第9話 「はじめての先輩」1
□ 文村冬湖
ゴールデンウィークが終わっても、私のノートは意味のない落書きばかりで、お話作りはまったく進んでいなかった。相変わらず、私はなにを書けばいいのか分からないで途方に暮れていた。
姉さんは「最後はハッピーエンドになるお話がいい」って言っていた。でも、どんなハッピーエンドなんだろう? どんなことが姉さんにとってうれしいんだろう? テレビやマンガでは、いろんな困難を主人公たちが乗り越えていって、最後には夢を叶えたり、恋を実らせたりしていた。じゃあ私は、どんな夢を? どんな恋を? そしてどんな困難を?
私は、姉さんと過ごす日常が好き。だから終わりなんてないし、困難も恋もなくて、ただ夢だけがいつも叶えられていた。
帰りのホームルームが終わると、とたんに教室の空気は緩んで、みんなの話し声と椅子を引く音が響きはじめる。私の前の席では、しらゆきが座ったまま、ぐーっと伸びをした。
「んあ~終わったぁ~! さーて、部活行くかぁ!」
「お前、もうすぐ中間考査だってのに余裕だな?」
長峰くんがそんなしらゆきに話しかける。
「へっへっへ。最近、あたしととーこさ、文芸部の先輩に勉強教えてもらってるんだよね~!!」
「マジか! いいなそれ」
「まぁね~」
「しらゆき~!」
そのとき、私の後ろの方から莉香子さんの声が近づいてきた。
「元気してる~?」
「リカコ~! 会いたかったぁ~」
しらゆきは振り向いて両手を掲げた。私の頭の上でパンパンと二回ハイタッチする。
「とーこちゃんもお久しぶり!」
莉香子さんは私の肩に手を置いて、横から私の顔をのぞき込むようにして言った。莉香子さんの息が私のほおにかかる。
「お、お久しぶりです……」
「ちょっと!」
しらゆきが莉香子さんの肩をちょっと押すと、莉香子さんは顔をはなした。
「で、どう、しらゆき? 部活の方は?」
「ん、うまいことやってるよ!」
「てかさ、部誌っていつ出るの?」
「6月のあたまだよ」
「へえ、それじゃ、今書いてるんだ?」
「くっく……まあ、鋭意執筆中ってやつ?」
「ほんと想像できないよね、しらゆきが小説書いてるとかさ!」
「俺も。まったく想像できねえ」
長峰くんが相づちを打つ。
「ま、乞うご期待ってやつだね!」
そう言ってしらゆきは、ぴっぴっと二人に向かって指差し確認をした。
「とーこちゃんは?」
後ろから私の顔をのぞき込むようにして莉香子さんが聞いてくる。
「私はまだ……ぜんぜん……」
「そっかぁ! どんまい!」
私の肩を両手でぽんぽんとする莉香子さん。
「てかさ、小説書くのってある意味嘘つきの才能いるよな?」
突然、長峰くんがそんなことを言い出す。
「なにそれ?」
「俺が幼稚園のころさ、絵本とか紙芝居とか自分で作ってた先生がいたんだよ。で、その先生、マジに嘘がうまかったんだ。
『ダンボールで動物作ってお庭に動物園つくりましょう』とか言ってさ、『完成したらアンパ○マンが見に来てくれるって~』とか言っててさ、それで完成して『アンパ○マンいつ見にくるの?』って聞いたら、『昨日ね、お空の上から見ていったの。お空をくるくる回りながら、みんなの動物園見ていったんだよ』とか言ってさ。あのころの純情な俺はお空に向かって『アンパ○マンありがとう』とか言っちゃったりして。まんまとだまされたね。
でもさぁ、今でもときどき空を見上げて探しちまうんだよなぁ……アンパ○マンをさぁ……」
窓の外を見やりながら、長峰君はちょっと遠い目をしてみせる。
「ハイハーイ、お前のどうでもいい話はどうでもいいから!」
「そうそう!」
「でも、とーこちゃんの話読んだら、俺もあのときのピュアな心を取り戻せるかもしれないな?」
長峰くんがいつものイイ笑顔で、私のことを見て言った。
「うわ、きもっ!」
「バカ大地!!」
しらゆきと莉香子さんはけらけらと笑った。
「莉香子は? 演劇部どう?」
「なんか思ってたのと違う。発声練習とか多い!」
「厳しいんだ? ビシバシくる?」
「厳しい。ビシバシくる」
「かわいそうなリカコ~」
「あ~ん、しらゆきだけだよぉ、そう言ってくれるのぉ~」
軽く抱き合って背中を叩き合うしらゆきと莉香子さん。相変わらず仲が良いなって思った。
「それじゃ、あたしそろそろ部活行くね!」
「うん! いってら~!」
「あ、俺バイト……」
そのとき、私はふと隣を見た。そこにはまだ古屋くんがいた。今日のホームルームは委員長の出番がなかったから、古屋くんは6限目と同じ姿勢で机に突っ伏していた。
(あ、起こすの忘れてた……)
そう思って私は、あわてて古屋くんの肩をゆさゆさとゆさぶった。
「ん……?」
「ごめんね。いろいろあって起こしそびれてた……」
「ふぁ……うん。じゃあ……」
古屋くんはよろよろと立ち上がると、かばんをもってふらふらと扉の方へ歩いていく。
「あの人、だいじょうぶなの?」
そう莉香子さんが聞く。しらゆきは笑って答えた。
「ま、いつものことだから……」
▽ 立花茜
「それじゃあ、練習問題を解いてみましょうか?」
「あの、美夜子先輩。そのまえに、いいですか?」
「なにかしら?」
「因数分解って……その、なんのためにやるんですか?」
「そうねえ。ある式を、その式を作っている数や式にするため、かしらね」
「はあ……」
「例えば、カレーはニンジンとジャガイモとたまねぎとお肉と、それからカレーのルーで作るでしょう? それと同じで、この式はどんな材料で作られたのかを考えるのが因数分解なの」
「あ、そうなんで、すか? でも……因数分解できないときは、どうするんですか?」
「だいじょうぶ。テストの問題に出てくるものは全部、基本的な操作と公式を使えば解けるから」
「あ、わかり、ました……」
「makeに目的語と動詞の原形で『誰々に何々させる』って意味になるんだよ。だからここはそういう熟語があるってことを踏まえて考えると、ウ・ア・イ・エの順番にするのが正解になるんだねっ」
「なるほどぉ……やっぱりそういうのって覚えていかないといけないんですよね?」
「もちろん! まず単語や熟語の意味がわからないと文脈を読むことだって出来ないよね? だから、英語は暗記だって大切なんだよっ」
「ういーーっす……」
美夜子がとーこに数学を、ひなたがしらゆきに英語を教えてて、文芸部の部室はさながら学習塾の様相を呈してる。中間考査を前に先輩と後輩のこういう光景が見られるというのは、とても良いこと。仲良きことは美しき哉。
とはいえ、美夜子もひなたも気付いてるかな? このままじゃちょっとマズいことになりそうってこと。ふふ……仕方ないね。ここは不肖・立花茜、一肌脱ぎます。先輩風、吹かせます……!
そろそろ帰らないといけない時刻になって、4人が帰り支度をはじめたところで声をかける。
「ねえ、とーこ、しらゆき。悪いんだけど先に帰っててくれない? 私、美夜子とひなたに話があるから……」
「え、どんなですかっ!?」
「ふふ、ないしょ……」
二人が帰ったあとで、テーブルに座っているのは、美夜子とひなたと私。こんなふうに三人で座ってるのはずいぶん久しぶりな気がする。
「それで……話ってなんですか?」
美夜子が切り出す。髪を耳にかける仕草。つくづく色っぽい子。
「まずいよ二人とも……。ちゃんと気付いてるの?」
ちょっと思わせぶりな感じを意識しながら言ってみる。
「……なんの話ですか?」
「新入生のケアが足りてないってこと。原稿の進行状況、ちゃんと把握できてるの……?」
「そ、それは……。試験も近いですし……」
「うん。だから中間考査が終わった後の話……。一通り書き終えてからも色々とやることがあるから、相当余裕を持っていかないと。今のままの態勢だと、中間考査が終わってから追い込みかけても、締切に間に合わないと思う……」
我ながらちょっと真面目な話をしてる。とーこもしらゆきも初心者マークなんだから、書き始めてからも一通り書き終えてからも、とても時間がかかると思う。とくに推敲に時間をかけるのはとても大切なこと。ここにどれだけ時間をかけたかで読みやすさや読むテンポが全然違ってくる。少なくとも私は、私の先輩にそう教わった。
「部誌が漫画雑誌なら、部長と副部長は編集者なんだよ? 原稿を落とさせるなんて、編集者としてあってはならないこと……。ちゃんと張り付いて、書いていただかなきゃ」
我ながらうまい例え。
「そ、それは、急かすって意味ですか?」
「そーだよ? 美夜子だって、宿題出すの急かされなきゃ、出さなくていいのかなって思っちゃうでしょ……?」
「思いません!」
そこで美夜子は言葉を区切って私から視線をそらした。
「それに茜先輩は……私のときは、ま、待ってくれたじゃないですか……」
部室に静けさが訪れる。こんなふうに、言葉が自分の心に関わっているときの美夜子の表情はとても可愛らしい。
「それは美夜子だったから。美夜子には自分自身と向き合う時間が必要だったから。でも、あの二人は美夜子じゃないよ……」
「……」
「私の見たところ、とーこちゃんはまだ書くことが決まってないみたい。しらゆきちゃんは書くことはあるみたいだけど、それを形にするきっかけをつかめないでいる。それで書けない。だから待っててもダメ。先輩がフォローしてあげなきゃ……」
美夜子がまた私を見た。
「そ、それで、具体的にはどうすれば……いいんですか?」
ふふ……釣れた釣れた。
「担当編集してみようか……」
「はい?」
「担当編集。ほら、こんなふうに……」
私はたまたま、本当にたまたま、カバンの中に入っていた手塚治虫の伝記漫画を取り出して、二人の前に置いた。その本には、手塚治虫から原稿を回収するために苦悩する編集者の姿が生々しく描かれてて……不謹慎な話だけど、私はとても楽しく読んだ。
手にとってぱらぱらめくる美夜子に、横からのぞきこむひなた。私は最後のひと押しをする。
「ほら、美夜子も言ってたじゃない。『いろんな経験をするのが大切』って。いま、あの二人に必要なのは経験。そして、ウザい先輩に絡まれるのだって立派な経験だよ……?」
本を置いて、私を見ないまま何も言わない。これが美夜子なりの「わかった」の合図。
「ひなたも。いい?」
「はいっ」
胸の前で両手を重ねるいつものポーズ。この子の笑顔には本当に癒される。とても良い。
「それじゃ~みよっち! どっちの担当編集するか、アミダくじで決めよっか!」
二人のやりとりを眺めながら、私はまだ自分がこの子たちに『先輩してた』ころを思い出してみる。私はちゃんと先輩出来てたのかどうか……いまさら二人に聞くこともできない。ニヤニヤ笑ってるのが私のポーカーフェイス。本当はとても緊張していたと言えば、美夜子は戸惑うかな? ひなたは……「そんな気がしてましたっ」とか言いそう。
先輩。それはとても良い響き、とても良い思い出。私が沙雪先輩にもらったものを、私は美夜子とひなたにあげることが出来たのか……私は知らない。




