第2話 「部活見学」1
私が幼稚園児のころ、小学生のころ、中学生のころ……私の周りにはいろんな人がいた。明るい人、暗い人、面白い人、やさしい人、怒りっぽい人、私にはよくわからない人、本当にいろんな人が。
その誰もが、私にとってまぶしくて、そして私から遠かった。でもそれでよかった。私は気楽だった。遠くから勝手に一方的な感情を持っていればよかったから。それに、私と関わることで、その人たちの運命が少しでも悪いほうへ傾いてしまうのが怖かった。さみしいと思ったことは一度もない。いつでも私には姉さんがいた。
帰りのホームルームの前、先生が教室に来る前の時間。私は文芸部の部活勧誘のチラシとにらめっこをしていた。姉さんの言うとおりにしようと思ったけど、いざ本当に行くとなると、急に胸がドキドキしはじめていた。私が行って迷惑にならないかなって、そんなことばかり考えていた。ちゃんと話せるかなとか、そんな心配をしていた。
隣の席を見ると、今日もめがねくんはコンピューターの本を読んでいる。今日はブックカバーをつけてなくて、「Ruby」と書かれた表紙が見えた。本を読んでいるその姿はまわりの人たちにまるで関心がないように見えた。そういえば入学式の日もいつの間にかいなくなっていた気がする。
私の前の席では部活勧誘のチラシを選り分けている神山さんに帰り支度を終えた長峰くんがちょっかいを出し始めた。
「なんだよ? お前、部活やるのか?」
「んーまァねー……」
「で、どれにすんだ?」
「んー……まだわかんない……」
そういいながら、神山さんは顔を上げて長峰くんのほうを見る。
「そーゆーあんたはどうすんのよ?」
「俺か? 帰宅部に決まってんだろ」
「へえ?それでいいのぉ? たしか『高校生活で甘酸っぱい思い出つくったるずぇ~』とかなんとか言ってなかった?」
「それはそれ、これはこれ。俺も結構いそがしい体でね」
「あっ、そ!」
笑いながら長峰くんのせりふを受け流す神山さん。と、長峰くんがこちらを向く。
「文村さんはどーすんの? 部活、やるの?」
「あ……えと……」
私は返事に困って、持っていたチラシを見せた。
「……文芸部? あーなんかそんな感じだよなぁー!」
「文村さん、文芸部入るの?」
神山さんもこっちを向いて興味津々といったふうに聞いてくる。
「あ、いえ……ちょっと、見に行ってみようかな、って」
「へぇー、そっか、そっかぁ~……。あ、あれだよね、『あなたの想いを言葉にする』とかなんとかのやつ」
「あ、うん。そう……」
「あたしもちょっと気になってたんだよねー……。あ、そうだ! ね、一緒に行かない? 今日、行くよね?」
「あ、はい。いいですよ……」
「決まりだね!」
神山さんはなぜかうれしそうだった。
「それじゃ、あたしたちは部活見学行ってくるから! あんたはとっとと帰りなさいよ」
「お前なあ……」
返事に困った長峰くんが、本を読んでいるめがねくんを見た。
「……なァオイ、あんたも帰宅部なんだろ? わかるぜ、俺と同じ匂いがするもんな。コイツになんか言ってやってくれよ」
私は、あっと思った。めがねくんは誰かに話しかけられるのがいやだから本を読んでるんだって勝手に思っていたから。きっと、長峰くんはむっとされたりいやな顔で見られたりしてしまうんじゃないかなと思って心配になった。
そんな私の心配をよそに、めがねくんはわりとあっさり本から顔を上げ、穏やかな声で言った。
「さあ? みんな自分のやりたいようにやればいいと思うよ」
「だよな、自分の道を貫かねえと」
長峰くんは大げさな笑顔をつくって、ぐっと親指を立ててみせる。
「やりたいことがたくさんあるからこその帰宅部なんだよな」
「そうだね、家に帰ってからが勝負みたいなところはあるよ」
そのとき、同じクラスの男の子が私たちのほうへやってきて、めがねくんに話しかけた。
「おい、今日のホームルームでクラス委員きめるらしいぞ。古屋、お前、委員長やるよな」
「いや? やらないけど?」
「やるんだよ。じゃ、まかせたぞ」
そういってまた、私たちから離れていく。
「なんだよ、あれ?」
「前の中学でも同じクラスだった奴なんだ。そのときも僕が委員長だったから……」
「なるほどな。まぁ安心しろ、俺たちもお前に入れてやるからな。えーと、古屋……雄太、だったよな?」
「ああ……うん」
古屋くんは微妙な顔をして、神山さんの方をみた。
「いいんじゃない? その眼鏡、委員長っぽいし!」
神山さんはピッと指差し確認しながらそんなふうに答える。私の方も見る古屋くん。私はとりあえずうなずいておいた。
「ああ、ね……」
苦笑いをする古屋くん。そうして結局、ホームルームで古屋くんは委員長に選ばれていた。
「じゃあな!」
ホームルームが終わった後、そういっていきおいよく駆け出す長峰くんと、げんなりしつつもその後に続いた古屋くんを見送って、私たちも席を立つ。
「それじゃ、いこっか!」
神山さんの言葉に私はうなずいた。
「図書室の隣の空き教室……と」
「……はい」
廊下に出て、下校する人たちや私たちと同じように部室めぐりをしようとしている人たちの間を縫って図書室の方へと歩く。人の多いところを抜けると、私の半歩前を歩いていた神山さんが私と肩を並べて歩き始めた。
「文村さんもさ、このチラシの文章が気になったって感じなの?」
「あ、はい」
「だよねー。私も、どーゆー人がこーゆー文章書くのか気になったんだー。顔見てみたくなったって言うかさ。なんてゆうか、こう……こそばゆい、よね」
「……?」
こそばゆい? 神山さんの感想を聞いて私は少し戸惑っていた。自分があの文章を読んだときどんな風に思ったのか、ぜんぜん思い出せなかったから。ただ「想いを言葉にするところから物語ははじまります」という言葉が自分の胸に引っかかっているような気がしていた。でもどうしてひっかかったんだろう? それは分からなかった。姉さんはこの文章を読んで私に「高校生活を楽しんでほしい」と言った。それは姉さんがこの文章を好きになったということ。でもどういうところを好きになったんだろう? 帰って姉さんに聞いてみようと思った。
「文村さん?」
「えっ……あ、うん、そうだよね。なんだかむずむずしちゃうよね……」
「そうそう!」
話しているうちに私たちは西棟の三階にある図書室の前に来ていた。図書室の向こうにチラシにあった空き教室らしい教室が見えて、私たちの教室と同じ木製の引き戸が開け放したままになっている。
「お、あそこかな?」
「うん」
並んで歩く私たち。開け放された引き戸まであと数歩というところまできたとき、中からの声がかすかに聞こえる。
「だいじょぶだいじょぶ!心配しすぎだよ~! だって……」
その声は、私たちの足音が聞こえたからなのか、そこでふっと途切れた。神山さんはその声が聞こえなかったのか、そのままずんずん歩いて空き教室の敷居をまたぐ。
「失礼しまァーす!!」
神山さんのすぐ後から、私も文芸部の部室へと入った。