第9話 一番風呂の侵入者と、餌付けされたマスコット
「……素晴らしい。工期短縮の鬼ですね」
城の裏手。
かつて荒野だった場所に、湯気を上げる立派な「木の囲い」が出現していた。
金貨の力とは恐ろしいものだ。
隣国から取り寄せた最高級の耐水木材。
ギデオンの土魔法による基礎工事。
そして、日当3割増しで雇った傭兵たちの不眠不休の作業。
たった一週間で、私の理想とする「露天風呂・第一号」が完成してしまった。
辺りには木の香りと硫黄の匂いが混じり合い、高級旅館の風情を醸し出している。
「へへっ、どうだセシリア。俺の『石積みスキル』も捨てたもんじゃねぇだろ?」
ギデオンが鼻の下をこする。
彼の顔には煤と泥がついているが、その瞳は達成感に輝いていた。
「ええ。完璧な施工管理です。今月のボーナスを弾みましょう」
「っしゃあ! ……で、だ」
ギデオンがそわそわとタオルを肩にかけた。
「完成したなら、やっぱり『一番風呂』は……」
「どうぞ。工事責任者の特権です。お湯の温度確認もお願いしますね」
「いいのか!? じゃあ遠慮なく!」
ギデオンは子供のように目を輝かせ、脱衣所(急造の小屋)へと駆け込んでいった。
鼻歌まじりに服を脱ぐ気配がする。
私はその背中を見送りながら、手帳にチェックを入れた。
【温泉施設:竣工】
【次は更衣室の拡張と、湯上がり用の冷たい牛乳の手配……】
その時だった。
「うおぉぉぉッ!? き、貴様ァァァ!!」
浴室の方から、ギデオンの怒号が響き渡った。
ただごとではない殺気だ。
まさか、スノータイガーの生き残りか? それともアサシン?
「ギデオンさん!?」
私は護身用の万年筆(武器)を構え、躊躇なく脱衣所を駆け抜け、露天風呂への扉を蹴り開けた。
「加勢します! 敵はどこです──ッ!?」
湯気が立ち込める岩風呂。
私は絶句して立ち止まった。
そこには、腰にタオル一枚を巻いた状態で、掃除用のデッキブラシを構えるギデオンの姿があった。
彼は左手で必死に腰のタオルを押さえ、右手だけでへっぴり腰にブラシを突き出している。
鍛え上げられた背中の筋肉が、怒りと羞恥で隆起していた。
そして、その視線の先。
湯船の中央にある「特等席」の岩場に、侵入者はいた。
「……猿?」
真っ白な毛並み。
顔だけが赤く、頭に雪を乗せた一匹の猿。
魔獣「スノーモンキー」だ。
本来なら鋭い爪で旅人を襲うDランク魔獣。
しかし、現在の彼は──。
『フゥゥゥ……』
目を細め、口を半開きにし、この世の極楽をすべて凝縮したような顔で、肩までお湯に浸かっていた。
手にはなぜか、ギデオンが楽しみにしていたであろう「おつまみ用の木の実」が握られている。
「どきやがれ! そこは俺の場所だ!」
ギデオンがブラシで威嚇するが、猿はチラリと彼を見て、「やれやれ、無粋な男だ」といった風情で欠伸をした。
完全に舐められている。
「セシリア! 下がってろ! 今すぐこの害獣を叩き出してやる!」
ギデオンが殺気を放ち、一歩踏み出す。
筋肉が躍動し、タオルの結び目がハラリと緩む。
「待ってください!!」
私は思わず叫んだ。
「殺してはいけません!」
「はぁ!? 魔獣だぞ!? 一番風呂を奪った大罪人だぞ!」
「見てください、あの顔を!」
私は猿を指差した。
猿はギデオンの怒声などどこ吹く風。
お湯をすくって顔を洗い、実に人間臭い仕草で「プハァ」と息を吐いている。
「……どうやらこの温泉には、魔力を霧散させる効果があるようです」
私は冷静に分析した。
魔獣の凶暴性は、体内の魔力過多に起因する。
高濃度の硫黄泉と地脈の力が、彼らの魔力を中和し、強制的に「賢者タイム」にしているのだ。
私の脳内で、電卓が弾かれた。
【対象:スノーモンキー(入浴中)】
【敵対性:無(骨抜き状態)】
【視覚的効果:癒やし要素(Sランク)】
【希少性:世界初「温泉に入る魔獣」】
「……ギデオンさん。ブラシを収めてください」
「なっ、なんでだよ!」
「あれは害獣ではありません。『観光資源』です」
「はぁぁぁ!?」
私は眼鏡の位置を直し、熱弁を振るった。
「考えてもみてください。雪景色、湯煙、そして温泉に浸かる可愛いお猿さん……。これだけで、王都の動物好きの貴族令嬢たちは『キャー可愛い!』と無防備に財布を開きます!」
「か、可愛いか? こいつ、俺のことすげぇ馬鹿にした目で見てるぞ?」
「気のせいです。……ほら、よく見れば愛嬌がありますよ」
私は恐る恐る浴槽に近づいた。
猿は私を見ても逃げず、むしろ「お前も入るか?」と少し場所を空けるような仕草をした。
「……なんて高いホスピタリティでしょう。あなたより接客向きかもしれません」
「俺が猿以下だと!?」
ギデオンが地団駄を踏む。
その拍子に、限界を迎えていた腰のタオルが、音もなく滑り落ちそうになった。
「あっ」
「うおっ!? み、見るな!」
ギデオンは野獣のような反射神経でタオルをキャッチし、その場に蹲った。
茹でダコのように真っ赤な顔で、私を睨む(というより涙目で上目遣いをする)。
「……セシリア。頼むから出てってくれ。俺は今、猿にも負けた敗北感と、あんたに裸を見られたショックで死にそうなんだ」
「……良い筋肉でしたよ。鍛錬の賜物ですね」
「慰めになってねぇよ!!」
私は彼の手前、真顔で返したが、内心では心拍数が少し上がっていたことを認めざるを得ない。
あの身体能力の源泉を、垣間見てしまった。
「……失礼しました。ごゆっくり」
私は扉を閉める直前、もう一度振り返った。
湯気の中、情けなく蹲る最強の傭兵と、勝ち誇った顔でお湯に浸かる猿。
奇妙なツーショット。
けれど、殺伐とした「死の土地」には似合わない、平和な光景だった。
「ふふっ」
扉の向こうで、私は小さく笑った。
どうやらこの温泉、人間以外にも評判は上々のようだ。
【本日の成果:露天風呂完成 + 新入社員確保】
【ギデオンの尊厳:一時的にストップ安】
さあ、次は人間のお客様を呼び込む番ですね。




