4ー1 けじめ
月見里明里は、僕にとって、太陽だった。
……こう言うと、クサい口説き文句のように聞こえるかもしれないが、実際はそんないいものではない。
僕にとって、彼女は、憧れであり、目標であり、決して手の届かない存在――のはずだった。あの日、あの時、彼女が、僕に話し掛けてくるまでは……。
「ねぇ」
ある水曜の放課後。文芸部の部室に向かっていた僕を、誰かが呼び止めた。
振り返ると、そこに、月見里が立っていた。
「何?」
内心の動揺を外に出さないよう、僕は必死に平静を装った。
小・中の時も、彼女と話した事は当然あったが、その内容はどれも事務的なもので、また一回辺りに掛かる時間も短かった。詰まる所、当時の僕は慣れていなかったのだ。彼女と話す事に。
「文芸部の部室に行きたいんだけど」
「……」
思考を巡らす。
僕が文芸部員だという事を知る者は少ないが、別に隠しているわけではないので、知っている人は知っている。そして、このタイミングで僕に声を掛けてきたという事は、彼女はおそらく後者に属する人間なのだろう。
もし、そうだとして、狙いはなんだ? もちろん、ただ文芸部の部室に行きたいだけという可能性もある。しかし、その可能性は極めて少ない。なぜなら、文芸部員以外が、文芸部の部室に行く事はまずないからだ。
生徒会や委員会の人間が、たまに文化祭や予算の事などで部長を尋ねてくる事はあるが、彼女はそのどちらでもない。なのに、どうして?
「橘君?」
答えの出ない思考は、彼女の疑問符の付いた呼び掛けによって、途中で停止した。
考えてみれば、僕如き人間が月見里の思考を読み取ろうとするなんて、おこがましいにも程がある。僕と彼女は、そもそも違う人間だ。住む世界が違うし、人間としての格が違う。
「文芸部の部室に行くには――」
僕は丁寧に分かりやすく、部室までの道筋を彼女に教えた。いつも通る経路なので、スラスラと言葉が出た。
「……」
しかし、僕の説明を聞いた月見里の顔は、予想に反し、何か難しい事を聞いたようなものになっていた。
「あなたの説明は素晴らしかったわ。でも、やっぱり、口頭じゃ少し分かりづらいわ。橘君。あなた、案内してくれる?」
「は?」
今の説明で行き方が分からなかったというのにも驚いたが、何より、僕に案内をしろという彼女の提案に驚かされた。
「なんで、僕が?」
「だって、あなた、文芸部員でしょ?」
やはり、彼女は知っていたのだ。僕が文芸部員である事を。
「嫌だと言ったら」
「なぜ?」
彼女が不思議そうに小首を傾げる。
確かに、おかしな話だ。別に、他に用事があって、急いでいるわけでもなく、尚且つ今からその場所に向かうというのに、案内を断るなんて……。
「分かった。付いてきてくれ」
「ありがとう。助かるわ」
それが僕と彼女の〝出会い〟だった。
そして、その日から彼女は、毎週水曜日になると、文芸部の部室に入り浸るようになる。五月の、まだゴールデンウィークが開けたばかりの頃の話だ。
「――何?」
それまで、頬杖をつき、窓のある方を見ていた月見里が、僕の方を向き、そう尋ねてくる。
本に視線を落とす振りをし、見ていたのだが、それは全く無駄な努力だったらしい。
観念し、本から顔を上げる。
「その、体調の方は大丈夫なのか?」
「ええ。お陰様で」
満面の作り笑顔だった。
ならば、言葉の方も、それに準ずるものに思えるが、この場合、どっちなのだろう?
昨日、月見里は、次の休み時間には、何事もなかったかのように教室に戻ってきた。本来なら、彼女の周りに人集りが出来そうな状況だったが、さすがにクラスメイトもその辺は空気を読んだようで、数人の女子が声を掛ける程度でその場は収まった。
「言ったでしょ。いつもの事だって。保健室に行ったのも、あなたの顔を立てて上げただけで、本当はその必要すらなかったんだから」
「悪かったな、心配性で」
敢えて、御陵先生に言われた〝過保護〟という言葉は避ける。理由は……自分でもよく分からない。
「いいえ。好きな人から心配されて、喜ばない女子はいないわ」
「……」
それに対し、一体、僕はなんて返せばいいんだ。
「なぁ、月見里」
「何よ」
「君は、本当に、僕の事が好きなのか?」
「……」
信じられないものを見るような目で、見られてしまった。彼女からしてみれば、何言ってんだ、こいつ――といったところなのだろう。
「なるほど。分かったわ。あなたは、そういう言葉を何度も言わせて、優越感に浸りながら、私を貶めるのが趣味なのね」
「君が、僕をどういう風に思ってるか、よーく分かったよ」
「好きよ。あなたが、甲斐性無しの意気地なしの朴念仁だとしても」
「……」
凄い言われようだが、自分でも、今の言葉はあまりにデリカシーに欠けるものだったという自覚があるので、甘んじて受け入れる。
「月見里。君に頼みたい事がある」
「え? こんな場所で、メイドコスはちょっと……」
「なんでだよ! 誰がいつ、そんな事をしてくれと頼んだ!」
「して欲しくないの?」
「……」
イエスともノーとも言い難い質問だ。
「やっぱり好きなのね、メイド」
「何を根拠に……」
「ウチのメイドを、イヤラシイ目で見てたという報告が」
「誰がそんな――」
あ。望月さんか。うわ。ショックだな。まさか、望月さんに、そんな風に思われていたなんて。月見里から、数万の罵倒を浴びせられるよりもショックだ。
「嘘よ」
「へ?」
「正確には、〝興味深そうに見てた〟だったかしら。まぁ、どちらにしろ、橘君がメイド好きなのは、変わらないけど」
いや、まぁ、どちらも否定は出来ないが、なんか釈然としないものがある。大体、メイドが好きじゃない男子なんて、この世に存在するのか? メイドは男子のロマンだろ。
「で、本当の頼み事はなんなの?」
「……やっぱ、いいや」
なんか、今の遣り取りで、興を削がれたというか、言う空気じゃなくなったというか……。
「え? もしかして、結構、マジなやつだったの?」
「また気が向いたら言うよ」
そう言って、僕は読書に戻る。
別に怒ってはいない。ただ本当に、そういう空気じゃなくなったというだけの話だ。
しかし、月見里は、そうは思っていないらしく、今もチラチラとこちらの様子を伺っている。その様子は、怒られた後、飼い主の様子を伺う犬のようで可愛らしかったが、やはり、何だが可哀相だった。
はぁー。仕方ない。
「今度の土曜日なんだが――」
読書を止め、顔を上げる。
「暇か?」
「え? あ、うん……」
僕の問いに答える月見里の顔には、はっきりと戸惑いの色が見て取れた。
「じゃあ、付き合ってくれないか?」
「どこに?」
「僕の、母さんの所に」




