2ー3 月見里家
「――すみません、明里様のワガママに付き合わせてしまいまして」
「いえ、ギブアンドテイクですから」
「?」
僕の言葉に、運転席の望月さんが首を傾げる。
約束の土曜日。今、僕は望月さんの運転する例の車に乗って、月見里家に向かっていた。
初め、インタホーン越しに、スーツに身を包んだ彼女の姿を見た時は驚いたが、考えてみれば、面識のない人に迎えに来られてもそれはそれで面倒だったので、結果的にはこれで良かったのかもしれない。
ちなみに、まだ入部届けは月見里が持っている。僕が約束を果たすまで渡さないつもりらしい。用心深い奴だ。
「どのくらいで着きますか?」
後部座席、ちょうど望月さんの背後からそう尋ねる。
「二十分といった所でしょうか」
「そうですか」
まぁ、僕にやれる事はないし、二十分、大人しくしていよう。……車が凄過ぎて、全然落ち着かないが。
「学校での明里様はどうです?」
「完璧ですよ。もう非の打ち所がないくらい」
「それはまた大変そうですね」
望月さんが苦笑する。
学校での月見里は、本来の彼女とは程遠いのだろう。つまり、学校では頑張っているのだ、文芸部の部室以外では。
「あの、こんな事聞くのはどうかと思うんですが……」
「なんですか? 何でも聞いて下さい」
どうせ乗っているだけだし、乗せてもらっているという意識もある。大抵の事には答えるつもりだ。
「明里様と橘様は、その、お付き合いなさってるんですか?」
どこか聞き辛そうに、望月さんがそう尋ねてくる。
「少なくとも、僕は付き合っていないつもりです」
「なるほど」
頷く望月さん。何に納得したのだろう。
「橘様から見て、明里様はどうです?」
「どう、とは?」
「女性として、クラスメイトとして、何でもいいです。どう見えるかが聞きたいんです」
少し考え、口を開く。
「見た目は完璧ですよね。好みちゃ好みです。中身は……」
「中身は?」
「興味はありますね。その他大勢よりは」
そこでなぜか、望月さんが声を殺して笑う。
「何か?」
今の僕の台詞の中に、どこかおかしな部分はあっただろうか?
「すみません。明里様から橘様は周りの人間をその他大勢くらいにしか思ってないと聞きましたので、そう考えると明里様は橘様の中ではその他大勢ではないんだな、と」
バツが悪くなった僕は、頬杖をつき、視線を窓の外に移した。
「申し訳ありません。気を悪くされましたか?」
「いいえ。不貞腐れてみせてるだけです」
「そうですか」
この人の前では、ひどく自分が子供に思える。そして、そうあろうともしている節も、自分の中のどこかにあった。
「望月さんって、不思議な人ですね」
「本当に申し訳ありません。明里様のお客様に先程から失礼な発言ばかりで」
「別にいいですよ。僕もその方がやりやすいですし。あまり畏まられても逆に困ります」
僕はそんな大した人間ではないし、何より望月さんの方が年上だ。彼女の立場もあるだろうから無理だと思うが、出来れば敬語も止めてもらいたいぐらいである。
「橘様は、お優しいのですね」
どうやら、気を遣った発言だと思われたらしい。
「いや、そういうんじゃなくて。大体、綺麗なお姉さんと気軽に話せる機会なんて、早々ないですし。男子高校生にとっては、ご褒美ですよ」
場の空気を和まそうと、敢えて軽口を叩いてみせる。
「そうやって、いつも女性を口説いていらっしゃるんですか?」
「え? いえ、そんな事は……」
確かに、今の台詞は少しクサかったかもしれない。舞い上がっているのか、僕は。
「冗談です。ありがとうございます。でも、そういう言葉は、私にではなく明里様におっしゃってあげて下さい。喜びますから」
「……考えておきます」
「まぁ」
望月さんが笑い、僕も笑う。
月見里の近くに、こんな人がいて良かったと、無関係な人間ながら本気でそう思った。
閑静な高級住宅街、その中でも一際大きいお屋敷の前で車が停車する。
「えーっと、もしかして……」
「はい。着きました。ここが月見里明里様のご自宅です」
「……」
言葉を失うとはまさにこの事だ。
まるでそびえ立つように敷地全体を囲う、白い壁と格子フェンス。その中央にはこれまた巨大な門が……。
「橘様、どうぞ」
運転席から降り、望月さんが扉を開けてくれるが、衝撃が強過ぎてすぐには降りられなかった。腰が抜けていないのが不思議なくらいだ。
「どうかしました?」
「……いえ、何でもないです」
車を降り、門の前に立つ。
……やはり、デカい。
僕が茫然と立ち尽くしていると、内側から門が開いた。
「なっ!?」
開いた門の向こうから現れた小柄な少女。その姿に僕は再び言葉を失う。
黒いエプロンドレスに、白いカチューチャ。
うん。どこからどう見てもメイドだ。しかも、スカート丈はミニではなくロング。うん。間違いない。本物のメイドさんだ。
「蛯名美織です」
自己紹介と共に、メイドさん――蛯名さんが頭を下げる。
それに釣られ、僕も慌てて頭を下げる。
「橘武尊です。この度は、突然お邪魔してすみません」
「いえ、私共も橘様にお会いしたと思っていましたので」
「それはどういう……?」
「――美織。車を」
いつの間に移動したのか、僕の背後から望月さんの声が聞こえてきた。
その声は気持ち固く、暗に蛯名さんを窘めているようでもあった。
「はい。では、また後程」
望月さんから車の鍵を受け取ると、蛯名さんは一礼をし、僕の脇を擦り抜けていく。
「お待たせしました。明里様の元にご案内します」
そして、蛯名さんと入れ替わるようにして、今度は望月さんが僕の前に立つ。
「あ、お願いします」
望月さんの後に続き、敷地の中に足を踏み入れる。
「……」
一体、今日僕は、何度言葉を失えばいいのだろうか。
門から屋敷に向けてちょうど田んぼの田の字のように道が続いていた。
長さは縦がおよそ百メートル、横は中心点から縦と同じくらいの長さの道が両方向に伸びているため、二百メートルといった所か。道によって作られた長方形の四つの空間には、全面に芝生が敷き詰められており、その上に木々や花々が植えられていた。
「凄っ……」
思わず声の漏れた僕に、振り返り、望月さんが微笑みを浮かべてみせる。
「私も初めて来た時は驚きました。まるで別世界、ですよね」
望月さんを船頭に、屋敷まで歩く。
屋敷に近付けば近付く程、その大きさに驚かされる。いや、さっきから驚いてばかりだが。
白い壁と赤い屋根の西洋風の建物は二階建てで、壁には大きめの窓が幾つも付いており、バルコニーがある所まである。
普通の住宅なら、十軒は入りそうだ。こんな建物、日本にあるんだな。
屋敷に着くと、望月さんによって扉が開けられる。
室内は室内で凄かった。
床一面に赤い絨毯。左右には長い廊下が続いており、正面には広く大きな階段が。玄関の面積自体も広い。
「こちらへ」
望月さんに連れられ、二階に上がる。
足元はフカフカで、気持ちいいが、少し落ち着かない。建物への気後れも、足元の不安定さの要因の一つかもしれない。
ふいに、望月さんの足が一つの扉の前で止まる。
「ここが明里様のお部屋です」
姿勢を正す望月さん。
「それでは、ごゆっくり」
そして、深々と頭が下げられる。そのお辞儀に、僕は彼女からのメッセージが込められているような気がした。