第1話 「守銭奴」は婚約破棄に歓喜する
「セシリア・フォン・アークライト! 貴様のような心の貧しい女との婚約は、今この時をもって破棄する!」
王宮の大広間。
シャンデリアの光を反射して、無駄に豪華な金糸の正装が揺れる。
この国の王太子、アレクシス殿下が声を張り上げた。
周囲の貴族たちが、扇子で口元を隠しながらさざめくのが見える。
「あらあら、ついに」
「あんな地味な女、殿下にはふさわしくありませんわ」
「予算、予算と口うるさい守銭奴ですからね」
嘲笑のさざ波。
しかし、私の心拍数は平穏そのものだった。
むしろ、脳内の【計算】スキルが弾き出した「予測的中率」の表示が、100%へと確定するのを冷静に見つめていた。
(やはり、今日でしたか)
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、淡々と殿下を直視した。
「……殿下。今、なんと?」
「聞こえなかったのか! 真実の愛を見つけたと言ったのだ! 金のことしか考えられない冷血女には、もううんざりだ!」
殿下の隣には、ピンクブロンドの男爵令嬢がへばりついている。
彼女の首元には、先月「外交機密費」の名目で消えた大粒のサファイア。
なるほど。帳簿の整合性が取れました。
私は小さく息を吐き、静かに頭を下げた。
「──謹んで、お受けいたします」
顔を伏せた瞬間。
視界の端に浮かぶ私のステータス画面で、ある数値が劇的に変動した。
【精神的ストレス値:9999(LIMIT) ⇒ 0】
【将来の過労死リスク:判定不能 ⇒ 安全圏】
(よ、よかったぁぁぁぁぁーーッ!)
吊り上がりそうになる口角を、必死の理性で抑え込む。
これで解放される。
あの悪夢のような「王室財政健全化計画」から。
見栄のために輸入される高級ワイン、意味不明な噴水の建設費、側近たちの横領もみ消し。
そのすべての尻拭いから、私は今、解き放たれたのだ。
「……ん? なんだその態度は。泣いてすがらないのか?」
殿下が拍子抜けした顔をする。
いけない。ここで不審がられては「手切れ金」の交渉に響く。
私は表情筋を鉄仮面モードに固定し直し、顔を上げた。
「殿下のご判断は絶対です。……ですが、婚約破棄となれば、それ相応の『精算』が必要かと存じますが」
「金か! やはり貴様は金なのだな!」
殿下が大げさに嘆いてみせると、取り巻きたちが「浅ましい」と私を罵る。
なんとでも言ってください。
愛で腹は膨れませんが、金があれば老後の安心と高反発マットレスは買えるのです。
「慰謝料は払ってやる。だが、生憎と手持ちの現金がなくてな」
知っています。
あなたの浪費のせいで、王家の隠し口座すら残高が氷点下であることは、私が一番知っていますから。
「現金など結構ですわ。代わりに、いただきたい『モノ』がございます」
「モノだと? 宝石か? ドレスか?」
「いいえ」
私は鞄から、一通の書類を取り出した。
昨晩、徹夜で作成しておいた『資産譲渡契約書』だ。
近くのテーブルにそれを広げ、殿下にペンを差し出す。
「北の辺境──ラグナ地方の統治権および土地の所有権。これを慰謝料として譲渡していただきたいのです」
会場が一瞬、静まり返った。
そして次の瞬間、爆笑の渦が巻き起こる。
「ぶっ、北だって?」
「あの『死の土地』か!」
「魔物しか住まない不毛の荒野だぞ」
「ゴミ捨て場を欲しがるなんて、よほどお似合いだ!」
殿下も腹を抱えて笑っている。
「ハハハ! 正気かセシリア! あそこは防衛費を食いつぶすだけの、我が国の『お荷物』だぞ? 税収など1ゴールドも見込めない!」
「構いません。その代わり、今後一切、私と実家への金銭的援助の要請を行わないという一筆をください」
「いいだろう! 父上もあんな不良債権、切り離したがっていたところだ。好きにするがいい!」
殿下は上機嫌でサインをした。
サラサラと走るペンの音。
それは、私にとって自由へのファンファーレだった。
(交渉成立……ッ!)
皆、知らないのだ。
あの荒野の「簿価」ではなく「時価」を。
私の【計算】スキルと前世の知識(公認会計士)が見ている景色は違う。
ラグナ地方の地下には、豊富な地熱エネルギー──温泉源が眠っている。
そして何より、商業大国ゼリアへの「最短交易ルート」上に位置しているのだ。
魔物?
討伐して素材にすれば「資源」です。
荒野?
地盤が固く、工場建設に最適です。
野蛮な傭兵?
彼らは食い扶持がないだけ。金と飯を与えれば、世界最強の警備員になる。
あそこはゴミ捨て場ではない。
未計上の「宝の山」だ。
「では、これにて失礼いたします」
譲渡書を大切に鞄にしまい、私は完璧なカーテシーを披露した。
背を向け、大広間の出口へと歩き出す。
背後から「あーあ、可哀想に」「頭がおかしくなったのね」という嘲笑が聞こえる。
可哀想なのは、優秀なCFOを失い、明日から資金繰りに追われるあなたたちの方ですよ。
重い扉を開け、夜風を浴びる。
私は誰もいない回廊で、一度だけ小さくガッツポーズをした。
「……回収完了」
さあ、行きましょう。私の領地へ。
目指すは北。
待っていてください、私の新しい従業員たち。
残業代も、有給休暇も、温かいご飯も保証します。
だから──死ぬ気で稼がせていただきますわよ!
私の第二の人生は今、最高の黒字スタートを切った。




