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新百合ヶ丘高校文芸部☆  作者: m8eht
はじめての物語編
33/67

第10話 「お話作りの途中で」6

□ 文村冬湖


 時刻は午後7時半を少し回ったところだった。居間のソファで、私は迷っていた。しらゆきに電話をかけようとして、かけることができずにいた。

 今日、私は莉香子さんから中学時代のしらゆきのことを聞いた。しらゆきが陸上部だったというのは聞いたことがあったけど、最後までレギュラーになれなかったこととか、それでも頑張ってたこととか、そんな話を聞いたのは初めてだった。明るく笑うしらゆき。私が知ってるしらゆきは、そんなしらゆきだけだった。

 私はしらゆきのことを何も知らない。クラスメイトと少しずつ話せるようになったときも、二人でお出かけしたときも、私はしてもらってばっかりで、しらゆきのことを知ろうとしなかった。そういえば、部誌に載せる詩を書くときも、しらゆきは何でも聞いてねって言っていたけれど、結局、私は何も聞かなかった。しらゆきのことなら、なんとなく書けるような気がしていたから。実際は、そんなことなかったのに。なんだか心がちくちくして、しらゆきにすまない気持ちになる。

 ソファに横になって手の中で携帯電話をもてあそんだ。ときおり、お風呂場の方から、かすかに水の音が聞こえてくる。

 莉香子さんは、かけない方がいいと言っていた。しらゆきが寝てたらかわいそうだからって。藤沢さんや井上さんもしらゆきを心配していたから、もうお見舞いの電話をかけてしまったかもしれないし、だから私の相手までするのは風邪をひいてるしらゆきにはつらいかもしれない。そんなことを考えるけれど、でも、なんだかやっぱり声が聞きたいような気もする。

「7時34分……しらゆき、まだ起きてるよね……」

 起き上がって、座り直してから、ディスプレイにしらゆきの番号を表示させる。そして、思い切って通話ボタンを押してみた。少しして呼び出し音が鳴り始める。どうしてか、胸がドキドキした。呼び出し音が途切れた。

「あ……」

 私はうまく声が出せなかった。

「え、と……とーこ、さん?」

 電話の向こうのしらゆきが、なぜか私をさん付けで呼んだ。

「う、うん、ごめんね。しらゆき、寝てた?」

「う、ううん? 起きてた、よ?」

 私はやっと少し安心する。

「風邪、ひいたの?」

「そ、そうなの、コホコホ」

 なんだか少しわざとらしい咳だったような気がする。そして、その声を聞いたとき、私にはしらゆきの笑顔が見えたような気がした。いたずらが見つかったときの子どものような、照れ笑いのしらゆき。

 会話が途切れる。私は自分が何の話題も用意せずに電話したのに気付いて、あわてて話題を探した。

「えと、ね、しらゆき……」

「う、うん」

「か、風邪をひいたときはね、あったかいものを食べて、あったかくして、たくさん眠って……えと、すれば、いいんだよ……」

 昔、私が風邪をひいたときに、姉さんが私に言ってくれた言葉をそのまま繰り返した。私に思い付けた言葉は、それだけだった。

「えと……それじゃあね、しらゆき」

「う、うん……また、明日」

「うん、また明日ね」

 電話を切って、ほっと一息ついた。しらゆきは元気そうだった。電話してよかったって思った。ちょっと話すのが短かったかもしれない。でも、姉さんが昔、怪我や病気のお見舞いは短い方がいいよって言ってたような気もするから、これはこれでよかったかもしれないとも思う。そんなことを考えながら、私はまたソファに横になった。

「とーこ」

 お風呂上りの姉さんがやってくる。ほおが少し赤くなって、ほかほかとあったかそう。

「どうしたの?」

 ソファの前のふわふわしたカーペットに座りながら、姉さんが聞く。

「なんだか、うれしそう」

 からかうように笑って、姉さんは私の鼻をやさしく突っついた。

「なんでも……ないよ」

「ふうん……?」

 姉さんが私の髪の一房をもてあそぶ。私にはそれがくすぐったい。

「誰かに電話してたの?」

 そう聞かれて、私はなんだか、答えるのが恥ずかしかった。

「あててみようか? しらゆきちゃん、かな?」

 あてられて、私は頷く。姉さんとしらゆきは一度だけ、私としらゆきが一緒に映画を見に行った日に会ったことがあった。あのときに私は、誰とでも仲良くなるしらゆきをうらやましいと思ったんだった。

「しらゆきちゃんっていい子だね。明るくて、元気で……ふふっ、お姉ちゃんもしらゆきちゃんのこと、好きになっちゃった」

 好きって言葉が面映い。でも、姉さんがしらゆきのことをそんなふうに言ってくれて、私はうれしかった。

 私は目をつむった。姉さんのいる方から、水に溶けたシャンプーの匂いがする。姉さんは私の手に自分の手を重ねて、少しもてあそぶみたいにした。

「ねえ、とーこ……」

「ん……?」

「この世界にはね、悩みのない人なんて、いないんだよ」

「えっ?」

 目を開けると、いつもの姉さんのやさしい笑顔がそこにはあった。

「もし、とーこの前でいつも明るく笑ってるなら、それはとーこに心配かけたくないからなんだよ」

 姉さんの口調はとても静かで、それは姉さんが私に大切なお話をするときの口調だった。

「例えば、しらゆきちゃんが一人で悩んでて、でも、とーこに心配かけたくなくて、明るく笑ってるなら……とーこはちゃんとそれに気付いてあげてね。そしてしらゆきちゃんのこと、守ってあげてね」

 私を優しく見つめながら、姉さんはそう言った。どうして姉さんが急にそんなことを言ったのか、私には分からなかった。でも、姉さんがそう言うなら、そうしたい。それにもし、しらゆきが一人で悩んでるなら、私はしらゆきのために何かしたい。私はそう思った。

「うん」

 だから私は頷いた。また目をつむる。姉さんの匂いとあたたかさを感じる。手の中には携帯電話があった。今日、しらゆきに電話できて本当によかったって思った。


▼ 高原莉香子


 家に帰りついたのは午後9時を過ぎてからだった。母親の私をなじる声を聞き流しながら、自室へと戻った。姿見の前に立つ。そこには、今日という時間を過ごしてなお緩むことのない美貌の女が立っていた。その表情は冷たく、少しの間、私は見惚れていた。

 放課後、演劇部の友だちと街で遊んだ。しらゆきの中に私がいることを知って、私はずっと上機嫌でいられた。それは皆に感染した。笑いの絶えない時間を私は過ごした。しらゆきは、今どうしているだろう。

 ――しらゆき。

 その名前を聞いて、姿見の中の女がくちびるに微笑みを浮かべる。恋をする女の顔をして、一心に私を見つめている。背筋にぞくりとするような恍惚感が走った。ここにいるのは私と彼女だけ。


 お風呂から上がり、部屋着に着替えたころには午後10時をまわっていた。友だちからのメールに返信し終えた後、私は何か物足りない感じを持った。

 ――しらゆき。

 伝え聞いた話だけでは物足りなくなっていた。しらゆきの声を聞いて、しらゆきの中に私がいることを確かめたくなっていた。電話帳からしらゆきの番号を呼び出す。10時14分。いくらしらゆきでも、まだ起きているだろう。耳の中で続いていた電子音が途切れた。

「ふぁい……もしもし……」

「あっ、しらゆき? ごめーん、寝てた?」

「うん……でも……だいじょおぶ……」

 寝起きでも機嫌が悪くならないのが、しらゆきのいいところだ。眠たげに笑うしらゆきの顔が目に浮かぶようだった。

「そか。風邪ひいたっていうから心配しちゃった。もう大丈夫なの?」

「うん。もう治った、と思う」

「そうなんだ、よかった!」

 まだ電話を切りたくなかった。しらゆきが食いつきそうな話題を探す。

「そ~だ! 今日さ、とーこちゃんと一緒にお昼食べて、たくさんお話しちゃった! とーこちゃんってすごくいい子だね!」

「えっ、うん」

「しらゆきの陸上部時代のあれやこれやを、ちゃーんと吹き込んでおいたからねぇ! 明日をお楽しみに!」

「な、なんか変なこと言ったりしてないでしょーね!?」

「さぁ~? どぉ~かなぁ~?」

「ちょっとぉ!!」

 ――おや?

 しらゆきはすっかり目が覚めたようだ。それと同時に、私は違和感を持った。しらゆきの声にカラ元気だけじゃない明るさを感じた。

「しらゆき? なにかいいこと、あった?」

「えっ? どうして?」

「ん~、なんか声が明るいし」

「えへへ、えと、さ、夕方にとーこから電話あったんだよね、お見舞いの。それでまあ、うん、そんな感じ、かな?」

「へぇ~よかったじゃ~ん! 愛されてるよぉ~」

「そんなこと、ないと思うけど……」

 しまりのない笑顔を浮かべるしらゆきの顔が目に浮かんだ。ふと首をめぐらすと、姿見の中の女が私を見ていた。その女の目は光をなくしていた。この世界に興味を失ったような無表情で私を見据えている。

「そうだよ、愛されてるよ、しらゆき……」

 今にも棘のある言葉が口から出てしまいそうだった。かろうじて彼女を押さえ、私はしらゆきを心配しているふうを装う。

「でも、焦っちゃだめだよ、しらゆき。私のときは実習の最終日だったからまだよかったけど、とーこちゃんの高校生活はまだ始まったばかりなんだから。今、しらゆきと気まずくなったら、とーこちゃん、かわいそうだよ」

「うん、それは……ちゃんとわかってるよ」

「ごめんね、こんなこと言って」

「ううん、いいの、ありがと」

 しらゆきの声が沈んでいく。それでも胸のざわざわした感じは収まらない。

「それじゃあね、しらゆき。また明日、学校でね」

「うん……電話、ありがと」

「うん、それじゃ」

 電話を切った。舌打ちをして、それを投げ出す。

 ――電話かけるな、って言ったのに!!

 かけるなって言ったのに、電話するなって言ったのに、どうして? 私は理解に苦しんだ。あのとき、たしか文村冬湖は「そうですよね」と言っていたはずだ。

 ――あれは嘘だったの?

 目の下がチクチクする。ぬぐっても目のかすみがとれない。

 イライラした。電気を消し、ベッドに潜る。頭がぐるぐる回っている。今は体中がざわざわ言っている。ふとんが重く暑苦しく感じる。何度も寝返りを打つ。眠れない。そして突然。

 ――ふふ。

 笑いがこみ上げた。可笑しかった。しらゆきと文村冬湖の友情ごっこが可笑しかった。今は友だち面していても、いつかしらゆきの本当の気持ちに気付いたとき、文村冬湖はしらゆきを捨てる。必ず、そうなる。

 しらゆきの告白に引き攣った笑いを浮かべるあの女の姿を想像する。それはひどく滑稽な姿だった。大体、あんなぼんやりした何を考えているのか分からないような女には、何も出来はしない。

 そう考えて、やっと安心できた。枕を顔に押し当てる。やっと眠れそうだ。さっきの考えをもう一度反芻する。心が落ち着いた。もう一度。何度も反芻する。いつまでも眠れない。イライラして飛び起きて、また横になり、それでも眠れない。また起きて、窓を開けて夜風にあたり、また横になる。眠れない。

 誰も居ない階下におりる。水を飲み、テレビをつけた。深夜番組の笑い声を聞いて、やっと少し気がまぎれた。


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