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pudding  作者: みゅう
1.私があなたを好きな理由
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1ー1 月見里明里

「――ねぇ、何か(しゃべ)りなさいよ」


 文芸部の部室に僕以外には、彼女しか人はいなかった。だから、その言葉が僕に向けられて発せられたものだという事は疑うまでもない。


「何か」

「……面白(おもしろ)い冗談だわ。もし私に犯罪を()み消すだけの力があったら、殺してあげたいくらいにね」

「ないのか?」


 本に目線を落としたまま、彼女に問う。


「あるわけないでしょ」

「そうか」

「何よ」

「いや、あれだけデカイ製薬会社の社長令嬢になら、それぐらいの事は造作もないのかと思ってた」


 彼女の父親は、その手の事に(うと)い人間でも名前ぐらいは知っている某製薬会社の社長をしている。しかも、二代目とか三代目ではなく創業者だ。その優れた容姿も手伝い、度々テレビにも姿を現している。


「前言撤回。やっぱり、殺すわ。そして、ちゃんと自首する」

「止めた方がいい」

「何? 今更、命()い?」

「僕に、君の人生を転落させる程の価値はない」

「……」


 再び何か言われるかと思ったが、今度は何も言ってこなかった。きっとあまりに馬鹿(ばか)な返しに、(あき)れたのだろう。


「ねぇ、いつも本読んでるけど楽しいの?」


 その代わり、彼女はどうでもいい事を僕に聞いてきた。


「楽しくなければ読んじゃいけないのか?」

「楽しくないのに読む意味あるの?」


 見解の相違(そうい)。というより、そもそも考え方が違うのだろう。この溝はそう容易(たやす)く埋まるまい。


「勉強のためとか、他にも理由はたくさんあるだろう」

「……」


 視線を上げずとも、彼女がこちらを(にら)んでいる事が分かった。僕が読んでいる本が、大衆向けの小説だという事を知っているからだろう。


「暇潰し、本を読まないと落ち着かない、その人にとって読書は日常……等々」


 とはいえ、小説を読んでいるからといって、その人の読書の理由が勉強ではない事にはならないが。例えば、小説家志望の人は勉強のために読書をしているかもしれない。……ま、少なくとも、僕は小説家志望ではないけど。


「あなたはどれなの?」

「全部かな」

「ふーん」


 納得のいったようないかないような、中途半端な(こた)えだった。


 そもそも、なぜ彼女はここにいるのだろう。


 彼女は文芸部員ではないし、暇人でもない。噂によれば三つの習い事を週五日のペースでこなし、自宅学習も(おこた)らない。そういう人間のはずだ。それなのに、なぜか決まって水曜日になると、彼女はここに来てこうして僕にチョッカイをかけてくる。全くもって謎だ。


 彼女と僕はクラスメイトだ。更に言えば、幼稚園から今に至るまでずっと同じ園・学校に通っている。しかし、彼女が僕にこういう風に話し掛け始めたのは、高校に入ってから。それまで僕と彼女には一切と言っていいほど接点はなかった。


 それもそのはず。片や向こうは持ってない物はないくらい完全な社長令嬢。片やこちらは何の特徴もないその他大勢。立場というか、立っている土俵がそもそも違う。


「邪魔なら帰るけど」


 僕の微妙な変化を感じたのか、彼女がそんな事を言う。


「いや、むしろ、邪魔なら僕が帰ろうか?」

「なんでよ」


 苦笑された。


「ここは文芸部の部室で、あなたは部員。部外者は私の方じゃない」

「別にここでどうしても読みたいわけじゃないし」

「じゃあ、なんで?」

「……」


 理由は言わなかった。そこに意図しない感情を察せられるのが嫌だったから。


「まぁ、いいわ。とにかく、邪魔ならそう言いなさい。帰るかどうかはその時の気分次第だけど」

「気分次第なんだ……」


 今度はこちらが苦笑する。


「そうよ。私を誰だと思ってるの。月見里(つきみさと)明里(あかり)様よ」


 堂々とそう言い放った彼女のその宣言に、自嘲の色を感じ取ったのは、僕の中に彼女に対する偏見があるからだろうか。


 彼女は月見里明里。全てを持っている人間だ。


 僕は(たちばな)武尊(たける)。何も持たない、ただの一般ピーポーである。




 彼女は教室や他の場所では、僕に話し掛けてこない。それどころか、眼中にすらないといった感じだ。

 まぁ、僕と彼女の関係からすればそちらの方が自然で、部室での方が不自然なのだが。


 一週間が()ち、また水曜日になった。


 相変わらず、部室には僕と彼女しかいない。他の部員は名前だけの幽霊部員なので、本当にたまにしかこない。そして、それは決まって週始めか週終わりで、彼らが水曜日に部室を訪れた事は一度もなかった。


 彼女は、今日は本を読んでいた。文芸部の部室には、歴代の先輩が残していった本が大量にある。その一冊を今彼女は読んでいた。


「よく分からないわ」

「何が?」


 今日も僕は、本に視線を落としたまま、彼女の言葉に応える。


「本を読む面白さが」

「無理に読む必要はない。別に読まなくても死なないし困りもしない」

「そりゃ、そうだけど……」


 どうやら、それでは不満のようだ。


「ねぇ、あなたはどんなのを読んでるの?」

「恋愛、推理、医療物……。節操なく色々読んでるよ」

「ふーん」


 自分で聞いてきたくせに、興味なさげな声が返ってきた。


「今度、何か貸してよ」

「……なんで?」

「読みたいから」

「だから、なんで?」

「ぶっちゃけ、あなたの趣味趣向に興味があるのよ」


 なんだ、それ。それじゃあ、まるで……。


 ――キーン、と一瞬、何か金属音のような音と不快感が頭の中を(よぎ)った。この感覚はまるであの時の……。


「……君は僕が好きなのか?」


 多分、否定して欲しかったんだと思う。何言ってんの、って。その結果、この時間が壊れたら、尚更良かった。来週から僕は再び一人になれる。


「そうね……。もし誰かに強姦されたとして――」

「は?」


 しかし、その結果、返ってきた答えは、僕の想像を絶するものだった。

 絶し過ぎていて、思わず、本から顔を上げてしまった。


 少し目付きの悪い瞳が僕を見る。


 そういう場合でないと分かっていながらも、整った顔立ちに目を奪われる。

 そして、目線は知らず知らず、彼女の全身に……。


 腰先まで伸びた髪の色は黒く、体型はスリム。服やスカートから伸びる手足は細く、それこそ触れたら折れそうなくらいだ。


「レイプと言い換えてもいいわ。レイプされたとして、他の奴が相手なら処女を散らされる前に舌を噛み千切って死んでやるけど、あなたが相手なら死ぬかどうか行為が終わってからじっくり考える事にするわ」


 レイプって……。こいつはいきなり何言ってやがる。


「……よく分からないんだが。嫌いではないという解釈でいいのか?」

「何言ってるの? 私の話聞いてた? 好きよ。プリンの次くらいには」

「プリンって……」

「ヨーグルトよりは上ね」


 食べ物と同列にされても、全く基準が分からない。食べるという行為とそういう行為を掛けて言っているのだとしたら、相当高度な発言だが。


「だからといって、抵抗しないわけじゃないから勘違いしないでよね」

「……」


 もう訳が分からない。

 からかわれているのだろうか。……それにしては、発言が過激過ぎるが。


 とりあえず、視線を本に戻す。


「初めてって、本当に痛いのかしら?」

「僕に聞くな」

「ところで、橘君はそういった経験は?」

「ないよ」

「処女と童貞の同時喪失が私の夢なの」

「……」


 もうノーコメントだ。さすがに付き合いきれない。というか、付き合ったらダメだろ、これは。


「ねぇ」

「何?」


 知らず知らず、声が刺々(とけどけ)しいものになってしまう。


「あなたの目には今何が映ってるの?」

「……文字、かな?」

「つまらないわ」

「そう。それは残念」


 彼女を満足する冗談を言うのは、中々に難しい。


「私の目には今あなたが映ってるわ」

「そりゃ、まぁ、そうだろうな」

「……まぁ、いいわ。私、好きな物は、後でゆっくり食べる人間なの」


 なぜだろう。彼女のその台詞(せりふ)を聞き、僕は背筋に冷たい何かが走る感覚を覚えた。

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