてい逆のことが起きる。
目が覚めたとき、部屋の時計はちょうど朝の6時を指していた。こういう健康的な時間に起きてしまったときは、まず間違いなく、ろくでもないことが起きる。その証拠にカーテンの向こうから雨の音が聞こえてくる。普段からバス通学ではあるが、雨の日のバスの車内は極めて湿度が高く、健やかな一日の始まりとしては不適切にも思える。ここはひとつ二度寝をして、何らかの調整が行われることに期待してみるべきだろう。
「起きてるの!? いつもギリギリの時間に行って!! たまには余裕をもって行きなさい!!」
親にたたき出されるようにして雨の中をバス停へ。やってきたバスに乗り込むと案の定、眼鏡が端から曇り始める。なぜ眼鏡買うときに曇り防止加工をしてもらわなかったのか。キズ防止加工だけしてもらった自分のバカさ加減にうんざりする。
やっとこ学校最寄のバス停に着く。ここから教室の自分の席までが僕の最も憂鬱な時間だ。まわりに知り合いが現れないことを祈りつつ、うつむき加減に残りの通学路を踏破する。
教室に入って、周りを見回す。雨の日はほとんどの生徒が教室にいて、外は暗く、教室内は電灯が灯って明るい。いつもと違う雰囲気がクラスの連中のテンションをやや高めにしている。おしゃべりの通低音に時折甲高い笑い声が混じる。何事も無いように念じながら自分の席に向かうと、前の席の長峰が小冊子のようなものを熱心に読んでいる。「放課後の貴重な時間を宿題に費やすなど愚の骨頂」などという信念を掲げ、この時間帯はいつも宿題の処理に追われている長峰が今日に限って違うことをしている。嫌な予感がする。
「よぉ、委員長! 今日は早いな?」
「別に……早いか?」
「これ、委員長の分も取っといてやったぞ」
「……なに?」
見れば、長峰が持っているのと同じ小冊子のようだ。まず目につくのは、いかにも女子が書いたように見えるイラスト。女子ばかり5人分の顔と、一匹の三毛猫の顔。顔だけだから割とシュールな絵づらだ。その周りを星だの集中線だのが取り巻いている。色づけは色鉛筆のようだ。その上に「詩と物語・平成2Y年 春と夏の間号」とある。
「なにこれ?」
「とーこちゃんとしらゆきの書いたのが載ってるんだよ。委員長もちゃんとチェックしとけよ?」
「……何で僕が?」
「何でって、お前、委員長だろ? クラスの動向、把握しとかないとだろ?」
「いや、そんな義務はないよ」
「いーや。ある、あるね」
時々思うのは、根拠の無い断言ができるやつは生きるのが楽しいだろうな、ということだ。
「とにかく、こういうイベは消化しとくもんだぞ!」
謎理論を展開し、僕に小冊子を押し付けて、長峰はまた前を向く。朝のホームルームが始まるまで、まだ間があった。仕方無しに、その小冊子をめくってみる。
「おっはよー!」
「おはよ……」
しばらくして、件の神山と文村がやってきた。
「ふぃ~」
勢いよく椅子に腰掛け、神山は首筋の汗をハンカチでぬぐっている。いかにも「合羽着てチャリこいで来ました」と言わんばかりだ。かたや文村冬湖は「親に車で送ってもらいました」といったていの涼しげな顔をしている。
「なぁに読んでんのぉ? ……あれ?」
先に異変に気付いたのは、神山の方だった。
「え、ちょっとちょっと!!」
僕と長峰から小冊子を奪おうと手を伸ばす。僕に対する手の動きがやや遠慮がちなのは、まあ、そういうことなんだろう。すぐにターゲットを長峰にしぼって、机に覆いかぶさるようにして読み続けるのを、肩を揺さぶって阻止しようとしている。
「こら! 出しなさい!」
「うっせーな、今いいところなんだよ……!」
「出しなさいってぇ……!!!」
「『コハル! 行きましょう!』『はい! コノハナちゃん!』チキショウ!! これからどうなっちまうんだ!!? 二人は雪の花を見つけられるのか!? 病気の女の子は治るのか!!!? 目が離せねえッッッ!!!」
「にゃぁぁぁぁぁぁぁ……!!!!」
神山は長峰の肩を引っ張って、強引に机から引き剥がそうとしている。顔がやや赤くなっているようだ。そんなに恥ずかしいなら、なんで寄稿したんだ?
「『お任せください、コノハナちゃん。こんなこともあろうかと、わたくし、空を飛ぶ魔法を習っていたんです!』『まあステキ』!!!!」
「ふにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
神山の攻勢にもめげず、長峰は作中の台詞を読み上げているが、そろそろ分が悪いようだ。立ち上がり、神山を引きずりながら机の間を踏ん張りつつ歩いていく。
「『さあ、しっかりつかまっていてくださいよっ! とおっ!』」
「あにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
長峰の肩越しに神山の手が伸びるが、かろうじてかわしている。二人はすでにクラスの注目をあびている。どの顔にも好奇や一騒動への期待が見て取れる。
「おい、おい誰かっ!!」
もう持たないと察したのか、長嶺は小冊子を誰かに預けようとし、たまたま目の前にいた小太りの末松武がこれを受け取った。
「末松くん、かえして!」
「受継いでくれっ! 俺の遺志をっ!!!」
長峰にブロックされつつも、やや恐めの笑顔で手を伸ばす神山に、末松は戸惑っているようだ。
「よしっ!! まかせろ!!」
その末松の隣にいた男子が末松から小冊子を取り上げ、開いたページに目をやる。ウチのクラスのバカ代表、今枝修一だ。
「え~……『それでは、四季の森にしゅっぱーつ!!』」
「ちょっとぉ!!!!」
今枝に目標を変更し、神山が襲いかかっていく。男にしては小柄な今枝は敏捷な動作で机の間をかいくぐりつつ、なんとか切れ切れに台詞を読み上げていく。クラスのあちこちで笑い声や歓声があがる。
「え? なになに?」
「ほら、しらゆきの、文芸部の」
「ああ例の……」
僕の席の近くでは藤沢と井上がそんな会話を交わしている。
「だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「あーっヤバイ!! ヤバイヤバイ!!」
神山の捨て身のタックルが功を奏し、今枝はとっ捕まった。後ろから腰のあたりに組み付かれ、そのまま手に持った小冊子に手を伸ばされる。
「おいちょっと!! 誰か!!」
手を出来る限り伸ばし、なんとか取られないようにして、また誰かにパスを回そうとしているようだ。
その小冊子をひょいと取り上げた女子がいる。長身の、美貌といってもいい顔立ちの女子。だが、あの薄い唇に浮かぶ笑みにはどこか酷薄さを感じさせるものがある。たしか、よくウチのクラスに来る、神山の友人だったはずだ。名前は高原莉香子、だったか。
「リカコ!! パス!!」
神山の呼びかけをスルーし、高原は開いたページを読むような格好で、ゆっくりと教卓の方へ歩いた。教卓の前に立つと、開いた小冊子を右手に持ち、愛想のよい笑顔を浮かべつつクラスを見回す。
「コノハナ姫とコハルの冒険! 作、神山しらゆき!」
素人ばなれした声量と、りんとした声が一瞬でクラス全員の注意をひきつけた。
「『コハルはコノハナ姫にお仕えする侍女です。今日も朝になったので、コノハナ姫を起こすために寝室へと向かっています』……」
ページから目を離し、一瞬、神山の顔を見たようだ。
「『おはようございます、姫さま!』『おはよう、コハル』」
台詞の部分は感情を乗せて、そして地の文は落ち着いてよく通る声で朗読をしていく。基本的にページに目を落としているが、ときおり誰かの視線を捕まえようと周りを見回したり、登場人物の台詞の際、表情をつくって小芝居を混ぜたりと、聴衆の興味を引く工夫を凝らしている。
クラスの連中は彼女の朗読に聞き入っている。神山は狭間の席に座って頭を抱えている。表情は見えないが、首筋が真っ赤になっているのが見えた。その隣では狭間が笑いながらしらゆきの肩を叩いている。
朗読は進み、やがて最後の、登場人物の二人が城に戻ってくる段にさしかかった。
「『今日はとってもたのしかったわ、たくさん冒険したわ』『はい、姫さま』」
そこまで読み上げた高原が本を閉じた。そのままそれを教卓の上に置き、教壇を下りて神山の方へと歩く。
「『ほら、コハル。私と踊りましょう?』」
台詞をそらんじながら神山の手をとった。神山は為されるがままに、おぼつかない足取りで教壇に上がる。
「『今日、コハルとは踊れなかったから。わたくしと踊るのは嫌?』」
「あー……」
顔を真っ赤にしている神山はすでに頭が働かなくなっているようだ。
「『そんなことありません! 踊りたいです!』」
神山の台詞をとりながら、高原はなぜかとてもうれしそうにしている。つないだままだった手を高く掲げて、軽く腰をかがめる。社交ダンスで踊り始める前にやるようなあれだ。つないだ手を離して、その手を神山の背中に置き、もう片方の手を神山の手のひらと合わせる。そのまま二人は教壇の上でワルツのようなステップを踏み始めた。
クラスの連中は歓声を上げ、手を叩く。
「たまんねえぜ!! ふぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
バカ代表の今枝が奇声をあげる。手拍子と歓声の中、二人は踊っている。たどたどしくも楽しげな様子が、クラスの連中の興をそそっているようだ。
最後に高原が神山をくるりと一回転させ、ダンスは終わった。高原が優雅に一礼する。拍手と歓声が巻き起こる。
神山は真っ赤な顔のまま、おどおどと笑っている。一番後ろの席からでも、ひたいが汗ばんでいるのがわかる。そろそろ湯気でも出てきそうだ。
「サインもらおうよ! サイン!」
「サイン!? あはは!」
「はーい、並んでください、一列! 神山しらゆき先生のサイン会場はこちら~」
「あ、俺も」
高原から教卓の前に立たされた神山の前に、クラスの中でもノリのいい連中がノートや手帳を片手に列をなす。その隣の高原は、マネージャーよろしく、どこからか取り出したペンを神山に握らせている。いったい何をやってるんだ、どいつもこいつも……。
ふと、隣の席を見てみる。普段と変わらない表情で、文村が騒ぎの方を見ていた。相変わらず表情が読みづらい。胸の前で両手をゆるく合わせているのは、さっき拍手した名残だろう。彼女は彼女なりにクラスの輪に加わろうとしているようだ。「五十歩百歩」ということわざが頭をよぎる。「踊る阿呆に見る阿呆」という言葉も。
「ふぅ……」
ため息を吐いた。もっと静かで大人しいクラスでも良かったのに。そんな感想が頭に浮かんだ。




