第8話 「はじめてのデート?」2
□ 文村冬湖
朝起きたとき、湿った空気の匂いがした。窓の外の光はカーテンを薄暗く照らして、雨の音は静かに続いている。カーテンを開けると、雨雲の下の濡れた屋根の連なりが見えた。
部屋のテーブルには、今日のための服が一式たたんで置かれている。
「似合うよ、とーこ」
昨日、試しに着てみたとき、姉さんが言ってくれたことを思い出す。鏡の前に立っているとき、ずっと気恥ずかしかった気がする。その服が、私には少しおしゃれすぎると思ったから。鏡の向こうの姉さんは、そんな私の両肩に手を置いて、にっこりと笑った。そして私の耳元で、そう言ってくれた。
「とーこ、雨だね」
下へおりると、台所で朝食を作っていた姉さんがそう言った。かすかにきこえる雨の音。居間には電気がつけてあって、明るかった。
「お姉ちゃんが車で送ってってあげる。約束は何時から?」
「11時半」
「それじゃ、11時に出よっか」
「うん」
私はうなずいて、テーブルに座ってご飯が出来るのを待った。
○ 神山しらゆき
朝起きると、そこは雨だつた。
……雨!?雨なの!?あたしの「青空の下で、とーこと手をつないで歩く」って夢はどーなるのよ!? そういえば、ウチの雨ヶ森のおきつね様は雨の神様なんだけど……降らせてほしいなんて頼んでないよ!?
そんなに強い雨じゃないけど、自転車じゃムリだよねぇ? バスかぁ。傘も持っていかないとね……。
ん?傘?
そう、そうだよ!相合傘とかできるじゃん!! とーこが傘をうっかり忘れてたり、風に飛ばされたりしてさ。そこであたしが「いっしょに入ろうよ」とかなんとか言っちゃって! で、あたしはとーこ寄りに傘をさしてさ、それでとーこが「しらゆき、肩、濡れちゃってるよ……」って言いながら、あたしの肩をハンカチ(たぶん白!)で拭いてくれるんだよね……。
はぁ、たまりませんなぁ……。
そうだよね、雨の日には雨の日のあれやこれやがあるよね!? 信じてる、あたしは信じてるよ、おきつね様っ!!
それじゃあ、今日はちょっと早めに出ようかな? デートで一度やってみたかったことがあるんだよね……。
□ 文村冬湖
車の窓ガラスに落ちる雨粒を、ワイパーが根気よく何度も拭い去っていく。私はその単調な動きをぼんやりと見ていた。ちらと姉さんの方を見てみる。車を運転している姉さんの横顔。姉さんはもう大人の人。そんなふうに思った。
「なーに?」
姉さんは私の視線に気付くと、前を向いたまま、ちょっと笑ってみせる。
「ん、なんでもない」
私はそう答えて、また水滴の伝っていく窓ガラスの方を見た。ガラスの向こうには、少し歪んで見える灰色の街が広がっている。私はこれから、どこに行こうとしてるんだろう?いま私のとなりにいる人は誰なんだろう? 時々、私には分からなくなる。姉さんは姉さんなのか、それとも私のお母さんなのか……。
○ 神山しらゆき
11時25分。あたしは、駅のトイレから駅前広場に向かってダッシュしていた。緊張しすぎて、なんかいろいろおかしくなってる! っていうか、せっかく早めに着いてたのに!! とーこが「ねえ、待った?」って言って、あたしが「ううん、いま来たとこ」って答える予定だったのに!! これがやってみたかったのにぃっ!!!
駅前広場を見渡せるところまで来て、さっと見回す。とーこ発見!! あたしにかかれば、じいちゃんの黒い碁石入れのなかに紛れ込んだ白い石を見つけるようなもの!!! そのとーこは、広場の真ん中あたりにある、鳥のような、そうでないようなオブジェの前に傘をさして立っている姿がとても絵になっている!! もしかして、あたしが「駅前広場」って言ったから、いちばんわかりやすいとこに立ってるってこと? とーこ、律儀すぎるよ! 軒下に入ってていいのに!!!
あたしは、ダッシュでとーこに駆け寄った。雨にぬれるとか、そんなこと気にしてる場合じゃない!!
「ごめん、とーこ! 待った?」
「ううん、いま来たとこ」
わーい、夢が叶ったぁ!!立場は逆だけど!!!!
傘をたたんだまま走ってきたあたしに、とーこは自分の傘をかかげてくれる。
「あ、ごめんごめん、だいじょうぶだよ!」
あたしは、あわてて自分の傘をひらいた。
「と、とりあえず、駅の中に入ろうか!」
「うん」
あたしのとなりをとーこが歩いてる。その事実に感動せざるをえない! ねえ、っていうか、今日のとーこ、ちょっとおしゃれしてないかな? 服にはあんまり詳しくないけど、すごくいい服着てる気がする! しかも、おろしたてっぽい……。もしかして、あたしのために!? いやいや、ないない! ないよね、うん。でも、今日のとーこは特別にカワイイ……。あたしたちが並んで歩いてるとこ、誰か見てくれないかな……。
あ、そうだっ!!!!
□ 文村冬湖
駅は何年か前に大幅に増築されて、一階建てだったものが今は4階建ての横に広いビルになっていた。2階から4階の部分にはたくさんの飲食店や大型の日用品店、アクセサリー・雑貨店、書店、それに映画館が入っていた。新しくなってから駅の中に入ったのは、私はこの日が初めてだった。周りを見回しても、昔の面影はなかったような気がする。全てが綺麗で、おしゃれになっていた。
私のとなりをしらゆきが歩いている。その横顔はなんだかとても嬉しそう。青い縁取りのついた厚手の白いシャツにジーンズという格好は、なんだか男の子みたい。でも、シャツを押し上げている胸のふくらみは、ちょっと大きかった。胸のところをポシェットのひもがたすき掛けに通っているから、余計にそう見えたのかもしれない。たぶん、姉さんより少し小さいくらいだと思う。
「そうだっ! ねえ、とーこ!!」
「え、えっ?」
しらゆきが急に大きな声を出して、私は少しびっくりする。
「あ、ご、ごめん。えと、あのさ、お昼たべる前に、ちょっと面白いとこ、行かない?」
「面白いとこ?」
「そ!」
楽しそうな笑顔で、しらゆきは言う。面白いとこ、ってどこだろう? そう思いながら、私は先に立って行くしらゆきの後を追いかけた。
○ 神山しらゆき
と、いうわけでやってきました、某コンビニ駅中店。
自動ドアのピロリンピロリンをくぐりぬけると、「らっしゃっせー」と奴の声が!! へへ、見て驚けバカヤロウが!!
レジ近くのスウィーツコーナーでなにやらやっていた奴は、振り向いてチラッとあたしたちを見て、お辞儀して、頭をガッと振り上げて二度見。わー、ここまでマジな二度見とか、はじめて見たかもしんない!
「よぉ、がんばってんじゃん!!」
「おま……おまえら、なにやってんだよ!?」
「見てわかんない?デートだけど?」
「はァ!?マジかよ!?」
「うんうん、マジマジ!!」
デート、って言ってみた。でもたぶん、冗談に聞こえてるだろうし、いいよね、別に。
「とーこちゃん、ほんとにコイツでいいの? つーか、その服、すげー似合ってるよ。マジ大人っぽい!!」
「え、うん……ありがとう」
「ちょっとやめてよ!!とーこ嫌がってんじゃん!!」
「嫌がってないだろ!なに言ってんだよ!?」
そう言えばあたし、とーこに「その服にあってる」って言えてなかった。バカヤロウに先をこされちゃったよ……。
「お前ら、これからどっか行くの?」
「えーがだよ、えーが! ほら、今やってる話題のやつ」
「ああ、アレか。俺も見に行きてえなあ」
「それじゃ、あたしたち、お昼食べて行ってくるから。じゃね~」
「あ? ちょっと待てよ。お前ら、なにしに来たの?」
「え? リア充な休日をアンタに見せつけに来たんだけど?」
「お前……マジか……」
「マジなんだなぁ、これが!!」
は~、最高の気分だぜ!!!!
□ 文村冬湖
しらゆきに連れられてやってきたのは、駅の中にあるコンビニエンスストアだった。自動ドアをくぐると、人が来たときになるチャイムが鳴って、そのすぐあとから「らっしゃっせー」と聞き覚えのある声が聞こえた。
プリンとかクリームの入ったパンとかを置いているコーナーに、どこか見覚えのある背中があった。そして、私たちの方へと振り向いたその人は長峰くんだった。
長峰くんとしらゆきが話している間、私は長峰くんの名札を見ていた。「長峰大地」という名前といっしょに顔写真も載せられている。今と同じコンビニの制服を着て、真面目な顔をしている長峰くんは、どこか大人の人のように思えた。
「お前……マジか……」
「マジなんだなぁ、これが!!」
でも、しらゆきとお話している長峰くんはいつもの長峰くんみたいだった。
「あ……ちょっと待ってろよ!!」
突然そう言って、長峰くんは私たちから離れていった。そして、何かを手に持ってすぐに戻ってくる。
「とーこちゃん、はい、これ」
「え?」
「これさぁ、ウチの新商品なんだよね。これ、お昼にどう?」
差し出されて、思わず受け取ってしまう。それは、スパゲッティの入ったプラスチックの容器だった。容器には「新商品」と書かれた赤と黄色のシールが貼られている。
「ほら、そこのイートインコーナーで食べればいいからさ」
「ちょっと!お昼食べるとこ、あたしがもう決めてるんだけど!!」
抗議するしらゆきにはおかまいなく、長峰くんはニヤニヤしながら、おおげさな手振りで説明を始めた。
「とーこちゃん、これさぁウチの開発部の自信作でさぁ、ある意味、とーこちゃんのために作られたみたいなとこ、あるんだよね」
「ぜったい嘘でしょ、それ!!」と、しらゆき。
「ほら、ここ見て。『エクストラ・ヴァージンオイル使用』。これね、もう世界でほんと少ししか採れない貴重な奴なんだ。それをね、ウチの社長が生産元に土下座しに行って、やっと分けてもらったんだよね。『お客様に最高に美味しい物を届けたい』っていうウチの社長の熱意が相手に伝わったんだなぁ……。どう、いい話だろ?」
「ぜんぜん。ていうかそれ、アンタがいま作った話だよね!?」
「ぶっちゃけ、これさ、数そんなに入ってきてないんだけど、俺がとーこちゃんのために特別にリザーブしておいたっていうかさ」
「はいはい、うそうそ!!」
「食べてみてよ、これ。ほんと美味しいから!!ほんっっと美味しいから!!なっ?」
「え、あ、あの……」
私が困っていると、私たちの後ろから男の人の声が聞こえた。
「おい長峰、レジやれよ!」
「ういーーっす!! それじゃ、マジオススメだから!」
私たちにそう言って、レジの方へ駆け足で行く長峰くん。私たちは顔を見合わせた。私はなんとなく、今これを棚に戻して他のところへ行くのは、なんだか長峰くんに悪いような気がした。
○ 神山しらゆき
どうしてこうなった。
あたしたちは奴の計略にまんまとはまって、コンビニのイートインでお昼を食べることになっていた。ちゃんと美味しいって評判のお店を調べてたのにぃ!!
とーこは、べつだん、そんなことを気にしてないみたい。プラスチックのフォークにスパゲッティをくるくる巻きつけてる。そんな仕草もカワイイ。ちきしょう!!
「あ、とーこ、ごめんね。あのバカがさ」
「え? んーん、いーよ……。私、こういうとこで食べるの、初めて……だし」
「そ、そっか」
とにかく、とーこは気を悪くしてないみたい。ひとあんしん。
「よ!」
そして、諸悪の根源がやってくる。
「はい、とーこちゃん、俺からのおごり。これも新商品なんだよね」
言いながら、とーこの前に見慣れないガラのジュースを置いた。
「ちょっと!!あたしには!?」
「ああ、ちゃんとあるよ」
イヤなカンジの笑い。すっごくイヤな予感がする!
コトリと置かれたのは栄養ドリンクのビン? ええと……「赤マムシドリンク・精力増強」!!?
「今夜……がんばれよ」
ふざけんなよ、お前!!!ぶっころすぞ!!!!
□ 文村冬湖
「ありがとぉございやしたぁ~!!」
長峰くんの声に送られる私たち。長峰くんはわざわざお店の外に出て、私たちに向かって深々と頭を下げている。
「恥ずかしいヤツ……」
となりでしらゆきがそんなことを言う。手には、さっき長峰くんからもらった栄養ドリンクを持っている。胴の部分をしっかり握ってるから、どんな種類のものかは分からなかった。でも、なんだかとても高そうなのだと思った。
「あ、ごめん、とーこ。ちょっと待って」
突然、しらゆきが意を決したように立ち止まる。そして、私に背を向けて、手に持った栄養ドリンクをぐーっとあおった。飲み終えると、ビンをポシェットの中に入れて、私の方に向き直る。
「それじゃ、映画館、いこっか!」
「え、うん」
心なしか、しらゆきの頬が赤くなっている。少し早足になったしらゆきの後を、私は小走りで追いかけた。




