他愛もない愛に気づく
帝国の子爵家の娘は、五人の家族の中で一人だけ父とも母とも血の繋がらない養子であることを気に病んでいた。娘は些細なことで両親と喧嘩になってしまうのだが、それからしばらくの後にとんでもない事件に巻き込まれるのだった。
「コリーンお嬢様」
そう呼ばれるのが、コリーンは大嫌いだった。
コリーンは大陸随一の大帝国のボーフォート子爵家の令嬢である。
とは言っても、子爵家の血は継いでいないのでボーフォート子爵家の継承権は持っていない。コリーンは元はボーフォート子爵夫人の連れ子であり、ボーフォート子爵家の養子なのだ。
もっとも、貴族というのは有能な子どもをどんどん取り入れて血統の価値を高めていくものなので、貴族家には養子というのはそれほど珍しくない。コリーンが本当にただの養子なのであれば、これほど拗らせた思いを抱えることはなかったのかも知れなかった。
何しろコリーンは、本当のところボーフォート子爵夫人の実娘ですらない。ボーフォート子爵夫人とコリーンの年齢は十三歳しか違わないので、並んでいると年の離れた姉妹くらいに見える。
昔から親戚と仲の悪かったボーフォート子爵夫人が、実親を喪ったコリーンを親戚たちに押しつけられたらしいのだ。だからコリーンは、自分の実親の顔を一つも知らなかった。
養母であるボーフォート子爵夫人がどのような生まれであるかを、コリーンは知らない。ただときおり油断すると共通語に帝国にはない訛りが出ることから他国の生まれであるらしいのと、隠しきれない所作の良さからどうにも裕福な生まれだったらしいというのを察しているだけだ。
養母本人に聞いたことも、本人から聞かされたこともない。つまりコリーンと養母デリアは、そういった距離のある関係なのだった。
「……コリーンお嬢様?」
再度メイドに呼びかけられて、コリーンははっと我に返った。
視線を向ければ、自室の扉の前にメイドたちが静々と立っている。
あなたたちだって、わたしみたいなエセ令嬢に仕えたくなんかないのでしょう。そう言いたくなるのを堪えて、コリーンは教育された通りに柔らかく微笑んだ。
「どう致しました?」
「ご相談のありました週末のお出かけの件ですが、旦那様より許可できないとのことです」
「……まぁ、そうなの」
なんでよ、と吐き捨てたくなるのを堪えた。
「理由は聞いていますか?」
「はい、ご希望された場所はときに人が並ぶほど流行りのカフェですので、人混みの中ではあまり護衛を増やせないので許可できないとのことです」
「……そう、相変わらず心配性なのね」
報告していたメイドが顔を上げて、微笑ましげに目尻を下げる。
「旦那様と奥様はコリーンお嬢様を愛しておられるのです。窮屈に感じるお気持ちも理解できますが、どうかお二方のお気持ちも慮りくださいませ」
そんなわけがないじゃない、と言いかけて、コリーンは口を噤んだ。
きっと、心配しているのはコリーンではない。ただの養子でしかないコリーンがうっかり可笑しな真似をすることで、家門に飛び火しないかを心配しているのだ。
メイドに笑いかけた顔は、引きつってはいなかっただろうか。
「でも学園ですごく話題になっていて、友人たちも行ったらしいのよ。諦めきれないから、お父様にもう一度ご相談したいわ」
「旦那様に先触れを出して参ります。旦那様はすでに執務を終えられておりますので、いまは奥様と温室におられるはずです」
頭を下げるメイドたちに頷いて、彼女たちが退室したのを確認してから、コリーンはソファに深く座り直した。
窓際のデスクには、学園からの課題が積まれている。学園から帰ってすぐに手を着けたは良いものの、集中力が続かなくて途中で投げ出したものだ。
それでも、夕飯までには終わらせておかなければいけない。
女性こそ勉学を身につけるべきという養母の方針で、夕飯が終わったあとには学園からの課題が全て終わっているか確認が入るからだ。課題が終わっていなければ、家庭教師の時間を増やされてしまうだろう。
はー、とコリーンはそれは深く嘆息した。それからしばらく考えて、諦めて、ソファから立ち上がってデスクに向かったのだった。
メイドたちから声がかかったのは、学園の課題が残り三問というところだった。
「コリーンお嬢様、旦那様がお呼びです」
「ありがとう、ちょっと待ってね」
残りの回答を埋めてしまって、立ち上がって身だしなみを確認する。
夕飯を見越して学園から帰ったあとはいつもワンピースに着替えているので、問題はないだろう。ざっと自分で確認して頷き、メイドたちがせめて髪だけでもと結い直すのを待って、コリーンは護衛を連れて温室に向かった。
「お父様、お母様、コリーンです」
「お出でなさい、コリーン」
子爵の声を合図に護衛が扉を開ける。扉を通り抜けて、コリーンは二人に一礼した。
子爵夫人の腕の中には、子爵家の三子にして長男である四歳の弟が抱かれている。子爵の血を濃く継いだ、水色の髪の男の子。
他に六歳の次子であり次女もいるが、子爵家の中で、水色の髪を持たないのは夫人とコリーンだけだ。そして夫人は深い赤色の髪なので、コリーンの緑色の髪とは色が違う。
ちり、と胸が僅かに焦げるのを無視して、コリーンは口を開いた。
「ご相談よろしいですか、お父様、お母様。この週末なのですけれど、どうしてもカフェには行ってはいけないのですか。友人たちと待ち合わせしているのです」
困ったような顔をする子爵の隣で、厳しい顔をしたのは子爵夫人だった。
子爵夫人はいつも、コリーンに向けて厳しい顔か難しい顔しかしたことがない。妹や弟に向ける優しく慈悲深い表情というものを、コリーンは自分の目線からは見たことがなかった。
「コリーン、そのようにワガママを言うものではありません」
ぴしゃりと撥ね除ける子爵夫人を心なしか宥めるように、子爵が柔らかな声を出す。
「なにもずっと行ってはいけないとは言っていないんだよ、コリーン。ただ今は、ほら、若者に人気の雑誌に載ったばかりだろう。部下に様子を見に行かせたけれど、連日長蛇の列が出来るほどの超満員だそうだよ。友人たちと遊びたいのも理解できるけれど、なにもこの週末に行くことに拘る必要はないんじゃないかな」
正論だった。けれど十四歳のコリーンに、正論は鬱陶しいものでしかなかった。
「……お父様たちはいつもそうやって、わたくしの行動を制限してばかりではありませんか!」
辛うじて荒れた言葉遣いをすることは避けられたけれど、感情的な口調は誤魔化しようがなかった。
「我が家門は子爵家であって、高位貴族のご令嬢方でもありませんのに、どうしてこれほど自由を制限されなければならないのです? なにも護衛なしで出歩きたいなどとは言っていないではありませんか。わたくしと同じ程度の家格の友人たちだって、みんなあのカフェに行っています! 人が減るのを待ってから行ったって、そのときにはわたくしはとっくに流行遅れだわ。今までずーっと、いっつもそうではありませんか!」
コリーン様のおうちは厳しいものね、と曖昧な笑みで友人たちに気を遣われる気持ちが、父母には判らないのだろう。
大人たちにとってはくだらない、けれど年頃の少女にとっては死活問題に等しい悩みを、コリーンはぶちまけた。眉尻を下げる子爵に対して、子爵夫人はにべもない。
「子どもに対する方針は、家庭ごとに違うでしょう。もちろん他人を否定はしませんが、わたくしたちが意見を変えることもありません」
「お母様は、いつもそうやって……!」
「まぁまぁ」
激高しかけたコリーンを、子爵が宥めた。子爵というよりは養父の顔で、穏やかに笑いかける。
「前にもコリーンを誘っているけれど、わたしたちは週末には弟妹を連れて国立公園に行く予定だよ。そりゃー流行りのカフェも観劇もないけれど、少なくとも気分は晴れると思うし、コリーンもどうかな」
「行きません!」
「コリーンあなた、旦那様にそんな言い方を!」
「煩い!」
立ち上がって叱りつけようとした子爵夫人に、コリーンはそれ以上の声量で叫び返した。
「お父様もお母様も、ご自分方の子どもが生まれてからはそちらばっかり! やっぱりどこの誰とも知れない親から生まれた得体の知れない子どもなんかよりも、ご自分の子どもたちのほうが可愛いのでしょう!」
「コリーン!」
「そんなにわたくしのことがお嫌いなら、さっさと施設にでも入れれば良いのよ!」
ほとんど絶叫するような声音で言い放ってから、コリーンは逃げるように温室を後にした。
子爵夫人が追いかけて叱りつけようとしたところを、子爵が宥める声がする。子爵に頼まれた護衛やメイドたちが追いかけてくる気配を後ろに感じながら、コリーンは自室に駆け戻って閉じこもったのだった。
***
週末、こっそりと窓から抜け出したコリーンは、流行りのカフェへと足を進めていた。
コリーンの部屋の前には、いつも護衛が貼りついている。屋敷の中でまでこれほどべったりと護衛が貼りつくなどというのは、それこそ皇家や高位貴族家くらいでしか聞いたことがなくて、コリーンはそれも鬱陶しく思っていたのだった。
「お父様とお母様に怒られちゃえ」
べっと舌を出して、人混みに紛れ込む。待ち合わせは本当に大丈夫なのかと確認する友人たちに、大丈夫だと言い張ったのはコリーンだった。
待ち合わせは広場の噴水の前で、カフェはそのすぐ近くにある。同じことを考える女性たちは多いのか、広場には女性同士の待ち合わせと思われる人びとがちらほらと見受けられた。
友人たちは見当たらないので、どうやら一番乗りだったらしい。時間を確認しようと懐中時計を探ったところで、横合いから声をかけられた。
「失礼、お嬢さん」
恐らくは貴族か裕福な出身なのだろう、清潔感のある男だった。男は自分から声をかけてきたのに、コリーンの顔を見てなぜか驚いた顔をする。
「……何か?」
問い返せば、男が咳払いした。
「他国から旅行にきたは良いものの、体調を崩してしまいましてね。ここらで医者や薬師はいますかね」
問われて、コリーンは首を捻った。
この辺りで一番有名な薬師といえば、長命種である魔女の家がある。ときに皇宮からまで依頼がくることがあると噂の、飛びきり腕の良い薬草魔女である。
ただし、大通りからは一本入った治安の悪い通りにあるので、女性や子どもだけでは滅多に近づかないことでも有名だった。だから魔女には失礼だがここらの親たちは、幼い子どもたちを『悪い子どもは魔女に食われてしまうよ』と脅すのである。
「あそこの、狭い通りなのですけれど……」
「……く、暗いですね。自信ないなあ、お店の前までご案内ってお願いできますか? いや、せめてその手前まででも良いのですが」
悩んだ末に、コリーンはちらりと噴水を見た。友人たちはまだ来ていないし、魔女の家がある通りは噴水からそう遠い距離ではない。
何かあれば、大声でも出せば誰か気づくだろう。
「良いですよ」
頷いて、コリーンは男を先導して歩き始める。
コリーンが意識を奪われたのは、それからすぐのことだった。
「運が良かったなあ。人気のカフェの近くなら可愛くて若い女が山ほどいるだろうと思ったが、思わぬ拾いものをしたぜ」
そんな声をかけられて、コリーンは眼を開けた。
「……お前、侯爵家のデリア・クロイドンの娘だろう。デリアは逃げ出したって聞いたが、まさかこんなところで子どもを生んでるとはなぁ」
眼の前には男がいて、信じられないほど下卑た笑みを浮かべている。先ほど声をかけられた男だ、とコリーンは気づいた。
記憶を整理すれば、どうやらひと目の減った通りで暗がりに引っ張り込まれたらしかった。抵抗どころか、いきなりすぎてまともに襲われた記憶も曖昧だった。
襲われれば抵抗すれば良い、大声を上げれば良いなどというのは、甘い考えだったのだ、とコリーンは思い知った。
どうやら、廃屋に攫われたらしい。外は明るいが、日の光の入り方から、コリーンが意識を失ってから二時間程度が経っているようだと窺えた。
手足は縛られているが、口は自由だ。けれどコリーンは、男がナイフを持っているのを見て動きを止めた。
「賢い娘だな、大声出したら殺すからな」
にやにやと楽しくて堪らないと言いたげに笑う、その男の顔を見て、コリーンははたと気づいた。
コリーンと同じ、緑色の髪に、黄色の瞳。
コリーンと、同じ。
「あなた、その髪……」
「お、気づいたか。俺はな、お前のお父様だよ。感動の再会といこうぜ」
くつくつと、どうしようもなく楽しげに、男は笑った。
「お前は俺と、デリア・クロイドンの娘なんだ。お前は本当なら侯爵の姪のはずだったのになぁ、いまは平民か? それとも誰かの愛人か? ろくな人生じゃないんだろうなぁ、可哀想に」
甚振ることこそが楽しいと言いたげに、男は引きつったように笑った。
コリーンは口を噤んだ。この男と母を会わせてはならないと、ほとんど本能的に感じたのだった。
それよりも、と頭の片隅で考える。
自分は、このろくでもない、最低な男の、血を引いていたのか。養母だと思っていたデリアは、本来は血の繋がった実母だったのか。
デリアとコリーンの年の差は、十三歳しか違わない。本当の娘として扱うことは、生きていくためにはきっと難しかったのだろう。
「なぁ、デリア・クロイドンはいまどうしてるんだ? どうせならお前よりまたあいつをヤってやりてーな」
飛びきり良いことを思いついたというように、男は提案した。
「いまのお前と同じように、手足を縛ってやったんだ。侯爵家直系のお嬢様だったんだぜ、そんな扱い受けたこともなかっただろうな。大騒ぎしやがって、何度か殴ってやったら静かになったけどさ」
嬉々として、武勇伝でも語るように言いつのる。悪いことなど、一つもした覚えがないように。
「傷物になったデリアを、もう価値はねえってデリアの親が色狂いの爺に安値で売りたたきやがってよ。だったら俺の愛人として可愛がってやろうと思ってたのに、とんだ誤算だったぜ。あげくにデリアは逃げ出しやがるし……」
はは、ははは、と本当に嬉しそうに、笑う。
「なあ、お嬢さん。お前の家を教えてくれよ。そうしたらお前は逃がしてやるぜ」
そういう、初めて耳にする、色々なことを聞いて、コリーンは――、
コリーンは仮にも貴族のご令嬢とは思えない顔で舌を打って、男に自分の唾液を吐きかけた。
「死んでも嫌よ、この色狂いの人間の真似してるだけの猿野郎」
男はしばらく、呆然としていたようだった。それから突然、真っ赤になって激高する。
「てめぇ、くそアマ!」
「……!」
殴られる。両手両足を縛られているコリーンに、抵抗する方法はない。
覚悟をして眼を瞑ったのに、いつまでも痛みは襲ってこなかった。
「……?」
そろそろと視線を上げる。
眼の前には、デリアが立っていた。まるで幽霊画か何かのように、首を傾けている。
両手をだらりと垂らして、真っ白な顔で、美しい顔で、薄らと笑う。
たとえば鬼という言葉にひとの形を与えたら、こういう姿をしているのかも知れなかった。
「おか、さま……?」
「駄目じゃない、コリーン」
コリーンが聞いたこともない、優しく、穏やかな声音で、デリアは言った。いつもの厳しい物言いではない、とろりとした響きだった。
「騒ぎに気づいた魔女様が、この場所を調べてお教えくださったのよ。今度お礼をしなくちゃね」
コリーンは、デリアの垂れ下がった右手に、血まみれの短剣が握られていることに気づいた。
足元を見る。後ろから刺し貫かれたらしい男が、倒れ伏している。
半ば意識を失ってこそいるが、男はまだ、生きているようだった。
「最初から、こうしておけば良かったのよ」
言って、デリアは、男に馬乗りになるようにしゃがみ込んだ。
そして、男の背中に短剣を刺す。迷いのない動きだった。
男の体がびくりと震えた。デリアは止まらない。
短剣を刺す。短剣を抜く。短剣を刺す。短剣を抜く。短剣を刺す。抜く。刺す。抜く。刺す。抜く。
十回を超えたあたりで、コリーンは数えるのを止めた。
そのたびに、デリアの顔にも体にも男から吹き出した血が飛び散った。繊細な作りの、美しい顔が、肉を食らう獣のように血に染まっていく。
デリアは、薄らと微笑んでいるようだった。
鬼のようなデリアは、美しかった。
やがて男からほとんど血が流れなくなった頃に、ようやくデリアは動きを止めた。
思い立って、それでも安心出来なかったのか、今度は首筋を刺し貫き始める。
何度も、何度も、何度も何度も何度も刺し貫いて、本当に男が絶命したのをそれでようやく確信したのか、デリアはほとんど命綱のように固く握り込んでいた短剣を手放した。短剣を握り込んでいた手の甲は血の気を失って真っ白で、それとは対照的に手のひらは真っ赤に赤らんでいた。
からりと硬質な音がした。
デリアが顔を上げる。実のところ、自分の顔はデリアと本当によく似ているのだというのに、コリーンは今さら気づいた。
「お母様……」
薄い唇が、ゆるりと開く。
「最初から、こうしておけば良かったのだわ」
自分に問いかけるように呟いて、デリアは何度か瞬きをした。
それから、ふと、コリーンに視線を合わせる。もしかしたらコリーンとデリアの視線が合うのは、ほとんど初めてかも知れなかった。
「あら、コリーン。そこにいたの」
明らかに支離滅裂なことを呟いて、思い出したように、デリアは微笑んだ。
「あぁ、コリーン。怪我はない?」
そう言って、これもほとんど生まれて初めて、デリアはコリーンを抱きしめた。
優しく、慈悲深い、まるで本当の母のような、コリーンが相対したことのないデリアが、そこにいた。まるでコリーンの弟妹を抱きしめているときのようだった。
知らない間に、コリーンの眼からは涙が流れていた。
「はい、大丈夫です。……本当に、大丈夫ですわ、お母様……」
誰かが衛兵を呼んだのか、コリーンの転がされていた見窄らしい家の外が騒がしくなる気配がする。
死体の転がる、血の海になった、薄汚れた床の上で、母と娘は抱きしめ合った。
***
さて、コリーンの養母改め実母であるデリアは、元は小王国の侯爵令嬢であった。
デリアが十二歳のときに、悲劇が起きる。デリアの通っていた学園のクラスメイトであり、子爵家の跡取りである令息に、攫われて強姦されたのだ。それが、コリーンの実父である。
「どうして、あの男は生きていたの? 子爵令息が侯爵令嬢を無理やり傷物にするだなんて、死刑にならなければおかしな話よ」
「もちろんうちの国であれば、死刑になるだろうね。下手をすれば、本人どころか一族郎党まで皆殺しにされてもおかしくない」
コリーンの問いに答えたのは、デリアの夫である子爵だった。事件以降体調を崩しているデリア本人から事情を聞くのは憚られたのだ。
「ただデリアの故国である小王国は、男尊女卑の意識が強い国でね。デリアが抵抗しなかったと判断されて、合意があったと見なされて令息は無罪放免になった」
「抵抗って」
コリーンは絶句した。
「あの男は、お母様の両手両足を縛ったと言っていたのよ! わたくしだって縛られたわ。あんなの、どうしたって抵抗できるわけがないじゃない! そもそも、男女にどれだけの腕力の差があると思っているのよ」
「そういう判決を出す国もある、ということだ。だからと言って逆に女性が抵抗して男に傷を負わせれば、そのときには女性のほうが傷害の罪に問われて投獄された例もある。法が弱者を守るように作られているかどうかは、結局のところ国ごとに違うからね」
「あぁ……、そういえば小王国から、今回の件で帝国に抗議が送られてきたって聞いたわね」
今回の小王国の子爵が帝国の子爵夫人に刺殺されたことに対して、小王国は激怒して帝国に賠償を求めたそうだ。
もちろん帝国はそれ以上に大激怒していて、人道支援の一環として長年続けていた小王国に対する経済支援の一部を取りやめることを決定した。その段になって慌てたのか小王国は和解の意向を示したようだが、何もかも手遅れな話なのだった。
「まぁそもそも、この大帝国の子爵令嬢や子爵夫人と小王国の子爵じゃあ、根本的に政治的な価値が違う。あの小王国は女性というだけで価値を低く見積もるものだから、そこのところすら理解できていなかったらしいね」
呆れたように言ってから、子爵はコリーンに言い聞かせた。
「今回の事件は内容が内容だから民衆には詳しい事情が知らされなかったけれど、お互いの国の上層部は知っている。だからデリアの元実家である小王国のクロイドン侯爵家がデリアとコリーンの存在を知って、たびたびデリアやコリーンに会わせて欲しいという書簡が届いている。どうにかすり寄りたいのだろうね」
傷ついたデリアをろくでもない男に売り叩こうとした家門だというのを知っているので、コリーンは胸を張った。
「もちろん、相手になどしませんわ」
「もしかしたら、強引な手を使ってくるかも知れない。十分に気をつけるのだよ」
つまり、両親による過保護は今後も続くということだろう。過保護の理由を理解したとはいえ、元より活発で負けん気の強いコリーンにとっては窮屈な生活が続くということでもある。
しょっぱい顔になるコリーンに対して、子爵が気遣うような顔をする。
「色々と大変なことが多かっただろう、大丈夫かい? デリアは体調を崩してしまったしね」
「あぁ、それは……」
コリーンは自分の胸に手を当てて、何でもない顔で頷いた。
「自分でもびっくりするのだけれど、意外と平気なの」
「なら良いけれど、後から疲れがくることもあるから、何か異常があったらすぐに言いなさい」
心配げな顔を崩さない子爵だが、コリーンが言ったのは本当のことだった。
自分の実父がろくでもない強姦魔で、今まで養母だと思っていたデリアが本当は強姦被害者の実母で、実父に強姦目的で攫われて、挙げ句に実母が実父を刺し殺す場面を間近で目撃したのだ。事情聴取をした衛兵を含む誰もがコリーンの心を気遣ったが、自分でも驚くほどコリーンは元気だった。
実父がどうあれ自分の父は帝国のボーフォート子爵であると思っているのと、不器用ではあれど母であるデリアから確かに愛されているのだということを知ったからかも知れなかった。
ふとコリーンは思いついて、子爵に調子よく上目遣いで甘えかかった。
「じゃあ元気を出すために、例のカフェの人気メニューを我が家に運ばせてください。お友だちをこの家に呼んでカフェごっこしますから。それなら良いでしょう?」
可愛い娘のワガママに、子爵は苦笑して頷いてやったのだった。
親の心は子知らずだよねー! ってお話
これ母デリアにも娘コリーンにもなるべくヘイトが向かないように調整をしたつもりなのですが、うまく出来ているでしょうか。デリアには色々な事情があったし、コリーンはちょっと拗らせた反抗期の娘なんぞこんなもんやろという気持ちで書いてました
実父が眼の前のコリーンではなくデリアに拘ったのは、高貴なご令嬢を暴行するという昔の成功体験をもう一度体験したくなったから。一説には、この手の性犯罪者は一度捕まっても出所してからもう一度同じ女性を付け狙うことがあるそうですね
『復讐をしても何にもならない』だの『相手を忘れて幸せになることが最大の復讐になる』というのはよく言われることですし、一つの真理であるとは思います。ですが一方で、何かの甚大な被害を受けた人間はそこで心が止まってしまうこともあるので、『復讐を達成することでようやく時間の流れを取り戻す』というのも一つの側面としてあり得ると思っております
結局のところ本人の適性次第だとは思うのですが、被害を受けた相手に対して『そこから前に進めないのはお前の心が弱いからだよ』などと切り捨てるようなことはしたくないなあ、と思う次第であります
うっ、前作がやべーお話とやべーお話で挟まれてしまったのですわ。寒暖差で風邪を引きそう。皆さまどうぞお体ご自愛くださいまし
【追記20260221】
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