第3話 資産価値ゼロの廃墟
「……ここが、領主の館ですか?」
「ああ。俺たちの城だ」
案内された場所を見て、私は眼鏡がずり落ちそうになった。
荒野の丘の上に立つ、石造りの要塞。
かつては国境を守る威容を誇ったのだろう。
だが、現在のステータスを【鑑定】するまでもない。
屋根の瓦は半分以上剥がれ落ち、窓ガラスは割れ、外壁には枯れた蔦が絡まり放題。
玄関扉に至っては片方が蝶番から外れ、寒風が「ヒュオオオ」と亡霊のような音を立てて吹き抜けている。
私の脳内電卓が、けたたましい警告音を鳴らした。
【資産評価額:測定不能】
【居住快適性:E(野宿と同等)】
【必要修繕費:初期試算で8000万ゴールド】
「……素晴らしい。風通しが良すぎて、換気設備がいりませんね」
「嫌味か? これでも一番マシな棟なんだぞ」
ギデオンがバツが悪そうに鼻を鳴らす。
彼は私の重いトランクを、軽々と片手で持っていた。
だが、よく見ればその腕は微かに震えている。空腹と、私への気遣いによる痩せ我慢だ。
「さっさと入れ。凍えちまう」
城内に入ると、状況はさらに深刻だった。
家具は薪として燃やされたのかほとんどなく、傭兵たちは冷たい石床に藁を敷いて、身を寄せ合うようにうずくまっていた。
暖炉には火の気がなく、外よりも空気が澱んで冷たい。
「お帰り、頭……」
「何も狩れなかったのか……?」
留守番をしていた数名の男たちが、虚ろな目でギデオンを迎える。
彼らもまた、限界ギリギリだ。
ギデオンが痛ましげに顔を歪め、トランクを床に置いた。
ドスン、と重い音が響く。
「おい、王都の女。さっきの『話』……本当なんだろうな」
「雇用契約のことですか?」
「ああ。俺はどうなってもいい。だが、こいつらに……腹一杯食わせてやれるのか?」
その金色の瞳には、切実な光が宿っていた。
プライドの高い傭兵王が、部下のために頭を下げ、プライドを捨てて「エサ」を求めている。
……合格です。優良な経営者の資質あり。
私はかじかんで感覚のない手をこすり合わせ、ニヤリと口角を上げた。
「疑うなら、まずは『前払い』といきましょう」
トランクを開け、中から魔導コンロと鍋、そして乾燥野菜と燻製肉の袋を取り出す。
前世のキャンプ趣味と、今世の魔道具知識を組み合わせて開発した「どこでもキッチンセット」だ。
ここには水場もない。
私は懐から、高価な「水魔法石」を取り出した。
王都ならこれ一つで家が買える代物だ。
(……必要経費です。惜しくはありません!)
石を鍋に放り込むと、清水が溢れ出す。
次に火魔法石でコンロに着火──しようとしたが、指が震えてうまくいかない。
カチッ、カチッ。
「……貸せ」
見かねたギデオンが、太い指で着火スイッチを押してくれた。
ボッ、と青い炎が灯る。
「……ありがとうございます」
「礼には及ばねぇ。早く作れ」
私は鍋に乾燥野菜を放り込み、ナイフで細かく刻んだ燻製肉、そして秘蔵の「濃縮トマトペースト」を投入した。
ジュワァ……コトコト……。
死のような静寂に包まれた廃墟に、煮炊きの音が響く。
そして数分後。
トマトの酸味と肉の脂が溶け合った、暴力的なまでに芳醇な香りが立ち上った。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「赤い……スープ……?」
死人のようだった傭兵たちが、一人、また一人と起き上がり、ふらふらと鍋の周りに集まってくる。
その目は、聖火を見つめる信者のようだ。
「完成です。『特製ミネストローネ・改』。栄養価計算済み、身体の芯から温まりますよ」
私は持参した木の器にスープをよそい、まずは一番弱っていた少年に。
そして、二杯目をギデオンに突きつけた。
「さあ、どうぞ」
ギデオンは震える手で器を受け取った。
湯気が彼の凍りついた顔にかかる。
彼は恐る恐る口をつけ──そして、動きを止めた。
「…………」
「どうですか? 味付けが濃すぎましたか?」
「……熱い」
「え?」
「温かい、飯だ……」
ギデオンの声が震えていた。
見ると、その金色の瞳から、一筋の雫がこぼれ落ちていた。
涙?
あの魔獣のような大男が?
「三ヶ月ぶりだ……温かいスープなんて……」
彼は器を両手で包み込むように持ち、貪るように、けれど大切そうにスープを飲み干した。
喉を鳴らす音だけが、廃墟に響く。
「うめぇ……うめぇよ……ッ!」
周囲からも、すすり泣く声が聞こえ始めた。
「生き返る」「あったけぇ」と涙を流しながら、彼らは夢中でスプーンを動かしている。
その熱は、スープを作った私の冷え切った身体にも伝染してくるようだった。
(……数値異常です)
私は眼鏡が曇るのを拭いもせず、呆然としていた。
ただの乾燥野菜のスープだ。原価にすれば一杯数十円。
それが、これほどまでに人を感動させ、生きる力を与えるなんて。
私の計算式には、「温かさ」というパラメータが抜けていたらしい。
鍋が空になる頃には、私を見る彼らの目は一変していた。
警戒心は消え失せ、そこにあるのは崇拝に近い「信仰」の眼差し。
ギデオンが、空になった器を名残惜しそうに舐め……いや、見つめてから、私に向き直った。
「……名前」
「はい?」
「あんたの名前だ。……さっきは聞いてなかった」
「セシリアです。セシリア・フォン・アークライト」
ギデオンは立ち上がり、私の前に跪いた。
巨体が低くなっても、まだ私の目線と同じ高さだ。
彼は泥と煤で汚れた手で、私の手をそっと取ろうとして──自分の汚れに気づき、引っ込めようとした。
私はその手を、両手でガシッと掴んだ。
「セ、セシリア?」
「契約成立ですね、ギデオンさん。……その手、とても温かいです」
ギデオンは目を見開き、そして耳まで赤くして俯いた。
「……ああ。あんたが本当に毎日これを食わせてくれるなら、俺はこの剣をあんたに捧げる」
【契約成立】
【獲得戦力:Sランク傭兵団(忠誠度Max)】
【初期投資:サンドイッチとスープ(水魔法石代込み)】
コストパフォーマンスが良すぎて、逆に計算が合いません。
私は咳払いを一つして、照れ隠しに「雇用主(鬼上司)」の顔を作った。
「では、食後の運動といきましょうか」
「ああ、誰を殺せばいい? 王太子か? 今なら国ごと落とせる気がする」
「違います。掃除です」
私は廃墟と化した城内をビシッと指差した。
「まずはこの不衛生な環境を改善します。窓の修繕、床の清掃、断熱材の設置! ……私の『従業員』が風邪で倒れたら、生産性が落ちますからね」
ギデオンは一瞬きょとんとしたが、すぐにニッと──初めて見る、少年のような無邪気な笑みを浮かべた。
「了解だ、ボス。……腹が満ちた俺たちは、いい仕事をするぜ?」
こうして私は、最強にして最安(食費のみ)の労働力を手に入れた。
辺境改革の第一歩は、まさかの「大掃除」から幕を開けることになったのだ。




