3ー3 迷い
水曜日は文芸部の部室で、土曜日は僕の部屋で寛ぐというのが、いつの間にか彼女のルーティンに組み込まれてしまった。
しかし、それ以外の時は、相変わらず僕と彼女はただのクラスメイトで、会話らしい会話すらしない間柄のままだった。
土曜日の十時過ぎ。今日も今日とて、月見里は僕のベッドに腰を下ろし、漫画を読んでいた。
窓の外は雨。梅雨のシーズンに入ったので仕方ないと言えば仕方ないのだが、こう毎日のように雨に降られては気が滅入る。
「はぁー」
「溜め息を吐くと、幸せが逃げるわよ」
「……」
まったく。誰のせいだと思っているんだ。
こうして学校の外で会うようになって気付いた事だが、月見里の私服はミニスカートが多い。現に今日も、白いノースリーブのブラウスに、黒いフレアスカート(ミニ)という出で立ち。
この前もそうだったし、その前の前もそうだった。そして、今日もそうだ。何が言いたいかと言うと、ベッドに座られると非常にそれが気になるという事だ。
もしかして、誘っているのか、この女。いや、男の部屋にミニスカートで毎回来るからと言って、そんな短絡的な考えを思い浮かべてしまうのは、単に僕が女性と付き合った事のない童貞野郎で、女の子馴れしてないからだ。きっと彼女の方は特に他意などなく、可愛い恰好をしてきているだけ、なのだろう。
「うーん」
漫画を読むのに疲れたのか、上の方から月見里のそんな声が聞こえてきた。
「橘君」
「なんだよ?」
「肩が凝ったわ。マッサージして頂ける?」
「……」
何言ってんだ、こいつ。マッサージだと? まったく。寝言は寝て言えってんだ。
――等と脳内で愚痴りつつ、彼女の背後に回る。
いや、決して合法的に女の子の体に触れるいい機会だなんて思ったわけではなく、飽くまでも渋々、仕方なく従っているだけだ。
「触るぞ」
「ええ」
断りを入れてから、彼女の両肩に手を置く。そして、ゆっくりと手を動かす。
「痛くないか?」
「大丈夫。気持ちいいわ」
背後に回って見る女の子というのは、これはこれでいいものがあった。思わず、このまま抱き締めたくすらなってくる。
「肩はもういいわ」
「は?」
月見里の言葉に、手を止める。
「次は、足をお願い」
「……ふざけてるのか?」
「いえ、大真面目よ」
だとしたら、尚更タチが悪い。
「出来ない?」
「当たり前だ」
肩は、まぁ、いいとしよう。ギリギリOKだ。しかし、足は不味いだろ。どの体勢でやるにしても、色々な意味で危ない。
「そう。残念ね」
次の瞬間、僕は体を反転させた月見里に寄って、ベッドの上に押し倒されていた。
そういえば月見里は、護身用に合気道を習っているらしい。今のも、もしかしたらその技の一つなのかもしれない。
「何のつもりだ」
女性に、しかも美人に乗っかられているというのに、不思議と僕の思考は少しも焦っていなかった。ある程度、月見里を自分の部屋に上げた時点で、こうなる事を予想していたからだろうか。
「どういうつもりに見える?」
「悪ふざけ」
「あなたは私を、悪ふざけで男を押し倒す女だと思ってるのね」
「時と場合、後は相手に寄るたろうね」
「そうね。相手に寄るわ」
僕の上で、彼女がにこりと微笑んだ。その顔は、こんな状況に不釣り合いな、可憐で清楚なものだった。
「早く退いてくれ」
「あなたがリードしてくれるの?」
「違う。怒るぞ、本当に」
「嘘ね。声に怒気や冷たさが混じってない。ねぇ、知ってる? あなた、本気で怒る前には、本当に怖い声を出すのよ」
その事は、自分でもよく知っている。自分を抑えなければと思うのだが、思わず感情が内に出てしまうのだ。
「月見里。君が何を考えてるのか僕には分からないが、僕はこういう事はちゃんと手順を踏むべきだと思ってる」
「そうね。私も、出来ればそうしたいわ」
「なら、そうしてくれ」
「こっちにも色々と事情があるのよ」
暫し、月見里と睨み合う。
「時間をくれないか?」
「時間は十分あげたと思うけど?」
確かに、月見里か僕に好意があるような素振りを見せてから、もうひと月程の時間が経った。彼女からしてみれば、考える時間は十分あったのだろう。
「僕は君を、もう少しゆったりと事を構える人間だと思ってたんだ」
「ええ。その通りだわ。だから、こんな恰好で、男の子の部屋に、一人で、何度も来てるんだけど」
なるほど。全てはアピールだったというわけか。まぁ、薄々気付いてはいたが。
「それでもまだ、待てと言うの」
「ああ」
再び、睨み合う。
「ずるいわ」
そして、月見里が突っ張っていた腕の力を抜き、僕の胸に顔を埋めてくる。
「悪い」
「悪いと思うなら、頭撫でなさい」
言われるがまま、月見里の頭を優しく撫でる。
彼女の髪は柔らかく、また手に心地いい。それに加え、女の子の頭を撫でるという行為はただそれだけで気持ちが良かった。
「どれだけ待てばいいのかしら?」
「今学期中には」
「今学期?」
月見里が顔を上げ、僕の顔を見る。
「今月」
「……まぁ、いいわ」
嘆息混じりの彼女の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。……ま、実際には、彼女の頭が乗っているので、本当に胸を撫で下ろす事は出来ないが。
「それにしても、こんな美人を待たすなんて、橘武尊とかいう男は余程の美男子なのね」
「……」
どう答えても僕に得はなさそうなので、その件についてはコメントを差し控えさせて頂きたい。
「そう言えば、橘君のおウチに鏡ってあるのかしら?」
どういう意味だ、それは……。
そもそも、僕は何を迷っているのだろう?
月見里明里は、美人で、頭が良くて、金持ちの家の子だ。性格も……悪くはない。そんな彼女が、僕を好きと言ってくれ、尚且つ積極的にアタックしてくれている。なのに、僕は何を迷っているんだ? ……ああ。なるほど。
分かった。分かってしまった。自分が何に悩んでいるのか。
結局の話、僕は自分に自信がないのだ。本当に彼女の相手は、僕でいいのか? 彼女には、僕なんかよりもっと相応しい人がいるんじゃないか? その二つの疑問が、僕の思考を鈍らせている。
そして、それとは別に、答えを簡単に出せない理由が僕にはあるのだが、そちらの方は一朝一夕には克服出来そうにない。なので、解決するなら、前者を先に――だろう。
「僕の長所って何ですかね?」
月曜日の放課後、部室で部長と二人きりになったので、そんな事を尋ねてみた。
「なんだ? 今から面接の事、考えてんのか? そんなもん、自分で考えてこそ、だろ?」
と言いつつ、読んでいた本から顔を上げ、話を聞く姿勢を取ってくれる辺り、この人も大概やさしいよな。
「そうですけど。あまり時間がないというか……」
「お前、バイトでも始めるつもりか?」
「そうですね。バイト始めます、僕。なので、僕の長所を教えて下さい」
それで話が早く済むなら、もうそれでいい。本当の理由は、部長に言えないし。
「うーん。図々しい所とか?」
「それ、長所ですか?」
どちらかと言えば、短所のような気がするが。
「長所でもあり、短所でもあるだろうな。てか、何でもそうだろ。優しいってのも、裏を返せば優柔不断だったり偽善者だったり、見方や立場に寄って感じ方は変わってくる」
まぁ、確かに、そうかもしれない。
「お前は、いつも実は冷静沈着で、比較的周りに優しく振る舞う。リスクとリターンを常に天秤に掛け、出来るだけ平静な道を通ろうとする。だが、本当は素の自分を面に出さず、実は周りを小馬鹿にしてる、平静な道を通ろうとするのも、変化を怖れた臆病者の発想だ。自分は人とは違うと思っており、人より優れてるとも劣ってるとも思ってる。世界を冷めた目で見ているが、本当はそんな自分が嫌いで、皆と同じように振る舞えたらと心の中では思ってる」
「凄いですね。全てお見通し、ってわけですか」
部長の言う事は、残さず余らず全て正解だ。当たり過ぎていて少し怖い。
「今も、本当は内心、不快感と怒りを覚えてるが、波風を立てないためにヘラヘラしてみせてる。相手が先輩って事で、多少は気ぃ遣ってるのかもな」
「反論のしようがありませんね」
肩を竦めてみせる。
全く以ってその通りだった。
「とまぁ、こんなもんは多かれ少なかれ、大半の人間が思ってる事だけどな」
「でしょうね」
僕の場合、それが人より強いだけで、当たり障りなくのらりくらりと過ごしている人間は、それなりに多くいるだろう。
「お前が何を悩んでるのか知らないけどさ、物事をあまり難しく考えるな。シンプルイズザベストって言うだろ?」
「時と場合に寄りますけどね」
「はぁー。というかな、お前は一度、女と付き合っておいた方がいい。意外とぴったりだと思うぞ。お前と月見里」
「何を悩んでるかは知らないのでは?」
一応、そういう体だったはずだが。
「知らないよ。だから、今のは、お前の悩みとは全く別物の、ただのアドバイスだ。お前が今後生きてくための、な」
〝今後生きてくため〟とは、これまた大きく出たな。
「後、これだけは言っておく」
「なんでしょう?」
「お前が、月見里と自分が釣り合わないとか思って悩んでるなら――」
「なら?」
「ぶっ飛ばす」
そう言って、眼光鋭く僕を睨みつける部長。
マジだ。これはアレだ。マジなやつだ。
「あ、はは。ヤダなー。そんな事、思ってるわけないじゃないですか」
とりあえず、笑ってみた。
効果は未知数だが、他に代案が思い浮かばなかったのだ。仕方あるまい。
「大体、男女の合う合わないなんてな、結局は当人同士が決めるもんなんだよ。他人の評価なんて気にしてんじゃねぇ」
「はい……」
部長の言葉に、僕は粛々とした様子で頷く。
しかし、一つだけ、どうしても気になる事が……。
「ちなみに、部長」
「なんだ?」
「彼氏がいたご経験は……?」
僕の質問に対する答えは、鉄拳制裁という非常にシンプルで分かりやすいものだった。




