第10話 「お話作りの途中で」5
▼ 高原莉香子
朝、しらゆきに会いたくなって、しらゆきの教室に行く。でもしらゆきはいない。しらゆきの机の周りには文村冬湖と長峰大地と、それから私の知らない子が二人いた。
「とーこちゃん、おっはよぉ~」
「あ、おはようございます」
「しらゆきは? まだ来てないの?」
「あ、はい。まだ来てないです……」
教室の時計を見る。8時10分。
そのとき視線を感じた。見ると、私の知らない二人が私のことを見ていた。私は笑顔を作る。
「あ、どーも! しらゆきの幼馴染み兼保護者です!」
私の知らない二人が笑う。
「ていうか、演劇部の人ですよね!?」
「今年の演劇部にすごい美人が入ったって聞きましたけど!」
「え~なんですかそれ~? 全然そんなことないですよぉ~」
悪い気はしなかった。私がそんなふうに言われていることを、しらゆきにも知ってほしい。あなたに恋焦がれている女がどんな女なのか知ってほしい。文村冬湖は会話に加わろうとしない。一歩引いたところで、私たちのやりとりを眺めている。
「で? こいつはなにやってるんだろ?」
「長峰くん、最近はいつもこうですよ。宿題、朝やってるんです」
「へぇ、そっかぁ。あ、ここ間違ってる!」
長峰大地の赤ペンで書き込みを入れようとしてみる。
「やばいって! マジやばいんだって! ちょっと邪魔しないで!!」
切羽詰ってる長峰大地を、知らない子たちといじる。そうしているうちに時間が過ぎる。8時15分。しらゆきはまだ来ない。
「あ~、その席いいですか?」
振り返ると、眼鏡の男が私の寄りかかっている机を指差している。それをしおに、しらゆきの教室を出た。8時16分。廊下に出て左右を見ても、しらゆきの姿は見えない。しらゆきが遅刻するなんて珍しいことだった。
――でも、もしかしたら。
そんな期待に胸が高鳴った。このまま来ないことを心のどこかで願っていた。来なかったら――それは何かが動いたことになるから。
昼休みになる。お弁当を持ってしらゆきの教室へと向かう。やっぱりしらゆきはいない。
「こんにちは、とーこちゃん。しらゆきは来た?」
「しらゆきは今日お休みだそうです。風邪をひいたって先生が……」
それは心がズキリとするような愉悦だった。しらゆきの中に私がいる。しらゆきの心に私の言葉が刺さっている。かろうじて笑みを押さえ、驚いた顔を作る。
「そーなんだ!? めずらしいね、しらゆきが!」
「なんとかは風邪をひかないって言うのにな?」
長峰大地がまぜっかえす。
「そういえば、あんたも風邪ひいたことないよね?」
「何言ってんの!? 年中風邪ひいてるが!?」
「あはは!」
自分でも嫌になるくらい、笑い声に弾みがついた。文村冬湖は弁当箱を机の上に出している。
「あ、とーこちゃん! 今日、お昼いっしょに食べない?」
「え? あ、はい」
「ねえ、しらゆきとはいつもどこで食べてるの?」
「ええ、と……裏の、池のところとか、です」
「そうなんだ? じゃ、そこ行こう!」
雑木林の中に池がある。来たのは初めてだった。私たちの他には誰もいない。二人でベンチに腰掛ける。文村冬湖は何も言わず、膝の上に弁当箱を広げる。どこまでもマイペースだ。その横顔をじっと見る。
「とーこちゃんって、かわいいよね」
「え? あ、あの……そんなことないと思いますけど……」
「謙遜しなくていいよ。本当にかわいい」
文村冬湖の髪に触れてみると、それは柔らかく指どおりがなめらかだった。私が触れても文村冬湖は嫌がるふうもない。ただ触られるまま、気持ち目を伏せている。本当にこんなところが絵里に似ている。
「いつもはしらゆきとどんな話してるの?」
「ええと、部活のこととか、読んだ本のこととか……」
「へえ! しらゆきってどんな本読んでるの?」
「ひな……あ、えと、先輩に勧められて、宮沢賢治とか読んでるらしいです……」
「へえ~、『銀河鉄道の夜』とか?」
「あ、はい、たぶん……」
「あのしらゆきが本を読むなんてねぇ……。で? 文芸部でのしらゆきってどんな感じ?」
「えと……」
文村冬湖は少し言いよどんだ。
「……いつものしらゆきだと思います。先輩たちにも好かれてて、それにお話も……楽しそうに書いてて……」
「ふーん、そっかぁ、頑張ってるんだ、しらゆき」
私の知らないしらゆきも、それはそれでいい。出来た空白も、私ならすぐに埋めてしまえるだろう。
「あ、そうだ。この前、しらゆきが今度の部誌に載せるのを読ませてくれたんだよ。私が読者第1号だって! 面白かったから、とーこちゃんもお楽しみにね!」
「あっ、はい……」
灰色の空に、鉛色の水面。濁った色の緑が鬱陶しげに風に揺れている。こんな場所にしらゆきはいつも文村冬湖といる。
「しらゆきはさ、あれで中学のころは陸上部だったんだよね。ってこの話、したっけ?」
「あ、はい。聞いたことあります」
「そか。本当にかっこよかったんだよね、足速くて。ウチの中学はさ、陸上部が強かったから、しらゆき最後までレギュラーにはなれなかったんだけど、それでも頑張ってた。私ね、よくしらゆきの練習見に行ってたんだよ」
「……」
「本当に素敵だった」
腰からお尻、太ももへと続くライン、スパッツ、しらゆきの汗、束ねた髪、笑顔。何もかもが私を虜にした。そして「神山しらゆき」という一人の女性は、今も私を虜にしたままだ。
「しらゆき、カワイイでしょ?」
「え、あ、はい」
「仲良くしてあげてね。本当にいい子だからさ」
「あ、はい」
文村冬湖は、しらゆきの本当の気持ちに気付いた後でも、友だち面できるのか。私はそれを考える。文村冬湖の横顔からは何も読み取ることができない。ただぼんやりと卵焼きを咀嚼している。
「とーこちゃんってさ、今、好きな人いる?」
「え?」
「好きな人。ほら、誰か気になる人とか、いないの?」
「えと……たぶん、いない、と、思います……」
「私はいるよ」
文村冬湖は不思議そうに私を見ている。話の脈絡が見えていないようだった。分かってほしいとも思わない。
「とーこちゃんもはやく好きな人見つけなよ。恋をするとさ、毎日が楽しくなるよ」
「えと……はい……」
文村冬湖は、少しの間、何かを考えてまたお弁当を食べ始めた。そのときになって初めて、自分がまだお弁当の風呂敷を開いてすらいないことに気付いた。
お互いに黙ったまま、お弁当を食べる。私は絵里のことを思い出していた。絵里の彼氏になった男は剣道部の主将とかいう大柄な男だった。絵里はその大きな背中の後ろをちょこちょこと付いてまわっていた。穏やかで幸せそうな表情をしていた。いつも彼のためにしてあげられることを探しているふうでもあった。そんな絵里をしらゆきは見ていた。しらゆきは最後まで絵里と友だちとして接しようとしていた。そんなしらゆきの笑顔の裏にあるものを知っていたのは、私だけだったろう。
文村冬湖はどうだろう? 文村冬湖はしらゆきを――。
お弁当を食べ終えた。文村冬湖はとうに食べ終えて、水筒のコップを傾けていた。
「あ、飲みます?」
「んーん、大丈夫!」
弁当箱を風呂敷に包みなおして、私は立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ戻ろっか。明日はしらゆき、来るといいね」
「あ、はい」
教室へと戻る途中、雑木林を抜けようとするところで、文村冬湖が携帯電話の画面を見ているのに気付いた。
「とーこちゃん? もしかして、しらゆきに電話かけようとしてない?」
「え? あ……」
「だめだめ! しらゆき風邪ひいてるんでしょ? 寝てたら可哀そうじゃん!」
「……そうですよね」
文村冬湖は素直に携帯電話をしまった。そのあっさりした態度に私の口もとは緩む。
そうだ。きっと文村冬湖は『そうじゃない』はず。だから、しらゆきはまた失恋するはず。そうなったら、私はまたしらゆきの隣にいられる。友だちでいたころは私がしらゆきの隣にいたのに、しらゆきにとって私は一人の女性ではなかった。それが分からない。私はこんなにも美人で、スタイルも良くって、そしてしらゆきのことをよく分かっている、そんな私なのに。でも、いつかしらゆきも私を受け入れてくれるだろう。きっと同じ気持ちを返してくれるだろう。その日が来ること、私は信じている。
いつのまにか自分の教室へと戻ってきていた。文村冬湖とどこで別れたのかも覚えていなかった。




