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聖戦の竜騎士  作者: HAWARD
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二章

 草原の中で仰向けに倒れていた。

 草原? なんでこんなトコロに……? 辺りには虫の音すらない背の高い植物が生えていた。雄々しく茂っている割に生き物の気配というものが全く感じられない。

 立ち上がると服の泥を払い――服装は最近、仕立てた最上級の儀礼軍装、背中に愛用の小銃まで持っていた。

「ここはドコなんだ……?」

 空は抜けるよう蒼いのに太陽が見当たらない。

 周辺を見渡す――

 どこまでも――

 どこまでも――

 どこまでも――

 僕の下半身ぐらいある草が続いてるだけ。

 視界の隅で何かが揺れた!

「誰だっ!」

 長い銀髪に鎧姿の女がいた!?

 しかし……確かにさきほどまではそこに誰もいなかったハズ……!

「まさか……戦場女神!?」

 それは勇敢に戦い敵の刃に倒れた勇者を主神の元に導くと言われる戦場に現れる乙女。

「そうだ! 彼女は――ベネデッタは?」

「無事」

 なんの感情も宿していない声で返ってきた。

「本当か?」

 女は片手をあげると――そこにベネデッタの姿が現れた。

 大泣きしている! 横から誰かの腕が見え嫌がる彼女を強引に動かそうとしていた!!

「おい! どうゆう事だ?」

 女が瞳を一回閉じるとベネデッタの周辺の光景も見える様になる。

 そこには薪のベッドに寝かされた僕。今の格好と同じ第三種軍装に身を包み綺麗に化粧を施され、閉じた瞼の上には冥府の船番に渡す金が乗せられていた。

 その僕の躯に縋りついて泣いているのがベネデッタだった。

「――馬鹿な娘。肉体を焼くと魂が最後の審判まで迷ってしまうと必死に訴えてる」

 女の言葉に僕は怒りがわき上がり女を睨む――が、僕の視線を意に介さず続ける、

「遺体は貴方の地方式に火葬された」

 兵士が強引に彼女引き離すと火が放たれ、その光景が彼女は手で顔を覆いその場に崩れ落ちる。

「僕を……僕を帰せ!」

「それはできない。死んだ者は生き返れない」

「嘘だ! 僕は冥界から戻ってきた者の話を聞いたことがある」

「生きながら冥界に行き、戻ってきた者は確かに存在する。貴方は自然摂理の中で人生を歩み死を迎えた。貴方は――」

「黙れ!」

 僕は背中の銃を抜くと突き付ける。

「生き返れない」

 まったく動じず先を続けた。

「戻せ!」

「何度言っても同じ。死んだ人間は生き返れない」

 僕は引き金に当てた指に力を入れる――

「それに――もうすぐ全てを忘れる。あの娘の事も自分の事も、その胸に感じている痛みも全て――なにも考えず、ただ戦うだけの存在に変わる」

狂戦士ベルセルク

「そう。ここで私を撃ってもなにも変わらない。失った命は戻らない」

 銃を下げる。

「意外に冷静。私を撃っていたらその瞬間に貴方はベルセルクに変わっていた」

 ……どうでもいい。

「主神に会いなさい。もしかしたらもう一度彼女に会えるかもしれない」

「!」

「しかし――覚悟なさい。死んだ人間は生き返らない。貴方はその意味を深く知る事になる。そして貴方も彼女も激しく――」

「どうでもいい! 僕はまだ彼女に伝えていない想いがあるんだ!」

 僕は戦乙女の言葉を遮った。

「そう。私はブリュンヒルド――主神にブリュンヒルドに導かれたと言いなさい」

 そう言って女――ブリュンヒルドが腕をあげると、その先に館が現れる。


『主神の館』

 扉をくぐると――すぐに広間になり真っ赤な絨毯の先に玉座に座った老人がいた。

 灰色の髭を蓄えた、隻眼の老人、片手には血の様に赤いワインの入ったグラス。

 僕は語りかけた。

「貴方が?」

 玉座――この世の全てを見通せる玉座フリズスキャルヴに座り僕の声が聞こえているのかいないのか反応はない。

「主神、僕を生き返らせてくれ」

 またも反応なし……。

 ――と、思っていたら。


 死んだ者が生き返ることはない。


 声じゃない――でもハッキリとそう聞こえた。

 玉座に座る老人は隻眼で僕のほうを見ている。

「は――話が違う!」


 死んだ者が生き返ることはない。


 先ほどと全く同じ返答がくる。

「ブリュンヒルドは返してくれると――」


 ブリュンヒルデ……。


 その声かどうかもわからないモノの中に先ほどとは違うなにかが含まれていた。

「そう、ブリュンヒルドがもう一度彼女に会える――と」


 ブリュンヒルデは勇者の敵に心奪われ、選ばれた勇者から勝利を奪った。ブリュンヒルデはその罰として導き手としての任を解かれている。


「――そんな事はしらない。僕はブリュンヒルドに導かれた」

 それっきり返答はなくなってしまった。

「主神! お願いだ。僕を生き返らせてくれ」


 死んだ者が生き返ることはない。


「貴方はこの創生の時代から存在してるもっとも古くもっとも偉大で力のある神々の父だろう! 人間一人生き返らせる事ができないってどういうことだっ!」


 神は世界を支える柱。死者が蘇る世界は自然摂理に逆らう行い。世界の安定を望む神々とは対極にある。


「……そんな……」

 本当に……本当に……もう彼女に会えないのか……。


 おまえは再び娘に会う。


「!」

 胸が期待に満ち溢れた。

「僕は生き返れるのか?」


 死んだ者が生き返ることはない。


「一体なにを言って……」


 聞け。契約を交わし時がくればおまえは再び娘に会う。


「契約? 神が人間と?」


 求めるわ。知識。契約を交わせば汝の名を貰う。過去、現在、未来に渡り汝の名は永遠に消えさる。


「名前を? それだけなのか?」


 名前を貰い受けるのは汝の記憶、知識を全て我がものにするため、怯えずとも汝の存在が消えてなくなるわけではない。


「何故そこまで親切に全部話す?」


 契約は対等。望めばなんでも――


「僕の望みはひとつだ! 彼女に想いを伝えたい」


 了承。


「すぐにもどしてくれ」


 汝は未熟。時満ちるまで精進せよ。


 そう言ったきり。こちらからなにを話しかけても応じなくなった。

 僕は館の中を見て回る。館の中には多数のヴァルキュリア達がいて必要なら食事も酒も彼女達が用意してくれた。

 その他にいるのは戦士ばかり、主神は僕が未熟だから返せないと言った。

 ココで僕に強くなれと――そういう事だ。僕は自分の先祖にあたる人物に頼み込み指導をしてもらった。

 そのおかげか『勁』というモノを学ぶ事ができた。

「腕で打つな肩で打て、肩で打つな腰で打て。腰で打つな脚で打て。それとな一人前の男がいつまでも『僕』とか言ってんじゃねェ! これからは俺と言え! さもなきゃこれ以上は教えてやらん!」

 そんな風に言われた。

「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! どーすりゃいいんだっ! こーなりゃヤケだ! 意地でも見切ってやるっ!」

 そう思って先祖の動きを見ていると――気付いた! 先の腕で肩でうんぬんは全身の筋肉を効率良く拳に載せろというのが、言いたかっただけなんだ。勁っては運動生理学でいうとこの腕肩腰脚の総合力の事を指していたんだとわかった。

 そう思って見ると、もっとも人体を効率良く壊す『双撃』の正体が見えた!

 周りが圧倒的すぎてなかなか自身の成長を実感する事はできなったけれど――それでも少しは強くなった。背が伸び、腕なんかは以前の太もも並みの太さになり、一蹴りで木を折る事さえできるようになった。

 しかし――千年以上武術を極めようとしてる者達の壁は想像以上。

 これでは彼女に会えるのが何十年も先になってしまう――その焦りも手伝って僕はさらに錬武に没頭した。

 彼女に見分けがつかなくなっては困ると顔には大きな傷を残さない様にしたけど、顎と耳の一部が欠けてしまった。

 それでも僕は激しい錬武を続けた。

 髪は伸ばし放題、邪魔にならないようにうなじの辺りで縛る。いつしか髭も生え出したがそのまま放置した。

 そして五年が経過したある日――あれ以来なにも反応しなくなった主神が――


 時は満ちた。


 そう言った。あの日と全く変わらずにワインをもったグラスさえそのままで――

「やっとか――やっと生き返らせてくれるのか?」


 死んだ者が生き返ることはない。


「なんでもいい」

 その後、なにか難しい説明をされた。

 今は思い出せない……時がくればわかると言われた。

 銃を貸せと言われ差し出すと銃床の手を添える部分(前床)に手を当てる。

 眩い輝きと共に奇妙な文字が刻まれた。

 ルーン文字というヤツだ。魔力を秘めた文字で文字そのものに力が宿っている。

 主神は再生の力と言っていた。要するに弾丸を変えなくてもいい、永久になくならない弾丸を手に入れたようなものだ。

 最後に主神の前に立たされ。


 汝の名はもうない。


 そう言うと持っていた神槍を――


 気が付くと林道に立っていた。

 見覚えがある、野営陣から街に続く山道。

 戻ってきた!

 生き返ったんだ!

 すぐさま街に向かって歩き出す。

 そこで――俺は足を止めた!

 前から来る――黒い修道服を着て、黒いリボンで長い髪を後頭部でまとめている女、横風に吹かれ手で髪を押さえる。

 間違いない!

 五年で幼さが消えてしまったが――彼女だ!

「ベネデッタ!」

 『僕』は駆けだす、彼女がこちらを見る。

 そのまま強く――強く抱きしめる。

 頬に彼女の髪と吐息の感触を感じ傍で体温と匂いも感じる。

 ずっと――ずっとこうして――


 ありえない事が起こった。

 例えるなら、あの厳めしい主神がフリフリのドレスを着て突然サンバを踊りだすぐらいありえない事態――

「この! 変質者! 強姦魔! 色情狂――」

 この五年で覚えたであろう罵詈雑言の新レパートリーを吐きながらガシガシ! と体重の乗ったいい蹴りが執拗に人体急所を攻めてくる。

 彼女はこの五年でとても魅力的で綺麗になった。髪はより長くなり女性らしく、身体の線を出しにくい修道服に身を包んでいるが、先ほど思いっきり抱きしめた感じでは……その……いろいろと女性らしい身体つきになっていた。五年前は常に輝いていた瞳は落ち着いた光に変わり、脚は長く、しなやかな筋力をフル活用していい蹴撃を放つ様に成長した。

 ――けど、正直この成長はうれしく思えないのは何故だろう……?

「ま、まって……くれ」

 片手を上げ制止を哀願する。

「近寄らないで!」

 腕で×の字を作りベネデッタは距離を空ける。

「俺は怪しい者じゃ――」

「股間を押さえながらにじり寄ってくる男がそう言っても説得力ない!」

「おまえが蹴りあげたからじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァ!」

 数年間思い描いていた感動の再会とはかなり違う方向になっていった。


「――あぁ! もう! 俺だよ、俺!」

 自分を指差し必死に訴える。

「はぁ……ちょっと前にそういう詐欺が流行ったわね、少し時代に乗り遅れたんじゃない?」

「……」

「え~っと……なんで切ない表情してるの?」

 五年ず~っと想ってたのにあんまりだった! 

「あぁぁぁぁぁァァ! とにかく聞いてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェ!」

 俺は事の顛末を洗いざらい全部ブチまけた。主神も別に話してはいけないと言ってなかったし、実際全て話してもなにもおこらなかった。

「つまり君は――五年前に死んだ『彼』で生き返った――と?」

「そう」

 彼女は『はぁ……』とため息をついた後に――

「知ってる? 死んだ人間は生き返らないんだよ」

「またそれかよ! 散々言われたよ。でも戻ってきたんだ!」

「――それに」

 俺の顔をまじまじと見つめ――

「君は『彼』に全然似てないわ」

「本人にそれはひどくねぇ!」

「『彼』はねー。すらっと背が高く、笑うと白い歯がキラーンと光るそんな人」

「知るか! どこの吟遊詩人だ。それは!」

「モテモテだったのよ。女の子を抱きしめながら『覚えておけ。主神に仕える戦士は逃げない』なんてマジな顔で言うの!!」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 頼むからそれは言わないでくれ!」

 誰だってそういう過去あるだろ? 一四歳ってそういう年頃でしょ?

「ま。そういうわけで『彼』を騙るなら、もうちょっと清潔感のある格好して、いきなり抱きつくなんて破廉恥な行為はしない様に――」

 そう言ってスタスタ歩き始める。

「いやいやいやいやいや。詐欺とかじゃないから! ちゃんと聞いてくれよ! 君はそんな修道服着てるけど街の総括なんだよね?」

 彼女は歩みを止めないので俺は横についていく。

「えぇ。五年前まではね。今は住人達が選挙によって選んだ数人の代表で議会が話しあって街を取り仕切ってる」

「……ああ。そうなんだ」

「そう。だから私はただの修道女。私をダマしてもな~んにも出ないわよ」

「いや――だからそうじゃないんだ! 聞いてくれよ」

 彼女は全く信じる気配もなく『いいわ、たわごとに付き合ってあげる』という様に掌をヒラヒラさせる。

「要するに『僕』だって証明できればいいんだろ? なら二人しか知らない思い出を話せば信じてくれるよな?」 

 そう言ってもバスケットを抱えたベネデッタはとくに反応らしい反応はなかった。

「――君は『僕』の手をとって将来、街の自警団のリーダーになれって言ったよね?」

 彼女が見せてくれた希望ともいえる幻想――未来像、残念ながらあの通りにはならなかったけど、あの出来事で『僕』は彼女の事を好きになったと言っても過言じゃない!

「ああ――あったわねーそんなの。でも、あれって往来のど真ん中だし、当時の竜騎兵隊隊長と街の総括が真昼間に抱き合ってたら誰の目に留まるわよ。

 実際、今でも街の住人の九割が知ってる有名な出来事よ」

「えっ! いやまぁ……そうだけどさぁ……『僕』の思い出じゃ、かなり重要なんだけどな……ぶつぶつ」

「誰でも知ってる事だし君が『彼』の証拠にはならない」

「じゃ――『僕』達がはじめて会った夜。『僕』は震える君を抱えて部屋に運んで一晩中君の手を握ってた!

 これならどうだ! 君を抱えて部屋に行ったのは他の兵士が見てたかもしれないけど部屋の中の事までは知らない、うははははははははははははははははははははははは! どうだ! コノヤロー!」

 彼女は驚愕の表情を浮かべ。

 俺は中指をおっ立てて宣言する! 勝った!

「驚いた。使用人から聞いたの?」

「え? はぁ? 使用人?」

「当時雇ってたメイド達から聞いたんでしょ?」

「えっ! いや……話しちゃったの?」

「うん。いきなりお姫様抱っこされてベッドに連れて行かれた。って言ったら『きゃー!!それ絶対惚れられてるよ! お嬢様可愛いから』って『でも――そんな事できるなんて騎兵隊の隊長ってよっぽど女たらしね、いい? お嬢様絶対自分から好意を示さない様に、なんだったら下男扱いしなさい、そっちのが彼も乗ってくるわよ』って」

 なにそのガールズトーク! 今はじめて当時の不可解な行動や意味不明な言いがかりや我儘な行為をした事の謎が全て解けた。

 この話しを当時の『僕』に聞かせてやりたいよ……。

「こうも言ってた。だいたい―覚えておけ。主神に仕える戦士は逃げない―――」

「あああああああああああああああああああああああああああ! だからそれは言わないで!」

 なんだよ! ずいぶんイメージと違うぞ!

 もしかしたら彼女は『僕』の事が好きなのでは? と思っていた事もあったが、できる事なら当時に戻って『惑わされるな!』と言いながら自分の首をキュと絞めてやりたい!

「なんでメイドに言うんだよ!」

 思わず言い放った一言。

「だって――だって本当に好きだったんだもん……」

「へ!」

「本当に好きだったの! 少しでも『彼』に好きになってもらいたくて、可愛いって思ってほしくて――年上のメイド達にいろいろ聞いて……お化粧や流行りの服飾品なんかも研究して――なのに――なのに! あのトーヘンボクのカボチャ男は――」

 おいおい……脚が長くて笑うと歯がキラーンと光る色男じゃなかったのか?

「私が大事な公務の最中に綺麗にラッピングされたプレゼントを持って歩いてたのよ! 信じられる? 慌てて隠したみたいだけど、もうバレバレだつーの!」

「あ――あれは祭り当日、君にあげた二種類のリボンが入って――」

「はい。うそ! ぜんぜんラッピング違ったもん! きっと何人もの女性にいっぱい贈り物をしたかもらったかのどっちかよ! ――今思い出しても腹の立つ!」

 そういって、その場でバンバンと地面を踏みつけ地団太を踏む――その仕草は昔と変わらず、ちょっとだけ懐かしかった。

「――ラッピング違ったのは汚してしまって当日に買った店でやり直してもらったからだよ」

 呟くが風に流されて彼女の耳には届かなった。

「もう! なんでこんな事、君に言う必要あるの!」

 そう叫んで並んで歩いているのにプイと横を向いてしまう。頬が凄い赤かったので、とてもおかしくなってついつい笑ってしまった。

 意地でも『僕』が戻ってきた事を認めさせたくなった。

「――とっておきだ。お祭りの夜、つまり『僕』が死んだ時の二人であの丘に行って花火を見ていたんだ。ちょっとしたきっけかで『僕』達は見つめ合い――その――キ、キスをした」

 本当の本当に切り札だった。

「どうだ! 敬虔な信徒の君がさすがにキスをした事までは人に話す事はしまい、つまりこれは正真正銘『僕』達しか知らない思い出だ!」

 ちょっと無理してドヤ顔を作る。

 今思い出してもちょっと恥ずかしいからだ。

「君――連合軍の軍服着てるけど、結構偉い人なのね。あの夜の事は軍からきた兵士が来て事細かく調書を取っていったわ。軍の関係者なら閲覧できるはずよ、もちろんキスの事も話した――つまりこれも君が『彼』だという証明にはならない」

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」

 さすがに頭硬すぎだろ!

 とっておきの思い出がことごとくバッサリと切り捨てられ俺はしばらく、うなだれながら彼女に付いていった。

 やがて――村はずれにある牧場に付くと主と思われる人に挨拶して馬小屋に向かい。

「ミカン!」

 馬小屋の中には斑模様のおせじにも綺麗といえない馬――見た瞬間に『僕』は愛馬の鼻面に思わず抱きつく。

「ひさしぶりだな、元気にしてたか」

 首筋を撫でながら『僕』はミカンをあやす、彼も顔をこすりつけ嬉しそうな声を出す。

「ここが気持ちいいんだよな、おまえは――」

 ブラシをかけてやると気持ちよさそうに目を細める。

「ありがとう! 面倒をみてくれてたんだね」

 振り返り彼女に礼を言う。

「え! ――ええ。別に君に礼を言われる事じゃないけど……その子――ミカンは『彼』の大事な友達だから……」

 なぜかちょっと戸惑った感じで言葉を濁す。

 小屋の隅には『僕』のつかってた鞍や荷袋、鐙などの馬具がそのまま残されていた。

「あれから五年――おまえもいい年だな。さすがにもう軍馬としては引退か――」

 話しかけながら久しぶりにミカンの世話をする。

 ミカンは『そんな事ない! まだ現役だ!』と言いたげに頭を押し返してきた。

「変わらないな、おまえは――」

 その様子を彼女はずっと見ていた。

「……ちょっときて」

 しばらく、様子を見た後にそう言ってどこかに歩いていく。

 連れて行かれた先は――二人の思い出がいろいろある、あの丘だった。ここで二人して花火を見て――『僕』達ははじめて……こ、恋人らしい事をした場所。

 そこに墓石が立っていた。流れからすると『僕』の墓なのだけど――名前がなかった。

「貴方が――貴方が本当に『彼』だっていうなら名前を教えて」

 彼女には親からもらった名を名乗ったハズ?


 契約を交わせば汝の名を貰う。過去、現在、未来に渡り汝の名は永遠に消えさる。


「『僕』の名前は――」

 でてこなかった! 自分の名が……。

「貴方の名前は――?」

 彼女は探る様に見つめる。自分の名前だ! 当然わかる――ハズ! しかし、口にしようと思うと『――』という様に霧散してしまう。

 必死に言おうと口を開くが――やはり出てこない。

「やっぱり答えられないのね。実は『彼』の名前は軍の記録にも故郷にもないの」

 そこで一度言葉をきって思案顔になり。

「……そういえば、彼の故郷では偉大な故人は主神の元に導かれ名を捧げる事で英雄になるって風習があるから、もしかしたら――」

 考え込むと周囲が見えなるクセ。

「ちょっと来て」

 そう言って近くにある、錆の浮いたスコップで墓を掘り返す。その雰囲気に押され黙って見てる事しかできなかった。

 掘ったところからなにかを取り出し――

「うそつき!」

 突然スコップが飛んできた! 慌ててよけるとブンブンと回りながらスコップは後ろにある木の幹にグッサリと突き刺さる!

「うそつき! うそつき! うそつき! うそつき! うそつき! うそつき!――」

 そう繰り返しながら近くの石や土砂を投げつけてくる!

「コレ!  わかる?」

 なにかを突きだす。

「遺髪! 『彼』の! もし生き返ったらなんでこれがあるの? 私は――私は彼が焼かれていくのをこの目で見たの! 人が生き返るなんてない! そう思うけどもしかしたら――って思う事だってあるの! 君が誰かなんて本当はどうでもいい! でも――夢みさせるなら完璧にやりなさいよ!」

 言いたい事をぶちまけ『僕』の横を素通りしていく。

 正直、なんで遺髪がなんてわかるはずなかった……『僕』が本当に生き返ったどうかもわからない。

 ただ――横を通り過ぎる一瞬、彼女の目に光るモノがあったのを見逃していなかった。

 あんなに会いたかったのに――話したかったのに――泣かせてしまった。

 そう思うと――追いかける事もできずにその場で大の字にひっくり返る。

 空は青かった。ヴァルハラと違い周囲には生き物の気配がある。

 雲を眺めていたら唐突に太陽が顔を覗かせた――その眩しさに手で陽光を遮る。

 吹き飛んでしまったハズの『僕』の手――触感もある。

 腹がクーと鳴った。

「……おまけに腹も減る」

 彼女の涙を思い出すと胸も痛い。

 なのに――『僕』は生きていないという。

 陽光の眩しさに負け、ひっくり返るのをやめる。

 周辺はベネデッタが大暴れしたせいで結構悲惨な状況になっていた。

 俺はスコップ幹に深々と突き刺さっていたスコップを抜き。埋められていた青銅製の箱に近寄る――中にはいろんな物がはいっていた。プレゼントした赤いリボンに失くしたと思っていた、動かなくなったフリントロック式の拳銃。その大半が理解不能な物だったけど、それら一つ一つから土をはらって蓋をすると、今しがた掘り起こされた所に埋める。

 なにか意味があったわけじゃない――


『死んだ者は生き返らない』


 今その言葉の重みを感じていた。

 喜ばせたかったのに――傷つけるだけなら……もう何もしないでおこう……。

 自分の決断にザワつく胸中を無視して、再び大の字にひっくりかえると鳴り続ける腹の音を無視して強引に眠ってしまう。


 汝の肉体はすでにない。神槍を肉体に変え、想いを載せよ。強い想いの残滓を載せた槍は目標を決して外さぬ。しかし、想いを告げた時、汝は再び槍に戻る、覚えておけ。時と場所を間違えるな。


 目覚めると空が紅く染まっていた。

 自分の腹の音で目を覚ましたが、金もなく動く気力もない。俺はそのまま横たわったままでいた。

 ふと――

 このまま餓死したらどうなるんだろう?

「なんとかしないと、せっかく生き返ったのに……」

 上半身を起こし大きく伸びをすると、自然大きなアクビがでる。

 がぽ。

 口になにかを入れられた。そのまま租借してみるとパンの味がした。

「お腹なってるよ」

 バスケットを抱えたベネデッタが腰を曲げパンを持っていた。さきほどはそれを口に突っ込まれたワケだ。

 瓶にはいったミルクを渡され一口飲む――独特の臭みに自然、顔が険しくなった。

「ヤギ乳よ」

「……」

「君は顔にすぐ出るんだよ。悪人には向いてないね」

「コレ――どうして――」

 返せと言われる前にむしゃむしゃと早食いする。さっきまで餓死がどうたらとか考えていたのがウソの様なぐらいの食欲が沸いた。

「お礼――ここ直してくれたでしょ?」

「……」

 すぐに気付かなかったが、墓を直しにくるのに食料を持てくるだろうか? もしかしたらベネデッタは一度ここに戻り俺を確認した後にパンとヤギ乳を用意して来てくれたのではないだろうか?

 そう思うとちょっと元気がでた。

 我ながら単純だけど、俺は彼女に想いを伝えにきたんだ。離れるわけにはいかない!

「君、宿のアテあるの?」

 俺は当然首を横に振る。

「じゃあさ――一緒に修道院へ来ない?」

 とくに行くアテのない俺は了承した。

 

 街の集会場としての教会と違い修道院とは生活場としての機能がある。外門には門番が立ち内部には工房や農場など、ちょっとした村みたいなモノだ。

 丸太の杭で回りを囲いその中に作られている村。なにか目的があって臨時立てられる修道院も多い。『僕』がいた時に街の近くにはなかった、この五年の間にできたのだろう。奇妙なのが彼女が門番に俺の事を説明すると門番は困った顔しながら彼女に勝手に出歩いては困ると言って、いとも簡単に俺を通してしまった事だ。

 修道院に通常であれば見知らぬ男を簡単に入れたりはしないハズ?

 俺が訝しげな顔をしていると――

「門番の制服変わってたでしょ? あれは以前に竜騎兵隊を街で買い取って自警団として使う時に制服を当時の軍服と変えようと思ったからだって」

 確かに自警団というより盗賊か山賊の様な格好だったけど……。それより本当に買い取ったんだ。竜騎兵団。

「さて――お客様じゃないから部屋に案内したら後に働いてもらいますから」

 腰に手を当てて宣告した。

 さすがに来賓用宿舎に通されるとは思ってなかったけど、一般用も避けてボロボロの納屋を部屋として宛がわれた時はちょっと顔が引きつったけどね。中央にほこりの被った丸机と椅子、藁のままのベッドがあっただけ――

 簡単に中構造を説明すると、門を通って、右手に来賓用宿舎、左に豚、羊、山羊、牛、種馬と仔馬用の家畜施設が立ち並び。

 そこを抜けると二党の見張り台、厨房、自警団の宿舎があった。ひとつ奥にはいるとパンの焼室、脱穀室、製粉室、乾燥室、穀倉、製桶、製陶などの食料素材施設が続く。俺がどんな仕事ができるかヤギの乳をしぼったり、料理をしてみたりしたけどいずれも散々な結果になった。

 その奥が丁度修道院の中央に辺り大きな礼拝堂と回廊で繋がる聖具室、衣服室、図書室などがあった。

 礼拝堂は内部を案内されず、外から軽く説明されただけで中がどういう構造になってるか知らない。

 その奥――修道院の一番奥にあたる場所に修練場と療養所、菜園場などの施設があった。

 近くに浴場があり――

「浴場は時間で男女交代するけど、私や修道女が使用してるときに覗いたら目が潰れるから気をつけてね」

 笑顔で手をバキバキ鳴らす彼女を見て神の力によって潰れるのか、彼女が自身の手で潰すのかその雰囲気で理解した。

 修練場では数人が徒手空拳で組手をやっていた。

 俺と彼女の姿を認めた錬武を指導していた中年の男が筋を見てやると言って俺との組手を求めてきた。

 ハッキリ言ってこれは失敗だった。

 五年も伝説の戦士達にもまれてきた俺に一般でいうとこの達人レベルでは相手にならない。なにしろ稽古相手は才能に恵まれ千年以上も武を追求している、まさに武神と呼べる相手だったからだ。

 開始の合図とともに彼は水月に打ちこまれ前のめりに倒れる。

 自分でもここまで見事に決まるとは思っていなかった。

 あまりにも鋭い突きを食らった時、人は後ろに飛ばずにその場で崩れ落ちる。

 ヴァルハラではこの後に間合いにより様々だが顔を蹴り首を折るか、胸骨を蹴り折って内臓にダメージをといった追撃までされる。

 なんにしてもこれは反感と不信感を抱かせるには十分だった。

 五年前だったらまた違った印象を持たれたと思うが、いまでは前線ははるか東方に移動し、街の外に牧場や修道院を立てても安全なくらい平穏な地。

 この状況では腕の立つ流れ者は歓迎されない。連合軍の軍服を着てる事もあって脱走兵かも? という想像で盗賊崩れだと思われなかったからよかったものの、そうでなかったら大勢に囲まれ問答無用で追い出されていた。

 当分は大人しくしていよう。

「凄いじゃない! ぜんぜん動き見えなかったよ」

 彼女だけが能天気に目を丸くして心底驚いたって感じで言い、続けて――

「でも――君をノックアウトしたのは私。忘れないでね」

 まるで、だから君は私の家来ね。と言わんばかりのドヤ顔で付け足してきた。確かにあの蹴りはヴァルハラでも通用しそうだ、彼女の色香に惑わされた戦士が次々股間をおさえながらノックアウトされていく光景が浮かぶ。

 この五年で本当に綺麗になった。大きな瞳に綺麗な鼻筋、桜色の唇。抱きしめた時に感じた身体の細さに反則的な胸のボリューム。『僕』が彼女に惚れているのを別にしてもとても魅力的な女性だと思う。

 修道院で生活しはじめた。最初は彼女に毎日の様に会えると思っていたが、それは違った。

 すれ違えば微笑みかけてきたりするが、彼女の方から会いに来てくれる事はなかった。

 いつも中央の礼拝堂にいる彼女と厨房で使う薪や浴場の水桶に井戸水を入れる仕事を与えられた俺に接点はない。

 彼女からしてみたら本当に迷える子羊を救っただけなのかもしれない……。

 数日の間一言も会話をしない日々――

 よく考えてみたら、あれから五年彼女はもう『僕』の事を忘れ、新しい誰かを好きになっている可能性もあるんだ。

 戻ってきた事を後悔はしてないけど……昔の様にはいかないって事か……。

 それから俺は空いた時間には図書室に行くようになった隣室に礼拝堂があり彼女とすれ違う機会が多くなるという下心で通い出したわけだけど――暇つぶしに本を読んでみると虜になってしまった。

 五年前は自分の故郷の文字しか読めなかった。――けど、なぜか今では全ての文字が理解できるようになっていた。

「学者かなにかですか?」

 読める文字種を知った司書はそう言って驚いた。自分でもわからないので曖昧に笑って誤魔化す。

 とくに興味を惹いたのは『聖教』に関する記述だ。

 これまで戦ってきた者達の事が書かれていた。翼人達は全て六という字を好むとか軍は全部で六千六百六十六の軍団で形成されており、一軍団に六千六百六十六の翼人達が属し全軍総勢四千万以上になる!!

 いくつかの派閥があると絵柄入りで載っていた。

 四枚羽を持つ種は『魔王に連なる血族』(ベルゼビュート)。

 漆黒の鎧のような皮膚を持つ種は『死王に連なる血族』(エウリノーム)。

 赤い赤銅色の皮膚を持つ種は『灼熱の総督に連なる血族』(プルトン)。

 二枚羽の種は『嘆きの王に連なる血族』(モロク)。

 大きくこの四種の特徴に分かれ、その軍勢が東方にある万魔殿を拠点に侵攻してきている。万魔殿は内郭と外郭に分かれており内郭には『黒水晶』と言われる物があるんだとか、今まで考えた事もなかった翼人達の事が事細かく記されていた。

 敵勢力なのにそんなに細かく記述があるのはおかしいと訪ねてみたら、お告げで伝えられたと言われ。疑問に思いつつも表面上は納得しておく。

 他に興味を惹いたのは予言に関する記述――三つの元徳を持つ聖女が万魔殿内郭の『黒水晶』に辿り着くと翼人達は全て地の底に封じられるとかそんな内容だった。

 ここで俺の興味を惹いたのは三つの元徳と聖女だ。

 三つの徳は簡単に見つかった。

 ただし、『希望』『信仰』の下にあった最後の徳は破られてわからなかった。司書に尋ねたら最後の徳は『愛』だと教えてくれた。同時に本が破られている事に腹を立てて、俺が疑われ――危うく出入り禁止になるトコだった。

 聖女の詳しい記述はほとんどなかった。

 正直、自分でもなんで、こんなに気になったのかまるでわからない。

 主神は戦争と死の神であると同時に知に対して非常に貪欲な神である事は知っていた。もしかしたら、その力で蘇った『僕』にその影響が現れているのだろうか?

 

 平凡に過ぎ去る毎日、礼拝堂を通った時だった、扉が開けられ中の様子が見えた。

 そこでは楽器に合わせて彼女が歌っていた。

 非常にスローテンポの曲――俺は本を抱えたまましばらくその歌に聞き惚れていると、背の高い緩やかなローブ纏った奴が通った。非常に中性的な顔立ちで一見しただけでは男か女か判断に迷うような奴だった。そいつに違和感を感じた! 足運び、筋肉の収縮といった漠然といった『気配』というモノがなかった。まるでそこに『存在』していない様な生物がたてる生理的な音がまるで感じられなかった、それは――まるでヴァルハラの世界の住人のような――ブリュンヒルドに近い感じ。

 そいつも俺のほうを見ていた!

 そいつが礼拝堂の中にはいると内側から扉が締められる。


 ――その日の夜。

 簡素なベッド、ハッキリ言ってしまえば藁束の上で仰向けになって本を読んでいた。

 外では虫が鳴いている。その中で気配を消しながら、こちらを監視している奴の気配も掴んでいる。やはり自警団には怪しまれている様だ。その気配にあえて気付かないフリをしつつこの数日を過ごしてきた。

 コン、コン。

 控え目に扉がノックされ。

「どうぞ」

 仰向けのままで応じる。

「こんばんは。ちょっとお話したい事があって来ちゃった。ね、ね。入っていいでしょ?」

 そう言って返事も待たずに入室、安物の椅子に座った。

 風呂あがりなのか髪はしっとりと濡れ、黒を基調としたいつもの修道服とは違い薄手の白いシャツ一枚のみ――双丘の頂点でツンと押し上げてる箇所に目線がいってしまうのをなんとか誤魔化す。

 外の監視の気配が変わった。俺は自然に中が見えるように窓を開ける――同時に撃鉄がロックされる小さな金属音もとらえた。

 ちょっとでも不信な動きをしたら撃たれるな……。

 話しがしたくなったと言って来た割には彼女のほうから口を開く気配がなかった。

 読んでいた本を閉じると――

「なに読んでるの?」

「『聖教』で信じられてる例の予言の事についていろいろ……」

「――っ! ふ、ふーん。なんで?」

 君に会う口実のために図書館通いをはじめたからなんて言えず――

「翼人に興味があったし、予言の事は知ってたけど内容までは知らなかったからね。せいぜい救世主が現れて戦争を終わらせる。とかそんな信託が下ったとか聞いた事があっただけだから――あらためて調べてみるとおもしろくなって」

 彼女は机に頬杖をついた姿勢になる――胸が強調される前のめりの態勢はヤメテほしい……。

「その救世主――『聖女』に関する記述が全くなくて困ってるとこだよ……」

 立てた一指し指の上で本の重心を慎重に探り回転させる。

「だいたい『聖女』ってなんだろうな? 生まれてきた時に『私は聖女です』とも書いた看板でも持ってたのか?」

「知りたい?」

 その口調に言い知れるなにかを感じたけど……俺はその問いに頷いていた。

「接神体験ってわかる?」

 確か――夢の中だかで神様がでてきて信託を授けたりする事だったような……。

「聖女はね……神様と自分の心臓を交換したの、それで神様はその交換した聖女に証として聖痕を残した丁度の心臓の上にある胸に――」

 俺はその言葉を聞くとベッドから飛び起きる。昔、泉で泳いだ時の頃を思い出した!


「私が――私が『聖女』だよ」


 しばらく無言で見つめ合う。

「はっ――はははははははは、なっ――一体なにを――?」

「まあ。別に信じてくれなくてもいいけどね。実はお別れを言いに来たの、今日礼拝堂に熾天使が来たわ。わかる? セラフの位にいる『神のメッセジャー』と呼ばれる存在」

 昼間、礼拝堂で俺の事を見ていたヤツの事が浮かんだ。

「約束の日は近いって私は万魔殿の内郭に向かわないと――」

「そ――そんな事、本気で信じてるのか!」

「ええ」

「あんな――あんな予言、連合軍が戦意高揚のために考えたデッチアゲに決まってるだろ! 確かにそれで士気が上がって、入隊者も増え今は押し返してるかもしれない――でも、君がそのツケを払う必要はない!」

「そうね――でも行くわ」

「わからない人だな。君がいってもなんにもならない!」

「そうかも――でも行くわ」

 正直なんで、そんなに信じられるのか理解できなかった。

「私は――行くわ」

 彼女の言い方は最後まで簡潔だった。

 部屋の外に出ると最後に一言『さようなら』と言い夜の闇に消える。

 俺はあまりの超展開についていけてなかった。

 ベネデッタが『聖女』――それも驚きだ。考えてみたら聖痕の事は知っていたし、両親を失っても彼女があんなにも毅然としていられたのは、果たすべき使命というものを既に自覚してたからじゃないのか?

 でも――そんな事は問題じゃない!

 追いかけないと!

 頭にそう浮かんだ時には愛銃を担ぎ後を追う。

 監視の気配が戸惑いから殺気に変わったが知った事じゃない!

 礼拝堂の脇を抜け修道院の門まで一気に駆ける! 門番に尋ねると外に行ったという答えが返ってきた。こんな夜に女を一人外に出すなんてぶん殴ってやろうかと思ったが、今はそれどころじゃない!

 そのまま外に出る。

 街に向かったのか?

 いや――この時間に街に向かってもやる事はない。俺は丘に向かった。高いトコから探せばいいと思ったからだ。いまは曇っているが今日は満月――晴れさえすれば見つかる。

 いや必ず見つける!

 彼女がいなくなってしまう。

 そう考えただけで俺の足は自然に勢いを増した。

 そして――彼女は丘にいた。

 墓の近くで――

「やっぱり追いかけてきちゃったんだ」

 憂い含んだ声に月明かりの下では表情から感情を読み取る事はできない。

 近づこうとしたらもう一人いる事に気がつく! 長い金髪に緩やかなローブを纏った麗人――ベネデッタはそいつの首に腕をまわして抱きつくと、

「行って」

 ベネデッタが違う男に自分から抱きついた事に心を乱された! 修練場でした組手とは段違いの踏み込みで距離を詰め――大地を割る様な強烈な踏み込み!

 音速に近い速度で繰り出す拳は――宙を薙ぐ!

 体勢を崩した俺の視界には背中から月下でも鮮やかな白い羽!

 一つじゃない――左右合わせ全部で六枚。それらが羽ばたくと二人はフワリと浮きあがり飛び上がる。こんな時だというのにその幻想的な光景に見入ってしまい丘から急斜面に出てしまいそのまま転げ落ちる。

「あだだだだだだだだだだだだだだだだだ!」

 あっちこっち擦り傷、切り傷をつけつつ転がり落ちる!

 木に激突して止まる。頭についた枝や葉っぱを振り払い、口に入った土カスを吐き出し、辺りを見渡し――湖の方に飛ぶ姿を捉える!

「――にゃろ」

 湖に向かって走りだす、一直線に――途中で猪が牙を突き出し突進してきたが、眉間に肘打ちを入れ昏倒させ!

 湖に着くとそのまま飛び込む。

 なにも考えず、がむしゃらに水を掻く――二人が浮いてる眼下まで一気に泳ぎきると一回潜り水中で勢いを付け飛び魚の様にジャンプする。

 もう……少し! 全身の筋肉を収縮させ、さらに距離を伸ばそうと――手が彼女の足に触れ――そうなトコで一気に遠ざかっていく!

 俺は大の字のまま落下――湖の中心に叩きつけられた!

 透明度の高い水中の中から飛び去る二人を見つめる。

 行ってしまう!

『僕』とは別のヤツと一緒にどこかへ――

 そんな事――

 そんな事――

 そんな事――

「ゆるすわけねぇだろ!」

 水面に浮かぶと岸まで全力で泳いだ。

 二人は森のさらに奥にある岩山の上に降りたのを見逃さなかった。上がった息に水を吸って重くなった衣服――でも、全然止まる気がしなかった。

 自分でもこんなに嫉妬深いとは思わなかった。

 森の中を岩山に向かって真っすぐ突き進む!

 途中に狼の群れとはち合わせたが――噛まれても怯まず逆に噛みつきかえしてやった! 飛びかかってきた奴には頭突きをプレゼント、途中で楽しくなってきて飛びかかってきた一匹の後ろ脚を掴んでブン回して群れの大半を凪払った。

 岩山の前に辿り着くと腕の力で強引によじ登る――力押しで行けた今までと違い岩山の肌は非常にもろく何回も落ちた。

 登って掴んでいた箇所が崩れ――滑り落ちる――奇声を上げて再び登る。

 そんな事をずっと繰り返した。いつしか服も乾き、爪は剥がれ、伝説の戦士達に鍛えられた腕も疲労で痙攣をし始める。

 でも――まったく退く気はなかった。


 ベネデッタの隣にいるのは『僕』だ!


 強く強く想いながら、ついに頂上に手が届きよじ登る。

 彼女は東の空を見つめていた。

 追いつめた!

 ――ってなんで追いかけてたんだっけ?

「――俺も一緒に行く」

 そう口走っていた。

「出発は三日後――」

「はぁ? ――え? なに、さっきお別れを言いにとか――」

「うん。三日後に出発するからそのお別れに――」

「はぁ? えっ! なんだよ! 三日後って! じゃ――なんで逃げたんだよ!」

「逃げた? 私はここで朝日を見たかっただけ――君が勝手に勘違いして追いかけてきただけじゃない」

「……」

「そうそう。一緒にくるなら髭剃って、髪も切ってね。わかった?」

 限界寸前だった俺は大の字でひっくり返り心地よい疲れに身を任せた。


「――死んだ人間は生き返らないその意味を深く知る事になるわよ。そして貴方も彼女も激しく――」

 ブリュンヒルドが言った言葉を思い出す。


 神槍は狙ったモノを決して外さない――


 これは主神が言った事だったか?

 奇妙な夢を見たあとに俺は岩山の上で目覚めた。

「……置き去りかよ……ひでぇ……」

 太陽の位置からすると二,三時間程度眠っていたようだ。

「――ブリュンヒルデって誰?」

 声の方に視線を向ける。

「女の人の名前だよね? 誰?」

 岩山の頂上――そこらの岩塊の上に布を敷いて腰掛け本を読んでいるベネデッタ、視線はその本に向いてるものの声にはビミョーに殺気が込められている。

「うなされてたわよ。『ブリュンヒルデ――うーん。ベネデッタ――愛しいベネデッタ』って。君の気持はうれしいけど私は五年前から心に決めた人がいるから――」

「……知ってるよ」

「そう……。で、ブリュンヒルデって美人?」

 俺の沈黙をそういう風に解釈したか知らないけど、続けて詰問。

「――まあ。美人」

 長い銀髪に鎧姿、感情を表にださない表情に硝子の様な瞳。

「ふ―――――――――――ん」

 パタンと本を閉じて意味深に言葉を伸ばす。

「……そういえばアイツは?」

 異常な雰囲気を変えるために話題を逸らす。

 ――って本当に俺ブリュンヒルデって寝言言ったのか? 寝起きに妙な事聞くなって、心臓に悪いわ……。

「還った。もともと『メッセンジャー』以上の事はしない存在だし、貴――君が凄い形相で飛びかかってきたし……」

 それは君がアイツに抱きついたから……。

「――あ、あれは」

「それより日差しが強くなってきたし、そろそろ降りたいんだけど――」

 えーっと……。ここは切り立った岩山の頂上、歩いて降りられるような所もなく――って、そもそも道がない、彼女はここに空を飛んでやってきた。俺は絶壁をわずかな突起物を探し探しよじ登った。それで彼女を連れてきた熾天使は帰ったらしい……。

 まあ……なんだ……あとはわかるな?

 俺の背中で『わー、きゃー』騒ぐ彼女を担いでの下りはかなりスリリングだったけど、ひさしぶりに長い間二人で過ごせたのはそれなりに楽しかった。

「ちょっと! さっきからお尻触ってる!」

 バチンと俺の手を叩く!

 一瞬、中空で静止する。

 その間に手と足をバタつかせてなんとか留まろうと努力――

「ぎゃァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 できませんでした。

 落ちながらの視界で彼女はちゃっかりと突き出た足場に退避すると俺は盛大に数メートル落下する。

 途中、体勢を立て直すと――掌を壁に当てて落下の速度を落とす!

 着地の時、膝、足を使って衝撃を逃がす!

 ふー。

 一息つくと、パラパラという細かな石が落――背中になにかが落ちてきて俺は落下物の衝撃を全て肩代わりした!

 ……書物で女の子が空から降ってきたみたいなシュチュがあるが……もし、そんな展開を望んでいるヤツがいるなら腕力を鍛えておく事をお勧めする!

 忠告しとくぞ――自分の身体を使って受け止めるとメチャメチャ痛いっ!!

 

 修道院と教会の違いを答えられる人はそう多くないと思う。

 言うなれば生活の場と集会場である。

 教会は街や村の中にあって信仰をもつ人々が個別に集まってくる。

 修道院は単体がそれひとつで機能している。つまり修道院自体が一個の村として機能する。中には死者が多く出る山の中腹に修道院を強引に建てて登山者の寄宿舎にすることで犠牲者を減らしたり、修道院で作られたワインやビールに院の名前をつけて特産品として売り出したり本格的に村として機能しているトコもある。

 その中にごく稀ではあるが、近隣の村や街に教会がなくキャラバンの様に移動する団体もある、各地を渡り歩き現地で簡素な村を作り修道院として機能させ近隣の住人達の集会場として提供する。

 この修道院もそんな形態らしい、ただ一個違うなら要塞と見間違えるほどの警備、どうやらここは『聖女』を守るためだけに建設されたようだ。

 まあ、当の『聖女』が一人で気ままに歩き回ってるのを見ると、ほとんど形だけで実際に機能しているようには見えないけど。

 熾天使が旅立ちを告げた事により、この修道院は約三年という月日に終止符を打ち解体される事になった。

 俺にとってはそう思い入れもないが――ベネデッタは違う、そんな彼女の代わりに旅の準備するために街に来ていた。

 火打ち石、水袋、調理器具、衣料品に清潔な布と紐。

 通りを歩きつつ旅に必要な品々を思い浮かべる。

「――ああ。あと酒か」

 酒は水より保存が効き、治療のさいに消毒用としても使える旅の必需品。

 昔と違い弾薬を除外できるのはかなり助かる。

 旅は必需品と重量のバランスがむつかしい。

 その中で重い上に汎用性の乏しい弾薬は結構悩みの種。武器としての性能を考慮にいれなければ、ナイフや剣のほうが旅では役に立つ。それが主神の魔法――ルーン文字によって弾丸を消費しない銃になった愛銃はとても便利で助かった。

 しかし――この五年あまりで世界は様変わりした。

 昔はここまで伸びていなかった鉄道のレーンに通りを走るモノは荷馬車が主流だったが、今では自動車も目につくようになり、空には低い音を立てて飛んでいく飛行機まで見られるようになった。飛行機は十年ほど前に連邦合衆国が初飛行に成功したのを起点に技術が格段に進歩し、今では積極的に実戦投入されている。

 前線から遠のいたこの辺りでは、まだ珍しいモノらしく音が聞こえるたびに子供が空に視線を向け指さしていた。

 今いる場所は『最後の竜騎士』広場という所、中央には立派な鬣の馬に跨った足が異常に長い美少年の銅像が建っており、街の憩いの場になっているのか? 周囲には結構混み合っていた。

「ここが名所の――」

 ガイドブック片手に見上げる中年男性。

「キャー! リューサーン!」

 銅像を指さしてそんな声を上げる娘もいる。

 連合軍に今現在、竜騎兵は存在してない。

 機動力に優れた部隊として機能していた竜騎兵隊はいまや装甲を張り巡らされた自動車の部隊――機甲兵団という名前に変わり主力も甲冑をつけた馬ではなく内燃焼機関を搭載した戦車に変わった。

 この部隊の発足により獣人は完全にその有効性を失い今では見なくなった。

 昔は空から撃ちおろされる攻撃に頭を悩まされていたが、今では翼人より遥かに航続距離が長く高速で上昇能力も高い飛行機の実戦投入で昔は絶対に取れる事がなかった制空権を連合側が掌握する様になったという――

 はぁ……時代は変わったね……。

 それでも書物によると奴等の戦力は四千万以上存在するから戦乱の世はまだまだ続きそうだ。

 それを彼女が、『聖女』が万魔殿内郭に行くだけで終わるという話しだから一体全体どういう理屈なのか俺にはさっぱりだ。

 神様は便利というか……。

「……なぁ。どうすればいいと思う?」

 問うてみるが『最後の竜騎士』はなにも答えてはくれなかった。


 ミカンの世話や買い出しなどで忙しく、アっという間に出発の日の朝――彼女は多忙らしくここ一、二日遠くから姿を見かける程度だ。

 修練場で軽く錬武をして浴場へ行き、五年間伸ばし放題になっていた髪をハサミで切り、髭を剃る。ヴァルハラでは鏡を見る余裕もなく、ときどき水に映り込んだ自分を見るぐらいだった。

 鏡を見ても自分がそんなに変わったようには思えない……。首から顎にかけての走り傷もそんなに目立たない。切り裂かれて不格好になってしまった耳も髪で隠せば、まあわからない。

「……やっぱり、変わってない……よな?」

 改めて鏡を覗きこんでも――

「ちょっと痩せたかな? そんなに昔と似てないのかな……?」

 自分ではそう変わってないと思う容貌――でも彼女は認めてくれない。そう呟いた鏡の中の男は半眼になってやや目つきが悪かった。

 上げていた髪を下ろし耳の傷を隠すと服を着て浴室を出る。

 自室に戻り連合軍の軍服を着て小銃を肩に担ぐとミカンを預けてある牧場に向かい、牧場主にいくばくかの礼を渡し引き取る。

 小屋の隅にあった鞍をかけ鐙を着ける。

 ぎっ。

 わずかに鐙が軋む音を立て一気に跨る。

 以前、野営陣のあった場所に鉄道のプラットホームがある。

 ひさしぶりの騎乗だ。無理をせずにゆっくりと走らせる。

「おまえも歳だしな……」

 馬上からミカンの首を撫でてやると――まだ現役だと主張する様に軽快に駆けはじめた!


 鉄道は兵員輸送や補給、防衛線の緊急展開などさまざまな面で重要な役目を担っている。とりわけ緊急時の兵員展開速度が今までに比べると異常に早く連合軍は鉄道ダイヤを含む綿密な戦争計画を研究している。

 いまいるプラットホームは相対式ホーム構造。乗り込み場を二つ向かい合わせた様な構造をしており、車両は一般客用と貨物用とに分かれ馬や牛、豚や鶏などの家畜用のもある。

 さきほどミカンを動物用の車両に乗せたところだ。

 さきほど近くの売店で買った本をペラペラとめくりどうでもいいページを飛ばす。

 以前はあまり興味がなかったのだが、停止してシューシューと唸り声のようなものを上げている鋼の塊を見ているうちに何か胸がアツくなり興味が沸き本を購入してしまった! このメカメカした感じがなんとも……!

 肩に担いだ小銃を持ちなおす。

 その時に豪奢ではないが仕立ての良い馬車がホームに入ってくる。

 修道院で使っているモノだ。

 俺は本を閉じると、そちらに歩いていく――思った通り中から彼女が降りてきた。

 今日は髪にボリュームをもたせフワリとした感じに広げた髪型に彼女のトレードマークのリボン(色は黒)服装はタイトスカートに白いYシャツ、今までとは違い明らかに余所行きの格好をしていた。

 馬車の御者が二つのトランクを下ろしているトコで――

「荷物はそれだけ?」

 彼女が御者のほうになにか言おうとこちらに背を向けたときに声をかけた。

「ええ。修道服や礼服なの」

 こちらに向き直る。

「そうだ。ミカン連れてきてくれ――た?」

 驚きの表情になり心なしか瞳孔が開いた気がする。

「ああ。ミカンなら動物用の車両に乗せた、いまごろ動物用の車両でニンジンでも食んでるじゃないかな」

「……」

 会話の最中でも彼女はこちらを見たまま凍りついたようになっている。

 しばらく見つめ合っていると汽笛を鳴らし発車の合図を知らせる。

「お! 早くしないと乗り遅れる――」

 そう言っても彼女はそのまま凍りついたまま――

「おーい」

 目の前で手をヒラヒラを振る。

「あ! ご、ごめんなさい」

 やっと我に返り乗車券を取り出し、俺はトランクを担ぐと急いで列車へと飛び乗る。

 ホームで笛が鳴らされ、ゆっくりと列車が動き出す。

 席は一等車が完全な個室でシャワーやトイレにベッドまで完備している。二等車は四人ぐらいが座れそうな長椅子を固定した個室で乗り合わせた人が良い人なら楽しい旅ができそうだ。

 三等車は個室ではなく座席を並べただけの質素なものになる。

 俺達の乗車券には一等車と書かれており、券に記載されたのと同じ番号の部屋に入り、トランクを固定する。

 列車に乗ったのは初めてで流れていく景色に夢中になった! ベネデッタも対面の席に座った。

「あ! あれ海かな?」

 遥か先に水平線のようなモノを見つけ興奮を抑えきれず、ベネデッタの方を向く、その瞬間俺達の視線がバッチリ合ってしまう! 彼女は外を見ていなかった。じっとこちらを見つめている、その様子は尋常な雰囲気ではなかった!

 さすがの俺も、その態度になにかを感じとる!

「な、なに?」

 彼女は答えず席を立つとこちらに寄り、俺の横に座った。

 すぐ真横でじっと俺の見上げるベネデッタ――なんだろ? 俺なにかしたかな?

 聞いてもまた無視されそうな気がして、俺は外の景色を楽しむ事にした。

 山を掘り作られたトンネルに木々の中を疾走するような森の中に敷かれたレール、遥かむこうに見える山があっという間に右から左に流れては消える、自分が今すごい速度で移動していると実感できた!

「――ん」

 しかし、小一時間も見ていると飽きがきて俺は軽く伸びをする。

 その時に気付いた!

 彼女がまだ先ほどの様にじっと俺を見上げている事に――

「なに? どうかした?」

 そう尋ねると、彼女は手を俺に伸ばし――

 髪をいじり始める。

 振り払おうとも思ったけど彼女は瞳は真剣そのもので雰囲気も払いのけれるモノではなかったので俺はそのまま我慢した。

「――あ! 耳……」

 やがてポツっと漏らした、その言葉に俺は反射的に欠けてしまっている耳に手をあてる。

「ご――ごめんなさい」

 その反応に彼女はビクっと過剰反応をして伸ばしていた手も引っ込める。

「いや。きにしてない」

 なるたけ柔らかな口調でそう言った。本当に気にしてないし。

「……」

 彼女の方は気になっているのかチラチラと耳の辺りに視線を送っている、気付かれていないと思っている様だが、伝説の戦士達に囲まれ気配を読む技術に長けた俺に気配を感じさせないように視線を送るのはなかなかできる事じゃない。

「こいつはグラムで切り裂かれたんだ――」

 ――つっても信じないわな。

 俺が生き返ったって信じてないのにヴァルハラで竜殺しの英雄相手に稽古して伝説の剣でやられたなんて……。

「グラム?」

「ああ。グラムっての――」

 俺はヴァルハラでの事を話した。親子二代にわたって主神に魅入られた者達、戦場に現れ栄光をもたらした後に理不尽な死を与える主神。その館はヴァルハラと呼ばれ尽きる事がない酒と料理を振る舞われ饗宴の毎日、死の恐怖から解放され、稽古で傷ついても死ぬ事もなく、戦いに明け暮れるヴァイキングの一族からしたらまさに楽園。

 でもベネデッタは――

「死後も戦わされるなんて……」

 と、悲しそうに呟いた。

「あ! でもほとんどの者がベルセルクといって戦う以外の事を考えない様になるから……」

「貴方もそうだったの?」

「いや。『僕』は――」

 その先はなんと言っていいかわからなかった。なぜ『僕』が理性をなくさなかったのか理由も意味もわかっていなかった。ブリュンヒルドならきっと理由を知っていると思う……。

 言葉を続けられなかった『僕』のほうに彼女は寄りかかってきた。

 そして――

「おかえりなさい」

 彼女の温もりを感じつつ『僕』は――

「……ただいま」

 頭に『?』マークを出しながら答えていた。正直、意味はわからなかったけどそうしないといけないような気がした。

 しばらくそのままで過ごした。


「大聖都を目指して西に向かってる?」

 俺はチキングリルを呑み込み彼女が話した目的地をオウム返しで繰り返した。

「そうよ」

 彼女は対面の席で昔より長くなった髪にソースが付かない様に手で押さえながら簡潔に答えた。

『大聖都』

 聖教の本拠地があり、連合軍の主軸国の一つ。かつては世界一の繁栄を誇った。現在、連合軍筆頭国の座こそ大アルビオン帝国に譲ったが、今でもその繁栄に陰りはない。

「万魔殿にむかってんじゃないのか……」

「うん……ちょっと……まだ、私じゃ、どうにもならない事があるから……」

 鶏肉の刺さったフォークを口にいれたまま話す。その仕草は子供っぽくて昔の彼女と一瞬ダブって見えた。

「三つの徳の事?」

「……」

 まあ、答えてくれても俺に理解できるかどうかわからないけど……。

「教皇様に御会いしたいの」

「教皇?」

 一般的に『教皇』の称号で呼び指すのは聖教の指導者の事である。世界各地の信者を精神的な象徴であると同時に『大聖都』の国家元首でもある。

 確か現在の座位は――

「ヨハンナ様は以前、迷ったら尋ねてきなさいと仰ってくださったの――」

 そう言って再びフォークを口に入れてたまま俺のほうを見る。

「迷う?」

 問い返しても子供っぽい仕草のままこちらを見つめ返すのみ――

「おいおい。目的地も教えてくれなかったし、もうちょっといろいろ話し合う事あるんじゃないのか? 同行許して旅費まで負担してくれるって事はちょっとは俺の事信用してるんだろ?」

 フォークを咥えたままの彼女はその言葉にフルフルと首を横に振り――

「熾天使が君を連れて行けって言ったから、もともと私は同行者がいるとは考えていなかったもん」

 聞かなきゃよかったぜ……。

「なんだよ、それ!」

「私はこの旅に誰も巻き込むつもりはなかっ――」

「俺は自分の意思で来たんだ! 予言も聖女もカンケーねぇ」

「でも――自分の意思で決めたからといって危険がないワケじゃないわ!」

「覚悟してるってコトだよ! それと――予言も世界も俺は興味ない。君を万魔殿には行かせず、どっかで二人で――」

「そ、そんなコトできるワケないじゃな……な……い……」

 フォークを咥えたままプイとそっぽを向いてしまった。


 料理を平らげ食後のドリンクを注文したトコロで、

「『神のメッセジャー』っていうと大洪水の時に堕落した者を操って互いに争わせた奴だろ?」

「それは――いわゆる偽典。正典では『聖母』に受胎告知をしたと云われる三大天使の一人よ」

「三? 四大天使じゃないのか?」

「それも別の教え。正典には含まれていないモノもいるから」

「翼人は堕天された天使だって話しも……」

「それも偽典の話し。比較宗教学では堕天された天使は天界を追放された存在。翼人は神に反逆し人を悪の道に導き、万魔殿に存在する、いわゆる神へのアンチテーゼとしての存在。世間一般じゃ天使は人間の味方って思われてるけど実際は違う、信仰というガイドラインに沿って人を導くナビゲーターって意味合いのが強いわね。

 そもそも――神はなにもしないという前提があってこその人の社会ですもの、奇蹟ばかりに頼り、なんの努力も考える事さえも止めた人が多くなったら社会は成り立たなくなるでしょ?」

「じゃ――祈りはムダだと?」

「そうじゃない。努力をした者はそれに見合う対価を得る権利があるって事、神は求め努力をした者のみを救い、時には奇蹟を起こすの」

「じゃ七元徳は?」

「七元徳は七つの大罪に対抗して、どこかの誰かが考えた信仰のガイドラインみたいなモノ、最近になって言われはじめた事で必ず七つあるわけじゃないわ、主なモノで忠義、希望、勇気、純潔、慈愛、純愛、友情、誠実、知識、正義、分別、節制、貞節、自制、寛容、勤勉、忍耐、親切、上品――etc.」

「……頭痛くなってきた……」

 スラスラと淀みなく紡がれる美徳の数に思わず漏れた。

「もともとは一つの概念から発生しているけど。当時読まれていた教典が出土するたびに新しく派生していくからね、聖教でも西方、東方、東方諸、聖公――それぞれその下にさらに七つぐらいに派生するし――」

 さきほどの反応で信仰心が薄れたと確信した俺はそこら辺を突けば、説得できるかもと思ったが……付け焼刃の知識では全く歯が立たない事は十分にわかった。

「そんな顔しないでよ。私だって外典や偽典の類を全否定するつもりはないわ。そもそも正典は昔『公会議』という宗教会議で取捨選択され作られ、決められたモノで絶対的な真理ではないわ。私も個人の信仰の自由は尊重してるわよ! もう!」

 そういえば『聖晩』などにも拘らなくなったみたいだ。


 部屋に戻りベネデッタがシャワーを浴び、俺は窓際に固定された長椅子に横になっていた。ベッドは一個しかなく、旅費をだしてもらっておいて、そこを占領するほど俺もあつかましくはない。

 鋭敏な感覚が列車の音の中でも彼女の気配を捉えてしまう。

 シャツを脱ぎ両腕を背中に回すとなにかの金属が外れ――ちいさな布の塊を床へと落とす!

 その先は――俺は上を脱ぐと丸めて枕変わりにして外套を身体の上に載せる、そのまま窓から空を見上げる。

 高速で移動しているのにも関わらず星空はあの時とまったく同じだった。

 星を見ながら――

「空に開いた穴……か」 

 星は空に開いた別世界への入り口で向こう側の世界にある光が漏れてきているから光って見えると、星――空の孔は常に開いてるが、夜になって別世界に太陽が往かなければ視えない。

 そして戦場乙女は空を渡り別の世界へ誘う存在だと――連邦合衆国には『天文学』という星を研究する学問があるらしい……この辺り『聖教』の教えでは星の研究は神に近づく行為として背信行為に価するので、星や太陽の誰も研究していない。

 がたん、がたん。

 定期的な音が眠気を誘う。

 昼間はじめての列車にはしゃぎ疲れた俺はその心地よい眠りに身を任せた。


 ひゅるるるるるるるる――長い尾を引く音の後に星空の海の中に大輪の花が現れる、少し間をおいてドーンという腹に響く音が続いた。

 花火の光によって辺りが一瞬だけ明るく照らされ。

 見つめあった後に――二人の影が重なる。

 ベネデッタが立ちあがり服の埃をはたく。

 あの時と同じだ。

 違うのは――

 すでに暗闇の中に潜む何者かの気配を感じ取っていた! 俺は羽ばたきの音にも慌てずに位置をズラし脇を空け――突き出された剣とそれを持つ腕を脇と身体にはさみこみ、力を籠める!

 ゴキ!

 何かが折れる鈍い音が鳴る。

 振り向くと驚愕の色に染まる隻眼――折れた腕を解き蹴りを入れ木の幹に叩き付ける!

 ダンッ!

 地を震わす踏み込みの音に真っ直ぐ突きだした正拳に翼人の身体が衝撃でビリビリと震える!

『双撃』

 服や皮膚を貫通して内臓に衝撃を与える特殊な突き。

 そのまま前のめりに倒れる――

 ざっ!

 砂利を踏みしめる音をだしつつ軸足を強烈にねじり、追撃の踵蹴りで翼人の顎を捉える、木などと違い明確に首の骨を折った感触が蹴りを通して伝わってきた。

 五年前とは違う結末。

 あの頃に今の武力をもっていたら……おそらく今の半分でもあれば実現できていたであろう『もしも――』の出来事。

 翼人が地面に倒れる音を聞くが俺は近くに転がる剣を拾う。

『残心』

 武芸とは違う武術にはそういう心得がある。死んでしまったら全てが終わる。武術では死んだフリをして不意打ちでも死んだフリして生き残り再機を窺うのも立派な兵法。

 戦いで『残心』は生き残る術でもあるといえる。

「――」

 名前を呼ばれた。

 いまでは思い出せない『僕』の名前。

 翼人から逸らさないままに離れ剣を捨てると振り返る。

 振り返り彼女を見る。

 そこには五年前の姿ではなく今の――成長した姿の彼女が立っていた。長い黒髪が風に靡かせ、修道服に黒いリボン幼さが消え、瞳にどこか物悲しげな雰囲気を宿した。

 口を開き一言だけハッキリと――

「――君は誰……?」


 ガタン。

 一際大きな線路の凹凸を拾った音。

 いい夢ではなかったが――悪夢と呼べるほどではない。

 目が覚めたのは列車の音や夢のせいでもない。

 人の気配を捉えた。

 殺気があればもっと鋭敏に察知できたのだが――その気配に殺気はなく触られるまではハッキリと捉えられなかった。

 相手に気取れない様に首を動かさずに視線だけで確認。

 その気配――

 俺の胸の上に置かれた――重みは。

 なんでこんな状況に?

 ベネデッタが――俺の胸の上に頬をつける感じで頭を載せていた。

 こちらからは後頭部しか見せていないので表情まではわからない……シャワーを浴びたばかりでわずかに湿った髪にいつもより幾分上がった体温、ほのかに洗髪料の香りが鼻に届いた。

 上に着ていたシャツを枕の代わりにしているので裸のままの上半身――胸の上に頬を押し当てている水気を含んだ髪感触がする。

「――貴方は誰……?」

 夢の中と全く同じ事を問う。

 ……。

 なんと答えていいかわからずにそのまま寝たフリを続ける。

 やがて、彼女は自分のベッドに戻っていった。

「……俺も知りたいよ……」

 仰向けで呟いてみる。


 列車はホームのある大聖都近くの街『ラオ』市に停車した。

 大聖都は特殊な立地になっており、この街に囲まれる形で存在している『大聖都』と『ラオ市』は別の国であるが歴史、宗教、文化的に密接な繋がりがある。

 どういう経緯で現状の様になったかはちょっとややこしいのだが、約一世紀前に起こった。群集都市の統一運動が原因。それまで教皇がこの辺り全域の領主的な役割をしていたのだが、運動の際に市は周辺国と合併。『大聖都』は一応、独立国として存在するという道を取ったが、国民は全て同教会の関係者である。細かい条約うんぬんを言いだすとややこしくなるので省くが千年以上ひとつの街だったものが教会のシステムのみ切り離して独立国として存在している様なもの。

 年間四百万人以上の人が巡礼に訪れるとあって辺りには俺が今まで見た事もないような人数の人で溢れ返っていた!

 いまでも戦時とはいえ、遥か東方での事、このままいけば後二、三年後には――早ければ今年中には終結するということもあってあまり気にしてはないようだ。

 ミカンを引き取ると彼女を騎乗させ俺は降りて手綱を引いて通りを歩きだす。人混みの中を気をつけながら彼女の指示する方向に向かって歩いていく。

 俺は自分でもわかるぐらい田舎者まるだしで辺りを窺う。歴史的な建造物や芸術品が数多く存在する世界でも屈指の古都。その華やかさと魅力は筆舌に尽くしがたい!

 道は整備され自動車の数も多く。

 機械の立てる音に混ざりときおり聞こえてくる異国の言葉ばかり――この国には来たことがなく、ここらで話される言葉も文字も俺は一度も使った事がない。

 しかし――不思議と看板に書かれた文字は読めるし、聞こえてくる会話の内容も理解できた。

 こいつも主神の魔法かなにかだろうか?

 街から『大聖都』に入国するときに衛兵――縦縞模様の道化師の様な服装に時代錯誤な槍を持っていた。

 その衛兵と試しに会話してみようと思っていたのだが、彼女が先に口を開き手荷物の中からなにかの書状を見せる。

 結局、一言も発しないままにアッサリと許可が下り『大聖都』に入った。大聖都とは言っても領土は狭い。連合国加盟の中ではもっとも小さな国。

 それでも人々はこの国を『大聖都』と呼んでいる。

 やがて教皇庁に着いた。信者達は『聖庁』とかって呼ぶらしい。

 馬上から下りようとしている彼女に手を貸す――寸前で車道と歩道の段差にバランスを崩し倒れそうになるのを背中に手を回して支えようとすると、片手を胸に押し当てられ拒否の姿勢を示す。

 ――最近、今のように肩や背中などに触れようとすると軽く拒否の態度を取られる。

 五年前は抱きしめたり、頭を撫でたりもできたのに今はできそうにない。

 それに若干の寂しさを感じつつ後に付いていく。

 中に入ると――

『ベネデッタ嬢の御付きの方ですね? こちらの処置室の方へお越しください』

 白衣を着た一人の司祭なのかな? 

 ――が、俺を別室へと案内する。

『あっ! ――ちょっと待って』

 それを見たベネデッタが慌ててこちらへとやってくる。

『ごめんなさい。その……彼は大丈夫なんです』

 なにが大丈夫かまったくわからんが、やや歯切れの悪い言い方。白衣の男も突然やってきた彼女に戸惑いつつも言い返した。

『困ります。ベネデッタ嬢、規則は御存じでしょう?』

『ええ……。その彼は平気です。言葉もわからないし……』

 と、彼女は普段俺と話しているモノとは違った言葉で話す。

 これは……話せるって言ったほうがいいのだろうか……?

『異教徒ですか……なら、なおさら――』

『そうじゃなくて……その……』

 口ごもりながら彼女は俺のほうを見つめると目が合ってしまい、

「ちょっと、ごめん。あっちで待ってて」いつもの言葉で。

 そう言って長椅子の置いてある入り口付近を指す。

 俺はうなづいて肯定の意を示した。

 ……まあいいか。

 なにしろここは俺の知らないことばかりだし……任せておこう。

 長椅子に座りきょろきょろと田舎者丸だしで辺りを窺う。

 見事な彫刻や鮮やかなステンドガラス――そこからは円形になった広場が見え、かなりの人が訪れている。

 真ん中に広場を囲み通りから正面に『聖庁』、隣接する両隣には歴史的な聖遺物を納めた博物館と逆隣には立派な寺院。

 博物館か――行ってみたいな。

『――彼は……その……大丈夫なんです。だから――』

『先ほども申しました様に規則でして、私共と致しましても貴女様に万が一の事でもありましたら――それに彼の体格をよくご覧ください。あの太い腕に厚い胸板。信心深い軍警察や宮殿衛兵ならともかく――貴女の様な華奢な女性が力で迫られたら……』

 横目で俺のほうに視線を送りながら――

 ときおり聞こえてくる会話をから推察すると、『聖女』である彼女に異教徒で得体のしれない俺が付き添っている事が問題になっているらしい、傍目から見たら俺は体格のいい怪しげな流れ者である、俺だって彼女が体格のいい怪しい男を連れてきたら同じように問いつめていると思う。

『大丈夫です! 私のほうが強いから』

 俺が言葉を理解できないと思ってるせいかそんな事を言っている。

 そうですね――俺は君にノックアウトされましたよ。

 そんな事言ったところで相手は納得しないだろうし、最終的には連合軍に席を置いてる者だからと半ば強引に納得させたようだ。

「なんだったの?」

 大半は聞こえていたものの尋ねてみる。

「えっ! その……な、なんでもないないから……」

 そう言って手と足が一緒に動かし先へ行ってしまう。

 

 立派な執務室で出迎えてくれたのは長い赤髪をうなじで辺りで括った線が細く、華奢な男。

 歳はかなり若そうだ――三十前かせいぜい三十前半。

 彼女がアルビオンの言葉で挨拶をした後に二人は軽くハグをする。

『――で、こちらが――』

 俺は――

 かっ!

 と踵を鳴らせ連合軍式の敬礼をする。

『彼は――』

『ああ。アルビオンの言葉が通じないそうだね。聞いてるよ』

『えっ!』

『君が下で口論をしてるのを上で眺めていたからね――』

 そう言いながら男は仕草で『休め』と伝え。

 楽な姿勢になる。

『しかし――規則は知っているだろう? 君は『聖女』だ。予言通りなら純潔のままでなければ困る。共の者には去勢処置を――』

 え!

『――そ、それは……』

 き、去勢って!

 待ってくれ! 家畜じゃねぇんだぞ!

『まあいい。こちらへ――』

 部屋に招き入れ扉を閉ざす。

 二人はテーブルを挟み向かえ合う様に座る。

『どうやら――三つのうち二つは既に手に入れたようだね。三つ目も間もなくものにできるとみえる』

 チラっとこちらに視線を送り再び対面に座る彼女に移した。

『ええ。実は――その事で……』

『彼を同席させても?』

『……はい。こちらの――彼の事をヨハンナ様に見ていただきたくて』

 俺の方を見て視線が合うとにっこりと笑顔を浮かべる。

『――彼。翼人ではないでしょうか?』

 彼女はにっこりと愛らしい笑顔のまま俺の胸をえぐる強烈な一言を吐いた。

『……』

 その言葉に鋭い視線を俺に送る教皇。

 うっ!

 いや――動揺しちゃダメだ!

 俺は彼等の言葉を理解できてないというフリをしないと――去勢は勘弁してくれ!

『ベネデッタ。それはないよ』

『でも! 例えば――例えばですよ。参美徳である『勇気』『信仰』『愛』のうちの『愛』をエロスの徳と偽って七つの大罪である『色欲』の道へ――』

 教皇はテーブルに肘をつき両手を顔の前で交差させる――指には鈍く輝く指輪が光っていた。

 教皇の印――初代から受け継がれ崩御のたびに溶かされ形を変えて彫金され受け継がれる指輪。

『それは男女関係の愛『エロス』に限った話しだね。人は弱い、誰かに恋をしたからといって、それで即七つの大罪を犯すわけではない。一言で『愛』といってもカタチは様々だ。尊敬の愛である『ストルゲー』や友の愛『フィーリア』があり、ある地方ではこの三種を持つ者は戦場乙女に愛されるとも言われている』

 そういえば……昔、祖父からそんな話しを聞いた事がある様な……。

『さらには無条件に万人を愛す『アガペー』は理想ともいえるが理想であるゆえになしとげられる事ではないよ』

 そこで言葉を切り一呼吸入れると――

『勿論そこに向かうという姿勢は大事だ――と、話しがズレたね。要するに全てに共通している事は『愛』は例外なく内に秘めるモノじゃない、一人では完結できないという事だよ』

『……『愛』は内に秘めるモノじゃない』

 彼女が答えを知らされた生徒の様に呟いた。

『それとそこにいる者が翼人である可能性はない。そもそも翼人達は予言を知らないし、知っていたとしても大して重要視してはいないだろう。もし翼人達が予言を知っていたり、重要視していたら君は両親が殺された時に真っ先に狙われたはずだ。君が街を巻き込みたくないと言って連合軍野営地跡に修道院を築き移り住んでからも奴等からの襲撃はなかったろう?』

『……はい』

『好きなのかい?』

 教皇は真っ直ぐな眼差しを向け問いかける。

『わかりません。ただ――』

 そこから先はまだ整理しきれていないのか言葉が続かなかった。

『ヨハンナ様は蘇りを信じますか?』

『唐突だね。死者が蘇った話しはないわけじゃない。死を超越した者が神と呼ばれる事もある――』

『そういったものではないんです!』

 穏やかに語る教皇を遮る。信心深い彼女からは考えられない事だ。

『例えばですよ――ヨハンナ様の大切な人が亡くなったとします……』

 尻すぼみしていく声。

『……』

 教皇はそんな彼女を労わる様な視線でじっと見つめる。

『数年後にその人が――亡くなったハズの彼――人が『生き返った』と言って現れたら』

『そこにいる者がそうだと?』

 気を使ってか俺の方を示さずに言葉だけ問う。

 なんかもう後に引けなくなったな、このまま言葉がわからないフリしてないと……。

『……はい』

『先程言った通りだよ。『愛』は内に秘めるモノじゃない――』

 そこで俺のほうに視線を向けると――

『その前に彼が退屈している様だ。部屋を用意するから、そこで待っている様に言ってくれないか?』

 ここで外に出されてしまい、その後なにを話したかわからない。


  通された部屋で調度品の観賞をしていると意外に早くベネデッタがやってきた。

「え~っと……」

「お! 早かったね」

「う、うん。ね、ねぇ――」

 どうも先ほどから落ち着きがないベネデッタは少し躊躇した後に――

「あ、明日にはさ、前線への軍列車が出るんだって――だから、その……街へ行かない……?」

「いいね。行こうか」

 僕達は街へと繰り出した。


遊び疲れ眠るベネデッタを背中に乗せ聖庁への帰り道。

「おにーさん。私とイイコトしない?」

 薄暗い路地裏へと続く小道でフードを目深に被った者に声をかけられる。

「急いでいるので」

「いいじゃないのさ、そんな娘は放り出して」

 腕を引かれ強引に路地裏に引っ張り込まれる!

「おい! いい加減に――って! えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 そこにいた女性はなんと!

「この国の言葉わかるみたいだね」

 そこにいたのは教皇のヨハンナだった!

「手短にいうからよく聞きなさい! ベネデッタは今夜、君と添い遂げるつもりよ」

「へっ!」

 ええええええええええええええええええええええええええええええええ!

「私が軽はずみな行動は慎むようにと諌めておいたけど、聞いてる気配がなかったし、心配になって様子を見に来てみれば――」

 視線で俺の背中で寝息をたてているベネデッタのほうを示す。

「こうなったら君に木をつけてもらしか――」

「ちょ、ちょい待ってくれ!」

 俺としてはベネデッタの気持を受け入れる事になんら抵抗はない。それどころか、そーいう行為をしてベネデッタを聖女じゃなくし、万魔殿に行く理由がなくなるなら――

「ふ~ん。私の忠告を聞く気がないって事ね」

「ああ。悪いが、アンタらの予言を信じてはいないんでね」

「そっか~。仕方ない。こんな事したくなかったんだけど――」

 そう言うとヨハンナは俺に擦り寄ってくる! ベネデッタとは違う大人の女の匂いにドギマギしていると。

「もし、君がその娘に引っ叩かれる事があったらこれを渡しなさい」

 そう言って俺の胸ポケットに手紙をねじ込むと靴の音を鳴らして闇の中に去っていく。

 俺がベネデッタに叩かれる?

「……っん」

 今の騒ぎで気がついたのかベネデッタがそんな声を洩らす。

「お! 起きたか? もう少しで聖庁に着くぞ」

 そう告げるとギューっと腕に力を籠め!

「……ん~。おへやまではこんで~」

 甘えた声で言われた。


 彼女の部屋にはいるとベッドに寝かせ。

「……あ~疲れた」

 もちろんベネデッタの異常なテンションにつき合わされたための疲労。聖都に着いたときは冷たい態度をとられ、街にいったときには昔と同じように――と、コロコロ切り換わる態度の違いに戸惑い疲労した。

「……っう……ん」

 軽く呻いた後に片足を上げる。

「全く――呑気でいいよな。こんなトコ見られたら問題!!!!」

 丈の長い修道服から彼女の真っ白な脚が露わになる!

「……ん……あっ! ……あつい……あつい……よ」

 そう呻きつつ自らの胸元をちょっと下げる。

 お、お、お、おィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!

 マズイ!

 ヒジョーによくない! よくないゾ!

 そう思いつつ彼女から目が離せない! 長い髪が白いシーツの上に広がり、真っ赤になった頬、薄暗い部屋に映える様な真っ白な首筋は修道服によって、その先が隠されている。

 衝動的に修道服を――いやいやいやいやいやいや!

 なに考えてんだ俺! 

 こういう時は目を閉じて難しい事を考えるんだ!

 昔、読んだ教本の一節を思い出す!

 竜騎兵とは――

 近世における兵科の一つ。ドラグーンの語源は「火器(dragon=火を吐くもの)を装備する兵士」からとも、中世期に使用されていた手持ち火縄銃に馬に跨ったシルエットがドラゴンが似ているからとも、銃を体に固定するのに使ったベルトからとも言われるが定説はない。

 一般にはドラグーン・マスケット(小型のマスケット銃)やカービン銃(騎兵銃)などの火器で武装した騎兵を指すが、その詳しい定義は国や時代により様々である。起源は十六世紀後半に遡る。このころ竜騎兵は騎兵科ではなく、馬に乗って戦場を移動する乗馬歩兵であった。 「暑い……」という言葉と衣擦れの音が……従って戦闘は下馬して行うのが通常の運用法であり、馬は拠点確保や退却用に乗るためのものであった。騎乗したまま戦う事は無く、現在みられる『竜騎兵』と同列に扱うのは誤りである。十八世紀中頃になると竜騎兵達は滅多に下馬しなくなっており、もっぱら騎乗兵として運用されるようになっていた。この頃から乗馬歩兵という本来の定義は曖昧なものになり、各国の事情により竜騎兵は様々な用いられ方をされている。 例えば、胸甲騎兵――胸か――胸は――胸ね――胸甲騎兵の少なかった地方では、竜騎兵は主に重騎兵として使われ、逆に強力な胸甲騎兵やカラビニエ騎兵を持つ東方軍では、竜騎兵は猟騎兵やユサールなどの様に軽騎兵として扱われていた。また大帝国では軽騎兵として扱う軽竜騎兵(Light Dragoons)、重騎兵として扱う重竜騎兵(Heavy Dragoons)の両方が存在しており、胸! その谷間が作りだす魅惑的な運用方法は主に――

「……っん……」

 寝返りをうった拍子に乱れた修道服は大きくめくりあがり太ももが露わになる!

 二つの綺麗な脚その奥には――軽竜騎兵、重騎兵として扱う重竜騎兵の両方が存在しており運用方法――

 

『はっ!』


 気づいた時には彼女の上に覆いかぶさり柔らかい頬に手を当てていた。

 時間がゆっくり流れているように彼女の目蓋が本当にゆっくりと、ゆっくりと静かに開き――

「……えっ? えっ!」

 彼女がこちらに気づく!

 そして、自分の着衣の乱れにも――

 潤んだ瞳でこちらを見つめ――その瞳を見ていると重竜騎兵の運用方法はどうでもよくなった。

「……ダ……ダメ……だよ……」

 小声でなにかを言ったら両手で自分の顔を覆う。暗い室内にも耳まで真っ赤になっているのがわかった。

 俺は外套を脱ぎ捨て、軍服のボタンを外す――上から三つ外した時に彼女が突然俺の方に抱き着いてきた。

 髪から発する甘い香りに理性がふっとびそうになる!

 つい乱暴に扱ってしまいそうになるのを必死で抑え優しく手で髪を掬い、首筋に口を押し当てると、

「……んっ!」

手を後頭部に当て髪を掬う――そのまま背中に下し服を脱がせる。

  下着を外そうとした時――彼女は震えていた!

 安心させようと声をかけようと思ったけどいい言葉が思いつかない。

 言葉が思いつかなったので笑いかけようと彼女の顔を見つめる。

 あぁ――

 直後――頭がモげるんじゃないかってぐらいの横殴りの衝撃にベッドから転がり落ちる。


 じゃー。

 蛇口から流れ出る水を見詰ながら今起こった出来事を整理してみる。

 俺達はとてもいい雰囲気だった。

 ヨハンナの話しによれば彼女も俺の事を嫌っていない。

 さきほどまで彼女はとても上機嫌で俺達は今夜にでも結ばれそうだった。

 そう思った矢先、彼女の怒りはなぜかMAX!

 俺に今まで一番強烈な一発を入れ、部屋にある様々な物を投げつけてきた。

 枕なんかは可愛いほうでランプや聖書、果物ナイフ、俺の小銃なんかが容赦なく飛んできた!

 なにがどうなってるのかさっぱりわからん!

 今、自分に充てられた部屋に行く前にトイレで叩かれたトコを鏡で見ている。頬にはくっきりと手形が五指の形もはっきりとわかるほど付いていた。

「頭がどうにかなりそうだ……」

 よく見ようと首を傾げた時――

「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!」

 俺の首筋に付いたキスマーク!

 その色はハッキリとわかるほど真っ赤で一見しただけで彼女が好みそうな色ではない!

 いつ? どこで?

 自身を記憶を探る――そもそも俺は彼女意外の女性と――

「もし、君がその娘に引っ叩かれる事があったらこれを渡しなさい」

 あ――あいつか!

 ヨハンナの顔が浮かんだ!

 そういえば――彼女が様々な物を投げる合間「浮気者」だとか「裏切り者」だとか言ってた気がする!

 胸ポケットにはいったヨハンナの手紙を腹いせに破り捨てようと手にとった時に彼女の形相が思い浮かび思いとどまる。

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