第6話 「文芸部の日常・4月下旬」2
放課後は部活動の時間だった。中学生のころは帰宅部だった私にとって、授業が終わってもまだ学校にいるのは、なんとなく新鮮なことだった。
「ちわーす!」
しらゆきが元気よくあいさつをしながら部室へと入り、私もそのあとに続く。
「や」
茜先輩が、読んでいた本から顔をあげて、私たちに片手をあげてみせる。しらゆきは、部室の中をぐるりと見まわした。
「あれ、茜先輩、例の二人は?」
「例の二人は、となりの図書室にいるよ。図書委員の会合……」
「なるほどぉ!」
私たちは真ん中の6人掛けのテーブルに座る。そしてしらゆきは、かばんから料理の本を取り出し読み始めた。
「……なんで料理の本、読んでるの?」
「え、これ? これはさ、こんど書く話に料理を作るシーンを入れたいな~って思ってさ」
「ふうん……」
「じいちゃんの部屋にあった鬼平犯科帳って本読んだんだけどさ、料理がおいしそうな話っていいよね!?」
「え? うん……そう、かも」
しらゆきは料理の本をぱらぱらとめくり始める。私は、まだ何も書かれていないノートと筆記用具を机の上に並べてから、部室の本棚を見てまわった。
部室にずらりと並ぶ私の背より少し低いくらいの本棚。廊下に近い側には部誌があった。100冊ほどあるけれど、そんなに分厚くはないから、あまり場所をとっていない。真ん中の辺りには図書室に置かなくなった古い本や文学全集が並んでいる。そして窓側には、先輩たちが置いていったらしい昔の名作マンガや歴史マンガ、それに将棋のルールブックなどがあった。
私は部誌の中から一冊選んで、席に戻って読み始めてみる。まわりからはただ、紙のこすれる音だけがして、文章を追いかけていくうちに、それも聞こえなくなった。どのくらい時間が経ったんだろう?
「二人とも、どう? 書けてる……?」
ふと茜先輩が私たちに声をかけた。
「えとぉ、まだ書いてはないです。こう、いろんなことが頭に浮かんじゃって……どーしよーかなーって!」
「ふうん……。とーこは?」
「私は……何を書けばいいのか、わからなくて……」
「そぉかぁ……」
楽しそうに、にやーっと笑う茜先輩。
「いいね。いい感じに悩んでるよね、若者よ……」
「いや茜先輩、そこはなんかアドバイスくださいよ!」
「ふふ……それはまあ、例の二人に聞いてあげて……。ふたりとも、すっごく『先輩したがってる』からさ……」
「ああ、なるほど!」
しらゆきも楽しそうに応じる。
「そうですよね!」
「うんうん……」
ちょっと悪い感じに、にやにや笑う二人。ちょうど会話が途切れたので、私はちょっと気になっていたことを茜先輩に聞いてみることにした。
「あのー、茜先輩……」
「ん? なにかな……?」
「どうして2年生の美夜子先輩が部長なんですか? 部長ってふつう3年生がやるものなんじゃ?」
「それはね、2年のときに部長をやって、3年になったら隠居してのんびり過ごすっていうのが文芸部の伝統だから……」
「そ、そうなんですか」
「そ。隠居は気楽で最高だよ……?」
茶目っ気たっぷりな笑顔の茜先輩。
「それじゃあ、あたしたちも来年は部長&副部長なわけですか!?」
「うん、そーゆーこと……」
「おお~」
しらゆきはなんだか楽しそう。でも私は、自分が部長とか副部長とか呼ばれてる光景を想像できなかった。そんなことを話していると部室の引き戸がガラッと開いて、現部長さんと副部長さんがやってきた。
「みんな来てるわね」
さらりと流れる長い黒髪、美夜子先輩。
「わー」
にっこり笑って胸の前で私たちに手を振る、ひなた先輩。
「ごめんなさい。いままで、図書委員の会合があったの」
「二人とも、どう? すすんでるかなっ?」
そう言いながら、美夜子先輩とひなた先輩は6人がけテーブルのいつもの――すごろくのときと同じ――位置に座る。
「ちょっと、そこのお二人……かわいい後輩ちゃんたちが、二人に相談があるんだって」
「あら、なにかしら?」
私の真正面に座る美夜子先輩が、問いかけるように私としらゆきとを交互に見た。私としらゆきはいっしゅん顔を見合わせる。そしてまずしらゆきが口を開いた。
「えっと、その、今度の部誌に載せる話を書いてるんですけど、こう、いろんな話がどわーって頭に浮かんじゃって。でも、書きとめようとすると書きとめられない、みたいな。それで、どうしたらいいのかな~って、思って……」
「わあ、わかるよ!私もそうだもん!」
ひなた先輩がうれしそうな声を上げた。
「え、そ、そうなんですか?」
「うん! そんなときはね、書きとめようとしなくていいんだよ。そのまま空想の世界でたくさん遊んでほしいな。書きとめられなくて忘れてしまったとしても、胸の中にはちゃんと残ってるものがあるんだよ」
「は、はぁ……」
「それでね、そんなことをしていると、いつか何度も同じ空想をなぞってることに気付くときがきて……そして『あ、いけそう』って思うの。『あ、生まれる』って。そのときはじめて、その空想の世界を言葉で表現できるようになってるんだよ!」
「へ、へえ、そんなものなんですか」
顔を赤らめ引きつった笑いを浮かべながらも、ふつうに相づちを打つしらゆき。ひなた先輩の言葉に少しずつ耐性がついてきたみたいだった。
「そうだよっ!」
ひなた先輩がふんわり笑って応じる。空想、物語、そして書くこと。そんな話をしているときのひなた先輩は、いつもとてもうれしそうにしている。ひなた先輩がふりまくシャンプーの甘い匂いは、ふわふわと部室の中をただよって私たちの鼻をくすぐって、それで少し私たちの調子がくるうような、そんな気がする。
美夜子先輩は、そんなひなた先輩の横顔を、いとおしそうな眼差しで見つめている。でも、その眼差しの中にはどこか寂しそうな色もあるように、私には見えた。そして、ふと私と目が合う。美夜子先輩は優しく微笑んで、
「とーこは?」
って、そう聞いた。ちゃん付けされていたのが、いつのまにか取れている。でも私にはそれが自然なことのように思えた。
「わ、私は……何も、書けなくて……」
「何も書けない?」
「はい……何も……思い浮かばない、みたいな……」
「そう……」
美夜子先輩は少し考えてるふうだったけれど、すぐに私の目をまっすぐに見て言った。
「そんなときは、良いものにたくさん触れてみるのがいいと思う」
「良いもの?」
「そうよ。名作って言われてる本とか、本屋さんや図書館でなんとなく手に触れて気になった本とか、とにかく読んでみるの。
それから、美術館に行って絵を見るのもいいし、ちょっと変わった場所に行ってみたり。遠くじゃなくていい、新しいお気に入りのお店を見つけてみたりとか……。
あとはいろんな人と話してみたり。まだよく知らない人のことを知ろうとしてみたり、よく知ってる人でも、本当はよく知らないのかもしれないし、だから……。
そしてね、そのとき自分が思ったことを少しずつ言葉にしていくの。日記をつけてみるのはオススメ。
そんなことを積み重ねていけば、書けるようになると思うわ」
「あ、はい。その……はい」
急にたくさんのことを言われたから、私は戸惑ってしまって、それだけ答えるのがやっとだった。
「あっ……ちょっとわかりにくかったかしら?」
「あ、いえ、そんなこと、ないです。なんとか、やってみます……」
せっかく私のために言ってくれたのに。私はこういうとき上手にリアクションできない自分がいやだった。そこへ茜先輩がいつもの笑いを含んだ声で割って入ってくる。
「あんなにやさぐれてた美夜子が、ちゃんと先輩してる……。あたしゃうれしいよ……」
顔をむりやりしわくちゃにして、おばあさんのような高い声を出す茜先輩。
「茜先輩っ!やさぐれてたってなんですか!?」
しらゆきが興味津々というふうに聞く。
「な、なんでもない。なんでもないから!茜先輩が適当なことを言ってるだけ!」
美夜子先輩がなぜかあわてたようにそう言う。それから、少し引きつったような皮肉っぽいような笑顔を浮かべて、茜先輩に言った。
「茜先輩も何か先輩らしいことをされてみたら、いかがですか?」
茜先輩はにんまりと笑って、すっくと立ち上がった。
「ふふ……では、不肖、立花茜。若き詩人たちのために、詩を朗読します……」




