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新百合ヶ丘高校文芸部☆  作者: m8eht
はじめての物語編
18/67

第6話 「文芸部の日常・4月下旬」3

 詩を朗読するってなんだろう? 私がそう思っていると、茜先輩はすうっと息を吸い込んで、やや大きな、でも落ち着いた声で、詩の暗誦を始めた。


われたまの渇きにさいなまれつつ

おぐらき荒野をさまよいゆくほどに――

ゆく道二つに分かるるほとりに

翼六つなる天使みつかいセラピム立ち現れぬ。

やすらけき眠りにも似て

いとかろやかにその指をもて

かれわがまぶたにふるると見れば

わがまなこ予見の力をえて

ふためく鷲のまなこさながら見開きたり。

かれわが耳にふるると見れば――

耳ざわめきと響にみたされ われ聞けり

天空のめぐりおののくどよめき

天かけりゆく天使みつかいの群れの羽ばたきの音

わだつみのそこひ這う魔もののひびき

谷間の若木の萌え出づる音。

天使みつかいわが上に身をかがめて

あだ言さわに よこしまにして

罪いと深きわが舌をひきぬき

血汐したたるその手をもて

さかしき蛇の長き舌をば

死せるがごとき口にさしいれぬ。

かれつるぎもてわが胸を切り裂き

わななく心の臓をばつかみいだして

炎ゆらめく炭の火を

たち割られたる胸にぞいれぬ。

かくてわれ荒野が原にむくろのごとく

ふしまろびてありしほどに

神の声ありて われを呼ばわりぬ。

「立て 予言者よ

目にて見よ 耳にて聞け

わが心をば心となし

海とくがとをくまなくおとずれ

ことばもて民の心を焼け。」


 茜先輩が暗誦を終える。

「わぁ~」

 ひなた先輩がぱちぱちと拍手して、私たちもそれに続いた。茜先輩は拍手に応えて、膝を折って丁寧にお辞儀をする。

「茜先輩っ、それってなんですか!?」

「これはね、プーシキンって人が書いた『予言者』って詩……の金子訳」

 そう答えて、茜先輩はちらっと私のことを見た。

「それじゃ……とーこ。ちょっと立ってみて」

「え、あ、はい……」

 言われたとおり、私は席を立って、茜先輩のとなりに立った。茜先輩が私の肩に手を回す。

「それじゃ、いまから、とーこに手伝ってもらって、今の詩を解説しまーす。はい、とーこ、ここ座って……」

 茜先輩が、さっきまで自分が座っていた椅子を私に勧めて、私はそこに座る。茜先輩の顔を見上げてみる。みんなの方を見ている茜先輩の横顔は、いつもの少しイジワルそうな笑顔で、私は少し嫌な予感がした。


『われたまの渇きにさいなまれつつ

 おぐらき荒野をさまよいゆくほどに――』


「ただいま絶賛売出し中の若き詩人のとーこちゃん。でも、最近なんだか面白くありません。

『あーあ、さいきん何してもつまんないなー。なんか面白いことないかなー』

 自分には何かが足りない気がするけど、それがなんなのかわからない。そんなもどかしさを感じて、とーこちゃんは自分探しの旅に出ることにしました。

 あてもなく荒野の道をふらふらと歩いてく、とーこちゃん。

 そこは、空いちめんに鉛色の雲がたちこめて薄暗い場所。土の色がむき出しになって、ところどころ色あせた緑の草が生えている、ぱさぱさに乾いて肌寒い場所。

 旅人の靴と、馬のひづめと、馬車のわだちで踏み固められた荒野の道は、地平線のはるかかなたまで続いています……」


『ゆく道二つに分かるるほとりに

 翼六つなる天使みつかいセラピム立ち現れぬ。』


「分かれ道のあたりまで来たとき、とつぜん空が割れて大地に光が差し込み、雲の切れ間から六つの翼を持つ天使が下りてきました。その天使の名前はセラピム……」

 部室の天井に向かって両手を広げる茜先輩。私も天井を眺める。他の教室と同じ、白っぽい壁紙の張られた天井がそこにはあった。

「この分かれ道って部分も意味深だよね……」

「ところで茜先輩。そのセラピムってのは、どんな天使なんですか?」と、しらゆき。

「ん、たぶんすっごく偉い天使さまなんじゃない……?」にっと笑いながら、茜先輩。

「そんな適当な!」

「セラピム……セラフィムは熾天使してんし、神様にもっとも近い天使たちのことよ」

 美夜子先輩がそう解説する。

「さすが美夜子先輩です!!」

「憧れちゃいますぅ……!」

「もぉ……」

 ふたりにそう言われて、美夜子先輩はそっと髪を耳にかけた。


『やすらけき眠りにも似て

 いとかろやかにその指もて

 かれわがまぶたにふるると見れば』


「ふるると見れば……」

 そう詩句をくりかえしながら、ふわっと私の目の前に手をかかげて、そのままおでこから鼻すじをすうっとなでるようにして、茜先輩は私の目を瞑らせた。


『わがまなこ予見の力をえて

 ふためく鷲のまなこさながらに見開きたり。』


「はい。これでとーこちゃんの目は、未来を予見できるようになりましたー……」

 まるで手品をやっているような、茜先輩の声が聞こえる。

「ほら、とーこ。目、開けて?」

 言われて私は目をそっと開けた。みんなが私のことを見ている。少し恥ずかしいけど、ほかに変わったところは何もなかった。

「はい。とーこちゃんの目が、今にも飛び立とうとして羽を広げた鷲のように開かれましたね……」

 ニヤニヤ笑いの茜先輩。

「とーこちゃん、ちょっと眠そう?」

 ふんわり笑って、ひなた先輩が私をからかった。


『かれわが耳にふるると見れば――

 耳ざわめきと響にみたされ われ聞けり』


 今度は、人差し指と親指で私の耳たぶをふにふにと触ってくる茜先輩。

「おー、やあらかい……」

「茜先輩!!ちょっと!!」

 なぜかしらゆきが苦情を言う。

「どう、とーこ? 音の世界がこう、どおおおおおって広がってく感じ、する……?」

「え、と……」

「遠くの、遠くの音が聞こえてくる感じ、する?」

「あ、あの……はい」

「今さ……北海道の○○高校の家庭科室で手芸部の△△さんが針を床に落としたんだけど、聞こえたよね……?」

 無茶なことを言い出す茜先輩。

「き、聞こえ、ました……」


『天空のめぐりおののくどよめき

 天かけりゆく天使みつかいの群れの羽ばたきの音

 わだつみのそこひ這う魔もののひびき

 谷間の若木の萌え出づる音。』


「さあ、この世界の、この宇宙のありとあらゆる音が、今、とーこの耳には聞こえてるよ。

 星のめぐる音。星だって動くときは音がする。こう、とても低い、うなるような、遠くから聞こえる咆哮のような音が。……とーこ、聞こえる?」

 私の後ろに立って、私の肩に手を置く茜先輩。私はうなずくしかない。

「じゃあ、薄い雲が切れ切れになって散らばった朝焼けの空、渡り鳥の群れのようになって飛んでいく天使たちの羽の音も?」

「き、聞こえます」

「『わだつみ』は『綿津見』。広い海のこと。蒼黒い水の底にうごめく影が、ごぽごぽと気泡を吐く、その音は?」

「ゴ○ジラみたいな?」と、しらゆき。

「うん、そんな感じの奴……」楽しげに応じる茜先輩。

「き、聞こえました……」

 美夜子先輩もひなた先輩も私のことを見ている。なんだか茜先輩に流されて嘘をついていることが、少し後ろめたく感じられてくる。と、茜先輩が部室の壁にかかる時計をちらっと見た。

「北アメリカのアパラチア山脈のあたりでは、そろそろ朝だね……。とーこ、どう? 底深い静けさをたたえる人里はなれた谷間、朝の光を浴びて、若木の枝先から新しい芽が萌え出ずる音、聞こえる……?」

「は、はい、聞こえます」

 少し自棄になって、私はうなずく。そんな私を、茜先輩は椅子の横に立って楽しそうに見てきた。


天使みつかいわが上に身をかがめて

 あだ言さわに よこしまにして

 罪いと深きわが舌をひきぬき』


「『徒言騒あだごとさわに』……実のないことばを騒々しくがなりたてること」

 そう言いながら、茜先輩は私の横で身をかがめる。

「とーこ。ほら、あーんして。舌、出して……」

 私が言われた通りにすると、茜先輩は、私の舌の先をちょっとだけつまんだ。

「あ、えう!」

「はい、引き抜きましたー……」


『血汐したたるその手をもて

 さかしき蛇の長き舌をば

 死せるがごとき口にさしいれぬ。』


「これ、蛇の舌ね」

 なにもない空間の両端をつまんで見せて、茜先輩が言う。そして私のくちびるを人差し指でとんとんと二回たたいた。

「とーこちゃんはね、蛇の舌でもかわいいよ……」

 そう言って笑う。

「血がだらだらと流れて、ぽっかり暗い穴のようになった口の中、新しい舌は蛇の舌……」

 節をつけて歌うような茜先輩。

「ところで、茜先輩。なんで蛇なんですか?」

「それはね、物語は嘘だから。嘘八百並べ立てて、世界を、信仰を、創るから……」

「な、なるほどっ……!?」

 茜先輩がはっきりと言い切ったから、しらゆきは少し驚いたみたいだった。私は少し怖かった気がする。はっきりと言い切ってしまう言葉や、「世界」や「信仰」という言葉。そんな言葉を使って茜先輩は、それを重荷に感じたりしないのかなって心配になった。


『かれつるぎもてわが胸を切り裂き

 わななく心の臓をばつかみいだして

 炎ゆらめく炭の火を

 たち割られたる胸にぞいれぬ。』


「あ……」

 茜先輩は私の胸の真ん中のあたりにそろえた指先をあてて、くくっと切れ目を入れるみたいにする。そして、さりげなく私の胸に触れながら、私の心臓をつかみ出したみたいだった。

「ほら、これがとーこちゃんの心臓。びくびくいってるね……」

 茜先輩の水をすくうようにした両手の中に、まだ脈を打っている私の心臓があるみたいだった。そして、茜先輩は窓をがらっと開け、

「とおっ」

 夕焼け空のほうに私の心臓を放り投げた。

「で、これが、とーこちゃんの新しい心臓ね……」

 今度は何もない掌の上をみんなにみせる茜先輩。

「そよそよゆれる淡い赤をまとった黒々とした炭……炭はね、火持ちがいいから、とても長く燃え続けるの……」

 そういいながら、茜先輩は私の左胸の上に手を置く。まるで鷲づかみにするみたいに、ぴったりと。少しドキッとする。

「どう、とーこ? あったかい? あつい?」

「あ、あつい……あつい、です」

「そう……」

 茜先輩は満足そうに笑う。私が胸をさわられてるのに、しらゆきも美夜子先輩も何も言わない。みんな茜先輩の話に聞き入ってるみたいだった。


『かくてわれ荒野が原にむくろのごとく

 ふしまろびてありしほどに

 神の声ありて われを呼ばわりぬ』


「そうして……ただっ広くて、なにもない、薄暗くて、肌寒い、そんな荒野のど真ん中で死んだようにひっくりかえってると、神様のとーこちゃんを呼ぶ声がきこえてきました……」

 茜先輩は私を椅子から立たせ、私の正面に立った。私の肩に手を置いて、私の目の中を覗き込んでくる。茜先輩は笑っている。その笑いは優しくて、でも少し怖いような気がして、戸惑った。

 少し首をめぐらせて、横目でみんなの方をみた。しらゆきと目があった。しらゆきは私のことを見ていたみたいだった。ひなた先輩は、うっとりしたような表情で私たちのことを見ていた。そして美夜子先輩。美夜子先輩は頬を赤らめ、茜先輩のことを見ていた。それは焦燥に似た羨望の表情だったような気がする。

「とーこ」

 名前を呼ばれて、私はまた、茜先輩に見つめられる。そして、茜先輩は私に言った。


『「立て予言者よ

 目にて見よ 耳にて聞け

 わが心をば心となし

 海とくがとをくまなくおとずれ

 ことばもて民の心を焼け。」』


「神様と一つになって、この世界の全ての形象を見て、全ての音を聞いて、言葉でみんなの心を焼いて、消えることのない火傷のあとを残すの。自分を、神様を、忘れさせないために……」

 背中がぞくっとした。それは本当に私に向けられた言葉だったのか、私にはよく分からなかった。茜先輩はやっぱり私を見つめている。私の動揺を楽しんでいるようにも見える。そして私は、茜先輩に見つめられたまま、固まってしまっていた。胸がドキドキして、でも体を動かすことができない。私は、そのとき、どんな顔をしていたんだろう?

 ふっと私の肩に置かれた手から力が抜けた。茜先輩がにっと笑う。

「まあ、こんな感じ……」

 そしてみんなの方を向いて。

「さ。今日もまったりしよっか……」

 茜先輩の言葉に空気が緩んで、いつものにぎやかな部室がもどってきた。


 家に帰ってから、私は自分の胸に触れてみた。そこにはまだ、茜先輩の手の感触が残っていた。そして耳には、茜先輩の声が。

 目をつむってまぶたの裏に浮かぶのは、私の瞳の奥の奥まで見ようとする茜先輩のまなざし。そして、私がふと首をめぐらしたとき、まっすぐに私を見ていたしらゆき、うっとりと目を細め嬉しそうに笑っていたひなた先輩、少し悔しそうな表情を浮かべて茜先輩のことを見ていた美夜子先輩……。

 もしかしたら私は、今日のことを忘れないかもしれない。そんな気がした。


【引用】

岩波文庫「プーシキン詩集」金子幸彦・訳 「予言者」116頁~118頁

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