第8話 「はじめてのデート?」3
○ 神山しらゆき
う~……のどのところに、さっき飲んだのがひっかかってる……。
なんだか胸焼けもするし、口の中がちょっと変な感じ。こんちくしょう! もったいないから飲んでやっただけだからな!! それはそれとして……。
「んあっ?」
腕時計を見て、変な声が出た。12時30分。まだ映画が始まるまで50分もある。10分前に行くとしても40分。なんてこった。コンビニで早々とお昼をすませちゃったせいだ、あのバカヤロウめ……!!
ふう、言ってもしょうがない。何か考えなきゃ。とーこは……って、あれ? とーこ?
振り返ると、小走りのとーこが、ちょうどあたしに追いつくところだった。やばい、早足になっちゃってた!?
「あ、ご、ごめん。ちょっと考えごとしちゃってて……」
「うん」
とーこは怒ってない、と思う、たぶん。表情があんまり変わらないから、わかりづらいけど。はあ、将来的には、ちょっとした表情の変化とかで、とーこの気持ちが分かったりしてさ、後輩あたりに「しらゆき先輩ってとーこ先輩のこと、よくわかってるんですね」とか言われたいなー。「付き合い長いからね。熟年夫婦みたいなもんよ」とかなんとか言っちゃったりなんかして!! えへへ!! どーよ!?
「……しらゆき?」
「え!? あ、うん、アハハ……。ゆ、ゆっくり行こっか!」
「うん」
そうだ、今日はあたしがとーこをエスコートするんだ! ちょっとしたハプニングなんかに負けるか!!
とーこ、まだちょっと時間あるね。どっか寄ってみよっか?どこ行く?
これだ!! よし、言う!! 言うぞ~……。
「あ」
え?
「古屋くん……」
とーこの視線の先を見てみると、そこには本屋に入っていくふるやんの姿が!!
□ 文村冬湖
私たちの正面から歩いてきた古屋くんは、右に折れて本屋さんの中へ入っていった。本屋さんに入る前、一瞬、私と目が合った。でも、古屋くんはすぐに視線を逸らして、そのまま本屋さんへと入っていった。私も誰かにばったり会ったとき、手を振ったり、会釈したりすることになんとなく気後れを感じることがあったから、目を逸らした古屋くんの気持ちが分かるような気がした。
「ふるやん、あたしたちに気付かなかったのかな?」
私のとなりで、しらゆきが言う。そして、ちらっと腕時計を見て、私ににっと笑いかけた。
「ねえ、とーこ、突撃してみない?」
「え?」
「ちょうどまだ、映画始まるまで時間あるしさ」
「え、でも……」
古屋くんは私たちに話しかけられるのが嫌かもしれない。なんとなくそんなことを思ってしまう。
「古屋くん、怒らないかな?」
「え、なんでなんで? だいじょぉ~ぶ! ふるやんが怒るわけないじゃ~ん!」
お気楽な調子でそう言うしらゆき。
「ほら、行こうよ、ね?」
そう言って、しらゆきは先に立って本屋さんに入っていった。
私は古屋くんのことをよく知らない。
古屋くんはクラスで私のとなりの席の人。たいてい本を読んでるか、うつ伏せになって寝ている人。毎晩、ほとんど徹夜でネットゲームをやっているらしくて、学校にいるときはいつも眠そうにしていた。でも、授業中に先生からあてられるとちゃんと答えてるし、宿題もやってきているみたいだった。下校前のホームルームでも委員長役をそつなく務めている。
席の近いしらゆきや長峰くん、それに中学校時代の同級生という人たちが、いつも古屋くんにちょっかいをかけに来ていた。私も、しらゆきや長峰くんたちと一緒に古屋くんと話すことがあった。私たちに対する古屋くんの態度はとても丁寧だと思う。でもどこか、周りと距離を置こうとしているような、そんなふうに見えるときもあった。ときどき、古屋くんは私たちに話しかけられるのが嫌なんじゃないかなって、そんなことを考えてみたりもした。でも、古屋くんの分厚い眼鏡の奥の目はとても静かで、古屋くんが何を考えているのか、私には分からなかった。
「とーこっ」
少し考えごとをしていた私は、しらゆきの声で我に返る。古屋くんはまっすぐに学習参考書の置いてあるコーナーに向かっているみたいだった。
「挟み撃ちしよっ! あたし、こっちから回るから。とーこはここからまっすぐね?」
「え、うん」
しらゆきは楽しそうにそう言って、近くにあった本棚の向こう側へと駆けていった。しらゆきには少し、わんぱくなところがある……私はそんなことを思った。
■ 古屋雄太
嫌な予感がする。いや、むしろ悪寒といった方がいいのか。
本屋の前の通路にいたのは、たしかに文村冬湖と神山しらゆきだった。文村冬湖の方と目が合ったけど、それ自体はあまり問題じゃない。でも隣には神山しらゆきがいた。となると……これは来る。間違いなく来るだろうな。
仕方がない。漫画コーナーに行くつもりだったけど、ここは無難に参考書のコーナーに行っておくか……。
文村冬湖。推定15歳。僕の隣の席の女子。大人しい性格で、あまり口数も多くない。クラスメイトとしては最高に僕と相性がいい。
僕は彼女についてほとんど何も知らない。僕の立場から何か言えることがあるとすれば、彼女はどうやら数学が苦手のようだ、ということぐらいか。数学の授業でやる小テストは、いつも微妙な点数になっている。基礎的な問題はそれなりに解けているが、少しでもひねられるともう解けない。ちなみにこれは、彼女の答案を採点するのが隣の席の僕だから知りえたことだ。
授業中の態度はまあまあといったところか。真面目にノートをとっていることもあるが、ぼんやりと窓の外を眺めていることも多い。
表情がほとんど変わらないから基本的になにを考えているのかよく分からない。ただ、僕の経験上、こういうタイプの人間は、あまり難しいことは考えていないはずだ。たいていは一つのことで頭がいっぱいになっている。
地味であまり目立たないが、よく見ると綺麗な顔立ちをしている。物静かで大人しい性格もあって、すでにクラスの男子連中の間では、彼女が「気になっている」という奴もいるようだ。
そういえば僕に「お前、いっつも文村さんに起こしてもらってるよな」と言ってきた奴もいた。よくよく話を聞いてみると、要するに僕が毎回授業が始まる前に文村さんに起こしてもらっているのが羨ましいらしい。「お前が隣の席になったら、寝たふりでもすればいいだろ」と答えておいた。
そして神山しらゆき。推定15歳。ウチのクラスでもっとも騒々しい女子の一人。絡む相手は隣の長峰大地を皮切りに、藤沢、井上、それに狭間に村田に内場に、果ては他のクラスからやってくる人間にと枚挙に暇がない。その上なぜか僕にもよく絡んでくる。はっきり言って相性は大変よろしくない。
神山しらゆきについて言えば、悲しいことにあまり勉強はできないようだ。授業中、先生に当てられても、しどろもどろになって答えられないこともしばしば。そのたびに笑い声が起こって、本人はといえば照れ笑いをしている。
彼女のような人間は、自分が「楽しい」と思ったとき「楽しい」と口に出して言うものだ。およそ裏表のない分かりやすい性格で、周りにとっても付き合いやすいだろう。しかし、僕がこれまで見てきた限りでは、こういうタイプの人間は大抵、誰にも見せたことのない顔を持っている。神山しらゆきのそれがどんなものなのか、僕は知らない。ただ、そういう可能性を考慮しないといけないとき、僕は人間を面倒くさいと思う。思考停止した作業に打ち込めるネトゲ世界の、なんと幸せなことだろう。
……さて、どうやら来たみたいだ。しかも左右から。どうしてみな僕をほっといてくれないんだ?
「ふーるやんっ! なぁーにしてんのっ!?」
右側からやってきた神山しらゆきは、僕が適当に開いていた本を覗き込んでくる。
「なにこれ物理?」
言いながら僕から本を取って適当にめくり始める。もちろん形だけのことだろう。
「よし、ぜんぜんわかんない!!」
ぜんぜんわからないことをまるで気にした風もない。
「ふるやんは真面目だねぇ」
そして左側からやってきた文村冬湖に向かってそんなことを言っている。文村冬湖の方は、若干うつむき加減になる。多分、僕への会釈のつもりだろう。
「それで、二人は何をしてるの?」
僕は返された本を本棚へと戻しながら二人に聞いてみた。こういうときは相手のことを聞くのが一番いい。相手は喜んで自分のことを話し始めるだろうし、僕は自分のことを話さずに済むからだ。
「ふふん、なにしてるように見える? ほら、これこれ」
神山しらゆきはわざわざ文村冬湖の肩を抱き寄せてみせる。これが男女の組み合わせであればデートか何かだと答えるところだが、女同士だからこれはつまり普通に二人でお出かけということだろう。
「つまり……二人でお出かけ、ってこと?」
「うーん、ま、そんな感じかなぁ……」
神山しらゆきの方が得意そうに言うが、いまいちその真意が伝わらない。一方、文村冬湖の方はといえば、肩を抱かれて若干斜めになっている。活発な女子と大人しい女子。よくある組み合わせだ。
「これから映画いくんだよね~」
そして活発な方がこちらが聞きもしないことを言う。
「なるほどね。……それで?僕になにか用事?」
僕がそう聞くと、神山しらゆきは途端にきょどりはじめた。
「え!?あ、ええっと、あの、あれ、ほら!あたしたちの楽しい気分をふるやんにもおすそ分けしてあげたいなぁ~って!!」
「……それはご親切にどうも」
おそらく、映画の上映までまだ時間があるから、僕という丁度いい暇つぶしを見つけてやってきた、ということなんだろう。そして一瞬の沈黙が訪れる。
「ええっと……それじゃ~ね、ふるやん! ハバナイスデ~!!」
神山しらゆきの方は間を持たせられないと踏んだのか、撤退を決意したようだ。いい判断だ。そして、活発な方は手を振って、大人しい方は会釈して、賑やかに立ち去っていく。
「はぁ、やれやれ……」
並んで歩く二人の背中が遠ざかっていくのを、僕は見送った。それにしても、と僕は思う。どうして女子というのはこんなにもすぐに仲良くなるものなんだろう?
○ 神山しらゆき
あちゃ~、ちょっとしっぱいしちゃったかも? でも、ま、ふるやんだし、そんな怒ったりしないよね、うん。これはこれでよし! それじゃ~そろそろ映画館に行こっかな? そう思って、となりのとーこを見てみると、何か考え込んでる感じ。ど、どーしたんだろ?
「とーこ? どーしたの?」
「ん……」
とーこは、ちょっと口ごもる。え?いいにくいことなの?
「……しらゆきはすごいなぁ、って」
「え!? な、なんで!?」
「誰とでも仲良くなるから……」
「え、そっ、そうかなぁ!? アハハ……」
だ、誰とでも仲良くなるように見えてるってこと? それはいちおー好感触だよね? でも、あたしがいちばん仲良しになりたいのはとーこだよ? なんちゃって! なんちゃって! あたしのバカ! そんなこと言って引かれたらどーすんの!?
「しらゆき?」
「ふぇっ!? えっと、いや、うん、なんでもないよっ! えへへ……」
「……?」
「そ、それじゃ、行こっか!」
「うん……んっ?」
あ、調子のった。手、差し出しちゃった。どーすんのこれ。手、つなぐつもり? まだ早いでしょ!? なにやってんのあたしィィィ!!? とーこはあたしの手を不思議そうに見つめてる。やっちゃった感がすごい。
「あ……うん」
え? いいの? とーこの手があたしの差し出した手をぎゅっとにぎる。うそ?ほんとに?うあ……なにこれ、やあらかい。ちょっとひんやりしてる……。
うああ……生きててよかったぁぁぁ……もう死んでもいい……。
□ 文村冬湖
しらゆきと手をつないでみた。
さっき……古屋くんと話したとき、別に古屋くんは迷惑そうじゃなかった。古屋くん怒らないかなって、それは私の考えすぎだった。私はいつもためらっている。それはどうしてなんだろう? 私には分からない。
私はどうしてためらうんだろう? このためらいがなくなったら、私はどうなるんだろう? そんなことを考えるのが、少し怖い気がする。
でも今は、しらゆきと手をつないでみた。しらゆきはなぜか、とても不思議な顔をしている。
「しらゆき?」
「え、あ、うん……それじゃ、行こっか……」
しらゆきはそう言って、ぎくしゃくと歩き始めた。




