虎に捧ぐ
友達とのお題バトル企画で、3時間で仕上げました。
「春」「青」「緑」「たゆたう」「冷たい」「扉」「くも」7つ全部(無理矢理)消化ーwww
現代ファンタジー……かな?
キリエは新年の登山に来て、まさか迷うとは夢にも思っていなかった。子供の頃から登り慣れていたはずの筑波山は、千メートルもない。山頂まで2時間で辿り着けてしまう、お手軽な山だ。
どうせなら富士山に登りたいなと思わないでもなかったが、大晦日の9時閉店まで売り子で走り回っていた身で、富士山のご来光には間に合わない。そもそも本来は、山へ行く気もなかったのだ。
カウントダウンをテレビにて迎え、おめでとうを口に出して述べる相手もない部屋にいて、さぁ2011年を迎えたことだし寝ようかね……と、ベッドに潜り込んだ。元旦は昼過ぎまで寝てやると思っていたのに。
2時間もしないうちに、ぱちっと目が覚めてしまったのだ。
「寝れない……」
キリエは思わず呟いて、何度も寝がえりを打ったものだった。
そして、とうとう一念発起して身を起こしたのだ。
こうと決めたら、準備は早かった。
筑波山ならバイクで一時間もあれば着く。急に寒くはなったけど、まだ凍結もしてないし雪もない。茨城県は暖かい。
駐車場から登って2時間、急げば1時間半だ。確か日の出って6時半ぐらいだったはず……と思いながらキリエは、玄関の扉に鍵をかけて「よし!」とバイクのエンジンを鳴らしたのだった。
町は漆黒に包まれている。
そもそも民家すら少ない町だし、電車も通っていない地域である。つくば市の駅に出るより、シャトルバスで東京駅に行くほうが手っ取り早いという有様だ。深夜の2時にうろつくヤンキーすらいない、静かというより死んでいると形容してもいいほどシンとした道のりである。
一瞬どうして出てきちゃったかなと後悔しないでもなかった。
手袋はしているけれどハンドルは冷たいし、どうせ登っても筑波山だ。ここのところ登ってなかったからなと気付いて奮起したが、思いが萎むのも早い。とはいえ、ここまで来ちゃったら、帰るというのも癪である。
しかも、やっぱり来るんじゃなかったかな~とさらに気が重くなったのは、筑波山神社への大渋滞を目にしたためだった。昔は閑散としていて、人の気配すら感じなかったほどなのに……という記憶は多少改ざんされている気がしないでもないが、それにしても多すぎだ。
気を取り直して山を北に回りこんで、ようやく安堵する。北側の林道と駐車場は、なかなか静かなものだった。すでに駐車している車は点在しているが、南ほどではない。皆ケーブルカー待ちなのだ。
4時。
「さぁ行きましょうか」
大学時代に慣らした登山道具が、背中で応えて、わさっと鳴った。
なのに。
「嘘でしょ」
呟いても、キリエの声を聞き遂げてくれる者がどこにもいない。しごく分かりやすい、山頂へ最短で着く登山道だったのに、なぜ誰もいなかったのか。なぜ私は迷っているのか。
後悔しても役に立たない。
低登山だからと甘く見た自分が悪かったのだ。やはり地図をちゃんと見て、コンパスも用意してくるべきだった。
筑波山には近頃、厚底ブーツのお嬢さんがミニスカートをひらひらさせて登ったりなんぞもしている。登山靴はおろか、何かあった時のために、などとテントやロープまで用意して登る者がいなくなっている山なのだ。
今さらながらに、山の神を感じた気がした。
などと悠長に敬虔な思いを抱いている場合ではないのだが。
キリエの装備は、ものの30分で整えただけあって、背中より狭いリュックでしかない。山頂で飲もうと持ってきたコーヒーと一口コンロ、寒さよけのウインドブレーカーに、ヤッケ。ついでに朝食でも、と、インスタントの餅入りうどん。雑煮気分を味わうためだ。
いざとなれば食事は何とかなるが、寒さが極まってくれば初夢が永眠となりかねない。とにかく上に行けば、自分がどの辺りで往生しているのかが、すぐ分かるはずである。……が。
登っているはずなのに、足元の道は踏み固められているのに、周りが霧でまったく見えず視界が開けてこないのだ。空を見ても霧の中である。明るくはないので、まだ夜明けは来ていないようだと分かる。いっそ早く夜が開けて晴れてくれないかと祈るものの、そういう時に限って時計の針は進まない。もし雲っているなら、余計にアウトだ。
「だーれかー!」
叫びながら歩くが、応えはない。
ご来光より今は、人の姿が恋しい。
いつもは人なんて、お客さんも同僚も誰もかもを見たくもない、と思うのに。
山が好きな理由も、一人になれるからだった。
登っている間は特に何も考えていない。自分の呼吸を聞いて心拍数を感じて山の空気と緑に包まれて、ひたすら『歩く』ことだけに集中する。低登山が多いのも、女一人で挑む山の高さに限界があるためだ。アルプス方面では学生時代に滑落して骨を折り、家族に激怒されたものだった。
今は怒ってくれる家族もないので、余計に、一人で安全に生きる術に気を使ってしまう。無闇に死にに行くよりは、まだ少しでも穏やかに生きていたいと願うから。惜しい命ではないが無駄にすることもないかなと思っている。
目前の霧を眺めながら思いにふけると、それはまるで走馬灯を感じているようであった。家族の心配する顔を思い出したら、子供の頃から始まって次々と、思い出がキリエの脳内に渦巻いてきたのだ。
「だれか!」
振り切るように叫ぶ声まで、涙声になってくる。誰か助けて、なんて。そんなことは思っていない。ただ、だれかに会えれば、それでいい。
視界をふさぐ白い霧は、キリエの人生を現しているようにも思われた。
「?」
何かが見えた。
キリエは転ばないように足元に気をつけて慎重に、でも急いで、見えた影を追って歩を進める。
「すみません! 登山の方ですか!?」
孤独と迷子の不安を消し去るために大声を出すと、影が止まったように見えるではないか。キリエは別の意味で泣きそうになった。
だが。
「あの……?」
ゆらゆらと影がたゆたっている。近付くと影は、人ではなかったのだ。もっと低い……いや、こちらが歩いている間に、影が形を変えていたのである。
「う……そ……」
濃かった霧がうっすらと明るくなり、影だったものの正体を顕わにする。
うなりも、吠えたりもしていない。けれど、それは筑波山になどいるはずのない動物だった。
確か、猿は確認されたんだっけ? などとキリエは回らない頭で、目を回しながら考える。過去のニュースを記憶から引っ張り出す。動物園から逃げた虎、などという記事がどこかにあったっけ? と考えたものの、筑波山に逃げ込めるような位置に動物園などないし、そもそも、そんな大ごとがあれば入山できるわけがない。
実に立派な虎だった。
まるで名のある絵師が屏風に書いたような、凛とした顔立ちである。しなやかな体についている筋肉もなめらかで毛並みも良くて、いいものを食べているようだと感じられる。どう見ても野生ではない。
というか虎の野生か飼われているものかなんて見たことはないので、判断材料は記憶にある近所の野良猫と昔に飼っていた猫のミーである。虎も猫も似たようなもんだろ。
虎はじっとキリエを見ている。
敵意は感じない。と感じていいものかどうか悩むが、まさかの遭難に気が動転している今、例え相手が虎でも自分を見ているものに出会えたことが嬉しくて、どうでもよくなっている。襲われたら襲われたで、それもアリかなと思っている。下手な男に襲われるシチュエーションじゃなかっただけ、いいだろう。
「元旦の山中にて、虎に噛まれたOLの死体発見! なんてね」
虎に向かって苦笑したが、虎は当然ニコリともしない。けれど視線も外れない。
「あなた私を見ているの?」
話しかけたら、虎が動いた。
びくっと肩を竦めたが、虎はキリエに近付くのでなく、背を向けていた。嫌だ待って行かないでと内心で悲鳴を上げたら聞こえたのか、虎の動きが止まってキリエに振り返るではないか。
そして、またくるりと背を向けて。また振り向いて、キリエを見て。
「ついて来いって言ってるの……?」
口に出すと確信に変わり、虎の動きがそのようにしか見えなくなった。だが今はついて行くので正解かも知れない。虎の行き先は登り坂で、周囲は変わらず青い霧に包まれていたから。
青い。
気付いて歩きだしてから、周囲を観察する。うっすらと晴れてきている霧の中には、徐々に山の風景が見えつつあったのだ。それと同時に虎の背中も見失いたくなくて、キリエは前方に横にと、せわしなく目を向けた。
まだ冬のさなかで枯れた木々が登山道にそびえている。はずだった。
「え?」
キリエの見たそれは青々と葉っぱを茂らせて天にそびえていたのだ。足元の土にも草が広がってきている。空気も柔らかくなり、まるで春を謳歌しているかの草原が、目前に現れた。
緑の草原に、虎が雄々しく立っている。
彼は変わらずキリエを見ている。性別が分からないが、とても凛々しい顔なので彼と呼ばせて頂こう。キリエは目を細めて虎の後を追う。不可思議な草原の向こうに三途の川が現れないことを願いながら進んで行くと、ちゃんと岩場が待ち受けていた。
昔から見慣れている、女体山の頂上に続く最終関門だ。
関門などといっても、まったく険しくない。そりゃ足を滑らせたりなどしたら大変だが、そうした登山者は滅多にいない坂である。手すりや階段も設置されていない。
だが、つい今しがた道に迷ってしまった自分である。ここで転ばないとも限らない。慎重に登らなければと岩場を見上げたキリエのかたわらに、いつの間にか虎が寄り添って立っていた。
「あ……」
少し手を伸ばしたら触れられそうな、撫でたら気持ちいいだろう背中がすぐ側にある。まるで「登れ」と即しているかに見える虎のたたずまいに、キリエは感謝の念を抱いた。
霧の中から虎は、間違いなくキリエを救い出してくれたのだ。
「ありがとうね」
撫でようとした。
だが虎はふいと背をよじって、キリエの手を避けてしまった。
岩場がそびえたった瞬間、周囲からは緑の情景が消えていた。
変わって目前に待つのは未踏の、2011年という夜明けだ。
キリエが足を踏み出すと共に、虎の姿が淡く消える。
「あ……」
名残惜しく背後を見やるキリエに、虎は「ほら」と言うように顎を動かして岩場を刺した。何かと前方を向いて見上げると、山頂には、ぴょこんとアイツが耳を出していた。
明けの明星が輝く下で、白い耳が可愛らしく尖っている。見た瞬間キリエは「そういうことか」と笑みをこぼさずにはいられなくなった。
もう一度「ありがとね」と虎に手を振って、岩場を登る。
岩場はちょっとだけ困難で、キリエが気を抜くと叱るかのように足元を揺らしてくる。何くそと足掻くと、次の岩を指し示してくれる。大学の登山仲間のことを思い出した。
「頑張れば、報われる。山頂は、いつでもそこにあるからさ」
だから登るのだと、彼は笑ったものだった。自分さえへこたれなければ辿り着ける場所がある。そんな確かなものがあっても、いいじゃないか、と。
純粋に、登ることが楽しかった。嫌なことを忘れるためでなく、登る楽しさを憶えるために登っていた。岩場を登るキリエの胸に、当時の熱がよみがえってくる。
もうすぐ、うさぎに手が届く。
手を伸ばす。
すると、うさぎは掻き消えた。
驚きはしなかった。「年」なんてものに触れるわけがないのだ。常に変わらずそこにいて、気付くと過ぎているものだから。
キリエは岩の上に立った。
山頂に立っていた。
辺りには人が沢山、座っている。ベストポジションを狙って、ずっと座り込んでいるのだろう人も多い。ケーブルカーで来たのだろうカップルもちらほらと座っていて「さむ~い」なんて、いちゃついている。そりゃそうだろう。山頂には風を防ぐものが何もない。
広大な夜景が段々と明るく、色を変えていく。
日の出を見やりながらキリエは、今年一年がどんな年になるかと思いを馳せて、はたと思い返して内心で訂正をした。
どんな年になるか、じゃない。
どんな年にするか、だ。
地平線にぴぃんと伸びてくる光の筋を見ながら、キリエは静かに手を合わせたのだった。
こんにちは、今年。
夢オチ? とか訊かれたら真顔で「そうです」と答えましょう。真実はあなたの中に(待て)。