3ー1 ウィークポイント
「――準備は整ったわ」
水曜日、いつものように少し遅れて入ってきた月見里がそんな事を宣った。
「へー。何が?」
本に視線を落としたまま、然して興味はないが一応そう尋ねる。
「何を言ってるの? 準備といったら、あなたが私に告白する準備に決まってるじゃない?」
「……」
前々から知っていた事だが、彼女は馬鹿だ。頭はいいのに可哀想に。
「私はいつでもOKなのだけど」
椅子が軋む音と、月見里が腰を下ろす気配がした。
「こっちは全然OKじゃない」
「心の準備がまだという事?」
「というより、気持ちの準備かな。僕はまだ、君に告白しようという気持ちになっていない」
「断られるのが怖いとかそういう事?」
「……君は本当にアレだな」
「アレ?」
おそらく、今、彼女は首を傾げている事だろう。
「とにかく、僕は君に告白する気などさらさらない」
「今の所は?」
「……そうだな。今の所は」
未来の事なんて誰にも分からない。もしかしたら、そんな未来もあるかもしれないな。飽くまでも、可能性の話だが。
「私のどこに不満があるというのかしら?」
「どこって……」
「私にウィークポイントがあるのなら、逆に教えて欲しいぐらいだわ」
「……」
凄いな。さすが、月見里明里。言う事が違う。
「なんてね。冗談よ。分かってるわ。橘君の言いたい事ぐらい。でも、こればかりは、自分ではどうしようもないじゃない。だって、こういう風にしか育てなかったんだから」
月見里も、本当は分かっていたのだ。自分が難儀な性格をしている事を。でも、分かっていても、性格は急には変えられない。彼女は彼女なりに、その事で悩んでいたのだ。
「一応、努力はしてるのよ。けど、一人じゃ、なかなか変わっていかないの。だから、橘君も協力してくれたら嬉しいのだけど」
「別に、その程度の事なら……」
お安い御用だ。具体的に何をすればいいかは不明だが。
「そう。なら、早速、手を出してくれる?」
「手?」
本から顔を上げ、片手を月見里の方に伸ばす。
「暫く、そのままにしててね」
「ああ」
月見里が椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。そして、僕の手を掴み、自分の胸に押し当てた。
「……へ?」
瞬間、頭が真っ白になった。
この柔らかい感触、まさか……。
「うわ!」
慌てて、自分の手を引っ込める。
「何慌ててるのよ。協力してくれるって言ったじゃない」
「協力だと。何をどうしたら、これで君の性格が改善されるって言うんだ」
「性格? 何を言ってるの? 私の性格のどこに問題があるというの?」
この女、本気で言っているのか? だとしたら、神経を疑う。
「私の唯一と言ってもいいウィークポイントは、胸でしょ?」
「……は?」
もうツッコミどころが満載過ぎて、何をどうツッコめばいいものやら。
「まず第一に、君のウィークポイントは胸ではない。第二に、胸を揉んだら大きくなるというのは迷信だ。第三に、胸が小さいからと言ってそれはウィークポイントにはならない。第四に――」
さすがに息が続かなくなり、そこで一度呼吸を入れる。
「胸が小さいからと言って告白を悩む奴がいたら、そいつはクズだ。君とは釣り合わないから止めた方がいい」
「えーっと……ありがとう?」
「どういたしまして」
なんだ、この遣り取りは。
「つまり、橘君は私の性格に難があるから告白を悩んでる、と。そういう事なの?」
「それとこれとは話が別だ」
「ふーん。難がある事は認めるんだ」
「……」
読み掛けだった本に視線を戻す。
ちょうど犯人が探偵に追い詰められ、自白する所だった。