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pudding  作者: みゅう
2.隣の芝は青い
7/14

2ー4 挨拶

 コンコン、と扉を二回叩く。


「はーい」


 中から月見里の声が聞こえてきた。そして、程なくして、扉が内側から開く。


 お嬢様がいた。

 肩が大きく出た、赤いワンピースに身を包んで長い髪を()み込んで(まと)めたその姿は、まさにお嬢様。威圧感というかオーラがいつもの三割増しだ。


「入って」


 月見里に促され、室内に入る。


「失礼しまーす……」


 恐る恐る足を踏み入れる月見里の私室は、敷地同様、屋敷同様、広かった。

 たたみ十畳ほどの広さの室内には、天蓋(てんがい)付きのキングサイズベッド、化粧台、クローゼット、勉強机などが置かれ、その中央にはガラス出来たテーブルが置かれていた。テレビは……見当たらなかった。


「いつまでも突っ立ってないで、座ったら」


 気が付くと、いつの間にか月見里はテーブルに着いていた。

 (すす)められるまま、僕もテーブルに着く。


「言っておくけど、部屋に上げたからといって、そういう行為がOKなわけじゃないから」

「……いつもの月見里で安心したよ」


 正直、場所と恰好(かっこう)気圧(けお)されていたが、今の言葉で大分(ほどか)れた。


「でも、別にあなたとするのが嫌というわけじゃないのよ。両親からお付き合いの許しを得て、ちゃんと正規の手順を踏んでくれれば、そういう行為に(およ)ぶのも(やぶさ)かじゃないわ」

「いや、大丈夫。今の所、及ぶつもりはないから」

「そう。残念」


 そう言うと、月見里は肩を(すく)めてみせた。


 彼女なりに、僕に緊張させまいと気を遣ってくれたのかもしれない。まぁ、ただ単に何も考えず(しゃべ)っている可能性もあるが……。


「で、僕を呼び出した理由はなんだ?」

「え……?」


 彼女が本気で驚いたという顔をする。


「あなたって本当、バカなのか何なのか」

「どうも」

()めてないから」


 嘆息(たんそく)をする月見里。


「休日に女の子が男の子と二人きりで用もないのに会う。それだけで普通は勘付きそうなものだけど」

「用のあるなしは、僕には分からないだろ」

「雰囲気で察しなさいよ」


 また無茶を言う。


「つまり、用はないわけだな」

「えぇ。だから、あなたが今すぐにでも帰りたいというのなら止めないわ。もちろん、車で送らせる」

「……入部届けは?」


 そもそも、僕はそれを月見里に書かせるために、ここに来たのだった。


「月曜日になったら、ちゃんと部長さんに提出してあげるわよ。それとも、今日欲しいの?」

「いや、それで問題ない」


 さて、これで本当に僕がここにいる理由はなくなったわけだが……。


「そう言えば、この家って何人くらいの人が働いてるんだ?」


 ふと気になった事を聞く。


「何よ、急に」

「いや、さっき蛯名さんにも会ったし、望月さんもいるわけだろ? どれくらいいるのかな、って」


 ただの疑問だ。深い意味はない。


「常時いるのは……五人ね。由香里が私のお世話係、真菜花(まなか)さんっていう三十代後半の女性がお母様のお世話係、美織はその二人の補佐役。後は、お父様のお世話係の遠堂(えんどう)さんっていう五十過ぎのおじさんと料理人の霧山(きりやま)さんっていう三十代中盤の女性……くらいかしら?」

「なんか、女性ばかりだな」

「そりゃ、私とお母様のお世話をするんだから、女性じゃないと困るでしょ。別に橘君がしてくれるなら、私としてはそれでもいいんだけど」


 言いながら、月見里が不適な笑みをみせる。


「いや、やらないから」

「というより、あなたじゃ、私の世話はともかく、護衛は勤まらないでしょうね」

「護衛?」

「由香里はあなたの十倍強いわよ。元警察官だし」


 元警察官か……。ぽいちゃ、ぽいな。


「けど、なんで警察官を辞めてこの屋敷に?」

「何でも、男社会に嫌気が差したそうよ。警察なんて男社会の最たるものでしょうに」

「見ると聞くとは大違い、だったんじゃないか」


 よく知らないが。


「私の家も、見ると聞くとは大違いだった?」

「そうだな。想像の(はる)か上を行ってたよ」

「引いたかしら?」

「うーん。引きはしないけど、驚いたかな? ここまでとは思ってなかったから」

「そう……」


 僅かに顔を(うつむ)かせた月見里の表情には、若干暗い陰が差していた。

 金持ちには金持ちなりの苦労があるのだろう。そして、それは大抵、一般人には贅沢(ぜいたく)な悩みに映りがちだ。


「隣の芝は、青く見えるものさ」

「え?」


 僕の言葉に、月見里が顔を上げる。


 隣の芝は青い。それは自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。




 ……なぜ僕はこんな所にいるのだろうか?

 おそらく、何らかの選択を間違えたのだろう。でなければ、こんな所に僕がいるわけがない。


「緊張してるの?」


 僕の左隣に腰掛けた月見里が、顔を寄せて小声で聞いてくる。


 テーブルを挟んで対面に座る月見里の母親と目が合う。笑顔でこちらを見ていた。あれは微笑ましいものを見る時の顔だ。


 月見里の母親は、一言で言うと聖母、女神だった。

 腰まで伸びた長い黒髪。笑みの絶えない優しげな顔。そして、出る所は出て引っ込む所は引っ込んでいる抜群のスタイル。まるで絵画か石像を見ているかのような容姿。娘にこれらの特徴が引き継がれなかったのが、本当に残念でならない。


「困惑してるんだよ」


 仕方なく僕も小声で返す。別に聞かれて困るような内容ではないが、大きな声で話すような内容でもないので、月見里に(なら)う事にした。


「何に?」

「全てにだよ」


 今僕は、月見里家の食卓に着いていた。これほど大きな屋敷だから、食事はテレビで見るようなバカ長いテーブルでとるものだとばかり思っていたが、実際は違った。


 食卓の大きさは一般家庭と比べるとやはり大きいものの、精々二倍か三倍くらいの大きさで、一度に着ける数も十数人といったところだ。食卓の形はおよそ正方形、素材は木で、色は茶色。

 食卓が置かれているこの場所はいわゆるリビングと呼ばれる所だろう。テレビやソファー、食器棚などが置かれている。広さは……ウチの五倍程かな? とにかく、広い。


 ちなみに、食卓にはまだフォークやスプーンがあるだけで、料理は何も並んでいない。目の前には透明な液体の入ったワイングラスが置かれているが、中身はおそらく水だろう。多分。


「仲がいいのね」


 僕達の()り取りを見た月見里の母親が、嬉しそうに言う。


「いえ、そんな事は――」

「あるわよね」

「……はい」


 月見里に笑顔で凄まれ、僕は自分の意見を早々に曲げた。


「あらあら」


 その様子を見て、月見里の母親が笑う。彼女はきっと何かを勘違いしている。


 程なくして、扉が開き、一人の男性が姿を現した。

 短い黒髪をオールバックにした、いわゆる仕事の出来る男といった風貌(ふうぼう)ではあるが、スーツの上からでも分かるくらいの筋肉質な体をしており、それだけではない事が一目で分かる。そして、何より威圧感が凄い。


 部屋の外で、初老の男性が一礼をして扉を閉める。やはり、月見里の父親のお世話係も他の者同様、リビングの中までは入ってこないようだ。そういう取り決めでもあるのだろう。


「いやー、すまない。帰りがけに急に電話が掛かってきてしまってね」


 男性は自分の席には向かわず、僕の隣に立った。


 慌てて僕は立ち上がる。


「あの、橘武尊です。明里さんとはクラスメイトで――」

「まぁ、そう固くならず。君の事は知ってるよ。確か、幼稚園からずっと明里とは一緒だったね」

「はい。その通りです」


 僕如きを、あの月見里製薬の社長が覚えているとは少し驚きだ。月見里と僕が接点を持っていたのは、幼稚園時代のほんの一年あまりだというのに。


「にしても、明里が彼氏を……ね。もう。そんな年頃になったのか」


 感慨深げに僕を上から下まで観察する月見里父。

 いかん。誤解は早めに()かなければ。


「あの――」

「お父様、そんなにジロジロ見たら、武尊君が緊張してしまうでしょ」


 再び、僕の言葉を月見里が遮る。

 おそらく、今のも偶然ではなく、わざと(さえぎ)ったのだろう。つまり、訂正するな、という事だ。


「おぅ。悪い悪い。ついな」

「もう。お父様ったら」


 苦笑を浮かべる父親に、笑顔で応じる月見里。その光景は、Theお嬢様といった感じだった。


「武尊君」

「はい!」


 月見里の父親に名前を呼ばれ、思わず背筋を正す。


「これからも明里の事をよろしく頼むよ。少しわがままで自由奔放なところはあるが、基本的にはいい子だから」


 前半部分は、一緒に暮らす人間の共通認識らしい。望月さんも似たような事を言っていた。


「努力します」


 さすがに、ただ「はい」とは頷けなかった。


「努力か……。そうだな。お互いが努力し合わなければ、他人が家族に等なれるはずない。実にいい返事だ」


 すみません。そんなに深い考えは、毛頭(もうとう)ありませんでした。……とはいえ、月見里の父親が納得しているようだから、敢えて訂正はしないけど。

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